邪恋の清算
うららかな日差しを浴びて馬を走らせたベルモンド一家は、市の城壁が見える小高い丘で昼食をとることとした。
「とはいっても本当に簡単なものだけれど」
ジャクリーヌは謙遜するが、軍営での味気ない食事ばかりしていたベルモンドからすれば、どれも天上世界の美味である。
丘の向こうには高い樹がそびえ立っていた。
神樹といわれるフライドブルク市民の誇りであり、精神的支柱である長い寿命を持つ樹であった。
この国には国教としてロムレス教があるが、神樹は土着的な信仰心を土地の人間から集める尊いものであり、フライドブルク市民はこれをある意味領主よりもはるかに崇めていた。
「美味い。ジャクリーヌは料理上手だな」
「そんな、お世辞を言っても、これ以上は……お茶くらいしか出ませんけどね」
簡易的な茶道具一式を携えたジャクリーヌが微笑みを浮かべながら、楽しげな声を出す。
マリーヌは青々とした草地を転がるような駆け回って、きゃあきゃあと叫んでいた。
ときどき、ゴロゴロと身体を回転させながら丘の下のほうまですべり降り、再び起き上がると髪中に草をつけて、それを繰り返した。
「マリーヌ。反対側は沼があるから、気をつけないとダメだからねっ」
「わーかってるぅううっ」
「もう、あの子ったら。女の子なのに」
「子供は元気なのが一番だ。マリーヌは身体が丈夫だから心配はないな」
「そうなの。風邪ひとつ引かないんだから。ベルモンド、この間もね……」
ジャクリーヌはそう言って妹が起こした生活上のちょっとした笑えるエピソードを嬉々として話す。
こういった話題は他人が聞けば面白くもなんともないのだが、ほとんどが家に籠っている主婦のジャクリーヌからすれば是非とも旦那に聞かせたい話題なのだ。
ベルモンドは特に感想を述べる必要もなく「うん、うん」とうなずけばいいだけで、非常に気が楽だ。
(だいたいが、女の話は罪がないからな)
これが仕事上ならば、嫌でもそれぞれの利益が絡んでくるので生臭さをさけることはできない。
精神的にこうやって無邪気な姉妹と語らうのはベルモンドにとって「癒し」だった。
「ねえねえええっ。おにいちゃん、おねえちゃん。こんなのみつけたよおおっ」
ざかざかざか、と草地を蹴ってマリーヌが両手になにかを持って駆け寄ってきた。
「あら、なにかしら?」
「これはスライムだな」
「しゅらいむ?」
マリーヌが高々と頭の上に掲げているのはスライムという不定形のモンスターだった。
「やだ、マリーヌ、大丈夫なの? 捨ててきなさい」
「うーん、やだっ。マリー、これ飼うの!」
「だめええっ。ねえ、ベルモンド、モンスターなんて危険でしょう? 第一、こんなのこのあたりで見たことないわ」
「いや、これはただの下級モンスターだ。しかも白か。珍しいな」
「ベルモンド、知っているの? これ?」
「ああ、このあたりじゃあまり見かけないけど、洞窟とか森の奥の人が来ないような沼地なら、わりといるはずだ。それに白は珍しいうえに賢いんだ」
「そうなの?」
「大陸の南方なら草地でも荒野でもわりといるんだが、このへんはちょっと西に行けばステップエルフが居住する草原地帯に着くくらい空気が乾いている。呼び方はいろいろだが、茶とか黒っぽい色のやつは意思疎通がまるでできないほど下等なんだが、青とか紫とか黄のスライムはかなり賢い。訓練すれば犬猫以上に命令を聞くらしい」
「へえ、知らなかったわ」
「マリーもしらんかった!」
「特に白なんてほとんどいない。俺も初めて見たくらいだ。一説によると百万匹に一匹くらいしか生まれないらしくて、長生きすればするほど知恵を得るらしい。とある、物知りに聞いたんだが、齢五十年を過ぎると人語を操り魔術も覚えるほどの個体も確認されている」
「ほえー、おねえちゃんよりかしこそう……」
「余計なこと言わないの!」
「……お手」
ベルモンドがさっと手を出すと、マリーヌの頭の上に乗っていたスライムは小さな触手をベルモンドの手のひらに乗せた。
「わ、すごい。お手したわ」
「しゅごい!」
「周りの生き物の感情を読み取るのが得意な個体らしい。飼ってもいいんじゃないか? スライムはねずみをよく獲るらしいし、基本、水さえ与えておけば半年は食わなくても死なないからな」
「ふーん。この子、綺麗な色しているし。最近、お台所にネズミさんが増えたのよね。マリーヌが面倒みるっていうんなら、まあ……」
「マリー、この子のめんどうみる! りっぱなきしにそだてるのっ!」
「いや、騎士にはなれないとお姉ちゃんは思うけど」
「おやが子のかのうせいをひていしちゃダメなんだよ!」
「ううっ、そりゃま、確かにそうなんだけど……」
「じゃあ、名前はマリーヌがつけてやるといい。今日からマリーヌがこいつの主人だからな」
「うーん、どんななまえにしようかなあ……?」
「ポチとかジョンとかでいいんじゃないかしら」
「そんなありきたりななまえじゃよくそだたないよ……」
「うっ、そうかな? お姉ちゃんはいいと思うんだけど」
「おねえちゃんははっそうがひんこんだ」
「うっ」
「おい、ショックを受けるなよ。子供のいうことだ」
「うーん、きめた! このなまえはユキにするよっ」
「ん、いいんじゃない。よろしくね、ユキ」
「ユキ、俺はベルモンド。こっちは妻のジャクリーヌだ」
ユキと名付けられたスライムはうにょーんと触手を伸ばすとベルモンドの手にタッチをし、それからジャクリーヌ頭をぽんぽん、と撫でた。
「う! な、なぜわたしは頭をなでこされたのかしら」
「いいじゃないか。仲良くしてやれ」
スライムに視線をやりながらベルモンドは丘の下から接近する異物の気配に片眉を上げた。
ジャクリーヌとマリーヌはまだ気づかないらしく、ユキと名づけたスライムを前にキャッキャッしている。
ベルモンドは耳にかかっていた髪をかき上げると、ゆっくりと下の草地に視線を転じた。
こすれ合う自然界に存在しない金属音に気づき、ジャクリーヌたちは初めて警戒感を露にしてベルモンドの背に隠れるようにして草地を見下ろす。
そこには鉄格子の檻を五人のオークに牽かせた中年の男が立っていた。
「ジャクリーヌぅう! 軽率に城外に出るのではないとあれほど言っておいたのにィ! おまえが悪いのだぞう!」
「ありゃあ、誰だ?」
「わかりません。怖い……」
ジャクリーヌはマリーヌを抱きかかえながら、ただ怯えた。
男はジャクリーヌに懸想していたザハールという貴族である。
彼はこの時点でジャクリーヌに名前すら憶えられていなかったが、異常者にはそんなことは関係なかった。
あきらかに常軌を逸している。ベルモンドは男がオークという豚面の亜人に牽かせた檻車がロクなことに使われないと察知して、気分を害した。
「とりあえずここにいろ」
「ベルモンド、気をつけて」
ジャクリーヌの言葉に片手を上げるとベルモンドはゆっくりと丘を下りてザハールの前に立った。
同時に巨大なこん棒を手にしたオークたちが半円形にベルモンドを包囲した。
「どこかで会ったことはあるのかな?」
「おまえがジャクリーヌのくだらん呑んだくれ亭主か。われは騎士ザハール、いうなれば解放者だ。そして詩人としての一面も持ち合わせている」
フフンとザハールが自慢そうに顎を上げ卑しい笑みを形作った。
(ジャクリーヌのお友達かな?)
妻は書物を好むので、ベルモンドの知らぬ友人のひとりかと限りなく低い可能性を追ってみたが、後方の檻車から漂ってくる剣呑な気配が即座にそれらを打ち消した。
「家族でくつろいでいる。他人をまじえたくない。今日のところはお引き取りを願う」
「ハッ。おれが解放者であると言ったのが聞こえなかったのか? ジャクリーヌはこのおれが見染めたのだ。痛い目に遭う前にとっとと引き渡したほうが無難だぞ。断ったら断ったで、楽しみが増えるというものよ」
「どうやら会話できないようだな。手心を加える必要もない。俺の得意なやり方で処理させてもらう」
「ダボがっ!」
ザハールがそう叫んだとき、ベルモンドは五人の前に立っていた。
オークたちは軒並み二メートルを下回ることのない体格でベルモンドはまったくの不利と見えたが、事実は違った。
ベルモンドは抜き放った長剣を目のも止まらぬ動きで旋回させた。
白刃が陽光に照り映えて凄まじい勢いでオークたちの首を払った。
ザハールが瞬きする前にぼたぼたッと鈍い音が鳴って三つの首が地面に落下した。
ひとりのオークがようやく現実感を取り戻したのか、手にしたこん棒を振り下ろす。
――だが、その場にベルモンドの姿はなかった。
背後に回ったベルモンドは長剣を素早くオークの背中へと斜めに走らせた。
ぴっと朱線が走ってオークの身体がふたつに分かれて吹っ飛んだ。
残ったひとりはすでに戦意喪失したのか、こん棒を投げ捨てるとザハールを置いて逃げ出した。
投げ捨てたこん棒は檻の入り口に当たって扉が開く。
ベルモンドは無表情のまま訊ねた。
「で、どうするんだおまえは。こちらとしてもそんな物騒なものまで持ってきて妻を監禁しようとしたやつを、このまま逃がすというわけにもいかないのだが」
「お、おれを、このおれを役人に突き出すというのか?」
「悪いやつを捕まえるのが俺の仕事なんでね」
「バカが。豚公たちは捕らえた獲物を牽かせるためだけの役目よ。このおれは詩人だけではなく魔道の遣い手という顔も持ち合わせているのだぞ。おうりゃあ、ファイアボール!」
「おっ」
そう言うとザハールは剣を引き抜き素早く魔術を放ってきた。
人間ひとりを丸ごと包むくらいの巨大な火球が迫ってきた。
だが、百戦錬磨のベルモンドがこの程度の下級魔術に屈するはずもない。
長剣の切っ先を向ける。
火球はあっさりとふたつに割れて、花火の火が落下した程度の音を「ぼひゅん」と立て霧散した。
「ば、ばかな。このおれの魔術が通じぬと?」
ベルモンドはそのまま距離を詰めると長剣をザハール目がけて斜めに振り下ろした。
刃はザハールの顔面を両断した。
「あがあっ」
ザハールは顔を抱えたまま踊るような仕草でくるくると回転すると、そのまま扉の開いた檻車に突っ込んでゆき倒れると動かなくなった。
「とんだ休暇だな」
ベルモンドは長剣を仕舞うとこの始末をどう報告しようかと青空を仰いだ。




