黒刃賊
「しかし、黒刃賊とは。これまた困ったものが現れましたな」
都市長のポールは気つけの酒精を小さなグラスで煽ると苦り切った口調で吐き捨てた。
黒刃賊と呼ばれる集団がロムレス王国にその名を現してから、すでに十年近く経過している。
頭目は数度変わったが、一貫して賊がそう呼ばれる由来は、彼らの衣装、武器共に黒く塗られているからだ。
彼らは神出鬼没かつ非常に勁悍でなおかつしぶとい。
王軍も大がかりな軍旅を発して幾度となく叩き潰したが、中核は必ず逃げ延び、知らぬうちに膨張した。
――その悪魔がやってくる。
アンヌは生まれも育ちも街娘であり、ここよりもはるかに栄えて軍備の充実した安全な街に生まれたため、いくさを知らない。
「王女殿下。恐れることはございませぬ。わたしに一軍をおさずけくだされば、山野の賊など一撃で屠ってご覧にいれましょうぞ」
暗雲を切り払うが如く言い放ったのはフライドブルク出身でもっとも勇猛といわれたドナ・マリウスという将軍だった。
「それではドナ将軍。卿に兵を預けます。この街と土地と守ってください」
「ええ、お任せあれ」
ドンと自分の胸を力強く叩く五十過ぎの大将は、胸元まで届く黒々とした髭をゆすりながら、満腔に闘気をみなぎらせて雄々しくマントを翻した。
フライドブルクの兵はわずか数百の守備隊を残せば全軍でほぼ二千である。
「なあに、野盗がどれほどいようと我が軍に勝てるはずもない」
フライドブルク軍は遠方にある黒刃賊を一撃で世界から抹消しようと、速度を重んじて軽騎を先行させた。
敗残兵の情報によれば黒刃賊はたかだか数千だと聞いている。
武器及び装備が充実している正規兵に、数が優っているとはいえ賊如きが相手になるはずもない。
そう思い、賊のいるであろう他領の境までやってきたフライドブルク軍を待ち受けていたのは、草莽を黒々と埋め尽くさんばかりの、黒刃賊の大軍だった。
――馬鹿な。だが待てよ。相手はたかが賊。兵の質が違う。
ドナ将軍は生真面目であり、日常の調練に手を抜く性格ではなかった。
そのあたりを、アンヌや都市長、そしてテオドールたちは知っていたので、特に疑問を差し挟むことなく軍を預けたのだが、このときは相手が悪すぎた。
ドナ将軍自身、良将といえぬまでも、軍歴は長く、最低限に将として才覚は備わっていたが、あいてが正規軍ではないという一点だけに固執し、直押しに徹したのは策が貧しすぎた。
歓声を上げて突撃するフライドブルク軍は中々に剽悍であり、その鋭鋒は悪くなかったが、時間が経つに連れて勢いは徐々に減じていった。
この時の黒刃賊の頭目は赤い髪をしたラバールという三十そこそこの青年といってもよい若さであったが、戦闘の経験はドナ将軍よりはるかに積んでいた。
――敵将の用兵は陋劣過ぎる。
黒刃賊のラバールは、まず、前衛をフライドブルク軍にぶつけて様子を見、中々の練度があると見るや、いきなり虎の子の本隊を繰り出したのだ。
フライドブルク軍はたかだか二千。だが、黒刃賊は一万余りを超えていたのだ。
賊は寄せ集めであり、正規兵と比べれば装備も動きも悪いが、指揮官としてはラバールの経験が優っていた。
本隊の三千がフライドブルク軍と切り結んでいる間に、残りの五千を左右に展開させたのだ。
訓練を受けていない集団に細かな作戦を提示しても、受け付けることは当然できぬ。
そのかわり、横に広がるという単純なコマンドを伝令によって左右に染み渡らせたのち、残りの二千をフライドブルク軍のはるか後方に移動させたのだ。
敢えてこの二千を行動させなかったのは、烏合の衆である賊たちを使って軍をバラけさせるよりも、後方の位置でプレッシャーを与え続けたほうが、有利であると知ったからだ。
そもそも黒刃賊でもまともに正規軍とぶつかり合おうというのはラバールの直臣ともいうべき三千だけである。
ドナ将軍の敗北の理由は幾つもあるが、まず、もっとも大きかったのは敵の数を読み間違えたことにあった。
――せいぜい五千。多くて七千か。
敵軍の総数を正確かつ綿密にカウントするのは難しい。
本来ならば、ドナ将軍は偵騎を放って黒刃賊の正確な数をリサーチするべきであったが、敗残兵言葉を丸呑みにしてしまったのだ。
背後をふさがれると思い込んだフライドブルク兵に広まった恐怖は瞬く間に伝播し、それは大きな波濤となって全軍を襲った。
「おまえたち、踏み止まって戦え」
一旦崩れ出した兵をおさめることはいかなる名将でも難しいものだ。
我先にと後退する兵はやがて潰走に移るのに時間はいらなかった。
ドナ将軍は乱軍の中で斬り死にし、フライドブルク軍は五百近い死者を残して敗走した。
結果――。
フライドブルク市に帰り着いた兵は千に満たなかった。




