表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

ヒェンのダメ譚 5.5

サクラ視点の回です。

始まりは4話の前日の夜となっています。

 小さな寝息を立てるヒェンの頭を撫でる。

 以前とは違い表情の変化は乏しくなったが、寝顔は変わらず愛らしい。

 そっと立ち上がりレシェの方へと向かう。

 こちらも寝息を立てながら、よく眠っている。

 頭を撫でた後、私は静かに寝室から出た。

 「二人は眠ったか?」

 「ええ。とてもよく眠ってる。」

 寝室から出るとお酒を飲んでいるクルタスが話しかけてきた。

 「そうか。」

 クルタスは頷いた後、近くの棚から杯を取り出し注ぎ、私の方へ差し出してきた。

 それを受け取り、ゆっくりと飲む。

 夜の短い時間。

 私とクルタス、二人だけの貴重な時間だ。

 「ヒェンの様子はどうだ?やはり外に出たがっていたか?」

 「ええ。私が家からは離れている間に、レシェに外に出たいとねだったみたい。」

 父達が来た次の日からヒェンが外に行こうとし始めた。

 最初は玄関の扉に飛びつき開けようとし、私に捕まると扉を指さし開けてと叩き始める。

 元気なことはよいことなのだが、私としてはまだ様子を見ていたいので外に出したくなかった。

 それで駄目と言っても、ヒェンは諦めず私達の目を盗んでは玄関の扉を開こうとした。

 それで仕方なくヒェンを箪笥の持ち手に括り付けることになった。

 「冬のこの時期、赤子を外には出したくないのだが、朝のベェーの毛梳きをやらせてみるか?」

 クルタスは箪笥に括られたヒェンを不憫に思っているので、外へ出してあげたいみたいだ。

 この時期モドの外は極寒の世界だ。

 幼い子供はあまり外に出さずにモドの中で過ごさせるのが普通で、外に出すのはベェーからミルクを絞るための毛梳きを覚えさせるときくらいだ。

 モドの中で自由に遊ばせるには幼く、かといってこのまま家で過ごさせるのは酷だ。

 「そうね。せめて朝の短い時間だけでも外に出してあげましょうか。」

 ヒェンの記憶喪失がベェーの背から落ちてしまったことが原因なので少しだけ心配ではあるがクルタスの言葉に同意した。

 「サクラ、心配であればベェーにヒェンを預けなければいいだけだ。」

 「ええ。」

 「それよりも、アンシ様がお願いしてきたことの方が今は問題だな。」

 先日、父達が来た時、私を診察する際にアンシ様があることをお願いしてきた。

 それは次の冬、ムスクーツクへの薬草取りにヒェンを同行させたいというものだった。

 もちろん、すぐに何故かと問いただした。

 ムスクーツクは北部の森林地帯にある広大な沼地だ。

 白の部族は、毎年冬になるとそこへ薬草を取りに行くのだ。

 冬の間だけ沼地は氷に覆われ、歩くことが容易になる。

 ミノ・ガザルの商団が冬にやってくるのもここを通ってやってくるからだ。

 沼地に自生する薬草は氷に覆われ取りづらいが、氷に覆われることによりその薬効を増すのだという。

 何より私たちにとって最も大事な薬の材料となる実がそこになっている。

 源水桃(げんすいとう)

 それは水の神獣が治める地にのみ生える源水樹(げんすいじゅ)になる実。

 水の神獣たちは神々に献上するために実を大事に育てている。

 少量ではあるがそれを毎年、かの地の神獣から貰い受けに行くのだ。

 以前は小さな実しか貰えなかったのだが、アンシ様が体の弱い者の為に長年かの地の神獣に願うことにより大きく薬効のある実を貰えるようになった。

 アンシ様が多くの人から尊敬されている理由の一つである。

 そんな大事な場所へアンシ様はヒェンを連れて行きたいと言うのだ。

 何か理由があるのだろうが、それは母親として許可できるものではなかった。

 ムスクーツクは極寒という言葉が暖かく聞こえるほどの寒い地であると母から聞いたことがあったからだ。

 そんな所へヒェンを連れて行くなどヒェンを殺しに行くのと同じである。

 それでもアンシ様はヒェンを連れて行きたいと言ってきた。

 かの地で耐えられるようにアンシ様が持つすべての家財をもってヒェンを護ると、移動する時と神獣にご挨拶に行くとき以外は決して外には出さないと。

 アンシ様は強く何度も頼むと頭を下げてくるばかりで、私は考えさせてくださいと言うことしかできなくなった。

 私は父達が帰った後、すぐにクルタスに相談した。

 クルタスもムスクーツクに行ったことはないがどういう所なのかは知っていた。

 なので、ヒェンを連れて行かせることには反対している。

 しかし、アンシ様が何故連れて行こうとしているのかが知りたいらしく、白の部族出身の者たちに色々と聞いて回っている。

 それも芳しくないようで苦々しい表情をしている。

 ヒェンは次期黄の部族の長になる身だ。

 それをまだ幼く弱いヒェンを命の危険が強いかの地に連れて行くなど、黄の人々から反発を招くだろう。

 その反発無くすだけの理由があれば別だが、アンシ様は語らず、探っても分からない。

 アンシ様は白の部族長を辞めたとはいえ、その発言力は強く、アンシ様がどれほど自身のみの言葉といったところで、それは白の部族の発言ととられてしまう。

 このままでは黄と白の部族の仲が悪くなるだけだ。

 それを避けるために動いているが何もできていない。

 「リドラから聞いたことだが、昨日の夜ウォードの怒声が響いたようだ。今日、急使が来てユトから何があったと手紙が届いたそうだ。」

 アンシ様がヒェンを連れて行くために父を説得しようとしたのだろう。

 大事な孫であるヒェンを危ないところに行かせたくない父が激怒する姿が目に浮かぶ。

 「リドラは他に何か言っていた?」

 「ウォードの怒声がすぐにおさまったことぐらいだ。それとリドラもヒェンを連れて行かすのは反対している。」

 「父さんの怒鳴り声がすぐに止んだの?・・・アンシ様に説得されたかもしれない。」

 「部族間の諍いになるかもしれないのだぞ。そんな簡単に説得できるのか?」

 ああ見えて父はウォードという立場においては、とても信頼を得ている。

 やや家族思いが強すぎて勝手をすることがあるが、ウォードとしての父は中立であり部族の和に注力する良きウォードなのだ。

 そんな父が簡単に説得できるものなのかと、クルタスは疑問を抱いているようだ。

 「わからない。ただ、父さんもアンシ様も私たちの知らない何かを知っているから。」

 クルタスはまた苦々しい顔になり黙ってしまった。

 「クルタス。アンシ様は本気でヒェンをムスクーツクへ連れて行こうとしているわ。それはどのような障害があり、禍根が残ろうと連れて行こうとするはず。」

 私は一昨日のアンシ様が頭を下げる姿を思い出しながらクルタスに話しかけた。

 クルタスはこちらを見て、静かに聞いてくれている。

 「アンシ様もヒェンを連れて行くことで何が起こるかはわかってる。それでも父さんを説得し、周りを巻き込んでまで動こうとしている。アンシ様の事は信頼しているし尊敬もしているわ。でもヒェン一人だけを連れて行かせるのは母親として絶対に許容はできない。だからクルタス私たちもムスクーツクに行きましょう。」

 クルタスが目を見開いてこちらを見てくる。

 「アンシ様はたとえ私たちに恨まれようと自身が持つ全ての力をもって連れて行こうとするわ。父さんが説得されたのなら相応の理由があるはず。だけどそれを話してはくれないと思う。父さんも理由を知っているかまではわからないけど説得されたということはアンシ様に協力するはずよ。」

 「そこまでするのか・・・。だがウォードが君に嫌われることを簡単にするのか?」

 「その理由が私に嫌われようとかまわないくらいに大きなものなら、父さんは苦しんででも承諾するはずよ。」

 私は父が苦しみながらも手放すしかなかった偉大な母の事を思い出しながらそう言った。

 私がどのような顔をしたか自分ではわからなかったが、こちらを見ていたクルタスは沈痛な面持ちだった。

 「このままじゃ、ヒェン一人だけがムスクーツクに行ってしまうわ。だからお願いクルタス。私たちも一緒に行けるように黄の人達を説得してほしいの。」

 「レシェはどうするつもりだ。君よりも体が弱いのだぞ。」

 「連れて行こうと思う。確かに寒さが命に関わる場所だけど、禍毒(かどく)はここよりも少ないと母さんが言っていたわ。レシェにとってはむしろいいのかもしれない。」

 クルタスは難しい顔をしながら考え込んでしまった。

 私はクルタスからの返答をただ静かに待つ。

 「わかった。説得してみよう。」

 「ありがとう。クルタス。」

 「リドラのドルノ家は何とかなるが他の大家が問題だな。」

 「特にウムヌ家が反対してくるでしょうね。」

 黄の大家で今もっとも氏族の多いウムヌ家は発言力が強い。

 厳格な家風であるウムヌ家は古くから族長を務めてきたアルタン家を支えてくれているが、厳格であるがゆえに融通が利かない。

 ただでさえ狩猟の季節を中央の草原で黄の族長が暮らしていることを問題視しているのに、ここで私達アルタン家がムスクーツクに行くとなれば白と黒の部族に族長家を奪われたと騒ぎかねない。

 「とりあえず明日リドラ達に相談してみるとしよう。」

 「ごめんなさいね。無茶なことを言ってしまって。」

 「このままヒェンだけを連れて行かれることになったら、それこそ黄と白の部族に禍根が残りかねない。それは誰も望むものではない。ヒェンを連れて行かれないのが最善だがそれが無理なら私達が護ってやればいいだけだ。もちろんウォードにも説得の手伝いをお願いするがな。」

 クルタスが少し意地の悪い顔を浮かべながら言ってくる。

 「ええ、父さんをうまく使って。もし何か言ってきたら私も手伝うから。」

 「ああ。頼りにさせてもらう。」

 静かに笑いあいながら、その日の二人の時間は終わった。

 

 翌日、朝早く起きた私はヒェンをベェーの毛梳きに連れていくための準備をしていた。

 冬の初めに何度かヒェンに毛梳きをさせたことがあるのだが、その際に使わせていた刷子(ブラシ)が見当たらない。

 倉庫と居間を探したが見つからなかった。

 子供たちが眠っている寝室に入り家探しする。

 ここに仕舞った覚えはないのだがレシェがいろいろ持ち出して隠してしまうことがあるので一応調べておくことにする。

 レシェのお気に入りの人形が入っている小さな葛籠を開けるとベェーの人形に刺さった刷子(ブラシ)を見つけた。

 やはりレシェが勝手に持ち出していたようだ。

 「ママ、何してるの?」

 家探ししている音で起きたのか、寝ぼけ眼のレシェで起きてきた。

 将来の為に母上と呼ばせているが起きたばかりでママに戻っている。

 「おはよう、レシェ。まだ早いから寝てていいのよ。」

 「あ!レシェの刷子(ブラシ)!」

 「違うでしょ。これはヒェンの物よ。」

 「でもヒェン使わないんでしょ。だからまだレシェの。」

 「今日からヒェンに毛梳きをさせるからダメよ。」

 「ヒェンもベェーの所に行くの?」

 「ええ。ヒェンがお外に行きたがっていたでしょ。だから朝の毛梳きの時だけ連れて行くことにしたの。この刷子(ブラシ)はヒェンに返してあげてね。」

 「・・・ヒェン、またベェーから落ちたりしない。」

 レシェはヒェンがベェーの背から、また落ちてしまわないか心配しているようだ。

 レシェはヒェンが落ちてしまったのは自分のせいだと思っており、ヒェンの事では随分と気弱になってしまった。

 「今日はベェーに預けないようにするから大丈夫。ただレシェにおんぶしてもらうことになるけどお願いできる?」

 「うん!レシェ、顔洗ってくる」

 そう言ってレシェは寝室を出ていった。

 私はヒェンの刷子(ブラシ)を見ながらヒェンが落ちた日の事を思い出していた。

 ベェーのミルク絞りと毛梳きは吹雪の中でも行う大事な仕事の一つだ。

 子供たちが危険な目に合わないように必ず大人が監督する様になっており、監督する大人は班分けされ冬の間一度は必ず当番が回ってくるようになっている。

 ヒェンが落ちた日は、その当番の日で私はレシェとヒェンを連れて家を出た。

 五歳に満たない子供は親か成人した誰かが一緒に行動する決まりになっており、私はヒェンを誰かに預けるのではなく連れて行くことにしたのだ。

 あの時、カエデや村の誰かにヒェンを預けておけばと今でも思ってしまう。

 大人たちがベェーのミルクを絞り終わるまで、ヒェンのような幼子は毛梳きを勉強させるか、ベェーの背に預けておくかのどちらかになる。

 冬の初め、まだ寒さが厳しくない頃、ヒェンに毛梳きを覚えさせようとしたのだが刷子(ブラシ)を投げたり、ベェーに抱き着いて寝てしまったりしたため覚えさせるにはまだ早いという結論に至り、この冬はベェーに預けておくことにした。

 ベェー達の所に着くとすぐに私は呼び止められた。

 子供たちが喧嘩をして怪我をしてしまったらしく、それを見てくれないかと頼まれたのだ。

 私はレシェにヒェンをベェーに預けるように頼んだ後、そこから離れてしまった。

 レシェは私の言ったとおりにベェーにヒェンを預けてくれたのだが、預けたベェーが問題だった。

 そのベェーは見た目こそ大人のベェーと見間違うような大きさだったのだが、まだ若いベェーだったのだ。

 若いベェーは好奇心旺盛でたまに群れから離れてしまうのだ。

 この草原でベェーを襲う魔獣はいない。

 しかし、ベェーの背に乗った子供を襲おうとする魔獣は稀にいる。

 ヒェンを乗せた若いベェーは群れを離れてしまい、運悪く腹を空かせた魔獣に襲われることなった。

 大人のベェーであれば何も動じることなく、ただ立ったままでいるのだがそのベェーは若いゆえに魔獣に咬まれたことが一度もなかったようで、足を咬まれたことに驚いて暴れてしまい背に乗せたヒェンを放り出してしまった。

 ヒェンを乗せたベェーがいなくなった事に気づいた私達は急ぎ探したが、見つけた時にはヒェンが地に落ちる直前だった。

 放り落されたヒェンは全く動かず、さらに魔獣が襲い掛かろうとしていた。

 私たちは急ぎ助けようとしたが距離があり届かなかった。

 もう駄目だと思った瞬間、怒った大人のベェー達が凄い速さで魔獣に突撃していった。

 ベェー達はヒェンに危害が及ぶ前に魔獣に突進し、吹き飛ばした後、一瞬で魔獣を踏み殺した。

 私達は怒ったベェー達に驚きながらも急ぎヒェンを救出した。

 ヒェンは頭を強く打っており、傷こそ無かったものの意識が戻らず丸二日眠り続けた。

 その時のことを思い出した私はまた不安になってきてしまった。

 「大丈夫か、サクラ?」

 いつの間にかクルタスが家に戻ってきていて、心配そうにこちらを見ていた。

 「大丈夫。少し考え込んでしまっただけだから。」

 「昨日も言ったが心配ならベェーに預けなければいいだけだ。だからそこまで心配することはない。」

 「ええ。わかってる。」

 クルタスは私の肩をたたいた後、居間の方へと戻っていった。

 私もすぐに居間へ行き準備を再開させた。

 

 「サクラ。少しいいか?」

 「どうかしたの、クルタス?」

 準備を再開させヒェンの服などを用意しているとクルタスが話しかけてきた。

 「モドの外に出る際にヒェンに首巻を付けさせずに外に出そうかと思う。」

 「どうして?そんなことをすれば顔に凍傷を負ってしまうわ。」

 クルタスの言葉に驚きつつ問い返す。

 「今のヒェンは変に賢い。言葉を覚えるのが早いのもそうだが、危険な物には近づかないようにしているように見える。」

 確かにヒェンはストーブやクルタスの天剣(てんけん)には一切近づくことはない。

 以前はストーブの中で揺らめく炎に興味を持ち近づいたり、レシェが嬉しそうに受け取る天剣(てんけん)に触ろうとしたりして危なげだった。

 「ヒェンに外が寒く、危ないところだと理解させることが出来たなら、たとえ家の外に出たとしても、モドの外までは出ないようになるはずだ。」

 「それで首巻を外して、外が危険な場所だと教えるわけね。」

 「ああ。」

 「わかったわ。ただしあまり長くそのままでいると本当に凍傷を負ってしまうから私達とレシェが別れるまでの間にしましょう。」

 「それでいい。」

 私はクルタスに言われた通りヒェンに首巻をしてしまわないように、首巻を鞄の中に入れた後、ヒェンを起こしに向かった。

 ヒェンを起こし、朝の準備を終わらせてヒェンを着替えさせるために箪笥の前へと連れて行き、箪笥から服を取り出していく。

 「マーマ。おしょしょ?おしょしょ?」

 ヒェンが外に連れて行ってもらえると気づいたらしく嬉しそうに尋ねてくる。

 「ええ、そうよ。」

 喜ぶヒェンに箪笥から出した防寒を施した服を着せていく。

 ヒェンは大人しくしており、着替えはすぐに終わった。

 抱きかかえて靴箱の前まで連れて行き靴を履かせたら、クルタスにヒェンを任せ、デールを着て鞄を肩に下げた後、寝室からオマルを持ってくる。

 準備を終えて家から出ると、カエデ達が少し向こう側で喋っている。

 「サクラ!おはよう!」

 「おはよう、カエデ。」

 「今日はヒェンも一緒なのかい。」

 「ええ。一昨日から外に出たいと駄々をこね始めたの。だからベェーの毛梳きの時だけ出してみることにしたの。」

 「なるほどね。気を付けていくんだよ。」

 カエデはちらりとヒェンを見て少し心配そうな表情をしたが、すぐにいつもの明るい表情に戻り送り出してくれた。

 「レシェ。行きましょう。」

 「うん。みんな、またね!」

 仲のいい子たちと喋っていたレシェを促し、廊下を歩いていく。

 ヒェンは周りが気になるのか一生懸命に首を動かし周りを見ている。

 廊下を曲がり、螺旋階段を下りていく。

 大通りをまっすぐ進み、外へと続く門に近づいていく。

 レシェを見ると、帯に挟んでいた首巻を手に取ると手際よく首に巻いていく。

 ヒェンの方は門の方をジッと見ており、動きが止まっている。

 門を抜けると外は晴天だった。

 「パーパ!パーパ!」

 白く広がる景色を見ながら歩き出すと、ヒェンが必死にクルタスを呼び始めた。

 寒さで顔が痛くなったのだろう。

 どうやらクルタスの目論見はうまくいったみたいだ。

 私はクルタスと頷きあうと、オマルを置いて急ぎ首巻を鞄から取り出しヒェンに巻いていく。

 ヒェンの顔は寒さで少し赤くなっているが大丈夫そうだ。

 首巻を巻くとヒェンは大人しくなり、また周りを見渡し始めた。

 「これでモドの外まで出ることはないだろう。」

 「そうね。でも家の外に出すのは駄目よ。」

 「ああ。わかっている。」

 クルタスの言葉に念を押しつつ再び歩きはじめる。

 「マーマ。マーマ。」

 レシェと別れる場所まで、もう少しの所でヒェンに呼ばれた。

 ヒェンはモドを指さしてこちらを見ている。

 私はすぐに何か理解して教えてあげる。

 「モド。モド。」

 「モオ。モオ。」

 まだ発音はちゃんとできていないがすぐに覚えてしまう。

 先日、アンシ様に指をさして言葉を教わる方法を教えてもらってから、ヒェンは家中の物を指さしどんどん覚えていっている。

 ヒェンは覚えることが楽しいのか指さしをしているときはとてもご機嫌だ。

 ヒェンを見てもらっているレシェは、指さしに付き合わされて少しげんなりしているが。

 「ヒェン。」

 クルタスがヒェンに声を掛けてきた。

 レシェの負担にならないようにベェーのいる場所近くまで全員で来たが、ここからは家族別れて行動することになる。

 クルタスがむこうを向いて準備完了しているレシェの背中にヒェンを預ける

 私はオマルを降ろし、鞄からベェーの毛で編まれた丈夫な布を取り出してヒェンが落ちないようにレシェとしっかりと結んでいく。

 「レシェ。無理をしては駄目よ。苦しくなったら、すぐに大人の人や誰かを呼ぶのよ。」

 「うん、わかった。」

 「それと、私が行くまで柵の中に入っては駄目。ベェーに駆け寄るのも駄目。わかった?」

 「・・・うん。」

 返事の歯切れが悪い。

 レシェとしてはすぐにベェーに飛びつきたかったのだろう。

 「レシェ。サクラが行くまでの我慢だ。その後は自由にしていいから、ちゃんと我慢しなさい。」

 「うん!」

 クルタスがレシェを諭してくれたが、その言い方だとベェーの毛梳きをする前に抱き着いて寝てしまいそうで私としてはやめてほしかった。

 

 レシェ達と別れた後、私はオマルの中身を捨てるために東の方へと歩き出した。

 ゴミや汚物はモドの東側に捨てることになっており、東には大きな穴が掘られている。

 レシェがそわそわして待っているだろうと思い、少し小走りで穴へと向かう。

 少し走っただけで胸が苦しくなってくる。

 やはりモドの中とは違い、外は禍毒(かどく)が濃い。

 小走りをやめて歩こうかと思ったが、レシェとヒェンが心配なのでやめた。

 穴に着くと、オマルを下ろして蓋を開ける。

 首から下げている包水珠(ほうすいじゅ)をデールの中から取り出し、マナを注ぎ込む。

 すると包水珠(ほうすいじゅ)から水がゆっくりとあふれ出てくる。

 包水珠(ほうすいじゅ)源水桃(げんすいとう)と同じく水の神獣が治める場所になる実で、大きさは手で包み込める大きさなのだが、その中には大量の水が入っている。

 皮は多くの水が入っている物ほど薄く、硬くなり、玉と見間違うことから実ではなく珠と呼ばれている。

 硬い皮から水を取り出すにはマナを注ぎ込むしか方法はない。

 無理矢理、皮を割ろうとすると中の水は一瞬でどこかに消えてしまうらしい。

 オマルに水を満たして穴へと捨てる。

 それを二度ほど繰り返すとオマルの中の汚れはなくなり、臭いも消える。

 包水珠(ほうすいじゅ)の水は神獣の力が宿っており、汚れを清める力があるので飲み水だけでなく洗い物にも重宝する。

 オマルを洗い終わったので来た道を戻り、急ぎレシェが待っている場所へと戻る。

 ベェー達がいる場所へと着くとレシェが柵の外でヒェンをおぶってちゃんと待っていた。

 ベェー達に抱き着いている子達が羨ましいのか、後ろにいるこちらに気づかず向こうを見たままジッとしている。

 「レシェ。ヒェン。」

 声を掛けると、こちらに気づいてくれた。

 「母上!もう行っていい?」

 「ヒェンをおんぶしたままでしょ。すぐ解くから待って。」

 今すぐベェーに抱き着きに行こうとするレシェを制止して、オマルを置き、ヒェンとレシェを結んでいた布を解く。

 「いってくる!」

 ヒェンを抱き上げミルクを入れる壺を受け取ると、レシェは柵を超えてベェーへと走っていくと勢いよく飛びついた。

 将来の事を考えるとあのわんぱくな所を早く何とかしないといけないが、ヒェンの事で気落ちしていたのを思うとホッとする。

 私もミルクを絞るために柵をこえて入っていく。

 入ってすぐに何頭かのベェーがこちらへと近づいてきた。

 その中の一頭はあのヒェンを落としてしまった若いベェーだった。

 ヒェンの事が心配で様子を見に来たのだろう。

 「ヒェンは無事だったから、もう心配しないで。次は子供を乗せたまま群れを離れては駄目よ。」

 私がそう言うと若いベェーは一鳴きして何度か頭を上下させた。

 どうやらわかってくれたようだ。

 私はベェー達から離れ、子供たちが毛梳きを習っている場所へと移動した。

 その間、ヒェンはベェーが気になるのかベェー達に視線が釘付けになっている。

 以前と変わらず、ベェーの事はすぐに好きになるかもしれない。

 そう思いながらヒェンを下ろす。

 近くではヒェンより少し年上の子たちがベェーの毛梳きを習っている。

 乱暴に毛を梳いている子が多く、遊びたいのにいやいややらされているのがわかる。

 それを見ているとヒェンが以前のように嫌がる光景が浮かび、やらせるべきか悩んでしまう。

 ただ今のヒェンは以前と行動が違うことから様子を見るためにやらせてみることにする。

 刷子(ブラシ)を渡し、ヒェンの手を持って子ベェーの毛梳きを覚えさせていく。

 以前であれば途中で刷子(ブラシ)を投げていたのだが、大人しく毛を梳いている。

 最初の子ベェーの毛梳きを終えてヒェンの手を離してみたが、刷子(ブラシ)を持ったまま次の子ベェーを待っている。

 ヒェンは次に来た子ベェーを丁寧に梳いていく。

 私はそれを隣で見ながら大人のベェーの毛を梳いていく。

 途中、遊びたかったのか刷子(ブラシ)を持っていない方の手を毛にうずめていたが、子ベェーに催促されてすぐに再開した。

 小さい体で一生懸命に毛を梳いていく姿は可愛いのだが、その手慣れた様子はヒェンぐらいの子がする毛の梳き方ではない。

 毛を梳く姿は真剣そのもの。

 まるで毛梳きを得意とする大人がしていくように梳いていく。

 ほとんどの大人がやらない尻尾まで丁寧に梳いている。

 すぐに言葉を覚えることといい、さも経験したことのあるかのごとく毛を梳いていくさまといい、この子が本当にヒェンなのかと心の中で思ってしまう。

 二頭目のベェーを梳き終わったヒェンは次のベェーを梳くため前を向くと何故か硬直して止まってしまった。

 不思議に思い、毛を梳く手を止めて前を見ると、ヒェンの子ベェーの列が長くなっていた。

 私が手を添えて教えていた時は、教えるために梳いていた子ベェーも合わせて四頭だった。

 それが今は十頭以上並んでいる。

 それどころか他の子供の所に並んでいた子ベェーがヒェンの列に更に並び直しており、その数はどんどん増えていっている。

 ヒェンの梳き方が気持ち良かったのか子ベェー達はヒェンの列に並んでいく。

 その光景が、怖かったのかヒェンが私の足にしがみついてきた。

 子ベェー達はヒェンに毛を梳いてほしいのか囃し立ててくる。

 こんなことになるのは初めてだったので他の子供を連れてきていた大人達に聞いてみる。

 「ねぇ、この場合どうしたらいいと思う?とてもじゃないけどこの子一人でこの数は無理よ。」

 「すまないけど、わかんないわ。こんなの初めてだし。」

 「モドに連れて帰った方がいいかもしれないわね。このままだ治まりそうもないしね。」

 私が尋ねたことに対して、戸惑いつつも返してくれた。

 皆も初めての事らしくどうしてよいのかわからないみたいだ。

 とりあえずヒェンの身が危なくならないように、モドへと連れ帰ろうと思った瞬間、一頭のベェーがやってきた。

 そのベェーは朝日の輝きにも似た毛の色を持っており、明らかに他のベェーとは違った。

 最古のベェー。

 私の頭の中に浮かんだのは、母から聞いた神獣として神に仕えていた頃から生き続けるベェーの存在だった。

 普段は姿を隠すように行動しているらしく見つけるのが難しいと母は言っていた。

 そんなベェーが目の前にいる。

 周りの大人たちも始めて見る毛色のベェーに驚いている。

 最古のベェーはヒェンの列の並んでいる子ベェーの間に割り込むと、自身の後ろに並んでいる子ベェー達に語り掛けるように鳴きはじめた。

 その鳴き声を聞いた何頭かの子ベェー達は戻り始めたが、多くの子ベェーが抵抗するように鳴いている。

 子ベェーの鳴き声を聞いていた最古のベェーは空に向かって一鳴きした。

 すると今までこの状況を静観していた他の大人のベェー達が動き始め、ヒェンの列に並んでいた子ベェー達を咥えて違う子供の列に運んでいく。

 ヒェンの列に残ったのは三頭の子ベェーだけになった。

 ヒェンが先ほど毛を梳いた子ベェーと合わせると、ちょうど子供に割り当てられる子ベェーの数だった。

 ヒェンは私の足から離れると、残った子ベェー達の毛を再び梳き始めた。

 私も残りのベェーの毛を梳き、ミルクを貰うために手を動かし始める。

 私がベェーからミルクを絞り終えると同時にヒェンも最後の子ベェーの毛梳きを終えた。

 「ヒェン。よく頑張ったわね。えらい、えらい。」

 頑張ったヒェンを褒めながら頭を撫でる。

 「マーマ、ミーク。ミーク。」

 するとお腹が空いたのかヒェンがミルクを催促してきた。

 私は頷き、ヒェンを抱え上げるとレシェを探した。

 「レシェ。もう帰るわよ。レシェ。」

 声を出して呼ぶが、レシェからの返答はない。

 先ほどレシェが抱き着きに行ったベェーのもとまで戻ると、先ほどと同じ場所でベェーは寝そべっており、その前にはレシェの靴が置かれていた。

 懸念していた通り、またベェーの毛の中で眠ってしまったようだ。

 まだベェーの毛梳きも終えていないだろう。

 とりあえず、レシェを毛の中から取り出さないといけないのだが、ミルクが入った壺とヒェンによって私の両手はふさがっている。

 疲れて眠そうにしているヒェンを下ろして壺を持って待っていてもらうのはかわいそうだし不安だ。

 途中で寝てしまい壺ごと倒れてしまうかもしれない。

 誰かに預けようかと思い周りを見ると、最古のベェーが静かにそばで立っていた。

 こちらを見てきていることから、ヒェンを預かってくれるようだ。

 ただ、またヒェンが落ちてしまわないかと考えてしまう。

 しかし、草原で生きていくにはベェーとの信頼関係は必要不可欠であり、ベェーに子供を預けることはベェーを信頼している証でもある。

 このベェーが最古のベェーでなくても、若いベェーないことは確かだ。

 ならば、預けても大丈夫なはず。

 私はこのベェーを信じてヒェンを預けることにした。

 「ヒェンをお願いね。」

 ヒェンをベェーの背に乗せると毛の中へとゆっくりと埋もれていく。

 ベェーの毛がヒェンを護るように包み込んでいく。

 ベェーの毛に包まれヒェンの姿が見えなくなってからしばらくすると、ヒェンの小さな寝息が聞こえてきた。

 ヒェンが眠ったことを確認できたので壺を近くに置いた後、私はレシェが眠っているベェーの毛の中へと手を入れたのであった。

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ