ヒェンのダメ譚 5
目の前のカラフルな動物を見ているとこの世界の動物は保護色というものを知らないのだろうかと思えてくる。
それぞれが単色の毛色だが派手で目立つことこの上ない。
雪景色で余計目立って見えるのかもしれないが、隠れるという意思が全く見えない。
そんな派手な毛で覆われた生き物が異世界で始めて見た動物だった。
壺をもった子供や大人たちがどんどん柵を超えて入っていく。
やはりこの毛玉の動物からミルクが取れるようだ。
毛の中に体全体が隠れてしまっているのでわからないが羊のような生き物だろうか?
毛のせいでちゃんとした大きさもわからないが動物園で見たことのある羊よりもはるかに大きく、見えている足は太く逞しい。
尻尾も長いのか、動くとたまに毛から飛び出して少しだけ見える。
鳴き声はヤギに似ており、ベェーベェーと鳴いている。
もっと近くで見てみたいがレシェが柵の中に入ってくれない。
レシェぐらいの子供は普通に入っているので問題はないのだろう。
もしかしたら幼児を連れて入ってはダメなのだろうか?
しかし大人の中には幼児を連れて入っている者もいるので問題はなさそうだ。
ということは幼児が入るには大人が必要なのだろう。
見た感じ大人しそうな動物であるようだが、動物は動物である。
もし何かがあった場合、小さな子供だけでは対処できないので大人の付き添い厳守なのかもしれない。
となると両親のどちらかが来るまで待ちぼうけということか。
まぁレシェに動物の名前でも尋ねて時間でもつぶそうかな。
「ネェネ。あえ。あえ。」
「ん?あれはね、ベェー。」
指さして尋ねるとすぐに帰ってきた答えに少し戸惑う。
え、まんま鳴き声じゃん。
鳴き声が名前になってるの?
本当にあっているのか不安になったので首を傾げながら名前を言って聞き直してみる。
「ベェー?」
「うん。ベェーだよ。」
どうやらあっているらしい。
覚えやすくてありがたいが、鳴き声が名前の動物ってどうよ。
この世界では鳴き声=動物の名前としているのか?
他の動物の名前を聞いてみないとわからないので保留にしておくことにした。
ベェー達の方へ目を戻すと訳の分からない光景が広がっていた。
子供たちは何故か寝そべっているベェーの毛の中に体をうずめている。
壺は使われた様子もなく地面に置かれている。
ある子は体ごと、別の子は腕を。
それぞれうずめ方は違うが毛の中に吸い込まれていく。
見方によっては子供たちが毛玉に食われていくようにも見えるのでちょっと怖い。
というか食べられてないよね?!
他の子供たちが毛の中に消えていくのを見てレシェがうずうずしている。
見た感じは凄絶な光景だが、どうやら気持ちがいいものらしい。
そんな光景を大人たちは微笑みながらみている。
大人たちは手に四角いブラシを持っており、ベェー達の毛を丁寧に梳いていく。
ベェー達はそれが気持ちいいのかとても嬉しそうにベェーベェーと鳴いている。
ミルクを絞るためにここに来たのだと思っていた俺は正直この光景に困惑した。
ベェーはミルクがとれる動物ではない?
なら他に家畜がいるのだろうか。
大人たちはどんどんベェー達の毛を梳いていき十頭ほど梳き終わると、自分が梳いたベェー達の内、一頭のお腹付近と思われる毛の中に手を入れ触りだした。
触られたベェーは全く動かなくなるか、動いて人のいない方へ去っていくという行動に分かれていく。
動かなかったベェーの下に壺おくとしゃがみ込み、もう一度手を入れて動かし始めた。
毛のせいで手も壺の口も見えないが、あれはミルク絞っているのだろう。
やはりベェーからあのミルクがとれるようだ。
大人たちは絞り終わると、子供たちに声を掛けていく。
子供たちは毛の中から出てきて腰から下げていたブラシで寝そべっているベェー達の毛を梳いていく。
ただ何名か毛の中に埋没したまま動かない子がいる。
どうやら寝てしまっているようだ。
そんな子たちを毛の中から回収し起こしていく大人たち。
これが日常の光景みたいで手慣れている。
起こされた子たちも手にブラシを持ちベェーの毛を梳いていく。
ブラッシングしないとベェーのミルクはもらえないようで皆、一生懸命に毛を梳いている。
「レシェ。ヒェン。」
後ろから声がして振り返ろうとしたらレシェが体ごと振り返った。
声から分かっていたがサクラがオマルを持って戻ってきた。
中身はもちろん捨てられているだろう。
オマルを置いてレシェと俺を結んでいた布を解くと俺を抱き上げた。
俺という重しが無くなったレシェはサクラに壺を渡し終えると、柵を超えて一気に寝そべっているベェーのもとまで走っていき毛の中に勢いよくダイブした。
毛の中に一瞬で消えていくレシェ。
残ったのは膝から下の足だけだった。
うん、ホラーだ。
見た目ホラーだが微笑ましい光景なのか、それを見て皆笑っている。
サクラはやや困った顔をしているが、楽しそうである。
サクラも壺と俺を抱いたまま柵を超えて入っていく。
すると、すぐに何頭かのベェーが集まってくる。
近くで見るベェー達の毛はとても細かくキラキラと輝いている。
見た目は毛玉に見えるが毛の方向は下に向かってまっすぐ伸びており、キレイなスト―レートヘアだ。
毛の見た目は羊よりかヤクの方が近い感じだろうか。
まぁ、写真でしか見たことがないから確実なことは言えないが。
サクラは何かベェーに話しかけると、俺を連れて大人が集まっている場所へと連れて行った。
そこでは、俺より年が少し上の子供が集められており小さい毛玉をブラッシングさせられていた。
大人たちが子供に付き添いブラッシングの仕方を教えているようだ。
ブラッシングする相手は大人のベェーではなく子供のベェーのようだが、それでも俺の身長よりはるかに高い。
ほんとに顔が毛に埋まっているのでどんな生き物なのかがわからない。
サクラは横並びで毛を梳いている子供たちの一番端に俺をおろすと、小さなブラシを手渡してきた。
ブラッシングのお勉強ですね。
察してました。
いつの間にか小さな毛玉が四頭並んで待っている。
ミルクを飲みたいのでさっさと終わらせしまおう。
子ベェーは近くまで来るとしゃがんでくれた。
どうやら小さな子供でもブラッシングがしやすいようにしゃがんでくれているみたいだ。
意外とこの毛玉かしこい。
最初の一頭はサクラが手を添えてブラッシングの仕方を教えてくれる。
ただ教えてくれたのは毛が流れている方向へ梳いていくことと、頭の方はゆっくり優しく梳いていくくらいだった。
二頭目からは隣で見ながら教えてくれるようだが最初の一頭で問題なく覚えたので丁寧にスイスイとブラッシングしていく。
ブラッシングをして分かったことだがこの毛玉、体積のほとんどが毛でできているみたいで、気になって毛の中に手を差し入れてみると腕が簡単に埋まっていく。
中身に触れるには体ごとうずめないと無理みたいだ。
それにしても毛の中はとても気持ちいい。
ほのかに暖かく、通気性もいいのか、嫌な蒸れも感じなかった。
まるでお日様の下で干したばかりのお布団のようだ。
この気持ちよさなら子供たちが体をうずめるのもよくわかる。
「ベェーベェー。」
ブラッシングを止めて毛の中を堪能していると子ベェーからブラッシングの再開を求められてしまった。
仕方なく腕を抜いてブラッシングを再開する。
美味しいミルクをもらうため一生懸命にブラッシングをしていく。
側面は毛が多いので全体重を乗せて強めに上から下へ毛を梳いていく。
側面が終われば次は尻尾が見えるおしりの方へ。
尻尾を気にしつつ、ここも強めに梳いていく。
尻尾は根本まで手が届かないので見える範囲で手に持ちながら優しく梳く。
そして最後の頭の周りをゆっくり慎重に梳いて完了である。
子ベェーは気持ちがよかったのか立ち上がると鳴きながら俺の体に頭?を擦り付けてきた。
ブラッシング中も嬉しそうに鳴いていたので喜んでもらえたのだろう。
子ベェーは頭?を擦り付け終わるとゆっくりと大人のベェー達がいる方に帰っていった。
とりあえず二頭目終了である。
あと何頭ブラッシングすればいいのかわからないが、大人達がブラッシングしていた頭数よりかは少なくてすむだろう。
とりあえず並んでいた子ベェーをさっさと終わらせしまおう。
並んでいる子ベェーの方を向くと何故か数が増えていた。
一頭、二頭増えているのではない。
十頭以上増えている。
というか現在進行形で増えていっている。
訳が分からず子ベェーが来ている方を見ると、他の子供達の所に並んでいた子ベェーがなぜか自分のところに来て並びなおしている。
一部は動かずそのままでいるが、ほとんどがこちらにやってきているのだ。
なぜこっちに来る!!
急いで原因を探すため他の子供たちを見ると、すぐにわかった。
率直に言ってブラッシングが雑で乱暴なのだ。
隣にいる男の子は勢いよくブラシを毛に突き立て振り下ろしていく。
その様は毛を梳くというより、抜きにかかっているようにしか見えない。
向こうにいる女の子はベシベシとブラシで毛を叩いている。
痛くはないみたいだが両方の子ベェーは嫌がっておりベェーベェー鳴いている。
子供たちを見ている大人たちも止めに入り、教えなおしているがよくなる気配がない。
子ベェーがとどまっている子供の所は丁寧ではないもののちゃんと毛を梳いており、子ベェーも静かに伏せている。
乱暴にされるのが嫌でこっちの列に並んだのは分かった。
だがなんで俺の所ばかりに並ぶ。
他のちゃんと梳いてくれる子供の所にも行っていいはずだ。
もう一度、子供たちの方を見ると普通に梳いていた子供が梳き終わったのか子ベェーが立ち上がっていた。
一鳴きするとそのまま去っていく子ベェー。
頭を擦り付けてきた俺の時と感謝の度合いが明らかに違っている。
まさか、俺のブラッシングが気持ち良かったためにこちらに並んでいる?
美味しいミルク欲しさに一生懸命したのが裏目に出たかもしれない。
とにかくこの数をこなすのは無理なのでサクラに助けを求めようとすると驚いた顔で並ぶ子ベェー達を見つめていた。
他の大人たちも驚いており、このような状態になったのは初めてのようだ。
まさかの打つ手なし!?
さすがにこの数の相手は無理ですよ!!
俺の体が持たない!!
とりあえずサクラの足に抱き着き緊急避難。
すると早く、早くとせかすように並んでいる子ベェー達が鳴きはじめた。
サクラもどうしたらいいのか困っているようで、他の大人たちと話し合っている。
俺にはどうしようにもないので足に抱き着いていると、向こうの方から大人のベェーがやってきた。
そのベェーの毛は朝焼けのようなオレンジ色で、その鮮やかさは他のベェーの毛色とは一線を画していた。
ゆっくり進むその姿は威厳に満ちながらも静かで軽やかだ。
子ベェーの列に近づくと四番目に並んでいる子ベェーの前に割って入っていく。
大人のベェーの体によって向こうは見えなくなってしまったが、向こうからは大人のベェーと子ベェーの鳴き声が聞こえてくる。
子ベェー達を元いた列に戻るよう言ってくれているのか、何頭かの子ベェーが戻っていく。
それでも戻っていく数は少なく抵抗するような子ベェーの声が聞こえてくる。
すると大人のベェーが頭の方を上に向けて大きく鳴いた。
それを聞いた他の大人のベェー達がこちらの方に向かってきた。
毛の壁によって見えない向こう側は子ベェーの鳴き声で満ちており、見えるところでは
子ベェーが大人のベェーに追われている。
最終的に子ベェー達は大人のベェーに捕まり、咥えられて別の子供の列に連れていかれた。
毛で見えないが頭の方だから咥えて運んでいるはず・・・たぶん。
連れていかれる子ベェー達は悲しげに鳴いており、なんか心苦しい。
でもこれ以上の面倒はごめんなので心を鬼にして目の前に並んでいる残りの三頭の子ベェー達だけをブラッシングしていく。
三頭の子ベェーのブラッシングを終えるとそれぞれ頭をこすりつけたり、嬉しそうに鳴いたりしながら向こうへ去っていった。
五頭が子供のノルマらしく終わるとサクラが頭を撫でながら褒めてくれた。
五頭のブラッシングでも幼児の体では大変な作業なので疲れで眠たくなってきた。
お腹もすいているので家に戻りミルクを飲んで寝てしまいた。
「マーマ、ミーク。ミーク。」
お腹が減ったとサクラにアピールすると頷いてくれたので、すぐに家で帰れるだろう。
サクラは俺を抱き上げるとベェーのブラッシングを終えているはずのレシェを探し始めた。
サクラがレシェの名前を呼ぶが返事がなく、姿も見当たらない。
レシェと別れた場所まで戻ると、レシェにダイブされたベェーが今も寝そべっており、その前には靴が放り出されていた。
どうやらレシェは完全に毛玉の中に投身してしまったようだ。
サクラがまたかというような顔をしてベェーを見つめているのでレシェは常習犯の様だ。
サクラは一緒についてきていた朝焼け色のベェーを見て少し逡巡した後、ベェーに話しかけた後、ベェーの背に俺を乗せた。
いや、乗せたというよりも埋めたという方が正しいだろう。
ずぶずぶと毛の中に沈んでいく腕と脚。
体はゆっくりと毛に包まれていく。
心地よい暖かさと毛のモフモフとした最高のさわり心地。
先ほどの疲れも相まって毛玉の誘惑に負けてすぐに眠ってしまった。
次の日から子ベェーの毛を梳く手伝いを任され、朝の短い時間で保護者同伴だが外に出られるようになった。
なお子ベェー達の間で俺の列の取り合いが起こってしまい、列に並ぶ子ベェーは早い者勝ちではなく、あの朝焼け色のベェーが選ぶようになっていた。
この毛玉、かしこい!!