想定外
「私の負けです。ひと月前まではまったくわからなかった貴方と自分の差がハッキリわかります。正直なところ、ここまで格が違うとわかれば、むしろ気持ちが良い」
「そ、そうか」
パトリシアは長い金色の髪をかき上げると、頭上の蒼穹のような晴れ晴れとした表情でにっこり笑った。
もともと女神のように際立った容姿なのだ。
微笑めば常人である限り一発でノックアウトされそうなほど魅力的であった。
「これで私もなんの心残りもなく貴方のもとに嫁いでゆけるというものです」
「……ん?」
「いえ、嫁ぐは心構えですね。とにかく、こうして決着がつかないかぎり私としても自分の気持ちを貴方にお伝えしにくかったので」
「ちょっと待ってほしい。俺が既婚者であることを知らないわけではないだろう。なぜ、そのようなことを今さら」
「はい。貴方さまがご結婚なさっておられることはとうに承知済みでございますよ。だとしても、自分の気持ちを抑えることは不可能でしょう」
「いや、ま、まあ、そうなんだろうが」
「もしかして、私のような武張った女はお嫌いでしょうか?」
「そうではないが、いささか驚いた」
「ならばなんら問題はないかと」
「そうだな。なんの問題も……あるに決まってるだろーが。俺にはジャクリーヌという妻がいるのだぞ! マズいではなかろうか」
「精神的に人を愛することは法では咎められておりませぬ」
「いや、法とかじゃなくてさあ! その、倫理的にだな」
「それにロムレスの法でも士大夫が妻を多数娶ることは禁じられておりませんが」
「わかった、わかった。法的な話はやめよう。俺もそっち方面は詳しくないからな。確かにパトリシアの言うとおり人が誰か好きになるのは止められん。ん? なのか?」
「です」
パトリシアは瞳をキラキラさせながらずいと詰め寄ってきた。
ベルモンドは勝負には勝ったが、まるで獅子に詰め寄られる小鹿のように幾歩も後退させられ、ついには背後の楡の木に押しつけられ、ズズズと腰を落とした。
「というか、パトリシアは俺のことをベルモンドのことをむしろ軽蔑していたのでは? あれほどディスりまくっていたではないか」
「確かに常時飲酒状態のベルモンドさまはどこからどう見ても唾棄すべき存在でした。だからあの日、稽古という形でボコボコボコリーノにして性根を叩き直し、もとい更生させようと苦肉の策だったのですよ!」
「ちょ……いや、すまないな」
「けれど、ベルモンドさまは変わられました。あの日から一滴も酒を呑まず、職務に邁進し、各地で悪党を誅滅し、そして【明けの明星】という盗賊団を鮮やかな指揮で捕斬しました。私は、ずっと貴方さまのことを見ておりました。そして、私の大切なものを捧げるのは、この世においてベルモンドさま以外に存在しないと。どうか、どうか、許すと仰ってくださいませ。そして、このジャクリーヌめにお情けを。どうか、どうか……!」
(しまった。ヤベーのを引いてしまったぞ)
鼻息荒く上半身にのしかかってくるパトリシアは誰がどう見ても発情している一個のケモノである。
シチュエーションも花園のそばの情事ときたら、今の現場を目撃されればベルモンドはどう抗弁もできない。
「わ、わかったから。ステイ、パトリシアステイ! 落ち着け。とりあえず落ち着いて深呼吸をだな」
「私は落ち着いています。ほら、直接さわって確かめてくださいませ」
「わー、疾走したあとのようにドキドキ高鳴ってる……じゃなくて、マズいだろこれは!」
「ああん、そんなベルモンドさまぁ。こんな昼日中から大胆な……!」
「いや、襲われてんのは俺だから。あー、もおおっ、ていっ」
「きゃんっ」
とはいえベルモンドは徒手格闘も達人の域だ。腹の上にのしかかってくるパトリシアを合気のような技でくるりとひっくり返すと、すかさず距離を取った。
「とにかくおまえの気持ちはわかったから。あ、悪い。もう、昼休憩は終わりの時間だ。あー、まいったな仕事は真面目にやらなければな、副団長! というわけで男ベルモンドは詰所に戻る。さらば!」
たったかたー、とベルモンドはきびすを返すとまっしぐらに南門へと逃げ帰ってゆく。
「ああん、ベルモンドさま。つれないお方ですね」
パトリシアは小指を噛みながら青々とした草の上で熱を持った身体をもてあまし、くねらせていた。
――酒が呑みたいのに呑めない。
「あら、おかえりなさ……どうしたの? 酷い顔?」
「いや、なんでもない。少し、仕事で疲れただけだ」
ベルモンドは帰宅と同時にジャクリーヌに心配された。
すなわち、それほど良くない顔色をしていたのだろう。
「おにーちゃんおかえりなさいーい」
義妹のマリーヌがダッシュで膝に抱きついてくる。
彼女は自分の顔をベルモンドの膝にすりつけてから視線を上げて不思議そうな顔をした。
「おにいちゃん、いたいいたいなの?」
「いや、大丈夫だ。どこも悪くない。平気平気だぞ」
グッと右腕で力こぶを作るとマリーヌはわーいと両腕でぶら下がる。
(なんのつもりなんだ、アイツは)
ベルモンドとしては、前世を通じて堅気の女性にあれほどまでストレートに愛の告白をされたのは初めてであるが、よろこびやうれしさよりも。戸惑いのほうが強かった。
(そして案の定だ。もろにあの女は公私混同してきた)
ベルモンドは昼間のことを思い返していた。
「む、この巡回は私とベルモンドがふたりで行います」
「市場の視察は――そうですね。私とベルモンドで」
「今日から私は専門的に南門に常駐することにしました」
「副団長、もとい実質団長たる私の命令です」
「ベルモンドのお茶は私が淹れます」
「そのような些末事はベルモンドにふさわしくありませんね」
パトリシアの怒涛のひいきに騎士団の仲間たちは呆気に取られていたが、やがてニヤニヤ顔になった。
「ま、ベルモンドはヤベー時に働いてくれりゃいいからさ」
「ごくろーさん」
「お守りよろ」
「逆に助かったわ。きゃんきゃん突っ込まれなくて済む」
と、仲間たちからは逆にパトリシアと仲良くやることを励行される始末である。
「あの、本当にだいじょうぶ?」
「ああ、平気だ。問題ない。それよりも……メシにしようか」
家庭に職務上のゴタゴタを持ち込まないベルモンドは賢夫を固守し続けた。




