学び舎
友達と言うものは、心が洗われない程度に優しくなくて、騒々しい位に五月蠅い方が心地よいのかもしれない。そんな突拍子もないことを、月曜日の午後四時半から考えていた。
昨日から始まった今週の二日目。月曜日から考えると今日が今週の一日目。私は朝から夕方まで、レンガ造りの学び舎で学業という名の積み木を積み上げていた。特に面白みを感じず、ただ目の前に用意された材料を手に取り、それを然るべき目標に向かって動かしていくだけの単純な作業。そんなものは二十歳の私には不必要なものだった。赤色の積み木は赤色のポイントに立てる。青色の積み木は青色のポイントに立てる。黄色の積み木は……とった風に、何もかもが空疎な羅列に過ぎなかった。それはもはやレベルや内容にある問題をどうこうして解決する類の問題ではなく、学び舎という構造が持っている根本的な問題にあった。
それについて今さら私がとやかく言うつもりはないし、ねちねちと否定するつもりもない。誰が何と言おうと世界にはそういったものが存在しているのだし、実際にそれによってたくさんの人が学びを得ることが出来ているのだから、前述したようなことをあけっぴろに晒すのはいささか説得性に欠けるし、誰の共感も得ることが出来ないのかもしれない。
だがしかし、私はそこに敢えて異議を唱えたいと思う。積み木を積もうがおもちゃ箱をひっくり返そうがそれは大した問題ではないと思う。それを己で手に入れた英知だと言ってどこもかしこに振り撒いて回ることも悪くないだろうとも思う。私はそんなことより、むしろその場所で同じ目的――少なくとも当初の動機――を持った人たちがわんさか集まることに対して少しばかり疑問を抱いているのである。
なぜ同じ目的を持った人たちがわんさか集まることに疑問を感じているのか。それは言葉だけの媒体で言い述べることはとても難しいことである。なぜなら、その問題はジャガイモの根っこのように入り組んでいて、どこが始点で終点なのかまるで判別がつかないからである。もっと言えば、元々の原因だったはずの事物が他の事物に吸収されて今では跡形もなく消滅していることだってあるからである。そんなこんなだから、私はなぜこのような異議を唱えることになったのか今一つ思い出せない部分がある。ただ、そう思うに至った原因の一つというか、心当たりのようなものは言うことが出来るだろう。
例えば、イギリス王室の近衛兵が身に付けている衣装について考えてみよう。彼らの衣装の最たる特徴と言えばやはりあの黒々とした、ふさふさの帽子だろう。あの帽子はクマの毛皮から作られていて全ての帽子が等しくなるように大きさと重さが正確に定められているが、その一つ一つが何かの象徴のようで、とても特別な価値のようなものを含んでいる雰囲気が感じられる。つまり、イギリスの近衛兵の帽子はコックの帽子みたいに長さで階級が決まるオンリーワンの集合体ではないが、同一の集合体として存在しつつも個々がしっかりとした異彩を放っているのである。
そしてそれは、あの学び舎でも同じようなことが言えるのだ。あの場所には同じような意識を持った人々がまるで何かに怯えるように息を潜め、寄り集まっている。人々はそれを友達と呼ぶ。友達同士でいると楽しいし、安心する。さらには自分があたかも特別な人間になったような感覚を感じる。それはある種の価値観を共有しているからであり、出来るだけ何人かで同じことをしたいという心理の働きである。
そのように同じことを好む彼らだが、時にそれに対して人々と違う行動をとろうとする人々がいる場合がある。彼らは同じグループの中で差別化を図ろうとする。それはグループの中で一番お洒落な眼鏡をかけている人が得意ぶったり、誰よりも正しい心を持っていると思い込んでいる人が誰かを説教するみたいに話しかけるような、ささいなものである。
しかし、その人々は果たして欠片だけでも論理的な、地に足のついた思考をもってして何かをしているのだろうか。人が人以上に優れていることを行動で表すのならば、必ずその裏付けのようなものをしなければならないと思う。グループの中で優位性が証明されなければ、それは「団栗の背比べ」そのものであるのだから。
イギリスの近衛兵の帽子のように同一だけれど格別であることを主張したくなる感情はゆがんだ価値観を生み出す。そうなると、それはもはや価値観ではなく、偏見や理不尽の類に変容してしまう。
やはり、友達と言うものは心が洗われない程度に優しくなくて、騒々しい位に五月蠅い方が心地よいのかもしれない。
午後六時。夕陽が陰影のついた土手をよそに落ちていく。次にここを照らす明日の朝日は何時ごろに顔を出すのだろうか。私はそこに腰を下ろし、そんな途方もないことを考えていた。シロツメクサとクローバーしか生えていないけれど、この場所は好きだ。風が心地よく吹くし、考えごとをしているとあっと言う間に時間が過ぎている。月曜日は最悪だとみんなは言うけれど、この風景を見れるのならあながち悪くはないと私は思う。
夕陽が完全に闇の彼方に落ちたことを確認すると私は腰を上げて道路の方に上がり、それから歩き始めた。踏み出す一歩一歩が明日の到来を恐れている。
頭の中で色んなことを考えたって、自分のしてしまった罪の償いをすることは出来ないのだ。アドレナリンのようなものが分泌されているせいで、私が今どのような感情を抱いているのかよく分からないけれど、きっと明日の私は今日の私を責め立てていることだろうと思う。こんなことになるなら何も言わなければ良かった、と。
私は震える足を引きずりながら帰路につき、自室のベッドにもぐりこんで目を瞑った。そしてこう呟いた。
「明日、学校休んじゃおうかな」