ヒェンのダメ譚 4
20代のころ旅行先で古民家の見学に行った際、柱の下の部分にドアノッカーのような丸い金属の輪っかがあり、これは何ですかと近くにいた案内をしていた人に尋ねたのをお覚えている
これは這いだした赤ん坊がどこかに行ってしまわないようにこの輪っかと赤ん坊の腰を紐などで繋いでおくものですとその人は教えてくれた。
今、自分がその古民家にいた赤ん坊と同じように腰を紐で結ばれ近くの箪笥と繋がれるとは思ってもみなかった。
ジジイの襲撃から三日がたった。
あの時は色々あって慌ただしい一日になったが、その後の数日はとても静かな日々になった。
ジジイと婆さんは俺が寝てしまっている間に帰ったようで、二人の姿はあれ以来全く見ていない。
ジジイとはもう二度と会いたくないが。
それからはたまに人が来るものの特に何も起こらなかった。
その間、俺はずっと家で立って歩く練習や言葉を覚えることに専念していた。
というか、それしか出来なかった。
ここがどのような世界か知りたくて外を見るため玄関の扉を開けようと試みたのだが、即座にばれて捕まってしまった。
外を見てみたいという意思を覚えた言葉とボディランゲージで伝えたのだが却下されてしまった。
その後、家族の目を盗んでは外に出ようとしたり、父・クルタスと母・サクラがいないときにレシェに甘えて外に連れて行ってもらおうとしたが全て失敗に終わった。
結果、俺は紐で箪笥と繋がれてしまい、あまり動き回れなくなった。
箪笥は重たそうな横幅の広いもので、幼児の力では動かすのは不可能だ。
腰の紐も外そうとしたのがばれて固く結ばれてしまい、さらにレシェが監視に付くことになった。
まあその間、レシェに言葉を教えてもらっていたのだが。
そして今日も箪笥に繋がれて過ごすのかと思っていると様子が違った。
朝はいつもレシェがおらず俺が起きた後しばらくしたら外から壺を持って帰ってくる。
サクラは俺の世話があるので家にいて、クルタスはいるときといないときがありよくわからない。
この二日はそんな感じだったが、今日は家族全員がそろっており、いそいそと準備をしている。
「ヒェン。」
サクラに声を掛けられたのでそちらに向かうとあの箪笥から服を取り出している。
その小ささから俺の服みたいだが普段着ているものと違う服だ。
いつもは簡単なズボンと長袖のTシャツみたいな服だがサクラが持っている服は丈が長い、ジジイ達が着ていた服と同じでデールと呼ぶらしい。
服の名前はこの三日間の成果の一つだ。
箪笥の中から他にも布地が厚いズボンや靴下、手袋、四角い帽子が出てきた。
これは外に出るための準備か!
外に行きたいと訴えてきた効果が出たみたいだ。
確認のためにサクラに聞いてみるか。
「マーマ。おしょしょ?おしょしょ?」
「ええ、そうよ。」
嬉しそうに尋ねると、肯定の返事が返ってきたので喜んでおく。
上手く発音できないが、これは幼児のため仕方ないだろう。
外に行けることは嬉しいのだが、出てくる服を見て疑問が浮かんでくる。
外はそんなに寒いのだろうか?
家の中にいるので気にならなかったし、なにより玄関の扉が開いたときに冷風が入ってこなかったので寒くはないだろうと思っていた。
しかし明らかに防寒使用の服を見ていると外はよほど寒いことが窺える。
寒いなら家から出たくないな。
でも自分から出たいとアピールしてしまったから行くしかない。
とりあえずサクラに着替えさせてもらう。
この服は今着ている服の上から着るみたいだ。
着替え終わるとそのまま抱きかかえられ、玄関横にある靴入れの所まで連れていかれた。
家は土足厳禁で、この間ジジイが勢いよく土足で入ってきていたのだがあれはマナー違反だ。
床に降ろされ座った状態で靴を履かされる。
幼児生活にも少し慣れてきて基本はされるがままになっている。
それが一番問題なくスムーズに終わるからだ。
朝のオムツチェックとかもう無心で受けいれている。
爆発のあったあの日、俺の中の羞恥はなくなったのだ。
身の回りの世話は誰かがやってくれるので安楽な日々を過ごさせてもらっている。
まあ、その分自由はすくないけれど。
隣ではレシェがデール姿でいつものミルク用の壺を持って立っており、クルタスも腰に剣を下げて出ていく格好をしている。
靴を履き終えるとクルタスに抱えられた。
サクラはデールを着た後、鞄を肩から下げると寝室に行きオマルの壺を持ってきた。
外に捨てに行くのだろう。
どうやら家族全員で外へお出かけみたいだ。
これで家の外が見える!
そしてこの異世界の住人の生活を見ることが出来る。
どのような環境で、どのような文化を持ち、どのような生活を営んでいるのか。
これから一生を暮らすことになるかもしれない世界なのだ、きちんと学んでおかないと後から大変なことになる。
もちろん日本のような安全に暮らせる世界がいいが、外に出ていくたびに父親が剣を腰に下げる世界が安全なわけがない。
町の衛兵として勤めている可能性もありそうだが、常に剣を下げて出ていくのだから可能性は低そうだ。
外の世界が少しでも安全な世界であることを願いつつ、期待に胸を膨らませ扉が開くのを待つ。
クルタスが扉の取っ手を握り、扉を開いていく。
異世界の空に期待しつつ、扉の外に出た。
そこは廊下だった。
家と同じで天井が淡く光、壁や床は木でできている。
廊下は広く大人が五・六人並んで歩いても余裕がある幅で、両側の壁には今出てきた扉とおなじ扉がずらりと並んでおり、ホテルの廊下が広くなった様な作りだった。
ずっと外に通じていると思っていたので、予想外すぎて呆然としてしまった。
廊下には人が行きかっていて、男性は全員剣を下げており、女性は下げていない。
服もデールを着ている。
子供もいて廊下を走り回り、大人に捕まっては怒られている。
家はこのマンションのような集合住宅の一室だったようだ。
家族で家から出ると廊下の端の方でおしゃべりしていた数人のおばさん達が近づいてきて、そのまま両親と話し始めた。
おばさん達の中には見知った顔があった。
カエデという名前で、母がいない時に家にやってきてレシェや俺の様子を見に来てくれていた人だ。
ジジイが来た日にアンシ婆さんと一緒に来ていたおばさんでもある。
下を見るとレシェも同じように壺を持った子供たちに囲まれ何か喋っている。
お喋りはすぐに終わり両親たちは廊下を歩きはじめた。
しばらく歩くと十字路になっており、そこを曲がり歩いていくと巨大な吹き抜けに出た。
幅がどれくらいあるか分からないくらいの円形の吹き抜けで、そこには上下を繋げる広く緩やかな螺旋階段があった。
階段も人が行きかっており予想以上に大規模な集合住宅であることに驚く。
階層は上にまだまだ続いており、自分の位置からでは最上階は見ることが出来なかった。
ゆっくりと降りていく両親たちに声を掛けながら色々な人が通り過ぎてゆく。
髪の色は基本的に緑色系統らしくサクラのように青系の髪の色は見かけない。
また服はデールを着ているのだが作られている素材がそれぞれ違っている。
ただ腰に巻いている帯はみんな黄色で、何か意味があるようだ。
ジジイと婆さんの帯は違う色だったから階級や年齢、所属、などによって帯の色が変わるのだろうか。
そんなことを考えていると、一番下に到着したらしい。
降りてくる途中にもう一つ、階層があったので家は三階にあるようだ。
降りてすぐの吹き抜け部分は円形の広場になっており、その真ん中を大きな道が縦に一本貫いて走っている。
その大きな道にいくつもの小さい道が横道のように広がっている。
小さいといっても家の前にある廊下より少し狭いくらいだ。
大きな道は中央に丸く太い柱が建っているものの、その幅は10メートル以上ありそうだ。
クルタスに抱えられ大きな道を進んでいく。
大きな道の先には門が見えた。
ただ開いているのは左側の門扉だけで右側は閉まっている。
どうやらあの門が外に通じているようだ。
外の世界に少しワクワクしつつ門を見ていると、近づくにつれどんどん気温が下がっていく。
服を着ている体は全然寒くないのだが、肌が出ている顔や耳は寒さを強く感じている。
この中は空調が効いていて暖かかったんだと今更になって気づく。
これだけ厚着させられたのに寒いかもしれないということをすっかり忘れていた。
門の手前になると顔は寒さで痛みを感じ始める。
前世は冬が厳しくなく、雪も滅多に降らない場所で生まれ育った俺には感じたことのない痛みだった。
この寒さはやばくないか。
明らかに子供を外に出していい寒さを超えているだろ。
門を出た瞬間、寒さが更に増して襲ってきた。
痛い痛い痛い痛い!
ヒリヒリするなんてもんじゃない!
顔の皮が剥がれていないかと思うくらい痛寒い。
せっかく外に出れたのにこんな仕打ちは酷いと思う。
こんなのよく耐えれるなと周りを見ると、大人や中学生より上の年齢くらいの子供は平気なのか普通に歩いている。
しかし、それより年下の子供たちは寒いのかマフラーを顔に巻いている。
横にいるレシェを見るといつの間にかレシェもマフラーを巻いていた。
え・・・俺の分は?
いそいでクルタスに窮状を訴える。
「パーパ!パーパ!」
覚えた言葉で必死に呼ぶとクルタスはすぐに気づいてこちらを見てくれた。
クルタスは俺を見た後、隣を歩いているサクラの方を向き頷いた。
サクラはオマルを一旦地面に置いて、下げていた鞄からマフラーを取り出し俺に巻いてくれた。
マフラーを巻くと顔の寒さが消え、痛みもすぐにひいた。
え、なにこれ!
あれだけ痛寒かったのに全然寒くない。
いや、それより巻くの遅くない!?
門を出る前でよかったよね!?
心の中で憤慨するが伝わるわけもなく両親は何か話した後、進みだした。
寒くなくなったので外の景色を見る余裕ができ辺りを見渡す。
大地は雪に覆われた銀世界。
どこまでも広がる雪原は多少の起伏はあれど山のような地形は一切見えない。
まるでテレビで見たモンゴルの冬景色の様だ。
上を見れば雲一つない晴れわたった空。
大きさの違う五つの太陽が雪原を照らしてくれている。
・・・五つ?
太陽多くないですか。
前世の世界よりも数の多い太陽に異世界なんだなと改めて実感させられる。
他に変わったものがないかと周りを見渡す。
雪原の中に小屋や簡素な作りの物見櫓、他にも布で覆われたような建物が見える。
特に変わったものはなかったので自分が出てきた方を向く。
デカ!!!
それがさっきまで自分が居た建物だったことを一瞬忘れるくらいデカかった。
巨大さを除けば落雷か何かで上部が吹き飛んだ樹のような建物。
まぁ、異世界なんだからこんな巨大な樹があってもおかしくはないだろう。
もしかしたら巨大な樹の中身をくりぬいて人が住める住居に変えたのかもしれない。
こんな建物に住むなんて俺の種族はエルフですか?
でも皆の耳はごく普通の人間と同じ耳だったし違うか。
とりあえず気になったので指さして名前を教えてもらっておこう。
「マーマ。マーマ。」
ちょうどこちらを見ていたサクラに教えてもらうため巨樹を指さす。
「モド。モド。」
すぐに気づき、教えてくれたので続いて繰り返してみる。
「モオ。モオ。」
やはり上手く発音できない。
わかってはいるが少しもどかしくなる。
あのマンションみたいな巨樹の名前が分かったから良しとしよう。
「ヒェン。」
俺がサクラから言葉をと教わっているとクルタスが声を掛けてきた。
クルタスは俺をレシェの方に差し出すと背中を向けて立っているレシェに背負わせた。
俺はしっかりとレシェに抱き着いて落ちないようにする。
サクラが鞄からカラフルな大きな布を出すと俺が落ちないようにしっかりと俺とレシェを結んでいく。
結び終わると両親はレシェに何か言うとそれぞれに別の方向へ歩いて行ってしまった。
おんぶされた俺はそのままレシェに連れられて行くことになったみたいだ。
レシェは俺をおぶったまま雪をかき分け進んでいく。
積もった雪はレシェの膝上まできており俺と壺を抱えて行くのは大変そうだ。
息も荒くなっていて、とても苦しそうに呼吸しているので心配になってくる。
それでも文句ひとつも言わず進んでいくレシェを心の中で応援しながら邪魔にならないように静かにおんぶされておく。
そして近くにあった布で覆われた建物までやってきた。
その周りには大人や子供が集まっており、それぞれが壺を持っている。
「レシェ。」
一部の子供がこちらに気づいて駆け寄ってくる。
「おはよう。トトーナ。」
レシェが先頭を走ってきていた女の子にあいさつする。
向こうも挨拶を返してきて子供たちの間で話が始まる。
挨拶くらいしかわからない俺はしばらく大人しく子供たちを見ていることにした。
皆、デール姿で黄色い帯を巻いている。
防寒対策をしっかりしており、手袋はもちろんのこと暖かそうな帽子にマフラーを巻いて外に出てきている。
壺を持ってきていることから、ここでミルクをもらえるのだろう。
あの濃厚なのにスッキリとした甘み。
甘い香りは食欲をすごく刺激する。
今朝はまだ飲んでいないので余計に欲しくなってくる。
はやくミルク貰ってきてくれないかな。
そう思っていると向こうの方から何かの鳴き声が聞こえてきた。
鳴き声を聞いた子供たちが話すのをやめ、一斉に鳴き声のする方へ歩きはじめた。
近くにいた大人たちも一斉に動きはじめた。
歩いていく方向を見てみると柵がある。
そこに牛のようにミルクを出す動物がいるのだろう。
始めて見る異世界の動物がカッコイイ、もしくは可愛い生き物であるようにと願いながら、近づいてくる柵の向こう側をレシェの肩を乗り上げて見る。
柵の向こう側にはカラフルな毛玉が大量にいた。
色の氾濫ともいえるこの光景に唖然としながら、俺は異世界初の動物と出会ったのである。