鹿砦の罠 分岐点
「……ナニ、コレ?」
菜種は茫然とした顔つきで立ちつくし、ぽつりと呟くように言い、それきり黙りこくった。他の者達も一様に黙り込んで、困惑の色を呈している。
バルコニーには先客が居た。一番最初に単独行動に走った男性だ。しかし、そういった事が瑣末に感じられるほど、眼前の風景は異様でしかない。
そこは、端的に言えばバルコニーなどではなかった。ベランダでもない。目の前に在るもの、それは――――青塗りの壁だ。
ところどころ白く塗られたそれは、一言で言うのなら、子供の描いた青空の世界。普段なら微笑ましいそれは、ひどく異色を放っていた。
真っ赤な太陽が描かれ、クレヨンで色塗りをした子供が枠内から食み出したように、無機質なコンクリートの天井にまで野放図な青い線が伸びている。
反対に隅々まで塗り切れず、塗り残しのある部分は硬質な印象を齎すコンクリートの灰色が剥き出しになっていた。
そして、十数人ほどの子供たちが居た。皆、一様に笑顔で思い思いに落書きをしている。青い空、白い雲、真っ赤な太陽、そうした光景を上書きするように鳥や車、飛行機に兎、家族らしき人々の絵が徐々に青を潰していく。青と混じり合い、不協和音ならぬ不協和色が生み出されていく。
多くの色を欲張って使った余り、一部分は底の見えぬ汚泥のようにどろどろとした黒みがかった茶色に変色し、海栗や海月のような塊になっていた。だが、その塊からまだ侵食されていない赤や青や緑や黄色などが伸びた線がやけにカラフルに踊っている。
不思議と、子供たちは誰一人としてクレヨンでお絵かきする事を止めない。子供たちに人気ある警察と泥棒の鬼ごっこやドッチボールをする様子はなかった。
赤いクレヨンに塗れた龍を描く少女や車と車の前にいる赤いクレヨン塗れの猫を描く少年などが居たり、大きなドラゴンが炎を吐いてドラゴンと比べれば豆粒大の人々がやられていく絵を描く男の子達もいる。
あるいは――それが何なのか知らないのだろうか――知らぬ人が見れば豪奢なだけの車に映る霊柩車や子供たちに人気の消防車、パトカーなどを描く少年も居る。
自分の人形の名前だろうか、中には「コスモス」と書かれた縦長の長方形の石のお墓を描き出す女の子も居て、彼女は笑顔ながらも涙ぐんでいた。
男の子は壁にクレヨンの先端を押し付け、壁沿いに走りながら色を塗っている。どこまで描けるかと走っている様は見ていて微笑ましかった。――此処が家の中の壁であったなら。
途中、夢中になって壁に赤塗れの人型の何かと可愛らしいクマやウサギを描いていた女の子と衝突し、女の子はぽろっとクレヨンを落としてしまう。
男の子とぶつかった女の子は、男の子に怒られ、赤塗れの人型の何かを指差され、それから泣いてしまった。
なにか酷い事を言われたのだろう――ぼんやりと逃避するかのように思考を続けていた鳩羽は、しかし、そこで悟る。
それと同時にふっと子供たちは消えてしまい、お絵かきの世界だけが残された。
「……なんだよ、あれは……」
菜種の引き攣った声がすぐ傍で聞こえる。ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。視界の隅では誰かの身体が小刻みに震えている。
「……まさか、ゆう……」
声に出してしまったら今目の前に映ったものが真実になってしまうように思えて、誰かが言葉を切り、まるで誰かから逃げ隠れるように呼吸すらも潜めた。
不意に――茶雀が、震えた人差し指で太陽を指差した。おおきなおおきな楕円形の白い雲の真ん中にこれまたおおきな赤い太陽。雲で遮られている筈の赤は一切色褪せる事無く、雲を物ともせずお天道様らしく“私たち”を見守っている。
「あ、あれって……白い雲に重なって、だからですけど、そのはずだけど……まるで、まるで……」
「赤いひとみが、こちらをじっと見つめているような……」
導かれるように彼はそう、口にした。そしてその消え入るような声で紡がれた言葉は、だが、言霊のように胸中に木霊し、彼らの心臓を一瞬で縛り付けた。
白い雲、赤い太陽。まんまるい赤い太陽は、じっと、じっと、こちらを見守るように、ただ照っている。
「………………………」
誰が、と言う訳ではなかった。ただ、なんとなく、皆、口を閉ざしていた。それから少しして、ふと、彼の眸が動いた。こちらを見てくる。
「あれはホログラムだ。莫迦な話してんじゃねぇよ」
そう言って彼は煙草を取り出し、口に咥える。尻ポケットを探ってライターを取り出そうとしたところで、何も無かったのか、ちっと舌打ちをして海松の方を見た。
「声が……しなかった」
だから、あれはニセモノだ。鳩羽の続けたかった言葉尻を捉えた彼らは、納得したように頷いて「だよな」「なわけない」「非現実的すぎますよね」と口々に声を出し始めた。
まるで、自分達を安心させるかのような呟きの数々が、却って鳩羽自身を焦らせた。それは透き通っているかのように、分かりやすすぎたのだ。
ただ己が安心する為だけに紡いだ言葉だと、彼らの反応は克明にその真実を示していたから、鳩羽は胸の中をひどく掻き毟られた。
「……小さい子ってさ、なんでもかんでも、大人のマネすんだよ。少し成長したってそう。
未成年なのに誘われたからってタバコ吸ったり、酒飲んだりするだろ? 今じゃどうにもならないけど、オッサンも若い頃はそうだった」
「もっとちいさいのは、もっと分かってねぇよ」
「そうとも。だけど、分からないなりに分かろうとしてるのか、わかってないんだよ、だから、お葬式ごっこっつって自分の人形使ってやりだしたり、行ったら行けない所へ行ったり、やっちゃいけないのはやって、ほら死ねとか殺すとかよく言うだろ?」
「そういえば、ケイドロだってそうじゃん、警察と泥棒に分かれてさ……でも、実際遊んでる時は、役名の意味だとか、そんなん頭になくて、警察はケーサツだし、泥棒はドロボーだった、ただの記号だったんだよ」
「あーなつかしいな、俺んトコドロケイだ」
「まじで? ぼくはケイドロだったよ」
ははっとお互いに乾いた笑いを浮かべて、がちがちに固まった空気は油の切れかけたブリキ人形のようなぎこちなさを取り戻す。
「意味が解ってないから怖くなくて、意味が解ってるから怖い。ただ、それだけの違いなんだよ」
語調を強めて鳩羽が言うと、それぞれが肯いた。それだけの違いだからこそ恐ろしいのだとは、誰も言わなかった。
「フン」
ぎこちないながらも元通りに見せかけた雰囲気に戻っていくところで、1人の男が鼻を鳴らして水を差す。
男はその切れ長の目で見下すように一瞥し、流し目とも映る色香をふりまいて出て行く。男が出て行くと、テグスと茶雀がほっとしたように表情を崩した。
それを見て、未だ顔の筋肉が強張っていた菜種がぷっと笑い、釣られたように山鳩もぎこちなく笑う。
海松も安堵した様な顔をし、アレックスも元の明朗快活な愛想の良い笑顔を取り戻した。
「それでどうする。此処から降りるにはロープが必要だ」
「降りる、って……まじか」
「当然だ。脱出の手掛かりがなかったとしても、行かない訳にはいかないだろう」
「どこにも窓がなかったから、カーテンは使えそうにない。そこであたしの大名案、防災対策の物も入ってた貯蔵庫ならイケるんじゃないの?」
物置にあったのは電気ストーブや扇風機、炬燵など、季節毎に使う家庭用の電気器具が多かった。加湿器や温風機なども仕舞われており、快適面だと生活にあまり不自由する事はなさそうだ。
「じゃあ俺がやってやるよ。この中で一番向いてそうだし、ハトはテグスの面倒見てろよ」
「り、りっくん……!」
「ハハ、睨むなって。じゃあとってくる!」
そう言って誰の了解も得ず、先走った山鳩は去って行く。テグスは心配そうに後姿を見送った。
「個人的に気になる事があるんだけれど……」
「その前に先ず、部屋割りを決めよう」
「部屋割り……? まさか、こんなところで一晩を明かすって言うんですか? まだ、ぼくらには何があったかもわからないのに……」
「彼が戻ってくるまで、無為に時間を過ごすのはどうなんだ? それにこう言っては何だが、僕らを誘拐した犯人が僕らの拘束を解いているという事はつまり、相応の自信があるという事だ。
ましてやこのような居住空間の中で目を覚ましたという事は、否が応でも誘拐犯の意図は見える。思惑は不透明だがな……」
両腕を組み、顔を背けて語る彼の横顔は鋭く冷ややかだ。慧眼な眸は落ち着いており、先程とは打って変わって頼もしい印象を見受ける。
「どうせなら、ここを出た後の話をしたいね。案外、犯人サンも遊園地みたくぼくらに愉しんで行ってもらいたいんじゃないかなー?」
「こ、こんなところ、一刻も早く出たいです! 家に帰りたいです! どこに監視カメラがあるかもわからないじゃないですか! こんなの変質者の仕業に決まってます!」
「みんなで部屋を見て行ったときにだけど、なかったねぇ」
「軽い部屋のチェックだけじゃないですか! 隅々まで探したらあります!」
「決まった事でもないのに断定口調は避けて欲しいよ?」
「決まったようなものじゃないですかっ!!」
「決まった事と決まったような事は違う。早く此処を抜け出したいのは皆一緒だ。だからこそ、周りをよく見て。茶雀くんはひとりじゃないよ」
「う……うぅ……」
鳩羽の穏健な態度に宥められた茶雀は不意を突かれたかのように黙り込んだ。
「せっかくだし、深呼吸でもしてみよっか。みんなでやれば落ち着くと思うし、団結力もアップでいいんじゃない?」
「こんなのでなるかなあ?」
「些細な事からコツコツと、だよ。ほら、全員不透明な状態と自己紹介した後じゃ安心感も違うでしょー?」
『…………』
しらーっとした眼差しが鳩羽を射抜く。当然だ、彼女の自己紹介は自己紹介と呼べるようなものではなくいほどおざなりだった。
「私の名前は鳩羽菖蒲。けど、今まで通りハトって呼んでね。なんだかここ、現実感ないし……そんなところで現実感なんてものを手にしたら、パニックを起こしてしまいそうだから、なるべく日常を過ごす自分とは切り離しておきたい、かな」
「舞台を演じる役者みたいに? ハト、ソレは面白い考えだね!」
「環境が変えられないなら、人間が変わるしかない。原始的な考えですよ」
「古人の言を振り返るのも大切だと思うけど?」
「そうじゃない、君の意見に賛同しているんだ。古来、本当に余裕のない状況下では人々は皆団結し合って生きていた。
そこに裏切りはなかった。何故か? 裏切りがあれば、全員が滅ぶような事態だったからだ。
心の余裕によって産まれた幻――無限の可能性こそが、人々を争いに出向かわせるようになった」
「極論だと感じるけど、この手の状況だったらそれぐらい思い切りのいい話の方がいいのかもね」
「寝る場所、食べる場所、衛生面では充実しているからこそ、ボクらは理性で律する必要があるってコトかな。うん、分かるよ。裏切るのには体力が要るだろうしね」
「アハハ、アレックスへんなのー」
「はは、そうかい?」
「うん、体力がいる、だなんて。でも、健全な肉体にこそ健全な精神は宿るって言うじゃない?」
「何事も一長一短、結局はあたしらのパワー次第ってワケよ。いやあ、オジサンはタバコ吸ってるからそういうのは若者たちに任せる。ボーイズビーアンビシャス、努めよ若人ら!」
「はーい校長せんせー」
「いくらオジサンだからってそこまで叔父さんしてないっての! お爺ちゃんにはまだ早すぎるし! 若いからオッサン!」
「若いなら、一緒に頑張ろうよ。諦めてね」
アレックスにニコニコ笑顔で肩をぽんと叩かれ、海松は肩を竦める。かっこわるい、と菜種がこっそり海松を指差して鳩羽に口だけで言うと、鳩羽も笑いながら頷いた。
「ロープをお届け山鳩急便~!」
猛ダッシュで合流しに来た山鳩は、息を切らす様子もなくニッカリ笑顔で縄を見せ付け、早速欄干に縄を結び始めた。
「お、おい、ロープの結び方、なっちゃいねえぜ! ちゃんと結びな!」
焦った顔の海松が慌てて指導すると、山鳩は隣でぼけっと突っ立ってへーと感心した顔で見ていた。
「こうするんだ、いいか?」
「じゃあ降りるな、サンキュ!」
「命綱忘れるんじゃねーえっ!! 命知らずのバカモノはいらん!」
「ひもなしバンジーじゃねーんだから、このぐれぇの高さは……」
テグスが苦笑する横で山鳩は手摺に巻き付けたロープを握り締め、命綱の強度を確認するとスルスル降りて行く。
特に支障もなく滑らかに降りていった山鳩は、命綱を解いて周囲を探索する。
「おーい! 脱出口どころか抜け道ひとつねーぞー!」
「カギのかかったドアとかないのー!?」
「あったら叫んでるよ、とっくにな!」
山鳩の叫びに茶雀たちは落胆した表情を見せるが、諦めの悪い菜種は「次はぼくが降りる」と言い出した。
1人だけでは見間違いもあるかもしれない、と言う事で菜種に付き合った彼らだったが、帰って来た菜種の顔を見れば結果は一目瞭然だった。
だが、菜種はポケットにあった携帯電話を取り出し、バルコニーからだと見えない辺りの場所を撮って来てくれた。全員で眺めてみるもやはり脱出の糸口は見付けられそうにない。
「玄関のドアって外も内も開けられない仕様なんですね……立体映像を映し出す機械もないみたいですし」
「ああ、カギもついてなかったぜ。ありゃ、ドアに見せかけたカベだな」
「……なんで、あたしらは誘拐犯にこんなところまで誘拐されてきて……第一、誘拐されたってのに途中で目覚めるのもなかったってのはちぃっとばかし奇妙だろう」
「それを言ったら、何故僕達の身体に異常が無いのかもだ。どんな運搬手段だろうと、運ばれていたらもっと肉体の節々に違和感が出ている筈だ……誰も強い変調はないだろう?」
「なくはないけど、こんなトコロまで連れてこられたにしては軽症だ。日常生活レベルでありえる疲労だし、数時間も硬い床の上で眠ってましたってカンジじゃない」
「俺は布団派だからな、特になんもねーぜ?」
「ボクはもともと仮眠をとっていたところだから……だけど、周りの人間に気付かれずボクを誘拐した上にここまで連れてきたとは考えられないな」
アレックスはワインレッドの携帯電話を見せる。カルマが思い付いたように口を開いた。
「俺の携帯電話にはGPSがついてます。誘拐犯だったら、携帯電話は真っ先に処分すると思います」
携帯電話を持っていないのは田中、鳩羽、海松の3人だったが、事態の前後の記憶が曖昧な彼らは携帯電話を没収されたのか、持っていなかったのかの区別が付かなかった。
「なあ、電源が切れててもケータイの電波って追えんのか? ムリだったら、なにも潰す理由にはならねえんじゃないの?」
「それでもなーんか、厳しい気がする。だって、私たちはケータイを持っていたんだよ?
縄か何かで拘束していたらそれこそ田中くんが言ったように違和感が出るって」
互いに互いを見合うが、拘束されていたような跡は素人目にも見当たらない。不自然な違和感ばかりが不快に纏わりつく。
「ケータイを持ってないって、時間帯がすごく限られるよね」
そのときだ、切り口を変えてみようとしたのか、菜種がぽつりと呟く。鳩羽も考えようとしてみたが纏まらず、首を振った。
菜種は顎に折り曲げた人差し指の第二関節を添え、両腕を組んだ菜種は俯き気味に考え込む。その端正な横顔にぽうっとテグスが見惚れていた。
「考えるにしてもよ、こーんな気味のワリィとこで考えるのはよそーぜ」
不機嫌そうに右目を窄めた山鳩は米神に左手の人差し指を当てながら、提案する。鳩羽は外の箱庭世界に目を遣った。
四方八方を取り囲むコンクリートの壁は一面中に落書きが施され、到底、子供の手には届かない高さにまで伸び広がっている。
「そうだね……子供が描いたみたいなラクガキって、こういう状況だと異様な不気味さがある」
「子供の仕業に見せかけた演出? とんだホラーだ」
「で、でもぉ、だとしても気持ち悪いですよぉ……」
広大な屋敷を取り囲む壁。その全面に描かれた落書きの空は、誰が如何なる目的で描いたにせよ、奇怪な不気味さを感じさせる。
全員は逃げ帰るようにそそくさと廊下へ移動した。
3階は辺り一面、ショッピングセンターになっている。主に取り扱っているのは日用雑貨だが、ファッションアイテムも豊富に取り揃えられていた。
「エレベーターがあるなんてすごいけど、デパートじゃないんだし使わなくてもいいかな」
「? 1階から3階だって階段ダリィだろ?」
「でも、エレベーターは動く狭い個室だよ?」
「……テグス、辛いだろうけどエレベーターは使うんじゃねーぞ」
「最初からそのつもりだよ。それより、りょっくんが忘れないように」
「俺そんなドジじゃねーしー。っと、なんだこの鉄の檻?」
4階へ続く階段にはシャッターが下りていたので彼らは再び、2階の個室がある廊下に戻る。
個室がある廊下はL字型になっていて、角には消火器や花瓶、火災報知器などが一通り揃っていた。
「なんでシャッターが……?」
「防火扉みたいなヤツじゃねーの? 近くにあったスイッチって押しても何にも動かなかったけど、何だろうなアレ」
「これまでスイッチで開閉してたけど、センサー式に移行したんじゃないの? センサーみたいなのあったじゃない」
「どちらにせよ、使い物にならないな」
「しょうがないから、部屋割り決めようよ。誘拐犯が何を企んでるのか理解出来ないけど……今のところ、ここで過ごすしかなさそうだし」
「ど、どうしても出られないんでしょうか……おれ、こんなとこ、嫌ですよぉ……」
「デカイんだから泣き言言わないの。ハトを見習……ハト?」
「個室のドアの下の隙間に手紙が入ってたよ。それも人数分きっかりとね」
手紙は花の封蝋が捺されており、封を開けると中には個室の鍵と1輪の花、メンバーの顔写真が1枚ずつ入っている。
花は全て異なる種類で、顔写真と同封されていた事から1人1人に対応した物だと推測出来た。
花の名前が載っていないので判らないが、中には木の枝が入っている者も居り、また一目見ただけで何の植物か判るほど植物に詳しい者が居ない事から植物の特定は困難のようだ。
それでも判った範囲で述べると、ザクロは謎の男、牛蒡の花は茶雀、アネモネはアレックス、トリカブトの花はオシロサマだった。牛蒡とトリカブトは茶雀が口に出し、ザクロとアネモネは殆どの人間が知っていた。
個室のドアにはプレートが備え付けられ、プレートには1人1人異なる模様が刻み込まれている。模様で部屋を区別しているようだ。
屋敷内の施錠は家庭用の物しかなく、個室のドアはU字ロックにドアチェーンをつけた物になっている。
「俺、見るからにヤバそうなU字ロックはイヤなんだけど。ま、チェーンがあれば大丈夫そうだな」
「カルマくんの木って何の意味があるんだろうね? 花と同じ扱いなのかな?」
「トリカブトってあの、オシロー、だっけ…………」
菜種は何とも言えない疑惑の面差しでオシロサマを見つめている。彼はニコニコ笑って「誘拐犯も毒をふりまくよねぇ~」と暢気な声音で語るだけだ。
「ついでに言うとオシロサマだよ? オシロサマオシロサマオシロサマ……」
「わっ、わかったよ! わかったから……」
菜種は青白い顔で右肘を左手でしきりにふれている。彼と目を合わせないよう、顔を俯かせている。
「俺の予感やっぱ当たってるだろ……」
「アハハ、みんなから嫌われるのは悲しいなあ」
「どうだか……あんまり不信感を煽るような真似はしてほしくないんだけどねえ。
複数居るような誘拐犯の思惑がどうであれ、オッサンらは助けがくるまで共同生活をしなきゃならない。
各人の性格が共同生活に向いてなかろうが、不和を生み出さない為にも協力しておくれよ?」
無意識に煙草を取り出す海松に刺々しい視線が突き刺さる。だが、海松は気付かずにライターを取り出し、そこで初めて山鳩の睨みの意味に気が付いて元に戻した。
「こんな状況下で煙草は怖いですよ……」
「非常口はなかったけど、消火器は食堂や厨房、廊下って色々あったよね。廊下の天井にはスプリンクラーがあるし、その辺りは念頭に置いておこうよ」
「コンクリートに囲まれてるなら、気密性の問題とか色々出てきそうじゃないですかぁ……酸素欠乏での窒息死なんて嫌ですよぉ……」
「わ、わかったよ。タバコは吸わない。約束してやる」
「ほんとうですかぁ? 破ったら……わかりますよね?」
茶雀は既に泣きそうな顔で海松を睨み付けている。高身長と両目の隈からか、和風ホラーの薫がしてくる。
「お、おう、もちろんオッサンは約束守るから……」
「……それで、誰か私と部屋を交替してくれる人、いませんか?」
「何故だ? 誘拐犯の指示を守らなければ、身に危険が及ぶかもしれないぞ」
「文章で命令されてる訳でもないし、この家に居る時点で何時だって殺せるようなものだし、だったら少しくらいは反抗したいと思ったまでだよ。癪だしね」
(言われたとーりにうごくのが恐いくせにー。アヤメちゃんはかわいいなあ)
鳩羽の言葉を額面通りに受け取った彼らは一様に首を横に振る。死神の鎌が己の喉許に接している前提がある以上、下手に死神の機嫌を損ねてしまうのは問題だと言う不安や恐怖が多勢を占めている様子だ。
「なら、オレが替わってあげようかー?」
「いえ、俺が交替します。誘拐犯が俺達の共同生活を望んでるなら、衣服類も性別に応じてあるはずです。鶸柚さんか俺のほうが抵抗感が無いと思いますよ」
「ウフフ、そうだねぇ。じゃあ、ハトちゃんは彼と部屋を交替したらいいよ」
「ありがとう、カルマくん。オシロサマも」
「やっぱすっげーヘンな名前だな、サマってなんだよ……」
鳩羽が部屋の中に入ってみると、殺風景な空間が彼女を出迎えた。コンクリートむき出しの壁に床、嫌に浮いてしまった木製の家具たち。
クローゼットやキャビネット、L字型の壁に接した細長いテーブルにキャスター付の椅子、白いシーツに白い布団のシングルベッドにライトスタンドが載ったキャスター付のサイドテーブルにエアコンと最低限度の物は揃っている。
「なるほど、不服があれば余所から持って来いってワケか」
(窓がないから、すっごく息苦しくて狭いかんじするよ~。ボク、この部屋きらーい!!)
「同感。息が詰まりそうだ。それでも一先ず、部屋を調べないとね。監視カメラや盗聴機の類があるようだったら、物置からバールでも取り出して破壊しないと」
(えくすかりばーるだー! あれ、でも、あったっけ?)
「物置なんだからあるだろう、工具箱ぐらい。……デストラップなんか仕掛けてないよな?」
心中でガタガタと震えつつ、鳩羽は部屋の探索に挑んだ。最初に目に付いたのはL字テーブルの上に置いてあった手紙だ。
手紙自体は部屋の隙間に入っていたものと同じで、封蝋の模様は何かの木のように見えるが、幹部分を写しているだけに知識のない鳩羽では針葉樹か広葉樹かの見分けも付かない。
封を開けてみると、中には1枚のカードと1枚の便箋が入っている。鳩羽はカードを手に取った。
カードはタロットカードをモチーフにしており、影絵のようなタッチが印象的だ。不可解な事に裏表とも絵になっているので、番号が記載されている方で裏表を判別する他ない。
番号は【No.XII】と記されており、番号の側の絵は吊るされた男のように片足だけを折り曲げ、逆さまに吊られた赤い人影が禍々しく描かれている。
シルエットや背景から判断するにそれは道化の恰好をしているようだ。
顔にあたる部分には白い仮面が被せられており、仮面中央にはムラサキ科の植物の紫色の花弁が色鮮やかに刻印されている。
両手には両刃の鎌を持っており、鎌の先端は地面についていた。黄金に輝く三日月のように湾曲した形状の両刃の鎌には乳白色の雫が滴っている。それはさながらピエロの帽子を想わせた。
更に人影が宙に侍らせているのは13本の樹枝だ。上向きの樹枝の先端は鎌の刃先を模しているようにも見え、下向きの樹枝の先端は斧で切り落とされたような断面に見える。
だが、番号は12だ。鳩羽の中にある12と言う数字とのイメージとはかけ離れているだけに彼女の頭は混乱を起こした。
「……これは……なんだ?」
番号の無い側はマルセイユ版タロットカードの吊るされた男をモチーフにしている。しかし、本物と異なり、男の頭の下には長方形の木箱のような物が置いてあった。
戸惑いを覚えるも続いて彼女は便箋を読み出す。これと言った特徴もない白の便箋には、見慣れたフォントで印刷されたような赤い文章が並んでいた。
【あなたは処刑人だ。裁かれた殺人者に罰を下す処刑台であり不運な奴隷である。
黄金の秩序を保とうとする調和の立場だからこそ、あなたの裁きが皆を死へと掬いあげるだろう。
あなたが仕事を果たさないとき、それはあなたたちが殺人者を誤めてしまったときだ。あなたはシシャの仲間である】
「奴隷? 殺める? 死者? ……これは、いったい……まさか」
脳裏に過ぎった可能性を打ち払うように、彼女は首を左右に振る。そんな筈はない。気のせいだと己に言い聞かせた。
(悪趣味なゲームの始まりだね)
「……まだ決まってもいないのに、決め付けるな」
(おお~、こわいなぁ。……なんてね、ホントはボクもこわいよ。タチの悪いイタズラだったらいいのに。
だけど、わかってるんだろ? ぜんぶがイタズラだって可能性より、どこかのお金持ちが見世物としてやりだしたってほうが可能性は高いって)
「…………」
(キミがボクとおなじだったら、キミは怖がらなくてすんだのに、悲しいよ)
不穏な予感がじわじわと肺の中を満たしていく。目に見えぬ悪意で溺死させられるのは遠い未来の事ではなさそうだ。
鳩羽はこれからの共同生活を考え、部屋を調べてみる事にした。
先ずは盗聴器からだとカーディガンにつけていたヘアピンを取り出し、コンセントカバーに手をかけて下の穴に差し込む。
(まさか、趣味で身に着けてたマルチツールアイテムに日の目がくるとは思いもよらなかった。中二病万歳)
コンセントを外し、盗聴器の有無を確認してみるが是と言って不自然な物は見当たらない。鳩羽は慎重な手付きで元に戻す。
椅子の上に載って照明を調べ、家具を動かして隅々まで確認したところで彼女は疲れたようにベッドへ腰掛ける。
「……疲れた。けど、後はこのベッドとクローゼットか……」
(重くて動かせないから後回しにしたんだよね? どうする?)
「取り外せる物は取り外してみるよ。非常に面倒臭いけど、そうも言ってられない」
(……そういえば、都市伝説で聞いたよね。ベッドの下に斧を持った男が忍び込んでるって)
鳩羽のベッドは下にスペースがあるタイプだ。成人男性は難しいだろうが、女性や子供なら潜り込めそうな隙間だった。
鳩羽は凍り付き、わなわなと震え出す。泣きそうな顔で少年を睨み付けると、ゆっくりと動きだし、ベッドから距離をとる。
忍び足でドアまで近付き、ドアの鍵を外し、僅かにドアを開けた。その状態で今度はその位置からしゃがみ込んでギリギリまで顔を床に近付け、ベッドの下のスペースを確認しようとする。
「ひっ!」
ベッドの下には赤い液体塗れの人形が横たわっていた。鳩羽はぺたんと尻もちをつき、急いで後ずさって壁にぶつかって喘いだ。
(ぎゃあああああああああああああああああーっ!?!)
「ひゃあっ!? お、おどろかせっ……さ、さわりたくもないし、今すぐこの部屋から出て行きたいくらいだけど……状況が状況だし、手掛かりになるかもしれないし……が、がんばれ、自分……!」
震えきった表情と声で己を鼓舞し、鳩羽は恐る恐る手を伸ばし、陶器の端を掴んで照明の下に引きずり出す。
ドールはウエディングドレスとベールを被っており、ダリアのブーケを手にしている。
色鮮やかな赤は既に乾ききっており、白磁の陶器は罅割れていた。ブーケを持つ両手にも罅が入っていて、花嫁は今にもブーケを落としてしまいそうだった。
ゆっくりとブーケを持ち上げていくと、そこにはぽっかりと空いた空洞が映り込む。
目がふたつ、口がひとつ、と言う意味なのだろうが、暗闇は底知れず、胸中へ爪痕を残すように恐怖心を掻きたててくる。
顔も罅が入っていて、パサついた黒髪には枯れた彼岸花の花飾りが彩られていた。ベールの裏側には赤い文字でメッセージが書かれている。
【My God,Why have you forsaken me?】
(ねえ、これってどういう意味なの?)
「え、ええと……おお、神よ。何故あなたは私をナントカられたのですか……ゴメン、調べたくもない」
(ヒントになるかもってがんばってたのに! あともう少しなんだから、もっとがんばろーよ!)
「……今更、部屋の交換はなかった事にしてなんて言えないし……だからって、こんなところで寝たくない……」
(死んだらたすかるかもよ?)
「根本的な解決にはなってないだろ!」
(そうかなあ……楽しいとおもうんだけどなぁ)
「と、兎も角こんな物、処分だ、処分。物は物として棄てるべきなんだっ」
(もう怨念がこもってるかもしれないよー?)
「だからってここで大切にして思いが籠もってもホラーだろうが! 初対面でこんなありのままの自分を受け容れて的なアプローチされたって無理無理無理ッ!!」
(わかった! あくりょーが出合い頭に迫って来るのは、プロポーズだったんだね!)
「せめてナンパ! 百歩譲ってナンパ! って嫌だろ常識的に考えて! 貞子萌えのモテたがり童貞の所にでも行け! ああもう、触りたくない、だからと言ってあんなの見た後で人を部屋に招くのは怖いし……」
両手で頭を抱え、首をぶんぶんふって軽い貞子状態になった鳩羽は髪を手櫛で整えた後、思い付いたように部屋を飛び出した。
「……それで、俺にお鉢が回って来たってか?」
「ごめん。本当に頼む。助けてくれ」
「ったく、人形さわれねえってオメーホントホラーダメなんだな。情けねぇでやんの~」
「五月蠅いな! ホラーとグロは私の天敵だ!」
「じゃあ、食堂のゴミ箱にでも棄てるか」
「待って、そんなの恐すぎる!」
「ゴミ捨てるにもバルコニーから落とす必要があるんだぜ? 玄関のドアは開かねえし……つか、ドアの見てくれしたカベじゃねーかアレ」
「ご、ゴミ捨て場ないって……ヤバくない、衛生的な意味で」
「ヤベエな。なんつーか、地味にエグイ気がしてきた」
「真綿でじわじわと首を絞められていくような?」
「そうじゃねえな……ヘビに睨まれたカエル? でもねえし……」
「蛇に丸飲みされた蛙が胃袋の中でじわじわと消化液に溶かされていく時間を待っているような?」
「すっげーイヤな例えすんな……でもさ、んなカンジだ」
例を出した当本人の鳩羽は肯定されると沈んだ表情になる。山鳩は暫しの間、黙り込む鳩羽を眺めていたが、やがて両腕を後ろ頭に組んで顔を背けると口を開いた。
「しっかしさ、つまんねー部屋だよな。囚人を閉じ込めるような部屋みてぇ」
「四方八方コンクリでこのシンプルイズベストインテリアじゃあね」
鳩羽が苦笑しながら言うと山鳩は乾いた笑みを浮かべる。それから鳩羽の方を振り向き――
「――ところでよ、女物の下着ってマジで用意されてたか?」
直後、絶対零度の如き冷ややかな一瞥と共に人形を投げ付けられた彼は部屋を追い出された。
乾いていたとはいえ赤い液体塗れの人形を押し付けられた山鳩は扉越しに鳩羽へ罵声を浴びせたが、鳩羽は耳を塞ぎ続けるので、諦めたのかサッサと帰って行った。
「……思い出したくなかったのに……着替え嫌だ……こんな得体の知れない所の下着なんか身に着けたくないに決まってるだろう……」
ずーんとへこんだ鳩羽は暫くベッドから動けず、ノックの音がするまで落ち込み切っていた。
(げんきだしてよ~。なんならしんじゃう? こんなところからサラダバーだよ?)
「帰りたい……」
(あれ? だれか来たみたい。ほら、はやく。おまたせしたらわるいよ!)
コンコンと扉をノックする音が聞こえ、鳩羽はのろのろと立ち上がる。ゾンビのように扉の前までやってきた鳩羽は、ドアを開けた。
「やあ、ハト。ごきげんいかがかな?」
「よろししゅうないです……はあ、なんでこんな事になったんだろ」
鳩羽の部屋を訪問したのはアレックスだった。彼のニコニコとした愛嬌溢れる笑顔が今の鳩羽には眩しい。
「はは、気持ちはわかるけどね。落ち込んでも良いコトないし、どうせ逃避するなら前向きに逃避するコトをオススメするよ。悪い未来も良い未来も、決まっていない現在なら予想も妄想の内さ」
「前向きも後ろ向きも目の前の事実から目を逸らしているだけ……だったら、都合よく考えろって事? 面白い考え方をするね、アレックスって」
「ソレは……教えてもらったからだね。でも、気に入ってる。否定形のだけど・でもだって使い方次第で明るくなれるって解ったんだ」
「明るい否定……前向きな否定か。うん、いいかも。がんばって意識してみるよ。ありがとう、アレックス」
「ボクは何も言ってないよ。だけど、ハトのお役に立てたなら光栄だな」
涼やかに微笑むアレックスは気品に満ち溢れている。仕草のひとつひとつも優雅で、鳩羽には何処か遠い国の人のように感じられた。
「おっと、用事がまだだったね。これから食堂に来てもらえないかな? 海松とすこし話をしてね。
どのくらいの期間かわからないけど、共同生活をするって言うならルールが必要だろ? そのための話し合いを設けようと思ったんだ」
「11人もいるんだし、私も呼ぶの手伝おうか?」
「大丈夫。ハトは心配しないで」
にこやかに笑うアレックスの笑顔からは彼の暖かさが伝わってくる。鳩羽は肯き、食堂へ赴いた。
食堂に入ってみると、まだ集まったのは2人だけだ。アレックスの部屋は廊下の右端から2番目、その向かいが鳩羽の部屋(元カルマの部屋だ)だったから、彼女は早くに呼ばれたのだろう。
1番目の部屋は山鳩、その向かいの部屋は謎の男、3番目の部屋は茶雀、向かいの部屋は菜種、4番目の角部屋がカルマ、向かいが海松となっている事から判るように、今集まっているのは山鳩と彼と親しいテグス、鳩羽から少し遅れてやってきた茶雀くらいなものだった。
「けほっ、げほっ」
「大丈夫? 何か温かい物でも淹れようか」
「げほっ、へいきでごほっ、平気です……」
「そんなにカタくならないで。気軽にハトって呼んでくれると嬉しいな」
「ごほっ……うん、ハト、ちゃん……」
胸に手を当ててにっこりと笑った彼女に気が解れたのか、テグスも精一杯笑い返す。咳が止まらない彼に山鳩は背中をさすってやっていた。
「みんなが集まるまでもう少しかかりそうだから、風邪薬取ってくる。山鳩はお茶淹れといて」
「お、おれがやります。どうせ暇ですし……」
「ありがとう、茶雀君。じゃなくて、さんかな?」
「あんまり年上扱いされるの慣れなくて……よかったら、好きに呼んでください」
おどおどとした姿勢に鳩羽は微笑を返し、食堂を出て行く。その際、後から来た人たちとすれ違った。合流に支障はなさそうだ。
鳩羽が医務室に行って風邪薬を探し、取って来たころにはもう全員が集まっていた。
「風邪薬、持って来たよ」
「ありがとう」
「アレルギーだいじょうぶ? ぼくさ、アレルギーあるから市販の風邪薬使えないんだよね。漢方もダメだったし、アレルギーってほんっと不便!」
「うん、食べ物のアレルギーはほとんどないから……」
「無理をさせてしまったのかな。ごめんね、テグス」
「きっ、ききき、きにしないでくださいっ」
「俺、摘まめる物作りたいんだよ。だから早く用件切り出してくれるか」
「それよりもぼくは、あの人が気になるんだけど。どうやって口説いてきたの、アレックス?」
「あはは、話すようなものじゃないよ。それじゃあ、自己紹介をしてもらおうか。よろしく頼むよ」
「……トリボロス」
髪は剛毛で太くバッサリ短くしたツーブロックで、顔は剣眉に奥二重の吊り目、鼻筋は垂直で小鼻は横膨れの尖り気味、唇の形状は伏した半月のようで、厳めしくも勝気で気高い面立ちをしていた。
恰好は前立てや袖口周りに黒いサテンテープが入ったグレーのドゥエボットーニボタンダウンシャツは首元が開放的になっており、下は白のブーツカットジーンズに素足でブラウンスエードのダブルモンクシューズを履いている。
体型は胴長で身長は170を超えたくらいだろう、喉仏の目立つ首は太めで短く肩は張っている。手首にはロザリオの黒い数珠を巻き付け、ロザリオを手の平に握り締めていた。
警戒心の強い眼差しは一目でこちらを探っていると分かるもので、何人かは居心地が悪いらしくトリボロスの方を見ないようにしている。
「これからみんなで共同生活をするワケだけど、そのためにはルールが必要だろ? オッサンとアレックスで話し合ってみたんだけど、定期的な食事時間と夜時間ってのを設けようと思うんだ」
「オー! いいねー! 長続きしなさそうだけど、そのガンバリはオレっち好きだよ~」
「んー、よくわかんない」
「アイツのテンションが?」
「それもあるけど、具体的な説明求む」
オシロサマの浮つきぶりに多くの者が面喰いつつも、海松とアレックスに注目している。
「なるべくみんなで一緒に食事を摂ろうって話だよ。何も難しい話じゃないだろう?」
「僕も同じ事を考えていた。いざという時の為に全員の足並みを揃えておく必要がある」
「オレらは同じ境遇に立たされた仲間、謂わば大いなる志を持つ同志ってトコロだねぇ」
「そういえば……ねえ、みんなの部屋にはカードなかった? ぼくの部屋、ヘンなカードがあったんだけど。ブキミだったから、棄てたいんだよね。棄てちゃっても平気かなぁ」
「どんなカードだい?」
「オッサンも持ってるぜ。村人なんてチャチなカードだけど」
菜種が差し出したのは【No.I――アルテミス――】だ。背景には闇夜の森の奥深くで弦月が煌々と輝き、白銀の月を弓と見立てたのか、宙に舞った女性が黄金に光り輝く矢を射るようなポーズをとっている。
黄色い衣のドレスは血に塗れており、地面には多くの人の屍が横たわっている。唯一立っているのは熊で、肩に載っているのは3本足の白い鴉だ。
番号の載っていない側の絵は水場に沈むザリガニ、月を見上げる2匹の犬、滴を放つ人面の太陽が特徴的だろう。
【私も村人のカードだ】
【言えない】
【カードはなかった】
【私のカードは処刑人だ】
【私のカードは処刑人だ】【言えない】→ヘンペルのカラス Z
【私も村人のカードだ】【カードはなかった】→The little Harmonia villagers α'
の2ルートに分かれます。次回以降はサブタイ表示の【】を見て移動してください。
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