そこに無い世界
「鳥はなぜ飛べるようになった。なぜ、飛べない鳥は飛べなくなった。ここから思考訓練を始めます」
僕を見上げそう言った。
鳥は、飛べる身体があれば飛べるというわけではない。
飛ぶために学習と訓練を必要とする。
親は最後に子を巣から追い出す。
だから、飛ばなくてはならなくなる。
いやでも、きらいでも。
同じ領域を共有出来る心境になると理解出来る言葉というものがある。
暗号のような、象徴のような、寓話のような言葉。これが読めるようになるには、本当に苦労しなければならない。
言語の力は最後は自分と主の想いに別れる。
だから渦を描くようになる。
実感がないと言霊も働かない。
真理の門は涙なくしては開かない。
これは僕の実感。
脱皮から羽化への未知なる道、真意は見えないもの。自分を守るのに必死では。
自分が何で出来ているのか知るには自分の成分を知るしかない。
成分を知るには分析するしかない。だから分析するために自問自答するのだけど、浄化するには上下の対で重ねる必要がある、なので分析するための方法に工夫がいる。
自己分析を進めてゆく際に、どのようにやったらいいかというと、基本的には自由連想ということになる。
夢や出来事などについて、自由に連想を続けていく。
自由連想と言っても自由に連想することが出来ない。
特に性的なことになると、はしたないことを考えてはいけないという無意識的な検閲が働く。
しかし、夢の意味や行動の意味について自由連想を続けていると、意味がわかる瞬間が来る。
これは知的な理解とは違い、実感として「ああ、そうだったんだ」と理解できる。
そして、今まで間違った考えに囚われて支配されていた過去の自分を展望できるようになる。
隠された自分の願望や、抑圧された憎しみなどを発見することで、囚われから解放され、今までの自分とは違った新しい自分が誕生する。
これは実際に体験してみるとよくわかる。
時には劇的な変化をもたらすこともある。
劇的な変化の場合は、囚われから急激に解放されることで、まわりのものが今までと違ったように見えて来て、新しい自分に慣れるまでしばらくの間、戸惑いを感じたりする。
脱皮を終えたばかりの昆虫が、新しい皮膚が固まるまで、しばらくじっとしているような、新鮮な戸惑いの感覚があったりする。
そして理解する。
上下の無い世界では自分は絶えず中心に立つ。
優越感も劣等感もそこにはない、なぜなら比べる何ものもそこにはないから。




