七話目以降(完結)
ひんやりと冷たい部屋に、俺と絹織 文音、そして母さんが呆れた顔で目の前に座っていた。
「―――どうして、絹織家のお嬢様がいるのかしらね」
開口一番に母さんは聞く。隣に正座している絹織 文音の表情は固く強張っていた。
母さんが一週間前にここで言った通り、絹織家で何を見てきて、何を感じ、何を想ったのか。
それを素直に自分の言葉で伝えるだけ。
「お母様・・・・」
「まとめてきたのかしら? 私を納得させれるほどの言葉を――」
母さんは俺の隣に絹織 文音がいる事には深くまで触れず、絹織 文音を睨んでいた冷たい視線は俺へと向けられていた。
俺の言葉で―――。唾を飲む。
「お母様・・・・いや、母さん、文音こそが俺が見てきて、感じて、想った全てなんだ、文音を母さんにちゃんと紹介する。これが俺の答えだよ」
母さんは俺の言葉に、いつも通りに表情一つ変えてはくれない。
―――いつもだ。俺は真剣なのに、顔色を変えないからちゃんと伝わっているのか分からない。
「それで・・・?」
母さんの言葉は良く頭に響く。俺の想いが、母さんの言葉に邪魔されて、うまく言えない時がある。それは俺が口下手なせいかもしれないが、今日はそんな事を言っている場合じゃない。
「母さん・・・父さんが死んだ理由、文音から聞いたよ。それで母さんは絹織家を嫌っているんだろ?」
俺が静かに言うと、母さんは目を細めた。背筋が凍る。
―――怒らせた。
母さんが目を細めたことがあるのは今日で二回目。一回目は、家を出ると言った時、俺にだって反抗期の時期はあった。当然、こっぴどく叱られ、出られなかったのだが。
それは俺に非があった―――思春期特有のあれだ。
でも、今回は違う。
父さんは事故死だった。運転席に座っていた絹織 文音の父さんに助手席に座っていた父さんは居眠り運転のトラックに突っ込まれ即死だったらしい。
「父さんを誘わなかったら、死んでいなかったとか・・・・」
――――どうして何も言わないんだよ。
「母さん・・・」
――――聞いてるの。
「おかしいだろ‼」
部屋に俺の声が響く。こんなにも、この部屋で俺の声が響いたのは初めてだ。
「それは、文音も理沙さんも一緒だろ・・どうして母さんはそれで絹織家を恨むんだよ・・・それで、どうして・・・俺らの仲まで裂こうとするんだ・・・・父さんは氷崎家と絹織家、仲良くしていこうって言ってたんだろ? なのにどうして・・・」
俺が一旦、呼吸を整えると母さんはやっと口を開いた。
「凛・・・あなたには分からないわ」
小さく、落ち着いたように言うが、いつもと違うのは分かった。
「そうだよ・・・母さんの考えている事なんかちっとも分からねぇ!」
分かっていたら、俺は母さんとこんな風に言い合うことは無かったと思う。
「いつも俺は、本気なのに・・・・母さんは俺の言葉しか見てくれない・・・母さんは勘が良いんだろ⁉ なら、俺の気持ちにも勘付いてくれよ‼」
俺の膝を、絹織 文音の小さな手が包んだ。「落ち着いて」ということなのだろうか。
「母さんにはいつもいつも、論破されて・・・本当を言うのが怖くて・・・母さんにとって俺との会話は討論会なのかよ⁉ ―――少しは、俺と向き合って・・俺の中身も見てくれよ‼」
膝を包む手の力は強くなる。
渇いたのどを潤すため、唾をのんだ。こんなに声を張ったのは中学の合唱コンクール以来。
隣の見ると、絹織 文音の表情は真剣だった。固くもなく、強張ってもいない。ただだた、真っ直ぐと母さんを見つめて真剣だった。
「母さん・・・・母さんにとって俺はなんなの・・・」
氷崎家と絹織家が仲が悪い事は今に始まった事ではない。昔から、昔からいがみ合っていた。
母さんが始まりを作ったわけじゃないのは知っている。氷崎家に嫁いできて、氷崎家を知って、周りの事情を知って、俺を産んで、父さんを亡くして。
―――昔から気になっていた。俺には一体、母さんにとって価値があるのだろうか。
道具として使う分に価値があるのか。息子として価値があるのか。
俺は母さんみたいに、頭もよくないし、口が達者なわけでもない。父さんの記憶は、ほぼ俺にはないからどこが似ていてどこが似ていないのか分からない。
でも、俺には母さんは母さんしかいなくて、父さんは父さんしかいない。
父さんが生きてたら、俺ら氷崎家は絹織家と手を取り合ってやっていけてた未来があったのかもしれない。
母さんは小さく、だけど聞こえるように口を開く。
「私はもう、誰も取られたくないのよ・・・・あの人を喪って、凛しかいないのに、私には凛しかいないのに・・・」
そして次第に、母さんの呼吸は徐々に崩れ始める。
「あなたが・・・あなたが、あんなにも大切にしていた宝物を女の子にあげたって聞いた時から私は・・・私は怖かったのよ・・・その子が絹織家の娘で・・・また、取られるんじゃないかって・・・凛まで取られたら・・・・私には・・私には何が残るっていうのよ‼」
母さんの目から何かが落ちた。
それが涙とは瞬時に思うことは出来なかった。初めて見たから、母さんが泣いているなんて。そしてその母さんの涙に、全てを思い出した。
「そうか、気づいたよ・・・」
―――――好きだ。―――大好きだ。
殺風景な部屋で、母さんの嗚咽だけがあった。
素直になれなかった母さんは涙と一緒に溜まっていたものを全て吐いた。
家を一人で守ること、何にぶつけたらいいのか分からない想い、そして、俺と父さんを誰よりも愛していると言うこと。
ごめんなさい、ごめんなさいと何度も嗚咽交じりに言う母さんの姿は、今まで一人で抱え込んでいた重りが解けた姿にも見えた。
「なあ、文音」
「ん・・?」
「俺さ――――」
落ち着いた母さんを部屋に残し、池で優雅に泳いでいる「ろん」と「どん」に餌をあげ、縁側で雲がゆっくりと流れていく空を、並んで眺めている今、俺は絹織 文音に伝えた。
「氷崎 凛」として、ちゃんと自分の想いを――――――。
「春が来たっていうのに、ほんと季節に乗り遅れているわよね、あんたの顔って」
桜の開花、暖かい風、穏やかに鳴く鳥、こんな平和に始まったと思った高校三年の新学期の朝に、春の季節が似合う声で俺を貶しているこの女―――――絹織 文音。
「はいはい・・いいんですよ。俺には春が似合いませんから」
「―――なんか元気ないわね?」
俺の隣を、当たり前のように歩く絹織 文音。
「そりゃ、そうだ。なんで、俺が文音の分まで鞄、持たなくちゃならないんだよ」
「だって、新学期って・・・荷物重たいじゃない」
揺れる二つの鞄に、お揃いで付いているミラーレンジャーのキーホルダー。
手ぶらで軽い、絹織 文音は俺より前に出て、「はやく、はやく」と笑顔で手招きをした。
一緒に校門をくぐり、一緒に履き替え、一緒に教室へ入る。
「でたよ・・リア充」
「なんで、クラス替え無いんだよ!」
「あぁ、帰りてぇ!」
新学期早々に、クラスの奴らからはこんな仕打ちだ。
「おいおい、お前ら、勘違いしてるだろ」
「―――どうせ、付き合ってないとか言い出すんだろ?」
「そうだ、俺らは付き合ってなんかない」
「―――なら、そのお揃いのキーホルダー外せ!」
「これは、私が不細工なこいつの鞄に華を持たせようと付けたのよ。 絶対に取らせないわ」
「―――そうですね・・・はい」
俺らの勝利。
変わらないクラスの奴らの態度。俺と絹織 文音が付き合っていようが付き合ってなかろうが、教室に一緒に入ると茶化してくる奴ら。
―――これも三年目だ、良く飽きないな、本当に。
変わった事と言えば、リア充名家で有名な鬼村 一夜と三条 朱音が付き合って三年目に差し掛かろうとしている今でもラブラブさは衰える事を知らず、そのためか、リア充名家を好きな人と一緒に眺めると必ず幸せになれる。と、変な噂まで流れ出したことだ。
本当にすごいと思う。
そんな、リア充名家としての人生を歩むことが俺と絹織 文音にもあったかもしれない。
そう考えると、俺は少し羨ましいが、それが俺と絹織 文音じゃなくて良かったとも思う。
初めから何もかも幸せだったら、いずれかは、その幸せの価値は薄れていって、些細な幸せは無くなり、揚句には、幸せという言葉自体無くなってしまうんじゃないのか。
そう思ってしまう。
あれから、絹織 文音はちょくちょく俺の家に遊びに来るようになった。父さんに線香をあげるついでだと俺に言う。
当然、絹織 文音は母さんに挨拶をする。母さんは、笑顔を作るのが下手な人だ。
「ゆっくりしていってね」
そういう母さんの顔は、初見には怖い印象を与えてしまう。その度に、俺が後でフォローを入れるのだが、絹織 文音にはもう必要がない。
そして、俺も時折、絹織家に遊びに行くようになった。裏口からではなく正門から。
全てを知った理沙さんはそれでも俺の事を笑顔で迎えてくれる。
そのあとは俺も絹織 文音の父さんに線香をあげる。
優しい顔をしていて、どことなく絹織 文音に似ていた。
雪菜さんと由依さんは相変わらず元気で、絹織 文音を入れて、四人でトランプするのが何よりも楽しかった。
―――犬猿名家。
この言葉は、紅葉ヶ丘高校から薄れて消えてしまいそうで、でもそれは俺と絹織 文音を育ててくれた大切な繋がりで、思い出で。
「どうして好き同士なのにぃ、付き合わないのぉ?」
三条 朱音からは何度も言われた。
「僕は昔からお似合いだと思っていたんだよ」
鬼村 一夜からは、いつものセリフを。
「もう、見てて、めんどいわ。付き合いなさいよ」
キレ気味にルーム長からも推されている。
でも、俺らは言葉を決めていた。
「犬猿名家だから」
この言葉に縋って逃げてきた自分もいた。でも、想いをちゃんと絹織 文音に伝えた今は、俺の絹織 文音を想う原点のきっかけで、想いを伝えることが出来たきっかけでもあるから。
桜が咲く道を、手を繋いで帰る放課後。この時の為に俺はあの日、宝物をあげたんだと思う。
―――「返して」とは言わない。
「―――ねえ、凛」
「―――なんだ?」
「桜・・・綺麗だね」
「うん、ほんと・・・綺麗」
繋いでいた手をお互いにギュッと意識する。
人を想う気持ちはその人の魅力を最大限に引き出し、綺麗に輝かせ、映す。
ならば俺は、文音の隣で一番に輝いているし、
―――俺の隣で文音にもずっと輝いてほしい。
「―――ほんとに春が似合うんだな・・・・」
「え? なに?」
「いや―――なんでもないよ」
「うーん、気になるじゃない―――あ、分かったわ。私の美貌に魅了されて言葉も出ないのね?」
繋いだ右手、穏やかに吹く風、ゆっくりと舞う桜は、何よりも優しくて、何よりも温かかった。
終わり。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
僕が完結させた初めての作品です。
処女作という訳なのですが、とても拙く読みづらかったと思います。
感情表現やその場の描写、キャラの設定など、色々と悩み考え書きました。
それでも自分の中では納得できています。
面白くなかったと思う方や、面白かったと思ってくれる方、それぞれだと思いますが、
最後まで読んでいただけたことだけで僕は光栄に思います。
これからも色々なことにトライしていきたいと思っております!
応援していただけたら本当にうれしいです。
本当にありがとうございました。