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神戸物語  作者: 山井 月
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04 「笑っていたい」

学校の傍のバス停から、れんはJR神戸駅行きの市営バスに乗った。混雑した車内の前方に、見覚えのある姿がある。

(……藤倉)

彼女の家は、学校から南に下っていったところの地区にある。本来なら、東行きのこのバスには彼女は乗らないはずだったが、神戸駅に寄り道をする生徒など数えきれないほどいる。けっして珍しいことではない。何ということもなく、漣は藤倉の後ろ姿を眺めていた。バス最後部に座ることの出来た漣だったが、「座れば」と席を譲ってやるには、藤倉とのあいだの距離は遠すぎた。

何を弄るわけでもなく、藤倉は軽く首を横に向け、ぼんやりと窓の外を見つめている。学校での彼女とは、まるで別人のようだった。

(何でだろう)

と、漣は思った。顔立ちは綺麗だし、笑うと可愛いが、かといって漣の好みだというわけではない。

(でも、気になる)

つい、目を奪われる。恋に落ちたような、そういうときめきは全く感じられない。漠然とした不安に駆られて、つい見てしまう——というのが、いちばん的確な気がした。「漠然とした不安」。

(それがたぶん、あの顔なんだ。きっと)

ぽっかりと表情が抜け落ちたような、疲れきったような顔。あの顔に、自分はきっと不安を感じているのだと、漣は思った。学校ではあかるく、いつ見ても笑っているような生徒だ。たいてい友だちに囲まれていて、教師からの評判も良く、いっそ胡散臭ささえ感じるような「いい子」だった。

新開地の東口で、彼女は漣に気づかぬままバスを降りて行った。

(新開地……? こんなところに何の用が……)

家がこちらにあるのでもない限り、わざわざ新開地に立ち寄る高校生は、そう多くはないだろう。学校前から乗って向かうとすれば、神戸電鉄への乗り継ぎ。あるいは高速神戸から阪神電車に乗って三宮に出るか、そのままJR神戸駅まで出るか——。

視線で彼女の姿を追いかけたが、どこへ行くつもりなのか見当もつかないまま、バスは次の停留所に向かって走りはじめてしまっていた。



遊戯施設の中に入る直前に、待ち合わせの相手であるアキヲから電話があった。

「もしもし? アキちゃん?」

『妃菜? おまえ、今どこ?』

「もう着くよ、アキちゃんは?」

どこか、アキヲの声が緊張を孕んでいる。

『待ち合わせ場所、ちょっと変えて。バス停に行く。バス停におってくれ』

「え。そんなこと言うたって……もう……」

電話をしながら歩いていた妃菜は、すでに遊戯施設のボウリング場の自動ドアを通過していた。背の高いアキヲは、遠目に見てもすぐ分かる。

(何や、アキちゃんもう着いてんねやんか)

何でバス停なんよ、と思いながら数歩進んでから、妃菜の足が止まった。アキヲが、どこか緊張した声で「待ち合わせ場所を変えよう」と言った理由が分かった。

アキヲが深々と息を吐いて、軽く天を仰いだ。彼のすぐ傍にもうひとり、背の高い男が立っている。

「……こうちゃん」

左右非対称なところがどこにもない、端整な顔立ちだ。同じ商店街育ちのはずなのに、もうずいぶん長いこと、彼と会っていなかったような気がする。

「久しぶりやな」

と、かみ航平こうへいは静かに言った。無視をしたいが、出来ない。だから仕方なく声を出した——そういう雰囲気だった。声がつめたい。昔はこんなじゃなかった、と妃菜の胸は痛んだ。

「……たまたま会うてん。おい、航平、おまえも連れがおるんやろ?」

アキヲが、諦めたように言った。

「おう」

「まあ、たまには帰って来いよ。ばあちゃん心配しとうで」

「ン」

航平は低い声で微妙な返事をすると、すぐに踵を返した。遊び慣れた感じの連れたちが、奥のレーンで彼を待っている。航平は、妃菜のほうを見もせずに、仲間たちのもとへと戻って行った。涙が出そうになったが、深呼吸をして、何とかこらえた。

(アキちゃんがまた心配する)

「妃菜、行くぞ」

アキヲが、ぐいと妃菜の手を引いた。アキヲとシンちゃんだけが、全てを知っている。だから心配してくれる。

「……アキちゃん」

「おまえ、タイミング悪いわ」

と、アキヲはそう言って、妃菜の後頭部を軽く小突いた。わざと冗談めかしてくれているのだ。それが分かるだけに、泣いたりなどは出来なかった。

「へへ、ほんま。タイミング悪すぎ」

笑うことには慣れている。妃菜は、お腹にぐっと力を入れて、前を向いた。泣いてはいけない。泣かないと、自分で自分に誓った。

「でもアキちゃんの電話のタイミングも微妙やったからあかんねんで。ごはんおごって」

「おい」

アキヲは、妃菜の手を握ったままでいる。ありがとう、と妃菜は心の中で呟いた。ありがとう。アキちゃんやシンちゃんが、こうして傍にいてくれるから、踏ん張れる。

アキヲと並んで牛丼を食べながら、

(今日は、シンちゃんとこ寄ろう)

と、思った。

アキヲの優しさを感じながら、なぜかむしょうにシンちゃんに会いたかった。二十も年上の、あの鷹揚な男に、今とても会いたかった。

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