第四話 無知な禁術
表から堂々と出た瞬間、空間が歪み建物は消えてしまった。
ほう、莫大な結界魔術でも張っているのだろうか。僕には関係ないことだけど。
適当に鼻歌を歌いながら、しばらく星の位置を頼りに獣道を歩いていると、月光を浴びてキラリと光る物がポツリと捨てられていた。
拾ってみると、それは銀色のプレートが付いたネックレスだった。
全体的にくすんでおり、茶色いインクのような染みもある。
裏には「Non devi amarmi」と刻まれていた。
『私を愛するな』……。随分と意味深長なメッセージだ。
辺りを見渡しても宙ぶらりんの死体はない。だからといい血生臭さもない。
ただ単に落としただけなのか? こんなところに?
――そう思った瞬間、劈くような少女の悲鳴が森の中に響き渡る。
僕は反射的に叫び声の方向を向く。
すると、200mほど先にその者たちはいた。
……明らかに様子がおかしい。こんな辺鄙な地で、少女を甚振ってどうするつもりだ?
それに、あの外套はA.a.の儀式用の物……。黒地に金色の刺繍が縁に施されている。
音を立てぬように近づいていくと、地面に紋章のようなものが描かれているのが見えた。
形状的に見ると、ゲーティアに書いてあるものと似ている。パイモンっぽい気がするが、ところどころ書き方が違う。あれと似た紋章は他にないはずだが……。
僕がそんなことを考えている間にも、少女は男に泣き付きながら謝り続けている。
だが男は耳を傾ける様子もなく、殴り、蹴り、切り裂き、虐めていた。
助けるにもタイミングが掴めない。万が一、少女を傷付けてしまったら死ぬ可能性もあり得る。
「泣け、哭けッ! その叫びと新鮮な処女の血はパイモン様も大いに喜んでくれるだろう。我が禁術は完璧なものだ――!」
あー、本当にパイモンだったのか。喚起魔術のやり方をご存じでない? これは禁術というよりかただの殺人だろう……。
*
と、かくかくしかじか。今の状況に至るというわけだ。
アンヴィは腕の中でぐったりとした様子で寝ている。あの状況の中を耐えてきたのだから仕方ないと思うが、見知らぬ男に抱かれながら寝ることが出来るとは……。普通、心を許さなければ出来ないはずだ。違う血族なのだからそう簡単に信用など生まれない。たとえ少女がどれだけ特別な存在であっても。
現に、僕は利用しようとしている。アルジェントの権利を正当なものにするために。
……しかし、可愛いな。傷を無くせばもっと可愛くなるはずだ。
僕たちには名医がいるからね。そいつに治してもらおう。
「着いたよ、アンヴィ」
立派なレンガ造りの洋館がそこにそびえ建っていた。
建てられてから60年以上経っているが汚れはなく、古めかしさを感じさせないデザインである。
アンヴィは薄目を開けて口をもごもごとさせている。まだ寝ぼけているようだ。
紋章をかざして扉を開けた瞬間、パッと壁の横にある蝋燭たちが柔らかな火を灯す。
僕は火を頼りに黒い絨毯の先にある広々とした木の階段を登っていく。
ギシギシと軋む音、入り込む生暖かい夜風。
その風に案内されるかのように、自室へと向かった。