傲岸
天の底が抜けたか――。
地を抉るような雨粒が乱打し終わった後にアルベルトは詰所を出ると、両手を突き上げてうんと背の筋を伸ばした。
「ベルモンドのやつ。今日が非番でツイてたなァ」
周囲の地面はぬかるんでいる。
これは、午後の点検は憂鬱だとアルベルトはわずかに顔を歪めた。
南門から出入りする業者の荷馬車の車輪が、しばしどろどろになった土に取られて往生することがあるからだ。
だとしても、市内の治安を守るため、そして日々の糧を購うために、仕事を休むわけにもいかない。
「おや?」
ふと、アルベルトが北の方角を見ると、地響きを立てて騎馬の一団がこちらへ真っすぐ向かってきた。
「ちょ、ちょちょ、ちょい待ち!」
まだ、朋輩たちは昼休みの束の間の惰眠を貪っている。
――ベルモンドならば、ひとりでも役目を果たすだろう。
アルベルトは臆病だ。
自分でも理解している。
仲間内でも軽く見られており、そのために半ば、酔いどれと侮られていたベルモンドに近づき、徒党を組むのは必然的だった。
だが、河水の落下事故から目覚めてベルモンドは変わった。
用心棒を懲らしめ、凄腕の女騎士を手玉に取り、無法者を一撃で黙らせた。
もともとベルモンドはすごい人間なのかもしれない。
なにしろ、王都に剣術修行に行く男などほとんどいない。
今まで朋輩や悪党に侮られていたのは、常時飲酒状態で、ただ単に真の実力を発揮し出したというそれだけのことかもしれない。
(だが、ベルモンドが変われたなら、オレも変わりたいんだ)
「ん、なーんと泥臭い建物ザンスねえ」
騎馬隊の先頭を走っていた金髪の貴族がなんとも鼻につく喋り方で横柄にアルベルトを睨みつけた。
「おい、そこの貧相な男。この薄汚い小屋にベルモンドとかいう男がいるザンスか?」
「ベルモンドならば南門の騎士だが。アンタは誰だ?」
「アンタとはコバエの分際で無礼ザンスね。余は、なにを隠そうロムレス王室に繋がる又従弟の上級騎士であるマーベラスさまザンスよ。いつも余の婚約者であるパトリシアがキサマたち雑魚虫どもの世話をしてやってるザンスよ。その口の利き方だけで万死に値するザンス」
「……で、そのマーベラスさまがどのようなご用件でベルモンドをお探しなんですか?」
「ふむふむ。実は余のパトリシアが婚約を破棄したいとふざけたことを言ってきたザンス。このチンケなフライドブルクで家格も美貌も釣り合うのはパトリシアくらいしかおらぬので、そのようなことは認められないザンスが。理由を聞くところによると、このあばら家に詰めるベルモンドが、一体どのような卑怯な手を使ったのか、余のパトリシアから立ち合いで一本取ったとか。パトリシアはそのクソ虫との約束で負けた時は、クソ虫のものになると、しなくともよい義理立てを押し通そうとしているザンスよ。余のパトリシアは一度言い出したら聞かない女ザンスよ。んでんで、パトリシアを説得するくらいならば、ここにいるベルモンドとやらに、ちょっと言い聞かせればスピード解決ってことで、わざわざ上級騎士の余が足を運んできたザンス。雑魚虫はかばいだてせずベルモンドとかいう男を引っ立ててくるザンス」
「お言葉ですが、過日の副団長とベルモンドの立ち合いに卑怯な仕儀は一切ありませんでした。立ち会った麝香騎士団の面々がそれを証明できます」
マーベラスたち騎馬の立てる音で目を覚まし、いつの間にか勢ぞろいした騎士団のみながアルベルトの背後でうんうんとうなずいていた。
「やかましいコバエどもザンスね。クソ虫どもが上級騎士である余に逆らうザンスか? 余に逆らうということは、ひいてはロムレス王室に逆らうこということザンスよ! わかっているザンスか? 所詮は卑怯な手を使う下級騎士の野良犬を余が直々に駆除してやると言っているザンスよ。感謝して地に頭をこすりつけるザンスよ」
「……ベルモンドの居所は言えない」
「ほう、中々面白い雑魚虫ザンスね」
マーベラスの瞳が残忍の色を帯びてぬらりと輝いた。
「悪い、みんな。オレはこの人たちと練兵場で話をつけてくる」
「おい、おまえひとり行かせられるかよ!」
「そうだ!」
「おやあ、フライドブルクから永久追放されたいカスがいるザンスかねぇ」
「うっ」
若年で独身のアルベルトを除けば騎士たちのほとんどは中年層で、家庭もあれば老父母も子もいた。
でなくとも上級騎士に目をつけられていいことはひとつもない。
「まあ、任せてくれよ。ちょっとナシをつけるだけだからさ」
アルベルトはそういうとマーベラス率いる十数騎を先導しながら練兵場に向かっていった。
「こ、こりゃ大変だ。早く団長とベルモンドに知らせなきゃ」
自己解決能力がない騎士たちは、慌てて上役とベルモンドを呼ぶために、白昼の街を駆け出した。
「その連中はどこにいるんだ」
「練兵場だ、ベルモンド!」
市場から戻ったベルモンドはひと息吐く間もなく、ジャックという名の同輩にアルベルトの危機を知らされ、市内を駆けていた。
疾風のジャックと呼ばれるほど、危急を知らせてくれた男の脚は速かったが、ベルモンドはそれを凌駕するほどだった。
(クソ、まさかそんなワケのわからん物言いがつくとは。大人げなく自分の力を示すべきではなかったのか?)
悔恨が深い。
「待て、待て……ベルモンド……」
背後についていたジャックの呻き声がみるみるうちに遠ざかってゆく。
練兵場に着いたベルモンドが目にしたのは、騎馬に乗った十三人の騎士と、その足元でボロ屑のようになって倒れているアルベルトの変わり果てた姿だった。
「ホッ。ようやくクソ虫の本命が到着ザンスか」
「……アルベルトがなにをしたというんだ」
「んー。ただの暇潰しザンスよ。だいたいが、余たち上級騎士の稽古を受けることができて、かような下級騎士には名誉以外のなにものでもないザンス。たとえ、命を失うようなことがあっても」
そう言うとマーベラスは手にした剣をサッと水平にかざして部下たちに命じた。
「笑うザンス」
男たちから一斉に嘲る声が高らかに練兵場を木霊した。
ベルモンドはマーベラスたちを無視すると倒れていたアルベルトを抱き起した。
「大丈夫か」
「あ……へへ、ドジ、こいちまった……」
アルベルトの右肩はだらりと垂れ下がっており、動かない。
全身も酷く嬲られたのだろう、あちこちの骨が折れており呼吸も絶え絶えであった。
多勢でなます切りにされたのだろう。制服のあちこちは切り裂かれ夥しい血で染まっていた。
特に脇腹の出血が酷い。
すぐさま治癒を施さねばそう長くはないだろう。
「待っていろ。すぐに治癒士のところへつれて行ってやる」
「ワリィ……おまえの真似したんだけど、ダメだった」
「そんなことはない。立派だ」
「クソ虫どもの友情ごっこは虫唾が走るザンスえ」
「そこをどいてくれ」
跪いたままのベルモンドを見下ろしながらマーベラスがこれ以上ないくらい残忍な表情で口元を歪めた。
「だめザンス。疾く、くたばるザンス。虫けらは虫けららしく、惨めったらしく地に這いつくばったまま死ぬザンス。それが下級どもにはお似合いザンス」
「どうやら会話にならないようだな」
「おっとと、本命はおまえザンスよ。ベルモンド、よくも我がフィアンセたるパトリシアを辱めたザンスね。そうザンスねえ、おまえは散々痛めつけたあと、絨毯に丸めてその上に騎馬を走らせてやるザンス。おまえが何度目で息絶えるか、パトリシアと共に酒の肴にするのも一興ザンスよ」
歌うようにマーベラスが馬の上で指揮者がタクトを振るような手真似をする。
「一応確認しておくが、ここでおまえたちがやったのはあくまでも稽古の範疇だと申し開きするつもりなのか」
「そうザンスよ。もっとも、そこのボロくずも上級騎士たる余たちの剣技の前では少々荷が重かったザンスね」




