私は失われた九に可能性を見る
あなたは伝えられていた、知っていた。
弟子であれば師匠には絶対服従しないとならない。
その鉄の掟に背いた。
掟には掟がある意味がある。
それは彼の言葉ではこう言われている。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従って来なさい」
あなたは報いという言葉の意味を知っていますか、正しい意味を知らずに心象を描いてそれを現実と変えてもそれはあなたの自業自得。
報いとは受けた事に対して、それに見合う行為を相手に行う。
行うのは神なのですから善いものは神のみというように神があなたに報いるわけです。
どう捉えるかは神にしかわかりません。
でもよい召し使いは知ることになるのです、主の仕事を実行するのは召し使いですから、よい召し使いになれば御心を知ることになる。
その御心を誤解しなければ幸いになる。
心の病は幸いですか、わたしにはそうは思えない、誤解が潜むから心を病むのではないかな。
役に立つから用いる。
それだけのこと。
僕の気持ちは私。
でもそれよりも大切なものが公の心。
0をどうすれば1に変えることが出来るのか、現実を理想の未来へと導く方法論を探しているから心の病を研究している。
はじめに終から導くと十から一となるが一としてなった時に残りの九が失われる。私は失われた九に可能性を見る。




