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1. 冥土ちゃん人形

 目を覚ますと、私は船に乗せられて何処かへ運ばれている途中だった。船と言っても小さな手漕ぎボートである。

「おや、目を覚まされましたか。」

船を漕いでいる人影は、前を見たまま男とも女ともつかない不思議な声で私に話しかけてきた。

「こう霧が深いと退屈でしょう。少し話でもどうです?」

確かに、向こう岸の様子が掴めない程に霧が立ち込めている。

「……ここはどこ?」

「……此岸と彼岸の、ちょうど半分の所ですね。」

流れの遅い川を船はゆっくりと進んでいく。

「ひがん………彼岸!?」

「ええ……彼岸です。」

人影は私の驚いた声に船を漕ぎながら感情の全く籠っていない声で返す。

「私、死んだってこと?」

「……初めから、ゆっくりと全てを思い出すと良いでしょう。思い出す頃には船も岸に着くと思います。」

言われた通りに水面を見ながら自分の身に何が起こったのかを思い出そうと努力し始めた。


 ───ああ、そうだ。


 あの日は、雨が降っていた。


 6月19日、梅雨特有の不快な雨の日。私は昼前に目を覚ました。休日の雨は、私を酷く憂鬱な気分にさせるものだった。


 遅い朝食を済ませテレビをつけた頃、家の電話が鳴った。ナンバーディスプレイには、『アキ』と親友の名前が映っている。『アキ』は泣きながら愛猫が行方不明になった事を告げ、私の家の回りに来ていないか尋ねた。私はそれらしい猫は見ていない事を告げ、私の住む町内は任せろと言った。


 私はレインコートを羽織り、家を飛び出した。流石にこの雨の中を歩く物好きな猫は居ないのか、いつも猫が闊歩している筈の道が今日は静かだった。


 町中を走り回ってやっと猫を見つけた。友人が命よりも大切と言っていた黒猫。しかし猫は駆け寄る私を見るとさっと逃げ出した。あろうことか、車道に向かって。


 猫に迫る乗用車。


 私は悲鳴を上げながら猫に向かって飛んだ。


 ───その先は、ぷつりと途切れている。


 「あ、ああ……」

情けない声が漏れる。私は本当に死んでいたようだ。

「思い出しましたか。……この船も、岸に着いたようですね。」

声をかけられるが、とても返事なんて出来ない。

「混乱されていますか。まあ、無理もないでしょうが。」

「……。」

私は無言のままゆっくりと船を降り、石だらけの川原に立って後ろを振り返った。人影は黒いフードを目深に被っており、顔は見えない。

「さあ、お行きなさい。あなたはこれから我が主……黄泉の管理人と言うべきでしょうか。彼女にどうすれば良いのかを聞かなければなりません。」

「あなたは来てくれないの?」

「あなたをここまで連れてくる事が私の役目。ここから先はあなた自身の足で、真っ直ぐに進みなさい。それでは。」

人影は深々と一礼すると船を川に戻し、そのまま霧の中に消えていった。


 前を見据えてゆっくりと歩を進める。霧が晴れる見込みは未だにない。燃えるような赤色の花の中を真っ直ぐに歩く。

「花、踏んじゃっても良いのかな……。」

目の前の現実から少しでも目を背けようと足元の花を心配しながら進む。

「はぁ……いつまで歩けばいいんだろう。」

溜め息を吐きながら2、3歩歩くと急に目の前の霧が晴れた。

「!?」

霧の先にはまるでテレビで見た法廷の様な場所があった。

「ふむ……中々早いな。」

裁判官が座る席に腰を掛け、光の無い真っ黒な目で私を見つめる人影。それ以外には椅子はあれど空席で、部屋には私とその人影以外には誰も居ない。

「お前は神矢(カミヤ)鈴美(レミ)、だな。」

静かに告げる声。恐らくあの人影が黄泉の管理人なのだろう。

「……はい。」

威圧感に思わず圧倒されながらも、私はゆっくりと頷いた。

「あなたが黄泉の管理人、ですか?」

「いかにも。余が黄泉……もとい死者の世界の管理人だ。それがどうかしたか。」

管理人の目がキッと細くなる。

「ひっ!」

思わず声を上げると、管理人は持っていた本で自らの顔を隠した。

「余の顔はそんなに怖いか……?」

「え?」

「流石に、怯えられると堪える……。」

ハッとした。

「ご、ごめんなさ……」

「……怯えられるのは日常茶飯事だ。まあ良い、始めるぞ。」

一体今から何が始まるというのだろうか。


 管理人は1枚の紙を取りだし、器用に私に向かって投げた。紙はあらぬ方向へ……なんて事はなく、私に向かって真っ直ぐに飛んできた。

「神矢鈴美、享年17歳。死因は交通事故……これで合っているな?」

渡された紙にも同じ様な事が書いてある。それに加えて、私の生前の行いがびっしりと書かれていた。

「は、はい。」

管理人は満足げに頷くと、言葉を続けた。

「生前犯した罪はなし、と。異論は?」

「ありません。」

当然だ。私は善良なる松ヶ丘市民である。犯罪とは無縁だ。

「さて、お前にはこれから贖罪をしてもらわなければならん。」

「え、ちょ、今罪はなしって……」

「生前には、な。」

訳がわからない。別に電車に飛び込んだわけでも無いのに。……もしかして飛び込んだせいでアキの猫が怪我でもしたのだろうか。それとも、赤信号に飛び込んだことが不味かったのだろうか?

「一体、何が悪かったんですか?」

「お前らの法では裁けぬ……いや、裁かぬ罪だ。確かに同族を無闇に殺したりすればこちらでも罪に問われる。が、今余がお前に問うているのはお前らの物差しで測れぬ罪よ。」

法で裁かない、罪?

「……お前の死が、どれだけ周りを不幸にするのか。それがお前の罪だ。お前には不幸にする者達を供養してもらわねばならん。」

「私が死んで、周りを不幸に……?」

ぱっと親友(アキ)の顔が浮かんだ。確かに、逆の立場だったら私はしばらく塞ぎ込んだだろう。

「贖罪って、どうすればいいんですか?……賽の河原で石を積まされたりとか?」

「……よく知っているな。だが外れだ。」

管理人は静かに続ける。

「ここ最近、子供の死亡数が爆発的に増えていてな。賽の河原が飽和状態なのだ。」

石だらけの河原が子供で埋め尽くされ、その子供達がこぞって石を積んでいる図を想像して頭が痛くなった。

「それは……大変ですね。」

「そこで考案したのがこれだ。」

管理人は私に向かって何かを投げた。優しく投げてくれたので何とか受けとることができたそれは、メイド服を着た人形だ。人形をよく見てみると髪型から肌の色まで全てが私にそっくりだった。

「なんですか、これ。」

冥土(めいど)ちゃん人形だ。」

「メイド、ちゃん?」

「冥土ちゃんだ。」

「は、はあ……。」

曖昧に頷く私を見て満足げな顔をすると、管理人は小さな冊子を私に投げてきた。

「わっ……と。」

表紙を見ると、『冥土ちゃん人形取り扱い説明書』と書いてある。

「お前の魂はこの後冥土ちゃん人形に組み込まれ、どこか別の世界に送られる。お前は送られた先で主人の為に働くのだ。」

「はあ…。」

別の世界、ねえ。

「安心しろ。睡眠も食事も必要ない。」

「まあ、人形ですからね。」

「冥土ちゃん人形について詳しいことはその説明書に書いてある。よく読むと良い。」


 説明書に書いてあったことを要約すると、どうやら次のようになりそうだ。

・冥土ちゃん人形は発条式である。時々巻いてもらうこと。

・冥土ちゃん人形は水にも火にも強い。安心して火の中水の中草の中森の中の主人を助けられる。

・ボディに不具合が生じた場合は購入してもらった店に行き、パーツの交換をすること。

・冥土ちゃん人形に付属しているブレスレットは、冥界との交信に使われる為、外してはならない。

・一番初めに発条を巻いた相手があなたの主人であり、原則従わなければならない。

・あくまでもあなたは主人の幸福のために行動し、主人を裏切る行為があってはならない。

・主人の行動または命令が著しくその世界の倫理に反し、倫理を犯す事によって後に主人に不利益が想定される場合のみ命令を無視することができる。

・主人があなたに対して対等な立場を望む場合、この限りではない。

「……何だか難しいですね。」

「生活していくうちに覚えるだろう。」

とりあえず、相当自分の常識から逸脱した場所に送られない限りは今まで通りに生活すれば良いのだろう。ただ生活していく上での目的が自分の幸福と安全から他者(ごしゅじんさま)の幸福と安全に切り替わるだけで。

「一通り読み終わったか?」

「はい。」

「良い返事だ。」

そう言うや否や管理人は椅子から立ち上がり、私のそばに歩み寄った。何をするのかと思えば、私の抱いていた冥土ちゃん人形を手に取り、あろうことか足を掴んで大上段に振りかぶったのである。

「え?」

「逝ってこい、神矢鈴美!」

管理人は容赦なく冥土ちゃん人形を私の頭頂部目掛けて降り下ろした。鈍い音がすると共に、私は悲鳴を上げる間もなく意識を失った。


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