無頼漢
ベルモンドたちはしばらく四方山話に花を咲かせる。
ふと、怒鳴り声と皿が割る音が盛大に響いてベルモンドたちはそちらに視線を移した。
「なんでぇ、この店じゃ冒険者には酌もしてくれねえっていうのかい!」
カウンター近くのテーブルでべレニスがひとりの若い男に絡まれていた。
年齢は二十四、五だろうか。ドレッドヘアでひどくむさくるしい恰好だった。着ているのは古ぼけた革鎧である。よほどに使い古しているのか、あちこちに泥や血のシミのような痕があり、男の心根を現しているようだった。
背は一八〇後半くらいあるだろうか。痩せぎすで、頬はこけており飢えたオオカミのように目つきが険しかった。
「たかが酒場の娼婦がもったいつけんじゃねぇ! このおれを誰だと思っていやがるんだ、ええ?」
「だから、あたしは娼婦じゃないです……」
べレニスに先ほどまでの元気はない。
カウンターにいるマスターは蒼い顔をして、心配そうにしているが、どうも自ら飛び出して男を制止する気配はなさそうだった。
「フライドブルク一の冒険者であるドノバンさまを知らずに商売をやっていたっていうのか! ああ?」
ドノバンは腰に下げた大剣の鞘を勢い良く叩くと、ギラギラした目であたりをジロッと睨みつけた。
三日月亭には酒だけではなく料理を楽しみに来る家族連れも多い。
「出よう」
「うん」
酒に荒れ狂ったドノバンに閉口して、幾人かが席を立つと惨劇から遠ざかるように客たちはそれに倣った。
「なんでぇ! このおれがいるとメシがマズいってのかよ!
てめぇら、喧嘩を売っているのか! 勝手に席を立つんじゃねぇやい!」
「あの、やめてください。ご勘弁ください」
口髭のダンディなマスターが意を決して止めに入るが、ドノバンは怒り狂って顎を殴りつける。
人々の悲鳴とマスターがテーブルをひっくり返した音が入り混じって店内に大きく響いた。
「おい、ベルモンド。どどど、どうする……あら?」
アルベルトが言うよりも早くベルモンドは立ち上がっていた。
ベルモンドの姿を見つけたべレニスが涙で顔を濡らしながら駆け寄り背に隠れる。
追ってきたドノバンは麝香騎士団の制服を纏っているベルモンドを見つけると、興奮し切った犬のように吠えた。
「てめぇ、そこをどきやがれ。その女はおれが見つけたんだからおれんだよ! 滅多なことをしやがると足腰立たなくしてやるぞ!」
ベルモンドは串焼きを手にしながら至極冷静な表情でドノバンを物珍し気に観察していた。
背中にはしがみついているべレニスが声も出せずに怯えている。
「なんだ、麝香騎士団か……」
「相手がドノバンじゃちょっとなあ」
「おまけにありゃあ酔いどれベルモンドだぜ」
「あのダーバ河に落ちたっていう?」
息を詰めて見守っていた人々から次々に批判的な声が上がった。
(どうやら騎士団自体が正当な評価を受けていないらしいな。と、そもそもコイツは冒険者か。どういった職業なんだろうか)
千年前、ベルモンドが生きていた時代には冒険者ギルド自体が存在せず、人々はモンスターや野盗が現れれば村々で処理していたのである。
「とりあえず落ち着け。ここは酒と料理を楽しむ店だ。そのように殺気立っていては味もわからないだろう。仲裁は時の氏神ともいう。ここは俺が一杯奢ろう。落ち着いて話し合えばわかりあえるはずだ」
「るせえやいっ」
ドノバンは目を血走らせて掴みかかってくる。
――理は尽くした。
このうえはベルモンドも自分の身を守らねばならない。
ドタドタと威勢はいいが酒が入っているうえに隙だらけだった。
ベルモンドはドノバンの右手首を掴むと、わずかに姿勢を低くして投げを打った。
ドノバンはロケットのように真っすぐ飛ぶと店の壁に頭から突っ込んだ。
頭の鉢が割れたのだろう。
板でできた壁にパッと真っ赤な血が広がった。
(ちょっと、やりすぎたか?)
ドノバンは折れてバラバラになった板屑に埋もれたまま完全に動かなくなった。
「市の警備兵に連絡してくれ!」
マスターが叫ぶ。
ほどなくして市が寄越した兵士たちが瀕死状態になったドノバンを連行していった。
(本人は力自慢なのだろうが、酩酊している状態では女子供にも劣るだろう)
ドノバンの姿が店から消えると、人々からワッと歓声が上がった。
「すごい、すごいよっ。ベルモンド、あんた、本当はこんなに強かったんだ!」
べレニスが目をキラキラさせてそう言った。
対するベルモンドは荒くれ者を制した気負いもなく、左手に持ち替えた串焼きの肉を頬張っていた。
「おう、ベルモンド。おめぇ記憶がなくなったってのは本当か? おらあ大工のトミーだ。おめっちの家はおらとこで建てたんだぞ!」
「あたしはお針子のエステルよ。アンタんちの嫁さんとは子供のころよく遊んだの!」
店中の人間がベルモンドを囲んでいた。ドノバンが退場したために、緊張感がゆるんだのか、誰もが楽しげ和んだ雰囲気を醸し出していた。
「すごいねえ、カッコイイじゃないの。王都へ剣術修行に行ったってのはうそじゃなかったんだねえ」
べレニスはもはやデレデレした態度を隠そうともせず、ベルモンドの腕にすがっていた。
負けじと店の女の子たちがベルモンドの肩や背にもたれかかって、自分の身体をすり寄せている。
「な、な! スゲーだろ、ベルモンドはよ! コイツは酒さえ入ってなきゃ剣術はピカイチなんだ!」
アルベルトは我がことのように唾をまき散らしながらベルモンドを褒めたたえ、客たちに自慢している。
「いや、酔客ひとり追っ払っただけなんだが……」
ベルモンドの呟きはただの謙遜として捉えられ、当分はこの場から離れることは許されそうもない雰囲気だった。




