彼が教えている。体のともし火は目である。
彼が教えている。体のともし火は目であると。
目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中の光が消えれば、その暗さはどれほどであろうと。
確かに目の澄んだ人は口も耳もしっかりしていて、素直に話を聞けて、微笑みを浮かべて感謝の言葉を自然に発することが出来る。言葉を交わしていても心が気持ちよく、自然に笑顔にしてくれる。
目の濁っている人は話を聞かず、自分勝手に動いたあげくにその間違いを人のせいにして機嫌の悪さ、気持ちの悪さを伝染させ、自然に心を病ませていく。
ほんの少しの心得の異なりが心を闇にも光にも変える。
誰に向かって言っているのだろうか、誰が言っているのだろうか、誰かが誰かに向けて言い続けて行く。
気づいた方がいい、自分が気持ちよくなりたいなら、目の前の人を気持ちよくさせることこそ大切。なぜなら自分が笑顔でも、その笑顔を自分で見ることはほとんどないのだから。
あなたの気持ちをよくしてくれる顔は身近にいる人の顔。あなたが身近にいる人つまり隣人を心から気持ちよくなるように尽くせば、あなたのことを気持ちよくしてくれる。
いつも思う、僕は誤解して生きていかなくて済むから良かったと。僕の心を濁す人が背中を見せるたびに思う、哀れだと。
誰かとは、僕だった。僕が誰かという僕に口を開いて教えていた。




