俺の目には、僕が。僕の目には、私が。
ファーストミーティング
女は初恋のあの人に似ている。
俺が大学に入学してから翌日、授業等の説明で、番号順に座らせられた。三人用の机の真ん中に俺は座っている。俺の右隣の女がそうだ。
一分毎に瞬きをする二重の目、暇なためにアヒルのようにとがらせる唇。完全に一致するわけではないが、二年前から会っていないあの人がここにいるかのように思える。
「私になにかついていますか?」
ありえないと思いながらも隣の女を見つめ続けていた。人によっては不快に感じることなので取り繕い、謝ることにする。
「知り合いに似ていたので、つい」
初見の人には口づかいを丁寧にしている。目つきが悪い革ジャンを着た金髪男に怯える奴は多い。その金髪男とは俺のことだ。
「もしかして、初恋の人とかですか?」
目のきらめかせながら女は聞いてくる。子供のような無邪気に笑う。初対面であるので礼儀としては誉められたことではないと思うが、俺の姿を見ても怯えていないので、俺は一安心した。
「チル、ダメだよ困らせちゃ」
左隣にいた眼鏡のもやし男が女に話しかける。名前で呼んでいることから知り合いのようだ。
「いや、俺が見つめすぎたのが悪い」
「それでも、余計なことを」
「合っているから別にいい」
女の堪の良さには驚いた。だからと言って動揺することはない。あの人のことはすでに諦めがついている。
「当たっちゃった」
「本当にすみません」
二人は初めて顔を青く染める。俺が気にしていないつもりでも、一般的には傷つくものだ。俺自身、女を見つめ続けたのはあの人のことを無意識に今も思っているからだろう。
「いや、本当に気にしていない、大丈夫だ」
「いやでも」
「大丈夫つーたろ。男ならうじうじすんな」
目を細めて、相手を睨むように見てしまった。声も荒げている。
男は目を丸くして瞬きする。二人は何も言わず、しばらく間が空く。真面目な奴らのようだから。不良だと思えば、俺と関わろうとしないだろう。
「君は男らしいね」
男はふちなしの眼鏡を小指で整える。その流れで目を多少隠す髪をかき上げ、うなじまで手が伸びる。
「作道大、僕の名前だよ」
男の言動の意図を読めず、俺は顔を傾げる。
「君の名前を教えてくださいよ」
「マサルもいきなりだよね」
「そうでもないだろ」
大は俺が触れれば壊れてしまいそうなほど薄い唇を刃物のようにとがらせて笑う。丸みがある童顔とは相反し、表情は物静かに獲物を狙う猛獣だ。
「彼女の名前は多見知留、僕の幼馴染だよ。これからよろしくね」
「何がよろしくだ?」
「これからの大学生活をね」
大の目は俺を写す。俺を虐げることも、危険視もしない。一人の人間をただ見つめている。最後にこの目を向けられたのは遠い昔だ。
俺は目を伏せ、一度ため息をつく。吐いた息には不安と安堵が入り混じる。
「智秀要だ」
俺は簡潔に答える。知留はあの人がしなかった底なしに明るい笑顔をし、大はこれから先のことを見て楽しんでいるようだ。
大の笑顔は無邪気であり、子供を見守る親のようにも見える。
「よろしくな、カナメ」
知留も「よろしくね、チシュウ君」と言ったような気がしたが、その声が遠く感じる。俺はあいまいな返事をしたが、そのことも俺は気づいてない。
顔一つ分小さい大を大きく感じた。
俺は左目を半分開き、大に焦点を合わせる。俺はこの時間、大から視線を外せなくなっていた。
ライフオブユニバーシティー
木陰の中を歩いて行く。高校時代は一匹狼を気取った俺だが、今は横に二人の友人を連れている。顔立ちや口調は変わらないが、最近はいろんな人に丸くなったと言われる。この友人たちのおかげなのかもしれない。何分こいつらはおっとりとしている。
「あれー? 次の教室は二号館じゃなかったけ?」
「違うよ、十二号館だよ」
「どこだっけ?」
「今、地図を出すよ」
「お前ら大丈夫か? この道を真っ直ぐだ」
こいつらは普段から何かを考えているようには見えない。考えていないわけではないが、現時点で覚えているはずのことを覚えようとしない。そのうえ、周りを気にせず恥ずかしいこともする。あーん、など。
勉強に関しては頭の悪い不良である俺とは違い、優秀だ。俺が寝ている、またはサボっていた講義のノートを二人に見せてもらうことも多い、そのたびに大に小言もついて来るが。
「あー、私は別の教室だ」
「隣だから、講義終わったら、ここで」
「仲いいな、お前ら」
この二人の前でのみ俺は素の口調でしゃべる。あの説明会の後に知り会い普段から話す友人はできることはなかった。数日前にようやく入ったサークルも新入生は俺ら三人だけだった。確か、チャーケンとか言った。
「私たち小学生から一緒にいるんだから、仲悪いなんてありえないよ」
「そんなものだよな」
早咲きのヒマワリがそこにあるかのように、知留が笑顔で応える。遅咲きの一輪の梅の花のように大はうつむいてつぶやく。
知留が「じゃあ、後で」と言い放ち、ドアを通る。常に不思議に思うが二人は恋人同士ではない。付き合っているように見えるし、二人の間の行動には恋人同士にしかしないようなことも多い。こころの中で大が知留と付き合っていないことに喜ぶ俺がいることに不思議に思う。
知留が去ったあと、呆けて動かない大を急かしてチャイムが鳴る。この講義の担当の講師はまだ来ていない。
「さっさと入るぞ」
大は小さくうなずき、教室に入る俺の後について来る。遅れた俺たちには前方の少しの席しかないため、大人しく前から三番目の席に座る。
この講義は話をほぼ聞かないことにしている。ただ講師が聞いても意味のない講釈を垂れているだけだ。ただその間を過ごすだけで単位を取れるから学生の間では人気がある。
五分遅れで講師が来てようやく講義が開始された。だからと言って、講師が来る前と状況は変わらないが。
「どうしたんだ? さっき」
「え? 何が?」
席に着いてからも呆けていた大を呼び起こすため話しかける。いつものおっとりというよりも何かに傷心したようだ。
「別に何もないよ、ただ思うことがあっただけだよ」
生徒たちがあまりにしゃべりすぎているために、講師が声を少し上げる。その声は大の言葉をかき消そうとする。
講師は講釈をやめ、説教し始める。昔はああだった、昔はこうで良かった。と当時自分に向けられていただろう言葉を発する講師を無視し、話を続ける。
「いい加減、告れよ。ボーケ」
「はい?」
大は大きくリアクションを取ったため、講師に注意を受ける。普段の素行の良さがあるため数秒で終わるが。
大は赤面した顔にしわを作り、俺の方を向く。
「変なこと言わないでよ」
「変なことでもねーだろ」
大の顔からしわがなくなり、目を見開き、どうしてと聞くような顔をする。今の顔を鏡で見れば分かるだろうが、言わない方が大を操りやすいから言わない。
「チルのこと好きなんだろ、女として」
大は硬直する。生きているかわからない。こんなことでショック死はやめてほしい。一緒にやりたいことがまだまだあるのだが。
「わかりやす過ぎるは」
「いや、な、何でそうなっているの?」
動揺している。舌の回りがいいのが売りの大だが、話し方が拙くなっている。
大は知留が好き。こころの中で何度も反復する。その響きは傷口を開くかのように俺を痛める。
「そういうカナメはどうなんだよ」
「なにもねーよ、ただ好きだった人に似ている。それだけだ」
気にしていないから、言い放った。しかし、大はうつむき悪いことを言ったと思っている顔をする。
「だから、気にしてねーよ。あの人とのことはもう終わってる」
「本当にそうなんかい?」
目を少し細め俺のこころを覗くように体を傾ける。
「あー、メンドーだ。俺の昔話をするよ」
「ごめん、でも、先生の昔話より面白そうだね」
俺はため息を一つし、目を閉じる。会っていたときは一年もないが彼女の姿ははっきり思い出す。知留と似ているが、彼女は桜の一片のように儚かった。
彼女に会ったのは田舎の病院だ。夏がもうすぐ終わりそうで夜風が涼しい時だった。母の検査入院で父が見舞いに行くと言い出した。それに俺は付き添ったのだ。
当時も俺は不良のくくりにされた。金髪に革ジャンだが喧嘩はしない。いや、正確には違う。喧嘩はしていたが相手があまりにも弱く、楽に勝っていたら誰も喧嘩を吹っ掛けなくなった。
それでも悪名高い俺は家族といる時が辛かった。言葉はなくとも責められているように感じた。だから、母のところから離れ庭にいた。
「今日は大きい鳥さんがいますね」
適当に買った本を仰向けになって読んでいた俺の耳元でのささやき。誰か来たと思い、顔を上げた。そこにあの人の顔があった。あの人は俺の顔を見て、本読むようには見えないと大笑いした。あの人は笑いながら俺が空けたベンチの端に座り少しの間俺としゃべった。服からこの病院の患者であることはわかったがどこが悪いかわからなかった。
その日から病院へ通い、彼女に会いに行った。大人しく儚いあの人の言葉数は決して多くはないが居心地がいい時間を過ごせた。あの人への気持ちも特別なものになった。
本当に彼女の命は儚かった。病院の庭にある桜が咲き始めたころ、あの人を見ることはなくなった。それでも通い続けたある日、一通の手紙がベンチにあった。
その手紙はあの人からだった。あの人は命に係わる病に蝕まれていた。俺にはよくわからない病名だった。
「んでもって、今に至るわけだ」
細かいことを省き一通り話し終わるころには講義もほとんど終わっていた。うつむきながら話していたため一度大の方を見る。憐れみなのか、驚きなのかよくわからない表情をしている。当の大自身もどんな表情をしているかわかっていないだろう。
「そんなことがあったのか。無邪気に失礼なことを言ったね」
「いや、別にどうってことねーよ。ただ、初恋の人が死んだ。それだけだ」
大は眉を八の字に傾けて「そうか」と笑みで応えた。
俺が初めて二人に会ったとき知留があの人に似ていると思った。だけれども、俺があの人の面影を重ねていたのは大の方だった。
講義の終りの鐘が鳴る。この授業で机の上に出すものはないためカバンを取りすぐに教室を出る。
「マサル、質問にきちんと答えろ」
「質問って?」
「チルのことどう思ってるかだ」
大はバツが悪そうな顔でうつむく。俺の昔話で誤魔化そうとしたのだろうが、俺だけ言って大は何もないのは公平ではない。
「好きだよ」
大はまっすぐに顔に赤みを帯びた顔を前へ向けて言う。潤んではいるが、曇りのない目をしている。
「そうか」
簡潔に応える。応援するべきことだが、俺はがんばれの一も言えない。二人の幸せを願いたいが、今二人でいる時が続けばと思う。
知留が来るのを教室前の柱にもたれながら待つ。
アンノウンフィーリング
いつものことだが、どれだけ面白くなくとも講義は聞いてノートを取るべきである。ましてや、よだれを垂らして爆睡は論外だ。
「あと、さんふーん」
「待てよ、コラッ」
「チシュウ君も何か頼めばいいのに」
一般教科が行われる十号館の向かい先にあるカフェテリア。俺と大、チルの三人が昼の時間に過ごす場所だ。他にも飲食店やコンビニはあるが、それらは講義終わりすぐには多くの人だかりが出来ており、三人とも小食だ。少々値段は張るが、ゆっくり時間を過ごすには適切な場所だ。
しかしながら今は何も食べることはできない。次の講義で小テストが行われるが、ノートを作らなければ点数を取ることは出来ない。それにもかかわらず俺は毎時間、その講義で爆睡した。結果、ノートを取っているわけがなく、今現在大にノートを写させてもらっている。
「まだ時間あるだろうが!」
「移動や食事の時間を考えればもう終わらなければなりません」
大は教師然として言い切り、俺がノートを写し終わるのを促す。きちんと食事の時間も考えているが、今更いらない。
何かを教える、いじわるするときの大もあの人に似ている。ゆるい言い方で俺を急かし、敬語で論理攻めする。俺の様子を見て楽しむ顔もあの人を思わせる。特に次はどういじわるするか考える鋭い笑み。
決してチルの様な太陽の明るさではないが、俺を包み込む月のあかりを彼らは持っている。
「これでオーケーイ!」
「はい、お疲れ様」
「チシュウ君オッツー」
やっと出来上がったノートを頭に乗せクールダウンする。大が言う制限時間は後のことを考えると本当にちょうどよかった。
「はい、昼食」
大はトレーごとサンドウィッチを俺の目の前に差し出す。
「お前、無駄に多く頼んだと思ったら」
「時間短縮にはいいでしょ?」
大にノート写させてもらう礼に昼をおごったが、まさか、俺の分も注文しているとは思っていなかった。
何気の気遣いが出来るから実のところ、この大学ではすでに女どもに人気が出てきている。
俺が女どもを大に近づけないようにしているが。
それでも、大が知留への思いを成し遂げる前に誰かに食べられそうだ。このことを知留に言っても「食べられるって?」と言われそうだが。
俺は差し出されたサンドウィッチを口へ運ぶ。丸テーブルを挟み、目の前の二人を観察する。二人が一緒にいる時、表情がない時を見たことない。喧嘩がないわけではないが、無表情という表情を知らないようだ。
二人はお互いを思いあっている。第三者が見れば一目瞭然。未だに恋人同士ではないことに驚く奴しかいない。
二人は話あっている。知留が大に貸している本の話だから俺は割り込めない。
知留はおもむろに左手を伸ばす。彼女のカップは右手側だ。知留の顔はまっすぐ大の顔を捕らえており、手元を見ていない。
知留の手は大のカップを持ち、口に近づける。
「おい、いいのか」
「え?」
知留は大のカップを口につける。俺の声に反応しカップを確認する。大も不思議に思いカップを見る。
「あれ、僕の」
大と知留は二つのカップを交互に見る。四、五繰り返してようやく状況を理解したらしく二人とも顔を赤らめる。
「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん」
「いやややや、いいいよよよ」
純情な二人だから間接チューくらいで混乱するのだろう。この状態のまま小テストをしたら、点など取れない。
知留は震える手でカップを戻す。それを落ち着くために大が手に取り口をつける。
「マサル……」
「お前ら何やってんだ」
大はカップの中身を飲み干すと自分のした現状に遅れて気づく。二人はさらに顔を赤くする。この二人が果実ならこの短時間で何度も秋が来ている。
例えば知留ではなく俺が間接チューの相手なら、大はどうするだろうか。
答えは明快だ。特に何もない。俺は男だ。男が男を性的に意識するなどありえない。だけれど、その例えを考えると胸が苦しくなる。
俺を苦しめるものはわからない。だけれども確かにある。
「ごめんごめ――」
――ルルルルル
知留は謝りを入れ、電話に出る。数秒で話し終わり、大の顔にゆっくり向く。
「マサル、助けて」
「何を?」
「お父さんの誕生日プレゼントどうしよう」
そんなものは自分で考えればいい。それをわざわざ大に聞くのは疑問がある。
「もうそんな時期なの?」
「もうそんな時期だった」
「どういう時期だよ」
二人の話がよくわからないので、俺は説明を求めた。
二人が言うには、昔から知留の父親への誕生日プレゼントは二人で買いに行くらしい。大の好みが知留の父親に似ているからだそうだ。
「じゃあ、明日行こっか」
「うん」
大は知留には見えないように小さくガッツポーズする。
「いってらせ」
俺はその言葉しか言えなかった。
ゴーショッピングイコールデート?
俺は左腕に巻いてある腕時計で時間を確認する。時刻は午後一時半ほど。二人の待ち合わせ時間の三十分前だ。俺は無駄におしゃれに白い建物の壁にもたれかかっている。噴水付の時計台からは見えないようにしている。
今日の授業は午前中に終わる。二人は用意があるからと学校からここに向かわず、一度帰宅している。
二人の様子が気になり、尾行してみることにした。俺は大学近くのアパートで一人暮らしのため先回りが出来た。俺はいつもの革ジャンではなく、二人には気づかれないように違う身なりをしている。
数分か待つと大が先に来た。ケイタイをいじり何かを調べているようだ
純粋な疑問だが、二人は幼馴染だ。つまりは家もある程度近いはずである。それなのにこんな住宅地がないここを待ち合わせ場所にするのかわからない。
大は空を仰ぎながら知留を待ち十分後。知留もまた来る。
「待った? マサル」
「ううん、大丈夫だよ」
甘ったるい空気を醸し出しながら二人は合流し歩き出す。つばが大きい帽子を頭に抑えつけ、俺は二人の後を追う。
でね、その、と話し合う二人はキチンとおしゃれをして来ている。父親への誕生日プレゼントを買いに行くのは口実で、二人で出歩きたいのが見て取れる。
大通りを歩いて行くと二人は衣料販売店へ入っていく。父おやに対してのはずだが、若者向けの店にしか見えない。二人は紳士ものコーナーへ入っていきジャケット売り場へ入って行く。俺はジーンズコーナーへ行き二人の動きを覗き見る。二人に気づかれないようにジーンズを壁にしている。
「これとかいいかも」
「うん、でも知留のお父さんはこっちの色の方が好きだよね」
毎年買いに言っているだけあり、大も知留の父親のことをよくわかっている。知留が選ぶと、大も次々と意見を言う。
しばらくこのイライラしてくるイチャイチャが続くと、買うものが決まった。値段を見るためタグに二人は顔を近づける。
「あっ」
「きゃっ」
タグに顔を近づけすぎ二人の頬が触れ合う。
二人はゆでだこになり背を向けあう。二人はシンクロしているかのように唇に手をあて、昨日の間接チュー事件を思い出す。
昨日のそれがより相手を意識させるようにしている。
二人はときどき振り向き相手を見る。そのたびに目が合うから何度とも二人はゆでだことなる。
「知留、買えそうかい?」
ようやく大は話を切り込む。知留はもう一度値段を確認すると首を横に振った。大が返事をすると二人はジャケットを諦めて去っていった。
二人だけの領域があり、通りがかる人もそれを感じていた。どれだけ俺が大と仲良くなろうともその中に入ることも。
俺は大と一緒にいる時に感じる胸の苦しさは何であるかを探るため、尾行することにした。しかし、結果としてはこの苦しみの謎も胸の苦しさもただ大きくなるだけだった。
二人は喫茶店のテラスでコーヒーとケーキを口にしている。
「んんん、美味しい」
「甘いね」
二人は店を二つ、三つ周り、最終的にはハンカチをプレゼントして選んだ。
「おじさん、元気かい?」
「元気も、何も、死んでいるよ」
「まあ、そうだけど」
喫茶店はピークを過ぎたらしく、余裕があった。二人のテーブルの隣で背を向けて俺は話を聞いていた。俺は知留が片親とは思っていなかった。
「もう、十年か」
「十回目の誕生日プレゼントだね」
二人は空を仰ぎ、黄昏を感じる。十年前、俺たちは小学三年生である。
「おじさんはいい日にちで死んだね、誕生日だと区切りがいいね」
「どこかの偉人みたいだよね」
二人は視線を交らせ微笑む。知留は両手で覆っていたカップを置く。
「毎年、ありがと。マサル」
「改めて言われると恥ずかしいね」
二人は昔話を繋いでいく。父親の死により、知留の隣にいることが出来るのは大だけだ。大学で一緒にいるようになった俺でも、ときどき知留との距離を遠く感じることがある。幼心に父親の死は自分のせいだと思っているのだろう。
大もまたそうだ。知留のように距離は感じないが用心深すぎる。
二人の世界は十年前に作り出された、一つの命と引き換えに。
それでも俺の中の何かはより俺を苦しめる。あの二人の世界に入り込めることは出来ないのに大の近くにいたいと思っている。
俺も頼んだコーヒーを口に含む。俺にはそのコーヒーは苦かった。
ワーストハプニング
日が暮れるころ、大と知留は家路に入る。帰りを尾行しても意味がないかもしれないが、やるなら大が家に入るところまでしたい。
電車に揺られて十数分、二人は喋り疲れて黙っている。
ただ、その沈黙は二人とって心地よいものであるようだ。ほんわかとした頬の赤みが、それを表している。今に手を繋いでいてもおかしくはない。
二人にとってのお互い存在は明確な言い方はない。幼馴染としか言わないが、本当はもっとあいまいである。大切な人としか言えない。
では、俺にとってはどうなのだろうか。二人にとって俺は一友人だ。俺にとって知留は姿が初恋の人に似た友人だ。だが、俺にとっての大を表す言葉はわからない。友人とは呼べないのはわかっているが。
「次は千花、千花」
車掌が次の駅名を放送すると二人は電車から出る準備をする。
「あのさ、今度の日曜、僕も行ってもいいかな? おじさんの墓参り」
「うん、いいよ」
大の申し出に知留は頭を傾けながらも、了承する。
「初めてだね」
「うん、初めてだよ」
千花駅に着き、二人は足並みをそろえて電車を出る。大の顔は何かの決意に満ち溢れており、その決意は大を俺に届かないほど遠い存在にしそうだ。
改札を抜けて、二人は歩いて行く。不安の顔色も同時に呈色する。
「もう、大丈夫だよね」
「大丈夫だよ、きっと」
道脇を気にしながら歩く二人。今現在で最も不審者らしいのは俺だが、二人は尾行に気づいている様子はない。今朝の集合の仕方と関係しているのかもしれない。バラバラで行動した方が安全なのは奇妙だが。
自宅が近くにあるらしく、二人は安堵し始めたころ。コンビニを通りがかろうとしていた。その駐車場に五人ほどのバカガキクズ虫がたむろしていた。
虫どもは二人を見つけると目配せした。大も知留も虫どもを見ないようにしてやり過ごそうとする。
「おーい、そこのカップル、コッチ来い」
虫一が話しかけるが、無視して二人は歩き続ける。俺は追うのをやめ、虫にもバレないように隠れる。何事もなくやり過ごせればそれでいい。
「はいー、何無視しているのかなー」
虫は無視されたのが気に食わないため、虫二、虫三を投入し二人を進めなくする。二人は立ち止まり、周りに警官がいるか確認する。残念ながら人は全くおらず、助けを呼ぶこともできない状況だ。
「俺たちねー、反リア充連合の会員だけどね」
「あんた達をお仕置きしに来たの」
残りの虫四、虫五が話を続ける。だが何の単語かわからない、反リア充連合。
「申し訳ないけど、僕たちについて来てくれるかな」
「何をするつもりですか?」
大は顎を引き、知留には虫どもが近づかないように腰の高さに右手を上げる。
車道を挟んで分かれ道はあるが、無駄に筋肉隆々な五人組だと二人とも逃げる
ことが出来るとは思えない。
「なあに、十分もあれば終わる」
「大人しくしてくれればだけど」
「断ります、強姦さん」
適当にしか聞いていなかったから忘れていたが、強姦の情報が最近流れている。通常と違い、カップルが狙われ、両者とも被害を受けているのだ。
まさかそんな悪質な事件の犯人がこんなバカどもとは思わなかった。
二人が待ち合わせ場所を現地にしたのはこの事態を避けるためだろう。
「ありゃ、何のことかな?」
「チル、全力で走って」
大はニヤニヤ笑う虫に体当たりをくらわす。虫はドミノ倒しに一人ずつ倒れていき三人は巻き込む。
「今だ! チル早く!」
知留は戸惑うも倒れていない虫が近づいて来るので後ずさりはする。
「うひひひひ、カッコつけるね」
気持ち悪い下衆笑いをするから余計に悪役に見える。さすがに危ないので俺は飛び出そうとする。
「チルに近づくな!」
大は再び蹴りだし虫を倒す。いつもの大人しく余裕がある様子ではなく、髪は乱れ、眼鏡もいつの間にか落としている。
「すぐに他人を呼ぶから」
知留は言葉を言い残すと逃げ出していく。とりあえずは、被害を小さくできるが問題はこれからだ。
「おい、何やってくれてるんだ」
「僕たちの楽しみがなくなったすね」
「あんたたちはね」
ドミノ倒しになった虫どもは大を囲うように動いて行く。
「いい顔じゃない、んふ」
筋肉隆々カマーは大を品定めするように眺めまわす。二度のタックルで普段は使うことのない筋肉を行使した大は動けなくなった。
大の顔は微笑んでいた。知留を逃がしたからもういいと思っている。
虫どもは大の腕をつかみ自分たちが操りやすいようにする。
「さあて、どんなお味かしら」
カマ虫は大のベルトに手を伸ばす。
――テメーは誰のに 手を出してる?
俺は大股に足を踏み出しカマ虫の頭をつかむ。カマ虫は余裕の表情をで振り向き俺を見ようとする。
「誰かしら?」
「死神だ」
「カナメ?」
ただ俺はカマ虫を持つ腕を下した。手は地面すれすれに止めた。もちろんカマ虫は手の中だ。
「ごめん、聞こえなかったな」
「死神って? あの」
虫の一人が昔の俺を知っているようだ。それでも、他の虫は俺に殴り掛かる。大の腕をつかんでいた奴も無暗に来る。
「おい、やめろ!」
「ごちそうさん」
俺は腕を一振りし、三人の顎を貫く。虫どもは自分の現状を把握することなく崩れ落ちる。俺は大の顔を覗く。何もされていないので安心する。
「よう、なにしてんだ?」
「何って、ヒーローごっこだよ」
大は軽口を言えるほど落ち着いていた。
「すみませんでした」
生き残った虫が土下座して俺に媚を売り始める。
「彼がまさか、死神様のご友人でしたとは思わず大変失礼なことをしました」
「カナメ、死神って?」
「昔呼ばれてたんだよ、まあ、今では邪魔なだけだが」
俺は落ちている眼鏡を見つけ拾い上げる。右目側のガラスは割れていた。
「悪いな、すぐに助けられなくて」
「いや、助かったよ。知留にかっこつけたけど。どうしようもなかったし」
大は俺に笑って見せた、大にもつらい事態のはずだ。俺は「よかった」と微笑むことしかできなかった。大の顔を見て俺の苦しめるものが何か分かった。
レインデリーツ
鳥のさえずりが全く聞こえない。月曜の朝は鳥のさえずりを聞きながらコーヒーを学校のカフェテリアで飲む。この趣味は大にしか言っておらず。他の奴に話せば似合わないと言わらわれるだろう。だが今日はあいにくの雨だ。
ケータイの画面を見て日にちを確認する。強姦犯を潰してから一か月経つ。
知留が警官を連れて来たのち。強姦犯五人逮捕、そして反リア充連合も一斉占拠された。出来れば表沙汰になってほしくない組織だ。
警察に後日呼び出され、賞状と文房具をもらった。大や知留も一緒にいたが、二人は困った顔をしていた。
二人はあの事件を通してより親しくなっている。そして、俺の中の気持ちもあの事件を通して明確なものになった。
一限目はないのでゆっくり本を読む。内容はほとんど覚えているがこれは捨てられない。あの人が進めてくれたものだ。
この一か月はあの人の思い出の品を掘り起こしている。昨日はあの人からの最初で最後手紙を読んだ。「ごめん」と謝りながら。
「おはよう、カナメ」
「おう、はよ」
大はコーヒーをトレー使って運び、俺の隣に座る。大は俺と二人で話したいとき、この時間を利用する。今日は表情からいい話のようだ。
そして、大の肌はいつもよりなめらかであった。
「カナメ、僕さ」
「ああ、なんだ」
雨は俺からいろんな音を奪う。あの人の声を聴けなくなった日も雨だった。だが、今は音を奪ってほしい。
「チルと付き合うことになったよ」
俺の願いは通じることはない。わかっていても受け入れられない時がある。
「そうか、よかったな」
俺は精一杯微笑み、祝福する。
嘘はない。それでも言わない、言えないことがある。
「カナメ、どうしたの? 目?」
俺は笑っている、そして泣いている。
「カナメ? どうしたの、どこ行くの?」
俺は無言で立ち上がり走り出す。
――ああ、わかってたよ。
大は知留と一夜を共にしたのだろう。昨日会っていることは知っている。
――それでも、消えない。
カフェテリアを出て、雨のカーテンをくぐり抜ける。
「カナメー」
大が後ろから追いかけてくる。やめてほしい、今は。
雨で視界はほとんど見えない。だから、行き止まりの茂みに気づけなかった。
「つっ、本当に嫌われてるな」
「どうしたんだよ、突然走り出して」
俺は雨で濡れた道に寝転がり大を見上げる。
神様に嫌われている。でなければ、大切の人があまりにも遠い。
「いまはやめてくれよ」
「だから、どうしたんだよ」
「やめてくれよっ!」
俺は声を張り上げる。それでも雨はその音を吸い取る。
「今は、本当に今はやめてくれよ。じゃねえ抑えきれねーじゃねーか」
「カナメ」
「俺は、お前のことが好きなんだよ」
何度も思った。俺がこの細身を壊してしまうほど、抱きしめることが出来ればと。この白い肌を触れることが出来ればと。
「僕も、カナメのこと好きだよ」
「お前の言う好きじゃねーよ」
「僕はチルのことが好きだ。だから君の思いに応えることは出来ない」
「何も言うんじゃねーよ」
大は俺の体を起こし支えてくれた。
「ああ、あ、ああああ」
雨は俺の涙も、うめき声も消してくれた。
レター
雨の音を聞きながらコーヒーを含む。感情的になり、大を困らせた日から一週間経つ。今日は手紙を読み返していた。先週も読んだが、俺はこの言葉を欲した。
「チシュウ君、おはよう」
知留が雨でも散ることなくヒマワリの様な笑顔を咲かす。
「どうしたんだ?」
「マサルが早く来よって」
食器が揺れて発する音がするので振り返る。カップを二つ乗せたトレーを持つ大が微笑みながらそこにいた。
「おはよう、親友」
俺は名前の知らないあの人の話をすることにした。
前よりもっと親友として大の側にいるために。
ベンチの金髪君へ
私の生きられる時間はもうありません。そして私はもう君の前に現れることは出来ません。なので、最後のお話はこの手紙でさせて下さい。
君はとても優しい人だよね。金髪で目つきが悪いから勘違いされそうだけど。きっと本当の君をわかってくれる人がいるから。その人と仲良くしてください。
ありがとうね。
これから存在が消える私にこんな気持ちを教えてくれて。
大好きだよ。私の分まで幸せになってください。
花弁の女の子より
きれいとは言えない字で出来た手紙を二人に見せて、話し始める。
END