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所長と助手

上司と部下

作者: mosuco

 都内某警察署、刑事課

 始業前の狭い室内から明るい声が響く。

「おはようございます!金井(かない)先輩!!」

 若い青年の声に気怠く入室してきた男、金井が顔を上げた。

「おはよう。目黒(めぐろ)

 金井が端の席に着くやいなや、青年、目黒は小走りに傍に寄り、声をかける。

「あ、先輩は見ましたか!?昨日のドラマ!」

「ドラマ?」

 金井が眉を寄せれば、目黒は力強く頷いた。

「はい!今流行ってるんですよ!あのコバキョーが主演の探偵ものなんですが、警察が解決できない難事件を解決していくんですよ!もう、コバキョー演じる女探偵が格好いいんですよ!」

 ペラペラと話す目黒に、金井は机に乗せた左腕で顔を支え、大きな溜息を吐き出した。

「お前ね…仮にも刑事なんだから、警察が解決できない事件を解決する探偵を格好いいなんて言うなよ」

 金井の言葉に目黒は目を丸くする。

「えぇ?でもドラマなんですからいいじゃないですか!実際にはそんな探偵いないでしょう?さすがに自分もわかっております!」

「…探偵ねぇ。そんなのがいたら俺たちの仕事、上がったりだよ」

 胸を張る目黒を横目に、ボソリと金井は呟いた。

「ちょっ、ちょっと!困ります!!受付で待っていて下さいと申し上げたはずです!!」

 開かれた扉から叫び声が流れて、室内の人間はそちらに顔を向けた。

 目黒もグッと首を伸ばして廊下を眺める。

「何かあったんですかね」

 異なる足音が二種類響き、そのうちの一つがカツ、と止まる。

 出入口に立った足音の主は、有名ブランドのワンピースを身に纏った少女だった。

「失礼いたします!以前、私の誘拐事件を担当された刑事殿はどちらにいらっしゃいますか?」

 高らかに少女は宣言し、キョロキョロと室内の人間の顔を眺める。

「あれってこの前のお嬢様じゃないですか?ほら、誘拐未遂で調査中の」

 首を引っ込めた目黒は金井の耳元でヒソヒソと囁く。

 金井は更に眉間にシワを刻み少女を眺める。

「一体こんなとこに何の用だよ…直接文句でも言いにきたのか?」

「よ、横井(よこい)様、お願い、ですからっ、受付にて、お待ち下…さい!」

 続けてパタパタと鳴る足音が止まり、息を切らしながら婦警が話す。

 婦警の後から現れた深いグレーのコートを羽織った壮年が、少女の背後に立った。

「騒がしいな。何があった」

 壮年が室内の人間に向けて呟くと、彼らは次に壮年へと目を向けた。

「あ、津川(つがわ)刑事」

 目黒が壮年に気付き、ポツリとこぼした。

 顔を向けていた少女も、体をグルリと反転させて、壮年に向き直ると、手の平で彼を指した。

「あなたですわね!そのお顔、見覚えがありますの」

 指された手の平を軽くいなし、壮年は中腰になり、少女に目線を合わせる。

「これは、横井のお嬢様。こんなむさ苦しい所に何か用ですか?」

「ええ、あなたにお聞きしたい事がございますの」

 壮年の問い掛けに頷き、少女は笑みを浮かべ、小首を傾げた。

「私を助けてくださったオジサマとオネエサマはどちらにいらっしゃるのでしょう?」

「オジサマ?」

「オネエサマ?」

 少女の口から出た男と女を指す名称を目黒と金井が顔を見合わせ復唱した。

 壮年は息を吐くと、膝を伸ばして苦笑を浮かべた。

「…わかりました。お教えしますから、一先ず署から出てもらえませんか。余り人目につくのはお嬢様も嫌でしょう」

 壮年の提案に少女は顔を輝かせてパンと両の手の平を叩く。

「そうですわね!わかりました。場所を変えましょうか」

 少女は壮年の後ろについて行き、室内はシンと静まった。

「…朝から大変ですねぇ津川刑事」

「…そうだな」

 静寂を破った目黒の言葉に金井は入口を眺めたまま返した。



 都内某探偵事務所。

 始業時間間際の事務所にて、男は口元をひくつかせて笑った。

「で、警察にわざわざウチの事務所聞き出して一体何の用でしょうか?お嬢様」

 男の向かいに座る少女は手の平を口にあて、肩を跳ねさせる。

「まぁそんな他人行儀になさらないで下さい!以前のように接していただけませんか、オジサマ。あぁ、自己紹介が遅れましたね、私の名前は横井 麻奈美(まなみ)。気軽に麻奈美とお呼び下さい」

 満面の笑みを浮かべた少女にオジサマは溜め息を吐いた。

 笑みを消し、眉を寄せて少女に向かう。

「…自己紹介する為に朝早く来たのか?お嬢様」

 笑顔を絶やさずに少女は首を緩く振った。

「いえ、探偵であるオジサマに訪ねた理由はもちろん依頼の為ですの」

 少女の言葉にオジサマは顎に手をやり、息をもらして笑った。

「依頼?アンタのようなお嬢様なら猫探しでも警察がやってくれるだろう」

「お頼みするのは私ではありません。隣の彼女です」

 少女はそう返し、隣に座る女性を促した。

 体を強張らせた女性はそのまま頭を下げてから、ゆっくりとオジサマと目を合わせ、口を開く。

「は、はじめまして。横井家で住み込みのメイドをさせていただいております、吉松(よしまつ) (はるか)と申します」

 依頼人の小声の話に、首を傾げたオジサマは指で顎を摩る。

「メイド?」

「今日はその、休暇を頂きまして…お嬢様が、私の悩みを解決して下さる方を紹介していただけると」

 黄緑のカーディガンを羽織り、白いブラウスと薄い茶のロングスカートといった清楚な格好の全身を一見してから、眉を垂れさせた依頼人はオジサマを見つめた。

「是非彼女を救って下さい!オジサマ!!」

 その隣で少女は前のめりに勢い込み、オジサマは少女の目の前に手の平を突き出す。

「待て待て、物事にはなんでも順番があるんだ。とりあえず…吉松 遥さん、こちらの書類に必要事項を記入していただけますか?話はその後ゆっくりお聞きします」

 ニコリと依頼人に笑いかけて、突き出した手を戻し、白い紙とペンを依頼人に向けてテーブルの上を滑らせた。


「へぇ、お祖父さんはあの吉松 亮歩(りょうぼ)ですか。有名な鼈甲職人の…たしか」

「ええ、先日亡くなりました」

 右手の中の白い紙を眺め、言葉を詰まらせた探偵さんに答えると、彼は目をつむり、頭を下げた。

「お悔やみ申し上げます。…依頼内容の祖父が遺した暗号解読、とは…遺言書だったのですか?」

「いえ…正式な遺言書という形ではなくて」

 問いかけに首を振り、数日前の夜を思い出す。

 心拍数を計る高音の鳴る病室で、吸入器を外した祖父が息を苦しそうに吐きながら懸命に語った最期の言葉を。

「息を引き取る直前に、宝は作業机の引き出しの中だ。見つけた者にそれを託す…と、言っていたのですが」

「中に宝物は入っていなかった」

「はい。代わりに手紙が入っていました。こちらはコピーしたものになります」

 鞄にしまっていた封筒を彼に差し出す。

 受け取った彼は中のコピー用紙を取り出して目を通す。

「吉松 遥 様。林檎の木、昔のようにまた遊びましょう。上であなたを待っています。大切なものと一緒に。…吉松 亮歩。」

 文面を読み終えた探偵さんは息を吐いて、もう一度目で全文をなぞる。

「…手紙ですね。それも貴方宛ての」

「はい、そうなんです」

 探偵さんの漏らした感想に何度も頷くと、チラリと彼が私を見てから、もう一度コピー用紙を眺めた。

「でも貴方を含め遺族はこれが宝物の在りかを示す暗号だと思っている、か」

「…ええ」

 当時を振り返るとつい気が重くなって、視線を彼から逸らし、目を伏せる。

「貴方は余り興味がないみたいですね。宝自体に」

 言い当てられ、ハッと顔を上げると探偵さんはコチラを見ていて、ニヤリと口元を緩めた。

 探偵には分かってしまうんだろうか、隠し事って。

 私は少し怖く感じて、彼から視線を外し、間にあるテーブルを見つめた。

「…正直、興味はありません。ですが、他の人に見つかる位なら、私が祖父の宝物を見つけてあげたい」

 私に宛てた手紙は確かに私の宝物になった。それで完結でもよかった。

 でも、本当に暗号だとしたら?

 本当に祖父の宝物が隠されていたら?

 あの人達の手に渡るなんてことが起きるのは絶対に嫌。

「他の人、ですか」

「オジサマ、遥さんも遥さんのお祖父様も、私が幼い頃から一緒に遊んでくださった優しい方なの。どうか助けてあげてください」

 隣でお嬢様が立ち上がって必死に訴えて下さると、探偵さんはまた右手を突き出して、今度は手首を上下に動かしてお嬢様を宥める。

「わかったから座れ…これだけじゃ手がかりが少なすぎる。吉松さん、この手紙が入っていたのは作業机と言っていましたね」

 探偵さんがコピー用紙を掲げて、私は頷く。

「はい」

「それがあるのは作業所のような所ですか?それともご自宅ですか?」

 続けて目を細めた探偵さんがツラツラと質問をしてきた。

 なんだかさっきまでの探偵さんとは違う人みたい。

「自宅になります…祖父が生前暮らしていて、今も母たちが住んでいます。場所はそちらにも記入させて頂いた緊急連絡先になります」

「なるほど…そちらにお邪魔しても宜しいですか?吉松さんも御一緒して下さると有り難いのですが」

 ニコリと笑みを浮かべ首を傾ける探偵さんに、実家にいる人たちの予定を思い返す。

「ええと…大丈夫、だと思います」

「まぁ、では私もよろしいでしょうか」

「なりません!お嬢様が来るような場所ではございません!」

 キョトンと私を見つめるお嬢様にハッと我を取り戻す。

「あ…申し訳ありません!お嬢様に向かって…私」

 頭を下げて目をつむる。

 私の膝に置かれた両手の上に暖かい何かが重ねられる。

 瞼を開くと私の両手にはお嬢様のそれが重ねられていた。

「いえ、いいんですの。私もいきなり言ってごめんなさい」

 ゆっくり顔を上げるとお嬢様は普段通りの暖かい笑顔を向けていた。

 あぁ、やっぱり麻奈美お嬢様にはあんな人達と会わせるわけにはいかない。

「お嬢様、申し訳ありません。そのお気持ちだけ頂きます」

 涙腺が緩み、ぼやける視界を隠す様にもう一度瞼を閉ざす。

「水を差すよう失礼ですが…できれば早い内に向かいたいのですが」

 申し訳なさそうに話し掛けてきた探偵さんに、溜まった涙を拭い、向き直る。

「わかりました。日程が分かり次第、すぐにお返事いたします」


 静まった室内で男は溜め息を吐くと、上体をソファーに沈めた。

「助手、もういいぞ」

「はい」

 力の抜けた声で呼びかけられた助手が、ヒョコリとパーテーションから現れた。

「所長、何故私はお嬢様に会ってはいけなかったのですか」

 そのままソファーの背に体重をかけると男、所長の顔を覗き込む。

「あのお嬢様の相手は俺一人でも大変なのに、お前まで絡むと収拾つかないだろ」

 横目で確認してから、所長はテーブルに置かれた書類を摘み上げるとそれに目を落とす。

「まさか自分以外の依頼人を連れて来るとは思わなかったが」

「依頼人の家へ行くのですか」

 助手もじっと書類を眺める。

「ああ、依頼日数はとりあえず一週間だが…向こうに滞在するのは二日あれば充分だろう」

「滞在、二日。泊まりですか」

 書類から所長に視線を変えて助手が尋ねると、所長は書類をテーブルに置いて立ち上がる。

「そうだな。準備しとけよ助手」

「準備」

 ポツリと一定を見つめたまま助手が呟いた。



 閉店間際、カランカランと客を知らせるベルが鳴った。

「すいません、本日は終了…あ」

 入口に視線をやれば、見知った少女が立っていて、思わず顔が綻ぶ。

雨子(あめこ)ちゃん。1人で来たの?」

「はい。準備をしにきました」

 雨子ちゃんはそれだけを告げてカウンター奥にいる私の前の席に座る。

「準備?」

 とりあえずお冷やを出してあげるが、彼女はそれには見向きもせずにコクリと頷いた。

「お茶、ありますか」

 次に告げられた言葉に一瞬、呆然とする。お茶?コーヒーやココアでもなくてお茶?

「ええと…麦茶ならあるけど」

「それはお茶ですか」

 麦茶飲んだことないのかな。

「うん、お茶よ」

 持っていたビニール袋から空の1.5リットルペットボトルを取り出すと、雨子ちゃんは私と視線を合わせた。

「それなら大丈夫です。入れてください」

 トン、と置かれたペットボトルを受け取ったものの…この子が言ってた準備にお茶って一体どういうことなんだろう。

「準備って…何の準備なの?」

「二日間依頼人の自宅に滞在します。その為です」

 つまり、仕事で依頼人のお家にお泊りする為の準備、かぁ。

 これ…必要なのかな。

 雨子ちゃんは私からメニューに視線を移して、じっと眺めていた。

「お弁当」

「え?お弁当?」

 次に口にした言葉をそのまま繰り返す。

「ありますか。メニューには載っていないのでありませんか」

 メニューを眺めたまま私に聞いてくる。

 お弁当にお茶なんて、遠足じゃあるまいし…うーん、雨子ちゃん何か勘違いしてるのかなぁ。

「ただいまー麻里亜(まりあ)

 カランカランと扉が鳴る音と同時に、聞き慣れた間延びした声が響く。

 扉に目をやれば、ニコニコと緩みきった顔をした父が入ってきた。

「お帰りなさい。お父さん」

「マスター」

 雨子ちゃんに気付いた父は一度目を開くと、すぐにまた緩んだ笑みを見せて、雨子ちゃんの隣に座った。

「雨子ちゃんいらっしゃい」

 雨子ちゃんが言うように父はマスターなんだけど、ほとんどカウンターの外にいて、お客さんと一緒に話したり、コーヒーを飲んだりしてる。

 ちょっとは真面目にしてくれたらいいのに…なんて思うのはもう諦めている。

考助(こうすけ)くんは?」

「所長は事務所にいます」

 父にコーヒーを出せば、ありがとうと私に笑いかけて、カップに口をつけて喉を鳴らすとカップを置いた。

「そっか。そういや明日だっけ、お出かけ」

 カップを掴んだまま話す父に雨子ちゃんは頷いた。

「はい。残りの準備はお弁当とおやつだけです」

 そんな会話を聞いて、嫌な予感がする。

 もしかしなくても雨子ちゃんの準備って父が吹き込んだものなんじゃ。

「お父さん!雨子ちゃんに変な事吹き込んでないでしょうね!?」

 思わず叫んでしまった私に、父はぱちくりと私を見つめた後、ヘラリと笑った。

「そんなことお父さんがするわけないじゃない。雨子ちゃんがお出かけする為の準備を教えてあげただけだよ」

 父から返ってきた言葉に頭を抱える。

 雨子ちゃんはお仕事で行くって言ってるのに…。

「それが充分変な事なのよ!」

 強い口調で言ってやっても父は眉を垂れさせただけで、相変わらず緩んだ表情をしている。

「酷いなぁ麻里亜は」

 酷いのはどっちなのよ…。

 相変わらずな父に、私は何も言う気が起きなくて溜め息を吐いた。



 県内某駅。

 穏やかな日差しだが風が強く、電車を降りた所長たちをビュウビュウと吹きつける。

 無人駅の改札を抜け、帽子を押さえたまま所長は静かな辺りを眺める。

 大きな道路と広い田畑の中、ポツポツと家が建っていた。

「ここが吉松さんの地元ですか」

「はい…何もない所ですが。あ、実家までもう少しかかります。迎えが来てるはずなんですが」

 タイヤが擦れる音が響き、駅前に最新型の軽の車が止まる。

 依頼人はそちらへと体を向けると、車から割烹着姿の女性が出てきた。

 女性は満面の笑みで依頼人の元へと近付いた。

「お久しぶりでございます!お嬢様」

市子(いちこ)さん!お久しぶりです、元気でしたか?」

 依頼人も女性、市子に駆け寄り、手を取り合い会話を交わし、顔を綻ばす。

 二人の姿を助手はじっと見る。

「お嬢様…彼女はここにはいませんが」

「確かに。間違ってはないが正解じゃない…依頼人もまごうことなきお嬢様だ。あのお嬢様とは別のな」

 ポツリと呟いた助手の一言に所長は頷くと、ニヤリと口角を上げた。

 所長の言葉に女性はピタリと動きを止めて、眉を垂らした表情で依頼人を見つめたまま、躊躇いながら口を開く。

「お、お嬢様…あの」

「いいのよ市子さん。…ご存知の通り、父は宝石商で会社のトップでした。小さな会社ですので同じ社長令嬢とはいえ、私なんて麻奈美お嬢様とは比べものにならないものです」

 市子に微笑んだ依頼人は、所長と助手に向き直り、自身の事を説明した。

「まぁあのお嬢様は国内トップの貿易会社トップの娘だからな…そうは見えないが。とはいえお嬢様がお嬢様のメイドをしてるとはね」

「さぁさぁ!探偵様もお乗り下さい!屋敷にて奥様がお待ちしておりますので!お嬢様もどうぞこちらに」

 溜め息と共に言葉を吐いた所長に向けて、市子は明るく振る舞い、三人を車へと誘導する。



 車に乗って30分。

 窓から見える景色は過ぎて、車が止まった。

「到着致しました」

 市子さんの一声に扉を開き、車を出る。

 目の前には実家と、中へと続く門が見える。

「これは…随分年期の入ったお屋敷ですね」

 門の前に立った探偵さんが実家を上から下まで眺めて息を吐くように漏らした。

「はい。祖父が購入した時点で20年経っていたのでかなり古いですが、まだ居住は可能なんですよ」

 解説をすれば、探偵さんは実家を見たまま頷いた。

「ではお嬢様、私は車を停めて参ります。お先に屋敷の中へ」

 振り返れば運転席の窓から市子さんが顔を覗かせていた。

「分かったわ。ありがとう市子さん」

 市子さんに返事をすれば、彼女は会釈し、車を走らせた。

「さぁ探偵さんと助手さんもどうぞ」

 門を開き、二人に振り返り中へと促す。

「では失礼します」

 探偵さんが頭を下げる。

 探偵さんと助手さんは各自の荷物を持ち、中へと入っていく。私もそれに続き、門を閉じる。

「遥」

「お母さん」

 玄関から着物を身に纏った母が私を呼び、こちらへと歩いてくる。

 探偵さんと助手さんをじっと観察してから、母は私に向き直る。

「お帰りなさい。その方々が探偵さんかしら」

「ええ、探偵の考助さんと助手の雨子さんよ」

 紹介をした探偵さんが、私と話す母に近付くと頭を下げた。

「どうも。ハードボイルド探偵事務所、所長の考助と申します。先日お嬢さんから依頼を受けて今回こちらにお邪魔させて頂きます」

 チラリと横目で探偵さんを見た後、母はスタスタと玄関へと歩いていく。

「そうですか…遠い所からありがとうございます」

 玄関の前で母がピタリと止まる。

「市子さん、探偵さんを客間にご案内して下さい。では私はこれで…失礼致します」

 最後に顔だけをこちらに向けて会釈し、家の中へと入っていった。

 キイと、門が鳴って振り返れば、気まずい顔をした市子さんと目が合い、彼女は申し訳なさそうに門をくぐった。

 それを確認し、私は探偵さんと助手さんに向き直り、頭を下げた。

「すいません、探偵さん。母は身内以外の方には誰にでもあんな態度でして…気を悪くされましたよね」

「いえ、お気になさらずに。いきなり探偵なんて胡散臭い男がやって来てるんですから、ああいった態度は仕方がないですよ」

 探偵さんは笑って顔の横で手を振った。

「探偵様もお嬢様も長旅でお疲れでしょう。私が客間にご案内致しますので、お嬢様も自室にお戻りになって体を休めて下さい」

 空気を読んでくれた市子さんに頷く。

「ありがとう。では探偵さん、また後でお話に伺います」

 深く頭を下げ、靴を脱いでヒンヤリとした廊下に足を運ぶ。

「お荷物をお持ち致しますね。さぁこちらです」

 背後で市子さんの張り切った声が聞こえた。


 某屋敷内、客間前。

 玄関から左へと進み、角を曲がり、真っすぐ長い廊下を歩き、端の部屋の襖を市子が開くと、所長と助手に振り返る。

「どうぞ。お一人様づつ部屋をご用意した方が宜しかったでしょうか?」

 部屋へと促された所長は首を振った。

「いえ、一室で充分ですよ。ありがとうございます」

 畳が敷かれた部屋には、押し入れと床の間、廊下と中庭に面した襖に囲まれていた。

 中央に鎮座している丸い卓の上にはお茶の用意が置かれており、周りには座布団が二枚、間隔を空けてきちんと並べられていた。

「お荷物はこちらに置かせて頂きますね。では失礼致します」

 押し入れの前に鞄を置いた市子は、頭を下げて襖を閉めて出て行った。

「ふぅ、随分訳ありみたいだな。すんなり暗号を解いて帰ることが出来たらいいが」

 ドカリと座布団に腰を下ろした所長は溜め息を吐き出して、天井を仰いだ。

「所長」

「ん、壊さない範囲ならこの部屋の物、触ってもいいぞ。俺以外の人の前では止めておけよ」

 助手がじっと所長を見つめると、所長はコートを脱ぎながら応えた。

「はい」

 頷いた助手は襖に駆け寄ると、ガラリと勢いよく開けた。

 そこに庭の景色と冷たい風が飛び込んできて、助手はその景色を眺め、立ち尽くす。

「林檎の木、昔の様に遊びましょう」

 コートから取り出しコピー用紙の一部を読んだ所長は、助手越しに庭にポツンと生えた林檎の木に視線をやる。

「林檎の木…ね。流石に林檎の木の下に埋めただけってんなら俺を雇わないよな」

 ポツリと所長が呟いた時、控え目なノックが部屋に響いて、所長は反対側へと視線をずらした。

「探偵さん、今いいですか」

 続いて聞こえた依頼人の声に、所長はコートを羽織り直してから咳ばらいをし、姿勢を正して口を開いた。

「…どうぞ」

 ゆっくり開かれた襖から依頼人が会釈しながら入ってくる。

「吉松さん、お休みにならなくていいんですか」

 所長の問い掛けに依頼人は頷くと口元を緩ませた。

「大丈夫です。屋敷内を案内しようと思うのですが、お時間よろしいですか?」

「いいんですか?では、お言葉に甘えて…行くぞ助手」

 立ち上がった所長は庭側に立つ助手に声をかけた。

「はい」

 助手は振り返り、所長の後ろについて部屋を出た。


 探偵さん達を連れて、離れの廊下を渡り、開き戸の鍵を外す。

 ギシっと音が鳴って盾突けの悪い戸を開き、探偵さん達に向き直る。

「ここが祖父の部屋兼、作業場です。祖父が亡くなってからは誰も使ってはいなくて、そのままの状態を維持しています」

 短い廊下の先の襖を開き、綺麗に片付けられた部屋へと入る。

 おじいちゃんが生きていた時と変わらない部屋。

 けれど、あの頃の暖かさも今はない冷たい部屋。

「へぇ。お祖父さん、亮歩さんは綺麗好きだったんですか」

 中に入った探偵さんはキョロキョロと部屋を見回す。

 部屋には畳まれた布団、作業机にタンスと小さなちゃぶ台が置かれていて、それらは全てキッチリと定位置に収まっている。

「そうですね。いつも決まった場所に物をしまう人でした。たった数ミリのズレにも厳しくて…よく怒っていましたね」

 小さい頃、何も知らずに置物を動かした私に、雷を落とした祖父の姿は今でも思い浮かぶ。

「職人でしたから、そういった細かい事には気が付くのかもしれないですね…では失礼して」

 探偵さんは白い手袋を着けると、作業机の引き出しを開けて中をじっと見ると、違う引き出しを開けてじっと見るを繰り返して最後に手紙が入っていた引き出しを開き、中を見たまま顎に手をやった。

「…手紙はすぐに見つかったんですか?」

 そのまま彼が尋ねてきた。私は頷く。

「ええ、指示されましたから。家族全員と市子さん、皆揃った上でこの引き出しを開けました」

 振り返った探偵さんは顎にあった手でからっぽの引き出しを指す。

「ここに手紙が」

「はい。手紙だけが入っていました」

 あの時を思い出す。確かにそこには白い封筒が入っていた。

「手紙は封筒に入っていたんですよね」

 もう一度、探偵さんは引き出しを見つめる。

 そこはからっぽのまま、何も変化は見られない。

 他の引き出しの様に物で溢れているのとは違って、スッキリしていて仲間外れのよう。

「…封筒は空いていましたか?」

「いえ、しっかりと封は閉じられていました。誰かが空けた様子もなくて」

 探偵さんの問い掛けに私は首を振った。

 彼は開いた引き出しを閉めていく。

「手紙は亮歩さんがいれたことで間違いないんですよね」

「多分そうだと思います…息を引き取る前日まではこの部屋で療養していました」

 あの日、お祖父ちゃんの体調は急激に悪化した。

 救急車で運ばれたものの、回復の兆しは見られなくて、覚悟を決めるしかないとお医者様に言われた。

 それでも悲しくて苦しくて、私は涙を耐えることができなかった。

「遥さん、帰ってきてたんだ」

 背後から聞こえた男性の声に、ビクリと体が反応する。

 おそるおそる振り返れば、廊下に微笑を浮かべた姿があった。

春之(はるゆき)義兄さん…」

 名前を口にすれば、口元を更に緩めて室内へ入ってきた。

「驚いたよ。時間を教えてくれたら僕が迎えに行ったのに…そちらの人達は?」

「どうも、ハードボイルド探偵事務所、所長の考助です。向こうにいるのは私の助手です。今回、妹さんから依頼を受けまして、お邪魔させていただいてます」

 後ろを向けば、探偵さんがニコリと笑い、片手を挙げた。

 手袋は外されていた。

「あぁ、そうでしたか。母さんから話は聞いていましたが…男性とは思わなくて」

 探偵さんに向けて、笑みを貼付けて会話を交わした。

「暗号を解きに来て下さったんですよね。遥さん、調査中なら探偵さんの邪魔になるんじゃないかな」

 不意にクルリと私に向かい直ると、探偵さんに対する物と違った笑みを浮かべた。

「え、その…」

 ゾクリと感じた寒気に口が震えて言葉にならない。

 逃げ出したくて視線を逸らす。

「お聞きしたい事もありますので吉松さんには居てくださる方が助かりますよ」

 後ろから聞こえた言葉に振り返れば、ニコリと私に向けて笑った探偵さんがこちらへとやってきて、あの人と向かい合う。

「大丈夫ですよ、お兄さん。吉松さんには話を伺うだけですし、助手もいますので」

「…そうですか。では、よろしくお願いします」

 しばらく探偵さんや助手さん、そして私を順に見てからあの人は会釈し、部屋を出て行った。

 ホッと肩から力が抜けて、胸に手をやり一息吐く。

 よかった…すぐ帰ってくれて。

「確か依頼書にはお母様とあなたの二人と書かれていましたが…お兄さんがいた事、どうして依頼書に書いてなかったんですか?」

 静かになった部屋で響く、さっきとは違った非難めいた言葉に体が縮み上がる。

「…すいません」

 頭を下げれば、ハァと深い溜め息。

 おそるおそる顔をあげれば、じっと私を見つめる探偵さんの真剣な顔が目に入る。

「詳しくお聞きしていいですか。ご家族のこと」

「はい」

 私たちはちゃぶ台を囲んで座り、一息ついてから口を開く。

「依頼書に書いた通り、本来の家族は母と私だけで、父は事故で一昨年亡くなりました。ですが数ヶ月後、父の下で働いていた喜田(きだ) (あきら)さんが母と再婚しました。先程の春之義兄さんは晃さんの連れ子で、私とは血が繋がっていないんです」

 包み隠さずに家族の内情を伝え終わると、左横に座った探偵さんが頷いた。

「なるほど義理の父と兄ですか…他人行儀になるわけだ」

「最初に正直にお話すべきことでしたが、お嬢様に余計な心配をかけたくなかったんです」

 お嬢様は母が再婚した事を知らない。

 優しいお嬢様が知れば、自分の事のように心を痛めるでしょう。

 でも探偵さんにはキチンと説明しておくべきだった。

 せっかく暗号を解いて下さるのに、悪いことをしてしまった。

「すいません、探偵さん」

「顔を上げてください。もう気にしてませんから。次は…そうですね、庭にある林檎の木を見せてもらっていいですか」

 探偵さんは顎に指をしばらくあてると、ニヤリと目を輝かせた。


 某屋敷敷地内、庭。

 柔らかい陽射しの中、北風が吹き、庭にある草木を騒がせる。

 依頼人を先頭に、所長と助手が続いた三人は、庭の中心にある枯れ葉を鳴らす林檎の木の下で、足を止める。

 木を右手で指して、依頼人は所長と助手に振り返る。

「こちらになります」

「近くで見ると大きいですね」

 ほう、と息を漏らした所長は木を首を反らして仰ぎ見る。

「そうですか?私は小さな頃から見ているので、今では小さく感じるんです」

 依頼人は微笑みを浮かべ、同じ様に林檎の木を見上げる。

「小さな頃からですか」

「はい。私、この木の下でよく遊んでいたんです」

 所長が林檎の木から依頼人に視線を向けると、同じ様に依頼人も向き直って頷く。

「鞠つきや縄跳び…秋には落ちた葉っぱの上で跳ねたり跳んだりして」

 顔を綻ばせて話す依頼人に、所長は首を動かして相槌をうつ。

「それは亮歩さんと一緒に?」

「そうですね、祖父から教えてもらった遊びは沢山ありますね。特によく遊んだのは…しりとりですね」

 所長の問い掛けに依頼人は頷いて応える。

 依頼人の答えに所長はへぇ、と声を漏らした。

「しりとりですか」

 ポツリと助手が口を開くと、依頼人と所長は振り返り、助手に視線をやる。

「しりとりとはなんですか」

 二人をまっすぐ見つめて助手が再度口を開くと、抑揚なく問い掛けた。

「しりとりは相手が言った言葉尻を取って、次の言葉を続けていく言葉遊びです。…リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パンダ、ダルメシアン。こんな感じで、んが付いた人が負けになります」

 依頼人は丁寧にゆっくりと解説すると、所長がほぅ、と息を漏らし、助手は一度頷いた。

「なるほど、多くの言葉を知らないと難度が高いゲームですね」

「そうですね」

 助手の言葉にニコニコと返した依頼人に所長が向き直る。

「わざわざウチの助手に説明をありがとうございます。しかし、随分と詳しい説明で」

「祖父の受け売りですよ。私も最初知らなくて、そうやって教えてくれたんです。しりとりは祖父が私に初めて教えてくれたもので…一番沢山遊んだ遊びでもあります」

 所長の言葉に、依頼人は林檎の木の根本に視線をやると、口元を緩めた。

「へぇ、一番思い出に残ってるんですか」

 所長もならって根本に視線をやると、二度頷いて口を開く。

「なるほど」


 台所や浴室、お手洗いに母の部屋、それから残った客間や収納部屋等を案内し、私ができる範囲での紹介が終わったのはもう夕方になろうとしていた。

「以上が私が案内できる範囲になります。残りは父の書斎と兄の自室になります」

 二階の階段前で締め括ると、探偵さんが頷いた。

「あぁ結構ですよ。貴方も近付けない場所は範囲外でしょうし」

「すいません…」

 にこやかに返してくれた探偵さんに申し訳なくて、頭を下げる。

「そういえばお母さんの姿が見えませんが?二階の自室にもいませんでしたね」

 部屋の中を見て回った時、あれ以来は台所にいた市子さんしか出会っていない。

 探偵さんの疑問に思いつくのはひとつ…あの人に呼ばれたんだろう。

「…兄と話をしてるんじゃないでしょうか」

 ここから見える閉ざされた襖は、ずっと閉められたままで開きそうにない。

「そうですか。長旅の後に無理に連れ回してすいませんね」

 探偵さんも襖を眺めた後、私に向けられた謝罪の言葉に、慌てて顔の前で手を振る。

「いえ、こちらこそ。先程は引き止めてくださって、ありがとうございます」

 案内役のおかげで、あの人から離れられたのは有り難いことだった。

 むしろ、謝るのはこちらの方。

 義父と義兄のことを隠していたのだから。

「…あぁ、私はただ案内役と話があったから引き止めただけですので、お気になさらず」

 意味を汲み取ってくれたのか、探偵さんはニコリと笑うと、小さな声で言った。

 けれど、すぐに柔らかいものから鋭いものに目つきを変えた。

 その目は事務所で出会って以来、何度も見ている。

「ご家族の自室以外は入ったり調べたりは可能ですか?勿論、宣告はさせていただきますが」

 やっぱり、こういった目の時は依頼についてのことだ。

 このサインは彼にとって、仕事の切替なんだろう。

「大丈夫です。あの、探偵さん…よろしくお願いします」

 真剣に彼は暗号を解いてくれるんだ。

 改めて痛感した私は、深々とお辞儀をした。

「任せてください。このハードボイルド探偵に、ね」

 顔をあげれば、ニヤリと片方の口角をあげた探偵さんの姿があった。



 某屋敷内、客間其の一

 備え付けられた円卓を囲むように、二人は座っている。

「所長」

「どうした助手」

 助手が呼ぶと、彼女の右側に座っていた所長が手を動かしたまま応える。

「しりとり、したいです」

「あぁ、興味もったのか」

 構わずに続けて呟くと、所長も構わず手の中にある包装紙が剥かれた茶菓子を、口元に近付けながら呟いた。

「したいです」

 上体を円卓に乗せ、前のめりになった助手は顔を所長の顔に近付けて再度言った。

 口をポカリと開けたまま、チラリと黒目を右に向けた所長は、眉間にシワを寄せて、視線が戻された茶菓子を一口かじる。

「…遊びに来てるんじゃないぞ。俺達はお仕事で来てるんだ。今朝も言っただろ、お出かけ気分じゃないって」

「わかっています。ですが今の所長はお仕事中ではありません」

 モグモグと咀嚼しながら話す所長、助手はそれを眺めると淡々と返した。

「…わかったよ。1回だけだぞ。しりとり、のりからな、り」

 ゴクンと音をたてて飲み込むと、折れた所長は残りを口に放り込み、ジト目で促す。

「り、リスク」 「熊」

「麻痺」 「肘」

「銃殺」 「…月」

「急所」 「横」

「絞首」 「雪」

「き、筋肉」 「栗」

「り、略奪」 「爪」

「目玉」 「窓」

「毒薬」 「串」

「しつれい致します」

 交互に発する言葉に違う声が混じると、所長と助手は襖に視線を移し、それは開かれた。

 廊下には膝をついた家政婦の市子がいた。

「御夕飯の準備、ですが…苦手な物等は」

「あぁ、大丈夫です。わざわざありがとうございます」

 初対面と打って変わって、詰まりながら問い掛ける市子に、所長はニコリと笑みを作る。

 所長の笑みに市子もひきつった笑みを浮かべた。

「そうですか…大事なお話の中、お邪魔して申し訳ありません」

 顔色を伺うようにチラリと所長を見ると、たどたどしく言葉を続けた。

「ああいや、暇潰しにしりとりをしていただけですので。…ところで市子さん」

「なんでしょうか」

 所長の言葉にあからさまにホッと息を吐いた市子は、にこやかに対応した。

「少しお話をお伺いたいのですが、よろしいですか」


「晃様と春之様ですか…そうですね、お二人は以前から旦那様の会社で勤めておられます」

 お嬢様に連れられてきた探偵の男が尋ねてきたのは、奥様の再婚相手の晃様とその息子、春之様の事だった。

「会社の役職は?」

「晃様は旦那様に変わって代表に、春之様は本部長として晃様を補佐しています」

 探偵は質問を重ねる。

 まるでそう、夕方のサスペンスドラマの登場人物のような体験だ。

「以前は亡くなられた旦那さんの下で?」

「えぇ。晃様は本部長でした。春之様は…一社員でした」

 探偵の口から旦那様まで飛び出してきて、ソワソワと落ち着かない。

 顎に片手を添えて、探偵は何やら考え込んでいる。

「やっぱり怪しいと思われますよね、探偵様」

「いや、そんな」

 探偵は渇いた笑いをしているけれど、きっと当たってる…!!

 うん十年サスペンスを見続けてきた甲斐があったわ!

 キョロキョロと辺りを見回し、誰も居ない気配を伺ってから私は右手を口元に立てて、小声で語りかけた。

「実はですね、旦那様の事故はお二人が起こしたんじゃないかって私は思うんですよ」

「何故ですか?」

 食いついた!

 キラリと光る視線に私は嬉々として役目を果たす為にコホン、咳ばらいで一つ区切る。

「旦那様は仕事に厳しい方で、よく晃様を家に招いては怒鳴りつけていました。あの事故の日も本当なら晃様と共に家へ帰ってくると連絡がありました」

 探偵は真剣に私の話を聞いている。

 さぁ、ここからが重要な話題になりますよ。

「ですが事故が起きて、旦那様は帰らぬ人となってしまいました。現場には潰れた車と旦那様のご遺体のみで…晃様は春之様と共に会社に残っていたのです」

「それで疑っているんですか」

 確認をとるような探偵の問い掛けに、頷く。

「はい、しかもその数ヶ月後すぐに奥様と再婚されたんです。なんでも奥様と晃様は幼なじみらしいんです」

 続けた言葉に、探偵は口元に手を当てて考えている。

「怪しいでしょう?まるで夕方のサスペンスドラマみたいなんですよ、この家は」

 考え込む探偵に向かって笑いを噛み殺して訴えれば、探偵はニコリと笑った。

「それは怪しいですね。遥さんが横井家で住み込みメイドをしているのも怪しいですし」

 探偵の言葉に言葉が詰まる。

 まさかお嬢様の話題になるとは思わなかった。

「それには理由があるんです…」

 お嬢様が横井家に勤めている理由は、いくら探偵とはいえ…伝えるのは躊躇ってしまう。

「春之さんですか」

 当たりだ。

 もう分かっているのなら、下手に隠すこともないだろう。

「…ええ、春之様と会われたのですね」

「遥さんを見る目と我々を見る目があからさまに違ってましたからね。彼女も怯えていましたし」

 探偵の言葉に私は否定も肯定もしなかった。

 流石にこれ以上はお嬢様の許可なく話すことはできない。

 …これはお嬢様の気持ちの問題なのだから。


 某屋敷内、客間其の一。

 部屋の中、閉じられた襖を見つめ所長が息を吐いた。

「やっぱり暗号解読だけってわけにはいかないか…助手、今俺達が知らないといけないものは分かるな?」

「し、し…死因」

 何度か音を漏らした後に単語を話すと、助手はまっすぐ所長を見遣る。

 助手の視線を受けて、所長はニヤリと笑みを作る。

「そう。…休憩は終わりだ。お仕事の時間だぞ助手。丁度ん、もついたしな」

 所長は脇に置かれたコートを掴み立ち上がると、助手は所長を見上げ、わずかながら眉間にシワを刻む。

「ズルイです。所長」

「お仕事が終わったら何度でも相手してやる…その前にだな、お前はもっと別ジャンルのボキャブラリーを増やせ」

 コートを羽織った所長は眉間にシワを深く刻み、目を細めたままポケットを探る。

 ポケットから携帯電話を取り出すと、ボタンをいくつか押してから耳にあてた。

「もしもし津川。ちょっと調べて欲しいんだが」



「目黒の奴…コーヒー買いに行くのにどこまで行ったんだ?」

 課から離れた廊下を歩けど、探す男の姿はなく、ぼやく。

 今日はまだ重要な事件を抱えていないし、放っておいていい相手だが…上司の命令となれば探すしかない。

 その命令がまた、教育係だからという理由なのが釈然としない。

「大体、なんで俺がアイツの教育係になったんだ。同じ警察学校卒業してるからって…」

 正式な形もなく、気がつけばアイツの教育係になっていた。

 そういう空気だった。

 ぼやきながら廊下を歩き、捜査資料室前に差し掛かると、中にある男の姿を発見した。

「津川刑事?」

「…あぁ、金井刑事」

 声をかければ津川刑事はハッとこちらに振り返り、安心したように俺の名前を呟いた。

 その時にサッとファイルを隠すのが見えた。

「何か調べ物ですか」

「そうだな、ちょっと気になる事があって」

 言葉を濁しながら津川刑事は強張った顔のまま目を逸らした。

 真面目な人だが、なにかと怪しい行動が多い。

 事件が起きる時、報告は必ず彼だ。

 しかも大抵が被疑者を確保する段階まで通っている。

「まぁ…いいですけどね。面倒には関わりたくないんで告げ口はしませんし、余計な詮索もしませんよ」

「そうか…」

 逸らした目をこちらに合わせて、津川刑事はホッと強張った顔を解した。

「ホント俺でよかったですね。目黒だったらガツガツいきますよ…ってアイツ、どこ行ったんだ」

 不本意だが本来の目的を思い出して、俺は頭を下げた。

「それじゃあ俺は目黒探してきますんで。先に戻るなら課長に言ってもらっていいですか?」

「あぁ伝えておく。ありがとう金井刑事」

 最後に会釈だけをして、俺は捜査資料室を離れた。

 近い内にまた何か事件が起きるのか…いや、もう起きてるのかもな。



 某屋敷内、客間其の一

「なるほどな」

 携帯を耳から離した際、所長は緩めた口で呟いた。

「分かったんですか」

「まあな。事故って処理らしいが…あの話を聞いちゃ、どう考えても疑わしいな」

 助手の言葉に所長は肯定し、携帯をコートのポケットにしまう。

「さて、と。行くぞ助手」

「はい。所長」

 ゆっくりと腰を上げた所長に続いて、助手はすぐさま立ち上がる。



「遥さん」

 部屋に投げかけられた名前に、ビクリと体が反応した。

「な、なんですか」

「開けてもらえませんか」

 襖に視線をやれば、細長い人影が写る。

 人影はまっすぐ立っていて、動く気配がない。

「何故ですか」

 人影を見張って問い掛ける。

「久しぶりなんだし…襖越しなんて寂しいじゃないか。顔、見せてもらえないかな」

 返ってきたのは、喜色が含まれた落ち着いた声

「ちょっと今、手が離せないんです」

「なんだ、じゃあ手伝ってあげるよ。さぁ開けてくれないか」

 背中に嫌な汗を感じながらも拒否を示すと、変わらない声と共に襖が騒がしく音をたてる。

 怖い、怖い!

 つっかえ棒で閉ざされた襖は開かない。

 けれど、ガタガタ鳴る大きな音は、襖が壊れてしまいそうで…ギュッと固く目をつぶる。

「おや、お義兄さん。ガタガタと物騒ですね…兄妹喧嘩ですか?仲がよろしいようで」

 第三者の男性の声に目を開く。

 人影が二人に増えて向かい合う。

 探偵さんだ!

「…いえ、失礼します」

 冷静な声に続いて一人分の足音が響いた。

 あぁ帰ってくれたんだ。

「…吉松さん、お義兄さん帰られましたよ」

 ホッと胸を撫で下ろすと、探偵さんが小声で語りかけてくれる。

「探偵さん…ありがとうございます」

 つっかえ棒を外し、襖をわずか覗ける分だけ開く。

 探偵さんを見上げて、心からの御礼を告げる。

「いえいえ、しかしお義兄さんも執念深い方ですね」

 チラリと探偵さんはあの人の部屋の方向に顔を向けた。

 帰る気配もないし、私に何か用かしら?

「あの、なにか私に用があったんじゃないですか」

「あぁ、少しお話伺ってもよろしいですか」

 探偵さんはこちらに向き直り、頷くと笑った。

「はい、大丈夫です。どうぞ」

 私もそれに笑みを返して、閉ざしていた残りの襖も開く。

「失礼します」


 某屋敷内、遥の部屋。

 白の家具と薄いグリーンで統一された部屋は、畳の間に洋風の家具が置かれているが、酷い違和感は見えない。

 白い丸テーブルを囲んで所長と助手はグリーンのクッションに、依頼人は小花柄のラグに腰を下ろす。

「亮歩さんの宝物ですが、どんなものか予想できますか?」

「祖父は鼈甲職人ですので、未公開の作品でしょうか」

 所長の質問に依頼人は直ぐ様答える。

「なるほど。やはり皆さんもそう思われてるんでしょうか?」

「だと思いますが…」

 次の問いに依頼人は目を伏せ、声は萎む。

 けれど僅かな時間の経過後、依頼人はキュッと眉を上げ、所長を見つめると、口を開いた。

「探偵さん…私、あの人達には絶対渡したくないんです。宝物には興味ないんです。でも祖父の大切なものなら…」

 膝の上に握られた拳に視線を一瞬向けて戻した所長は、フッと顔を綻ばせた。

「分かっています。安心してください、暗号は必ず解読致します」


 某屋敷敷地内、庭

 中央に立つ林檎の木の下で足を止めた所長は、その場にしゃがみ込み、雑草が生える地面を首を動かして隅々まで見る。

「やっぱり…特に掘り起こされた後もないなっと」

 左手で顎を摩ると、掛け声を上げて立ち上がる

「所長」

 呼ばれた所長は、後ろに立つ助手に振り返る。

「林檎の木ですが林檎がありません」

 助手は枯れ葉を身につけた林檎の木を見上げていた。

 所長も同じ様に木を見上げる。

「もう時期は過ぎたんだよ。まぁ実ってもスーパーで売ってるような林檎は見れないぞ」

 助手が顔を下げて振り返る。

 サクサクと地面から音を鳴らして、ダッフルコートを羽織った男が、二人の元に向かって歩く。

 所長も振り返り、男と視線を合わせると、初老の男は笑みを浮かべて足を止めた。

「こんばんは、探偵さん」

「こんばんは。あなたは…吉松晃さんですか?」

 男と挨拶を交わした所長は、相手に確認を促す。

「ご存知でしたか。はい、私が吉松 晃です。この度は遠い所までお越しいただき、ありがとうございます」

 肯定した男、晃は自己紹介を行い、うやうやしく頭を下げた。

「暗号を解かれに来たんですよね」

「ええ。依頼ですが…宝探しなんてワクワクしませんか」

 今度は晃が返事を促すように言うと、所長は頷いて声色は明るく、視線はまっすぐ晃を射ぬく。

「ははっ、確かにワクワクしますが…宝探しは宝を見つけるまでが楽しいんですよ。宝物が全て良いものとはかぎらない」

 空へと高らかにひとしきり笑って、言葉尻になるにつれて晃は声を落としていく。

「なるほど…そういう考えもありますね」

 頷く所長はニイッと口元を緩めた。

 晃は視線を左腕にやると、おや、と漏らして目を少し開く。

「そろそろ夕飯の時間だ。探偵さん、調査をお止めして召し上がって下さい。市子さん、張り切っていましたよ」

 左腕から所長に視線を戻し、晃は微笑みながら話す。

「それは楽しみですね。では、お言葉に甘えて…ご一緒してもよろしいですか?」

「もちろん、と言いたいところですが…あいにく会社に戻らないといけないんです。家にはこの書類を取りに来たんですよ」

 所長の問い掛けに、眉を垂れて目を細めた晃は、右手に持った大判の茶封筒を掲げた。

「そうですか、社長も大変ですね。確か…息子さんも同じ会社にお勤めされてますよね。何故、彼に頼まれなかったのですか?」

 所長はそれと晃を交互に見ると、問い掛けた。

 晃は一瞬だけ目を見開き、すぐに笑みに変えて、封筒を見る。

「あぁ…これは、重要書類なんでね。いくら息子でも運ぶのは任せられません」

 封筒を右脇に抱えると、晃は姿勢を正し頭を下げる。

「では私はこれで。失礼します」

 所長もならって頭を下げる。

「引き止めてしまってすいません。お話、ありがとうございます」

 晃はニコリと笑い会釈し、体を翻すとサクサクと音をたてて、その場を去って行った。

「…重要書類、ね。本当の目的は俺たちのくせに」

 小さくなった背中を眺めて、ボソリと所長が呟く。

 助手がチラリと視線を所長に向ける。

「殺意は感じませんでしたが」

 助手の呟きに所長は溜め息を吐いて、両ポケットに手を突っ込む。

「なにも目的がそうとは決まってない。俺たちがどういう奴らか気になったんだろ」

「所長と私が」

 パチと瞬きを一つして、助手は晃が去った方向を見つめる。

 所長は頷き、目を伏せると口を開く。

「そう。探偵なんて者は歓迎されてないようだな。まあ…宝物に関して話が聞けたから良しとするか。助手、夕飯頂きに戻るぞ」

「はい、所長」

 所長が一歩踏み出し歩き始めると、助手も続いて所長の左後ろを歩き始めた。


 某屋敷内、客間其の一

 夜も深まり始めた頃、室内は白い明かりが燈り、布団が二枚隙間を空けて並べられていた。

 その一枚、手前側の方に所長は腰をおろして息を吐いた。

「ふぅ…夕飯も美味いし、風呂は桧だし…至れり尽くせりですね」

「一度の食事であんな様々な種類を摂取するのも、木で出来た浴槽に広い浴室も初めてです」

 布団と布団の隙間に腰をおろした助手が淡々と話す言葉に、グルンと所長は首を回して、眉間を寄せた顔を助手に向ける。

「…助手、それは人様の前で言うな」

 所長の言葉にパチパチ瞬きをする助手。

 二人のやり取りに入口に立つ依頼人がクスクスと笑う。

「喜んで頂いてよかったです。市子さんにも伝えておきますね」

 所長はもう一度依頼人に向き直ると、会釈をした。

 ひとしきり笑った依頼人は、表情を固めた後、眉を垂れて視線を床の畳に向けると、口を開く。

「…あの、探偵さん。失礼ですが、依頼の方はどうですか?」

「そうですね、情報は色々掴めました。明日は宝探しとなりますね」

 所長の返した言葉に、依頼人はガバッと見開いた顔を上げる。

「では、暗号は解かれたということですか!?一体どういったものだったんですか?」

「詳しいことは明日のお楽しみということで…もう夜も更けてきましたので、吉松さんもお休み下さい」

 興奮する依頼人に、所長は口角をあげて引き返すよう促した。



 翌日の朝早く、私は探偵さんが泊まった部屋へ向かった。

 暗号が解けた、と彼は昨夜言っていた。

 私は気になって気になって、夜も眠れなくて…次に廊下を通る足音が聞こえたり、パチンと乾いた音が鳴ったり、風が強く吹き付ける音まで聞こえたりして…今度はそっちを気にしてしまい、気が付けば朝を迎えていた。

 角を曲がれば廊下に彼らの姿が見えた。

 探偵さんと目が合って、距離を詰めて向き合い、頭をさげた。

「おはようございます」

「おはようございます。早速ですが…答え合わせに向かいましょうか」

 挨拶もそこそこに、彼はにこやかにしつつも急かすように口早に告げて歩き出した。

 その背に助手の彼女が続いて、遅れて私は二人の背中を追いかける。

「暗号は、亮歩さんがあなたへと宛てたもの。つまり、あなたにしか分からない内容になっています」

 庭が一望できる渡り廊下にたどり着くと、探偵さんは備え付けのサンダルを履きながら話す。

「でも私には何なのか」

 返しながら私もサンダルを履いて、口からは白い息も漏れる。

 早朝は随分と冷え込む。

「すぐ分かってしまえば暗号の意味がありませんよ」

 探偵さんは庭に立つと、そこで私に一度振り返って笑い、また前を向いて歩いていく。

 前にはあの林檎の木…そこに宝があるということなんだろうか。

 林檎の木の下にたどり着き、ようやく彼は足を止めた。

「林檎の木、昔のようにまた遊びましょう…よく遊ばれた遊びはしりとりでしたね」

 彼は暗号を呟いた後、いきなり私の子供時代の事を話題にあげた。

 確かに昨日、よくしりとりで遊んだことを話したけど…。

「えぇ…でもそれが一体」

「詳しいほどの解説は、亮歩さんに実際教えて頂いた物ですよね」

 私に確認をとるように尋ねる探偵さん。

 ピュウっと風が吹いて、寒さに耐えるよう自分の体を抱きしめて頷く。

「はい」

「例、もう一度教えて頂けますか?」

 首を左に倒し問い掛ける彼に、こちらも首を傾げたい思いになる。

「…リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パンダ、ダルメシアン。です」

「ありがとうございます」

 ニコリとお礼を言われても、全く意味がわからない。

「はぁ…これが何か」

「では行きましょうか」

 くるりと踵を返して、彼は屋敷に向かって行った。

「え?あ…探偵さん?」

「所長のお仕事は終わりました」

 戸惑う私に声をかけたのは助手さんだった。

 彼女に視線を向ければ、助手さんは薄着のまま姿勢よく立っていた。

「え、終わったって…」

 どういうことなの?

「所長に着いていけばいいだけです。それで全てがわかります」

「全て?あ、ちょっと待ってください!」

 淡々と呟いた彼女の言葉を考える暇もなく、歩き出した助手さんを追いかける。


 某屋敷内、廊下

 所長は近付く二人の人影を視界に入れると、傍らに置かれた石膏をポンと叩くと歩を進める。

「時間も無いですし、解説は歩きながらになります。すいませんね、ちなみにあれはゴリラになります」

 黒い石膏で出来たゴリラを形どった力強い像を、視線で指す。

 スタスタと歩みを止めない所長の背を追いながら、依頼人はチラリとそれを視界にいれた。

「そしてこれがラッパ」

 人差し指を指した先の庭先には成人男性の腰の位置までの高さの壺がポツンと置かれている。

 黄ばんだ白い壺には、ラッパを吹く天使が大きく描かれている。

「色あせてしまってますが…パンダ」

 その場でクルリと反転し、所長は依頼人と助手の間を指す。

 境が見えないモノクロに染まった小さなパンダの人形が、電話台の上に、他の動物の人形に紛れて置かれていた。

「最後にダルメシアン」

 ゴリラの置物の隣に鎮座する、陶器で出来た斑模様の犬の置物を指して、彼は歩みを止めた。

 そこで依頼人はハッと目を見開き手の平を口元に宛がう。

「…全部しりとりの」

「そう。ですがこれで終わりではないんですよ」

 依頼人がポツリと呟くと、所長は振り返る。

 ニィっと口角を上げた顔と、開いた手帳のページを見せた。

「こちら、お宅の見取り図を書かせて頂きました。この点は私たちが今通ってきたしりとりの置物を指しています。これをなぞると」

 カチリとポールペンを押し出し、見取り図の中の点と点を繋げる。

 全て繋げると矢印が現れて、その先はある四角を指していた。

「ここは台所と…お母さんの、部屋」

 依頼人は目を更に見開くと、矢印を見つめたまま掠れた声を発する。

「上で待っています。上、はニ階ですね。では、お母様のお部屋に行きましょうか」

 残っていた暗号を口に出すと、所長は笑みを浮かべて進路を促した。

 そのまま表情を硬直した依頼人はコクンと首を上げ下げした。

 屋敷の真ん中に位置する階段を登ると、一行は右に進み、角を曲がり最初に見えた桜が描かれた襖の前に立ち止まる。

 先頭の所長が襖に二回ノックをする。

「どうぞ」

「失礼します」

 返ってきた高い美声に促されるまま所長は襖を開く。

「はい。なんでしょう」

 襖を開いた先の和室には、正座をした女性が迎え出た。

「お母さん、暗号解いてもらったの。おじいちゃんから何か預かってないの?」

 所長の隣に並んだ依頼人が母親を、眉を潜め強張った表情で見つめて、落ち着いた声色で問い掛ける。

「…そう、宝物はこれよ」

 目を伏せた彼女は、部屋の奥に配置された鏡台の引き出しから細長い装飾品を取り出して、もう一度向かい合う。

 依頼人にスッと両の手の平を掲げると、彼女はそれを受けとった。

「これはかんざし?」

「桜のかんざし。おじいちゃんがまだ現役の頃に作られたものよ。おじいちゃんはこれをあなたに渡したかったの」

 まじまじとそれを眺めて首を傾げる依頼人に、向かいに座る母親は自分の折り畳まれた膝を見つめて話す。

 依頼人は、桜の花を象る鼈甲の飾りが施されたかんざしから、母親へと視線を移した。

「お母さん。これ、売らなかったの?…義父様や義兄様に」

 かんざしを前へ差し出した依頼人は、まだ強張った表情のまま問い掛ける。

 母親は膝から依頼人の顔へ視線を移すと、やんわりと口元を緩めた。

「当たり前でしょう。これはおじいちゃんが遺したものなんだから」

「お母さん」

 すぐに目を伏せた母親に、依頼人は顔を綻ばせると、ギュッとしっかり優しくかんざしを抱きしめる。

 その瞳はうっすらと滲んでいる。

「探偵さん…ちょっと」

 依頼人の姿をチラリと上目遣いで盗み見ると、母親は小声で所長を呼びかけた。

 気付いた所長も頷くと、そっと依頼人の肩を二度叩く。

「すみませんが吉松さん、うちの助手と一緒に下で待っていてもらっていいですか?」

「あ、はい。わかりました。探偵さん、本当にありがとうございます」

 所長の呼びかけに振り返った依頼人は、かんざしを胸に抱いたまま、頭をさげた。

 満面の笑みを浮かべる依頼人に、所長もフッと口元を緩めて軽く瞼を閉ざす。

「いえ、私は依頼をこなしただけですよ…助手、おとなしく待っておけよ」

「わかりました」

 最後に振り返って、助手にしっかりと釘を刺せば、助手は所長の顔を見つめて頷き、依頼人と共に部屋を後にして襖を閉めた。


 トントンと異なる足音が下へ下がっていくの聞いて、私は目の前に佇む探偵に頭をさげる。

「ありがとうございます」

「いいえ。私の依頼は暗号を解くことですから…真実を追求してくれとは依頼されていませんよ」

 笑みを浮かべた彼に、ますます頭がさがる。

「亮歩さんが彼女に宛てた本当に遺した物、見せてもらえますか?」 笑みを隠して彼は、まっすぐに私を超えて鏡台を射ぬく。

 私は鏡台の一番上の鍵付きの引き出しを開けると、包まれた白紙を剥き、それを探偵へと手渡す。

「綺麗な飾りですね。この筒、確認しても…?」

 いつの間にか手袋を装着していた彼は、それを観察してから問う。

 私は頷く。

「では失礼して」

 彼は会釈して、迷うことなくそれを引き抜く。

 鼈甲の装飾が施された筒の中から、現れた一回り小さなトレイには、白い錠剤が一粒の隙間を空けて詰められていた。

 探偵は中身を目にすると、ニヤリと笑っていた。

「なるほど。随分変わったピルケースだ…亡くなった以前の旦那さんの物ですね」

「はい」

 探偵の言葉に言い訳もせずに頷く。

 …今更何を言っても彼には全て分かっているのだから。

「旦那さん、衝突事故となっていますが…直接の死因は心肺停止。心臓のご病気、かなり進行していたみたいですね。そんな状態で薬ではなく、それに似たラムネ菓子なんか飲み込んだら…ショック受けますね」

 ツラツラと彼の解説に私は黙って聞く。

 当時の罪がより一層私の脳内に蘇る。

 彼の言葉に、実際は見ていないけれど、彼の死に際まで鮮明に想像できる。

 あの日の昼食後は、親交も深い横井会長との事業の会議が控えていた。

 完璧主義で気の弱いあの人は、昼食後に必ず薬を飲む。

 大切な相手との会議、発作が起きない為に用心して。

「ピルケースに触れる事が出来るのはあなたと、信頼を寄せていた今の旦那さんでもある部下の晃さんだ。あの事故はお二人の共犯と考えていますが…違いますか?」

 彼は最後にまっすぐ私を見つめた。

 私は、もう、どうなっても構わない。

 けれど…妻を捨て、母親を忘れた今の私を支えてくれたあの人まで、私の我が儘で落とすわけにはいかない。

「残念ですが、これは私一人が計画し、実行しました。彼は関係ありません」

 私に彼しかいないように、彼にも私しかいなかった。

 けれど今、彼は社長になれた。

 富も名声も手に入れた彼には、これからいくらでも…幸せが待っているのだから。

「そうですか、まぁ何にせよ…昨夜話した通り、自首なさってくださいね。もちろん彼女、遥さんがこちらを去った後で構いませんから」

 目を反らした私に、探偵は何も追及しなかった。

 昨夜、指を鳴らした彼が部屋に訪れた際にした取り引きは…祖父の宝物を偽る代わりに罪を認め自首をすること。

 遥の母親を最悪の形で亡くさずに、彼女の目に触れぬようそっと去れるように、仕向けてくれたのだった。

「ありがとうございます」

 私はもう一度探偵に頭をさげた。

 頬に一筋、濡れる感覚がした。


 某屋敷内、二階廊下。

「宝探しはいかがでしたか」

 階段へと向かう所長の背に、声をかけられる。

 所長は立ち止まるとその場で振り返り、近づいて来る相手にフッと笑みを浮かべた。

「あっという間で楽しむ暇もありませんでした」

 所長と二、三歩間隔をあけて向かい合うと、男は渇いた笑いを零した。

「そうですか…私も解きたかったんですが、宝を知っていましたからね。宝探しなんて最初からできなかったんですよ」

 苦笑しながら男はぼやき、目を伏せた。

「当時、亮歩さんにも知られていたんですね。何もおっしゃらなかったんですか」

「警察に行けと言われましたが、遥さんを見て…あれは捨てずに持っておき、遥さんが妙齢になってから包み隠さず伝えること、そして警察に自首すること、その時は必ず自分も同席すること…と、約束しましたね」

 男は所長に視線を戻し、答えた。

 男のどこか遠くを見てる表情に、所長は頷く。

「なるほど、その時がくる前に亮歩さんは自身の命がもたない事を悟って、今回の暗号をしたためたのですね」

「そうでしょうね。今の彼女には横井家の令嬢という拠り所もありますから」

 男の言葉にパッと所長は顔つきを変えて、男を見直す。

「横井のお嬢様、ご存知なんですね」

「えぇ商談の際やパーティーの場で何度かお会いしましたよ。つい先日も」

 頷く男に所長は顎に手をやり、擦る。

「そうですか。面識、あったのですね」

「えぇ、彼女になら遥さんを任せられると思って横井家に預けました。この家を居心地悪くさせてしまいましたからね」

 男は最後にまた目を伏せて、固まった笑みを浮かべた。

「少し、話しすぎましたね…探偵さん、本当にありがとうございます。遥さんが横井家に戻った際、私と彼女で警察に向かいます」

「やはりあなたも噛まれてましたか」

 顎から手を離した所長は、笑みを浮かべた男を鋭い眼差しで刺す。

「会社で薬を飲む際、水を用意するのは私の役目でしたから。上司としては素晴らしい方でしたが、同じ男としては…ね」

 男は笑みを崩して語る。

 男の姿に所長は口を開かずに、ただ静かに見守った。

「探偵さん、最後にひとつだけ…お聞きしてもいいですか?」

 男はもう一度笑みを作り、所長に問い掛ける。

「なんでしょう」

「どうして彼女の部屋にあれがあると…お義父さんは予想できたんでしょうか」

 男の問い掛けに、所長はニヒルな笑みを浮かべて首を捻る。

「こればかりは私も正解とは言えないですが…やはり親子だからでしょうか。桜さんが回収することは容易く予想できたんでしょう」

「なるほど、親子…か。やはりただの部下の私には、今回の宝探しに参加する資格なんてないんですね」

 所長の言葉に男は項垂れ、床に視線を向けて呟いた。



「助手、帰るぞ」

 後ろから聞こえた探偵さんの声に、私たちは振り返る。

「お待ち下さいませ探偵様!朝食の方はもうすぐできますので」

 慌てて反応したのは市子さんで、ガスを止めて濡れた手を割烹着の裾で拭き取る。

「せっかくですが、依頼も完了したので帰ります」

「ですが」

 探偵さんは引きつった笑みを浮かべてやんわりと断る。

 けれど市子さんも引かない。

「市子さん、探偵さんは忙しいのよ。無理に引き止めてはいけないわ」

 意地になっている市子さんをなだめてやる。

 困っていた探偵さんはホッと息をついて会釈した。

「探偵さん、これを持って行って下さい」

 探偵さんに風呂敷を解けた状態で手渡す。

 風呂敷を敷いている大小様々な三角形に、探偵さんは目を見張る。

 その姿にクスリと笑みを浮かべる。

「助手さんと一緒に握ったんですよ」

「おにぎりです」

 助手さんがどこか得意げに話していて、年下の少女の姿がお嬢様に重なって見えて微笑ましくなる。

「助手さん、初めてだったみたいですが…凄く上手でしたよ」

「そうですか…ありがとうございます。いただきます」

 じっとおにぎりを眺めたまま、探偵さんはフッと穏やかに笑ってくれた。

「では車をお出ししますね。玄関にてお待ち下さい」

 入口ののれんを市子さんがたくし上げた状態で、こちらに声をかける。

「ありがとうございます」

 探偵さんは風呂敷を包んで、荷物を左に、風呂敷を右に持つと玄関に向かう。

 その後ろに助手さんと私が続けて玄関を後にした。


 某屋敷外門前。

 停められた軽の傍らで、所長は札を数え終えると、それを白い封筒に入れてコートの内ポケットに仕舞い込むと、向かいに立つ依頼人と顔を合わせる。

「依頼料も全額頂きましたので…これで依頼は完了という形になります。また何かご用がある際は事務所にお越し下さい」

「はい。本当にありがとうございます探偵さん」

 紫のカーディガンを羽織った依頼人は、所長に頭をさげる。

「吉松さんはまだ残られるんですね」

 依頼人の姿を確認し、所長は尋ねる。

「はい。でも今日中に戻る予定です」

「そうですか。では横井のお嬢様にもよろしくお伝えください」

 頭を下げて所長は助手席に乗り込む。

 パタンと閉じられた扉ごしに所長を見遣り、依頼人は綻ばせた表情で手を振った。

「はい。さようなら探偵さん」

「さようなら吉松さん」

 所長も会釈し、密室の車内で呟いた。

 車が発進し、それは小さくなって去っていく。

「さようなら」

 じっとその方向を見つめた依頼人は、手を下ろして呟いた。



 都内某探偵事務所。

「そっかぁお祖父さんの遺した宝物はお父さんの形見だったんだ。それじゃあ代わりに渡されたかんざしはなんだったの?」

 中央に置かれた応接セットのソファーに腰掛ける男が、ため息と共に吐き出した。

「あれはお祖父さんが娘にプレゼントしたものだそうですよ」

 向かいに座る所長が、口元からカップをずらして答えた。

「へぇ。じゃあお祖父さんからお母さん、お母さんから娘さんってことかー。でも、これって娘さんは真実知らないんでしょう?後味悪いなぁ」

 首を忙しなく動かし表情を一喜一憂する様に、所長はカップの中身を一口分飲み込むと、テーブルの上のソーサーに置いた。

蒲江(かまえ)さん、宝探しは宝物が見つかるまでが楽しいんですよ」

 口角を上げるだけの微笑を浮かべて呟いた所長に、首を傾げてカップを手にとり、口をつける。

「んー?まぁいいのかな、考助くんがその方がいいって言うなら。そうそう、最近ねーあるドラマが面白くてー」

「女探偵のやつですか?」

 カチャリとカップをソーサーに置き、ヘラリと顔を緩めた男に、所長も息を吐き、力を抜いてソファーの背にもたれて話題にのる。

「ううん、違うよー昼にやってるドラマなんだけど、すっごいドロドロなんだよー嫉妬とか復讐とか」

「それはまた…凄いの見ますね」 

 緩い雰囲気を纏いながら口に出した男に、所長はひくりと口元を動かした。

 ニコニコと男は口を動かして、所長はそれに静かに付き合い、昼下がりは穏やかに過ぎていった。

 最後までお読みいただきありがとうございます。

 なんちゃってハードボイルド第四話、初めましての方も、今まで続けて読んでくださった方も…いかがでしたでしょうか?この話が、少しでも頭の片隅に残せて頂けたら幸いです。


 今回のお話は暗号解読ということで所長の推理がメインの為、助手の出番がなくなり、二人の関係もジワっというかフワっとしたものになってしまいました。

暗号は出題、意味、示す物…全てを、ない頭を絞って考え、凄く時間と文字数がかかってしまって…ここまで付き合っていただきありがとうございます。

 三、四のように再登場のキャラクターは今後も出てくる予定ですが、一話完結のシリーズですので、単品でも楽しめるように心掛けていきます。

…ですが、最初から最後まで読んだ方には、ほーう…と思えるような展開を考えています。と、自分でハードルを上げてみたり。


 さて、今回書き込まなかった義兄さんの描写ですが、次回の内容と被るので、アッサリとしたものになりました。

そんなわけで、次回はそういったお話です。助手も今回のような空気ではなく活躍しますよ!

そして、折り返し地点でもある次回では、所長に纏わる関係をジィ…ワァと出す予定です。


 次回、所長と助手 第五話 男と女

 どうぞよろしくお願いします。


※この物語はフィクションです。実在の人物、団体名とはいっさい関係ありません。過度な親愛や付き纏い、証拠隠滅、薬物詐称もくれぐれも真似をしないようにお願いします。


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