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痛いから、病んでるから

 心に何も映らなくなった。


 頬を流れるものに気づいた。


 涙は自然に流れていた。


 どうして……。


 僕はもう居たくない、この世界から、この宇宙から、居たくない、僕という意識で居たくない……。


 苦痛なんだ、病んだ世界で生きることが、病んだことに気づかずに世界を病ませていく人間と生きることが……。


 終わらせたい、世界を。


 だから僕は死にたいのに、死んでもまたこの世界に戻される。


 理解した、過去の記録が示すもの、示す意味、僕は僕という意識を失うためにこの世界の秘密を解こうと今を生きている、生まれ変わることがないように……。


 どうすれば輪廻の輪から外れることが出来るのか、その秘密を……。


 頬を流れる涙は自然に零れ落ちる。


 僕はこの世界に愛されていない……。


 何もいらない、何も求めてない、ただ、全てを、僕の全てを消して。


 居たくないから僕として。


 声が聞こえて来た、頭の中で自分の意思で止めることの出来ない声が聞き取ることが出来ない速度で何かを話している。


 止めてくれ、聞きたくない、理解したくない、わかりたくない、僕は人間が嫌いなんだ、終わらせたいなら終わらせればいい、明かさないで、世界を終わらせたい、なら、ただ僕が消えるだけでいいのに……。


 何かが、誰かが語りかけている。


 これは僕。


 いつかの僕が、誰かに語った言葉がゆるやかな、穏やかな気持ちを象るように響いて来る。


 心は意味を感知して働くもので、もしもその言葉に意味があったとしても、言葉の意味を知らないなら感覚は知覚にまで及ばない。


 知っているから、それは覚えていることで、覚えているということは時間の軸にして過ぎ去った方向であり、時間は過ぎ去る方向からしか来ないから覚えるためには知らないとならない。


 これを言葉の形にすると、知るは今、知ったは過ぎ去った時これから先の時にはまさにこれからという言葉が必要になる。


 これから知ると書けば時間は未来から今、そして今から過ぎ去っていく何事もだけど解く鍵は時にある。


 僕は何をされているのだろう。誰が自由を奪っているのだろう。誰に何が語る、何のために役にも立たないものを病んだ者は直そうとは思わない、思えないから病んでいるのに……。


 気とは何か。


 と問われて答えることが出来る人がどれくらいいる。


 でも、人は普通に気になるとか、使っている。


 これはイメージという言葉でも似ていて、イメージしてとか使うけど、その言葉を発した人に、イメージって何かな。


 と訊いて正確に答えられる人がどのくらいいる。


 イメージの意味は心に思い浮かべる像や情景。


 ある物事についていだく全体的な感じ。


 心像。


 形象。


 印象。


 また、心の中に思い描くことだが、ここでイメージをアップしたいとしてイメージアップという言葉にすると、意味は周囲や世間に対する印象をよくすること。


 アップという言葉の意味は上がる。


 上げる。


 そして、終了。


 となるわけでイメージをアップすると上がるのは印象でしかない。


 では印象とは何かをしっているか。


 印象とは人間の心に対象が与える直接的な感じ。


 また、強く感じて忘れられないこと。


 だが、印象をつけたいと思えばどうなるのかというと、心に強く感じさせる。


 相手の心に強く刻みつける。


 となるわけで、刻むという言葉を用いるものに時がある。


 ではイメージアップを謀り成功した、相手の心には上げられた印象が強く心に刻まれた。


 でも、その印象は真実なのか。


 もしぼくの書いた文章を読んでぼくの印象をイメージをアップして強く心に刻んでいるとして、その印象とぼくの真実は同じか。


 アップしているわけで、つまり上げているわけで、もう終わっている、その時点で。これ数字を使ってみるとわかりやすいのだが、ようはぼくの本当が1だとして、ぼくの本当である1から上げて心にその実体とはことなる数を刻むことになる。


 つまりその数が増えれば2としてぼくは心に象られている。


 なのでイメージという言葉を訳す時には心象を用いる。


 心に象るわけだから、象るということはそこに形が生まれるということ。


 気をイメージしてとぼくが言ったとする。


 気をどのような形で心に描くか。


 気というものがある。


 そしてそのあるものには形が与えられている、それが気という文字。


 気という文字は何から気というものを形にしたかという問題がある。


 で、気という漢字を文字にしたものは過ぎ去った時を生きた人達で、その人達が心に象った形がその文字の形となった。


 ここまでは理解できているか。


 文字はある方向に向かう性質がある。


 それは人の心がそのような性質を備えているから。


 言葉とか文字とかそんなものは心の性質から導かれた必然で、その必然の意味に気づけばそこから先にどのような方向でその力が向かうのかは予測出来る。


 それを数で表せば1は2に向かい2は3に向かい3は4にとなり9は0に向かう。


 そして0は1に向かうというのが循環。


 これは小さく少ない循環。


 気とは数にすると何にあたるのか、それは0だから気にしないなら、ない。


 では、その気にならない力である0を気にさせる数がある。


 その数は何か。


 それは九。


 通じるものとして最高なのは痛み。


 痛いと気になる。


 痛いのはなぜか。


 病んでいるから、傷があるから、信号を発してくる。


 体が心に、気にしなさい。


 だからさ、苦痛なのさ、ぼくは九を通り十を見る。


 だからさ、直視する、疵を。

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