なぜ僕は生きている。答を。
心が狂れた者を素人が取り押さえるのは、不可能に近い。戦いの玄人と呼べるような者でも狂人を制圧するには五人は要ると言われている。そんなことを学校の先生が知るはずもなく、校長は初めて面会した時僕を見て言った、いざという時、戦えるのか?
僕の科白は校長を失望させたが、警備の仕事は未然に防ぐことで、狂人と命を賭けて戦うことではない。
会社からも、いざという時は、子供を守りながら逃げて良いと命ぜられている。
狂った者に言葉は無力。
罪も罰も効力がない。
見せられた脅迫状には、首を吊られた人が描かれ、片仮名で、殺すと赤いサインペンで書かれていた。
犯人はわかっている。精神病院から出て来た女で、顔も確認している。
学校の周辺を巡回していると、たまに出合う。病んだ目は、明らかにそれが誤解の結果だとわかるように光を失って暗い。
何かつぶやきながら歩く姿を目撃すると真夏だというのに冷たい汗が背を濡らす。
病んだ世界の闇は彼女だけではない、誘拐、虐待、これらには幼児という言葉が先につく場合が多い。それだけではない、無差別の通り魔さえ、ここで起こっても何もおかしくない。
ただ、勤務時間を消化すればいいわけではない、不意に、咄嗟に備えていつでも動けるように足運びの練習を密かに繰り返す。
体を動かす基本であり奥義は呼吸にある、というか呼吸がすべてと言っても過言ではない。あらゆる動きの基本は力を抜くことにある。なぜなら、感覚として力を感じなくても必要な力は入っている。
力が入ってなければ人は立てない。だから、力を入れているという認識があるなら、それは過ぎた力となり、過ぎた力は初動を遅らせる原因になる。
このことを知っているかどうかが自らの技という剣を真剣に出来るかどうかのはじめの境界となる。
剣は切るためにある。だから、呼吸も切るために動くため、吸い切り、吐き切るなら、瞬く間に白い閃きを見て、気づくと敵は倒れている。
いつから、それさえもわからないが、確かに僕の中には剣があった。
僕には幼き時の微かな記憶がある。
首をしめられている。しめたのは父親、母親がそれを見ていた。
痛くて、苦しくて、自然と涙が溢れていく……。
なぜ生きている。
答を。
だからかな、強さを求めた。何者にも壊されない、強さ。何者をも壊せる強さ。
切り裂くように……。
思いは技となり剣となった。
僕は魔術師と呼ばれる者。魔術を継承させるために人として生まれた者、閃きの門の番人。閃きの門を守るために与えられた剣が神技。僕は色々な仮の名でその技を呼んでいるが、魔術を身体で表現したものに過ぎない。
僕は人が嫌いだから、人の嘘が見える。病んだこの世界に生まれたあらゆる戦いの技を調べた。そこから共通項を抜き出し、最大公約数と最小公倍数を求めて、必要でまとめ自然に出て来た動きを結んで技とした。
魔術を使えない者が魔術の領域で働く力を正しく解くことは出来ない。
心の狂れた者は人の世界に生きていない。
自らに都合の悪いことに目を伏せ、目を瞑り、正解を理解しようともせずに光のない闇に落ちた者を人とは呼べない。
遥かなる過去、心の狂れた者を圧する力として魔力を用いた者がいた。僕はその技をこの身にしている。
心の狂れた者は僕に伝える、理解出来ない事は誤解する、理解出来ないことを理解しないから、正解が小さくなる。
そして理解した、僕の体が小さい理由。
それは、僕が神技の為に作られたから。




