奇襲
「まだ、子供ではないですか」
パトリシアが驚くのも無理はなかった。ベルモンドが捕らえた賊は、まだ十二、三歳で少年の域を脱していなかった。
赤毛の少年は震えながら、ただ、鬼神のごとき働きをしたベルモンドから少しでも離れようと身をよじっていた。
「小僧、名はなんと言う」
「オイラの名前はジュールってんだ。な、なあ、命だけは助けてくれよ。オイラ、村から道案内のためって盗賊どもにとっ捕まって無理やり連れて来られたんだ」
「そうか、なら、ジュール。おまえはこのあたりの地理に詳しいのだな」
「うん、うんっ。オイラはちっせえころからここいらを遊び場にしてんだ。目ェつむったって、どこになにがあるかわかるよ!」
「団長……」
ベルモンドが視線を動かす。その先に肩を押さえて血止めをしていたナタンが青白い顔でこくりとうなずいた。
「……団員のみなに聞いてもらいたいことがある。私はこのとおり負傷している。今はまだ話ができるが、時間が経てば出血であらゆる判断が不可能になるだろう。そこで、といってはなんだが、これはひいきではないのだが、我が甥のベルモンドはみなも知ってのとおり、シラフの状態である今は、肝も据わっているし腕も立つ。なにより、決断が速い。ここで賊が多いからといって手をこまねいていると、罪なき村人たちは虐殺されるだろう。そこで、ベルモンドに指揮権をすべて委譲しようと思うのだが。パトリシアもそれでいいか?」
「ええ、ええ! 私はまったく問題ないと思います。団長とベルモンドの指揮に従います」
パトリシアがそう言うと騎士たちは、不平不満を言うどころか、むしろ目の前の男にすべてを託すような目になっていた。
それもそのはずである。男の真価はギリギリの状況で問われるのであるが、平時とは違う戦場にベルモンドは身を置くことで、転生前の慣れに慣れた将としての気配が完全に他を圧していた。
「本来ならば副団長であるパトリシアが指揮を執るのが流れだが、今は言い合っている場合じゃない。みな、俺に命を預けてくれるか?」
ベルモンドの声には自然とあらゆる人間を靡かせる強さと巌のように、固く、不動の力が籠っていた。
「おうっ!」
「おおよ!」
「任せたぜ!」
「頼むぞベルモンド!」
「よし。それじゃあジュール。これから偵探を出す。賊たちの野営地と距離、そのほかの細かい情報を探り出してきてくれ。それとジャック、おまえは騎士団の中でもっとも疾い。夜が明ける前までが勝負だ。ジュールを連れて森を駆けよ」
「おお、任せてくれ。足の速さなら自信がある」
「よし、残りのみなは場所を移す。先ほど俺たちが通った森に身を隠す絶好の坂があった。ジャックたちの偵察が終わるまで、そこで暫時身体を休め、武具の点検をしておくぞ」
テキパキしたベルモンドの指図は、転生前、若きころに小部隊を操ってゲリラ戦を行っていた彼がもっとも得意としたものだった。
偵探はほどなく戻った。
報告を聞いてベルモンドは口元をわずかにゆるめた。
――ジャックは疾いだけではなく目もいい。
予想通り、ピエール率いる盗賊団【明けの明星】は森を出て遠くない平地に陣を構えていた。
「私が視たところ、賊の陣は粗雑です。積み上げた軍需物資は数に対して豊かですが、棒杭を打った程度の柵はすぐさま破れます」
「ふむ」
ベルモンドに報告するジャックはすでに言葉遣いまで改まっていた。
強いてそうさせたわけではない。ロムレス王国歴代で一、二と謳われたベルモンドが抑えようとしても滲み出るオーラがそうさせたのだ。
「ジュール。おまえはピエールを直接見たことがあるか? わかる範囲でいい。人となりを教えてくれ」
「オイラにむつかしいことはわからないケド、仲間内の評判はそれほどイイってわけじゃないみたいだよ。なんでも。頭だった数人が分け前のいいところぜーんぶ自分たちで持ってちゃうんだってさ。オイラをこき使ってたオッサンがそう言ってたよ。ほとんどは食い詰め者とか流民とか、強そうなのはベルモンドさまたちがほとんどやっつけちゃった」
拳をしばし自分の顎にコツコツとぶつけていたベルモンドは閉じていた目を静かに開いた。
「なら、やってみる価値はあるな」
明けの明星の総帥である盗賊ピエールはしたたかに酒に酔っていた。
一時はフライドブルクの市兵に追い回された彼であったが、各地を転戦することで、弱小の賊や流民などを糾合し、当初は二十人程度であった朋輩を、今や千を超えるまでに肥大させた。
――ああ、ともかくも酒が美味いわ。
巨大な二本の角を模した鉄兜を被ったまま、ピエールは盛り上がった胸筋から、黒々とした胸毛を放り出し、奪った美女たちに酌をさせていた。
「頭領、この分じゃまだまだ仲間は集まってきますぜ!」
「市兵なんぞは遅るるに足りんわ!」
薄衣を着せた美女は悲しそうな顔でピエールの膝の上に座り身体をまさぐられている。
この二十になるやならずやの美女は、数日前に襲った旅芸人の一座から奪った戦利品だった。
ピエールはこの美女を守ろうとした若い旅芸人を斬り殺した際に得も言われぬ愉悦を覚え、酒席においてそのことを何度も口に出し、嬲った。
「申し上げます、頭領。子分のひとりが女を手に入れたので、是非とも献上したいとのことで」
「なんだあ、生半可な女では承知せんぞ」
それもそのはずである。
ピエールが嬲っている膝の上の美女は、ここ数年の戦利品でトップクラスに位置するレベルだった。
だが、ピエールは幔幕に引き入れられた女を見た途端、手にしていたグラスを落とした。
――こりゃあ、すごい。
若い男に後ろ手で縛られた美女は、見事な金髪でたぐい稀なるという言葉がぴったりの上物だった。
ピエールが気に入ったのは、容貌に高貴さが窺え、あきらかに上流階級に属する血を感じ取ることができたからだ。
透けるような薄衣ひとつを身に纏った美女は、決して貧弱な身体つきではなく、胸も尻も豊かでピエール好みだった。
「頭領。先ほど物見に出した一団が市の擁する騎士団とい交戦しまして、この女は暦とした貴族だそうです」
「き、貴種か……! でかしたぞ、さあ、その女を早くこちらへ寄越せ。明るいところで顔を見たい」
警戒心なく、目を輝かせたのがピエールの明暗を分けた。
「こ、こんな服を着ろというのですか……!」
「頼む」
ベルモンドは旅芸人の一座から譲り受けたシースルーのドレスをパトリシアに手渡し、着替えるように命じた。
「これを着たおまえを献上するといえばピエールはなんなく俺たちを本営に入れるだろう。相手は所詮、賊徒。しかも兵の信望を得ていない。頭を落とせば、攻略は容易だ」
「だ、だとしても、こ、こんな破廉恥な……!」
「着てくれ。その代わり、俺が同道する。きみの命は絶対に守ってみせる」
「……」
「どうした? 時間がないんだ」
「わかりました。私も女です、覚悟を決めました。けれど、ベルモンド、責任は必ず取ってくださいましね?」
「んん? わ、わかった。男に二言はない」
「……はい、充分です」
光沢が美しい白絹のドレスを纏ったパトリシアは髪をアップにし、できるだけ容貌が際立つように厚めの化粧をすると、ベルモンドに引かれて敵陣に入場した。
倒した賊の衣服を着たベルモンドは、顔を泥で適度に汚して髪を下ろしているので、騎士と疑われることはなかった。
「おい、その女はどうしたんでえ」
「へい、これからピエールのお頭に献上しやす」
入口の賊はパトリシアの顔をまじまじと見つめるとつまらなそうに舌打ちをした。
――軍規がゆるむどころかピエールは嫌われている。
このときベルモンドは勝利を確信していた。
手には、尾の長い大きい鳥を入れた籠を携えている。
美女を虜にしたと見せかけたベルモンドは易々とピエールの本営にたどり着くことができた。
「早く、早く、その貴種の面を見せい」
「お待ちを」
ピエールは膝に乗せていた美女を放り出すと、長い腕を伸ばしながらドカドカと足音を立てて歩み寄る。
賊将たちが下賤極まりない笑い声を立てた。
一座の者は武器を放り出しベルモンドを警戒する者はひとりもいなかった。
「不用意だな」
ピエールが応ずる前にベルモンドの剣は鞘走っていた。
乾いた音が鳴ってピエールの首が落ちた。
同時にパトリシアの手首を縛っていた縄がするするとほどけ、解放されていた。




