Opening2
いくら飛んでいった、と言った処で人間が飛ぶはずもないのだが。まして助走もなく、その場での飛行など。アイドル好きの綴にも出来ない。というかこの場で飛ぶことに意味がない。
しかしながら絵画を馬鹿にした綴には飛ぶ、いや、ふっとばされる必然性があった。
「まったく。これだから絵の良さが分からない人は……」
やれやれ、という様子で首を振る少女。彼女こそ、綴を飛ばし、貴矢と唯一趣味が合い、綴のカノジョでもある人間、霞(かすみ)であった。絵を虐げられ激怒することからもわかるよう、霞は絵をこよなく愛する美術部であり、部のエースでもある。貴矢や綴と同じ2年生にして、一部のコアな人しかわからないような、素晴らしい絵を描く。故に貴矢とも大変仲がよく、彼女の絵に対する感想を言い合ったりするのだが。
霞さんはとても穏やかな方である。
これが今まで貴矢が彼女に抱いてきた有体だった。
それが今日、
「痛っててて。何すんだよ霞!後ろから攻撃とか、セコイ過ぎんだろ!」
見事に払拭された。
座る者がいなくなった椅子を立て直し、霞が我が物顔で座る。
「あら、何か聞こえたかしら。それよりさ、貴矢君。この絵みてよ。昨日描いたんだけど…」
「俺は無視か……?」
「う、うん。ぜ、ゼヒ見せて、もらいたいなぁ」
彼をシカトすることに若干の罪悪感はあったものの、初めて見る霞の様子に動揺を隠し切れない貴矢であった。
綴はチッ、と舌打ちしつつ立ち上がり、貴矢の机に座る。
「おい、勝手に人の机にすわ…… っていいね! その絵!」
不満の声はどこえやら。貴矢は霞がもっているスケッチブックに目を奪われた。無論、綴も目を奪われ……ない。その絵は一般人の理解の範疇を超えていた。紙の中央に黒い丸、それを囲むように様々な色合いの曲がりくねった線。色とりどりのラインが重なりあい、一種のカオスに……。(霞、貴矢はそれをハーモニーという)
「うーん、この色使いとタッチ。霞さん、また腕あげたね!?」
「いや、そんなことないよ。私なんかまだまだで……」
「俺もそう思うけどな」
綴の呟きなど耳に留めず、二人は盛り上がる。やれこの線が絵の魅力だの、この絵の主題は宇宙だの。
彼には一切理解できず、ハブられていた。
「あの、ちょっと。お二人さーん……?」
「いやー今回も賞独り占めなんじゃない!?」
「や、やだ、貴矢君。まだ分かんないって」
と言いつつも霞はまんざらでもない様子だ。
「ったく、こいつらはいつもいつも……」
「その通りだ。周りを見てみろ。引いてるぞ。それに綴、汚いけつを机の上に乗せるな、バカが」
突然前から聞こえてきた冷たい声の主に、三人とも振り向く。
「あ、猛。おはよう」
「猛君、ごきげんよう」
「うっす、猛。朝から委員長会、お疲れっすー」
冷え切った声の持ち主は、先ほどの綴の小説の主人公、猛。このクラスの委員長で常にクールな少年だ。女子受けもいい。
猛は片手を軽く上げ、応える。
「おお。今日はツイてないぜ。朝から委員長会はあるわ、変な絵の鑑賞会してる奴らがおるわ、変なバカ(クズ)がおるわでよぉ」
『変な絵じゃない!!』
「いや、最後のが超気になるんですけどおお!? 誰のこと言ってんのかなぁあああ!?」
貴矢と霞が同時に反論し、綴は疑問を投げかける。
猛は不敵に笑い、
「変な絵はその絵」
と霞の持つノートの指差して告げ、
「変な奴はお前」
と綴を指して言い放った。
「おいいいい! 猛ええええ!」
「うるさいぞ。そして二度目の忠告だ。机から降りろ」
「……くっ……」
舌打ちしつつ綴が貴矢の机からどく。
「猛ううう、あとで覚えてろよ」
「上等だ。返り討ちにしてやる」
「ちょっ……やめなよ。二人とも……」
二人が喧嘩しそうな勢いなので一応止めるアピールをする貴矢。なんだかんだいって猛も綴も仲がいいので、ほうっておいても問題はないのだが。
「全く、嫌ね。男って」
まだ睨みあっている男二人を尻目に、そうだね、と貴矢は言おうとした。事実言った。が、どんな大きな声でも雷鳴の前ではかき消される。まして貴矢がだした声は大きな音でなく隣にいる霞に聞こえる程度のもの。轟音の敵う術を、持っていなかった。
「おはよぉおおおお!!!!!」
「!!!!!」
クラス内の生徒全員が咄嗟に耳を押さえる。音を聞いた後に押さえても抑えにはならないし、意味はないのだが。押さえざるを得なかった程に、爆音だった。
こ、この超絶ビックボイスは……!
「お、おい! 薔(しき)! 声を抑えろといつも言っているだろうが!!」
「あは、ごめーん」
猛が怒るのも無理はない。彼はこうして毎日怒鳴り続けているだから。いい加減キレてもいいくらいだ。ただ、薔は女の子である。男ならともかく女の子を相手にキレ、暴力を奮ったとなれば、さすがに委員長としてマズイ。故に猛は吠えるに留めているのだが。
「いやー、ごめんね、委員長。ま、声のでかさも一種の個性、的な!?」
ちなみに薔がいるのは教室の出入り口。貴矢たちがいるのはその扉と一番離れた席。なかなかの距離で会話が成り立っていた。
「薔さん、おはよう!」
「おー、霞ちゃん。おっはー」
「おい、薔。今日という今日はお前に……」
「あっ、真刃ちゃーん! おっはー!」
「バカ、聞け!」
叫ぶ猛の横で綴が戦慄している。
なんだと……猛でこうも自在に遊ぶ奴がいたなんて……恐ろしいぜ……
猛の叫び、クラス中の視線をすべて無視して薔は教室の真ん中。この騒ぎのなか本を読み続けていた女子に話かけに行く。
「真刃ちゃん。はぁーい」
本と真刃の顔の間に手をいれ、ひらひらさせる薔。
「おーーい」
「……何?」
ようやく顔を上げる真刃。めんどくさそうにするでもなく、嫌がるわけでもない。ただ前に人がいるから見た、そんな表情。つまり無表情である。
「やー、今日も長い髪が可愛いねー」
……ナンパかよ。つい心の中で突っ込みを入れる貴矢。薔の声はでかいので、会話ははっきり聞こえる。
「そーいえば昨日、映画みたんだけどさ。『未来の地球人』っやつ。しってる?」
「……いいえ」
「ええ! 有名なんだけどなぁ。ええと、どんな話かっていうと……」
その様子を見つつ、貴矢は薔に感謝していた。猛は薔のことを何度言ってもわからないバカ、として嫌っているが、貴矢は逆だ。
薔は真刃にいつも話かけてくれる。綴の小説と180°性格の違う真刃は、友達がいない。いつも独りでいた。なんとかしてやりたい、と思ってはいたが、超愛想のない女子と仲良くしてくれる気のいい子はいなかった。しかし薔。彼女は違う。真刃がどんな対応をとっても決して離れない。声の大きさに難ありだが、貴矢は薔にお礼をいいたい程だった。
「……かや、貴矢」
綴の声で我に還る。
「もーホームルーム始まっから、戻るわ」
「あ、うん」
「そうね。じゃね」
霞は去る時、さりげなく綴に手を振った。綴も笑顔で返す。
「はいはい、恋人さんたちは置いといて」
「な、なんだよ。猛!」
綴の頬は少し赤い。反対に猛の声は冷ややかであり、
「貴矢、綴。昼休み、話がある」
真剣みを含んでいた。
「え……?」
「今日の臨時の委員長会の話だ。意見を聞かせてほしい」
それだけ言って猛は後ろの方の自分の席に戻っていった。
「はぁ、なんだあいつ」
綴も猛の隣の席に戻っていく。
意見がほしい、ねえ…… なんのことやら
貴矢は完全に甘く見ていた。
猛の発言を、
この学校を、
そして此処の、王を。