第二話 王太子クリストファー
プリマヴェーラ王国の第一王子クリストファーは幼い頃からとても聡い子供であった。
だから自分の立場を客観視し、第一王子といえど、決して自分の地位が盤石でないことを理解していた。
自分の母である正妃は自国の公爵家の出身で、一つ違いの異母弟ラファエルの母である側妃ヴィクトリア様はイヴェール帝国の第三皇女だ。
ヴィクトリア様の母上は正妃ではないけれど皇帝の寵姫で、その母にそっくりな彼女が皇帝に溺愛されていることはよく知られている。
父がヴィクトリア様を側妃として娶ったのもそのためであった。
イヴェール帝国は武力、経済力ともにそこそこに力があるだけでなく、高齢であられるが聖女様のおられる国だ。
聖女様はどんな瀕死の怪我や病気でも死んでさえいなければ、その命を救うことができるという神の業を持ち、戦時中には広範囲に渡り一斉ヒールをかけ怪我を負った者達の治癒をしたという大聖女も存在した。
どの国も喉から手が出るくらい欲するのが聖女という存在だ。
現在聖女様がおられるのはイヴェール帝国と南の果ての島国ベラーノだけ。
ベラーノは特殊な信仰の国で、代々聖女様が国を統治される政教一致の国だった。
不思議とベラーノでは決まった一族にだけ聖女様が現れるため、聖女のいない時代はその一族の者が国を統治し、新たな聖女の出現を待つ。
そんな為政者としても重要な役割を担う聖女を、ベラーノは決して他国に出さない。
だからベラーノに支援を頼むことは難しく、いま現在何かあったときに頼めるのはイヴェール帝国だけだった。
父はいざという時のパイプ役を担うヴィクトリア様をとても丁重に扱った。それは正妃である母も同じだ。
だから、もし彼女が第二王子を王太子にしたいと望めば、願いは叶ったかもしれない…。
けれど、ヴィクトリア様はそれを望まなかった。
ヴィクトリア様から見て、王に相応しい器を持つのは第一王子のクリストファーであったし、必ずしも国のトップという立場は幸せなものではないと、父や夫を見て感じでいたからだ。
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王侯貴族は幼少期に婚約を結ぶのが普通であったが、クリストファーは国内外を含めより有益な者と縁を結ぶため早々には婚約を結ばなかった。
それはどこかの国に新たな聖女が現れるのを待っていたためでもある。
だいたい同時期に二、三人の聖女が出現するのだが、周期的にそろそろ新しい聖女が現れてもおかしくない頃だった。
だから、クリストファーは新しい聖女が現れた国の有力者と縁を結ぶことも視野に入れ、婚約を待った。けれどなかなか新しい聖女が現れることはなく…国内の同年代の貴族達もほとんど婚約が整ってきたため、そろそろ決めなくてはならなくなった。
クリストファーの婚約者候補として集められたのは、宰相を務めるグリモアール公爵家の令嬢で自身の側近であるサイラスの双子の妹でもあるアリストロメリアと、王宮騎士団長タンドラ侯爵の娘で本人も武術の達人として知られるフェンネル、そして建国以来の名家カスペル公爵家の令嬢デルフィーヌだった。
幼馴染でもあるアリストロメリアは、5カ国語を操り政治や芸術にも詳しい才媛なうえに、偉ぶらない気さくな性格は共にいて疲れないし、華やかで美しい容姿も王妃として申し分なかった。
ただ彼女には、内密にマレフェン大帝国から皇太子の婚約者として打診が来ていた。
マレフェン大帝国はこの世界で最も豊かで国際的にも開かれた国のため、彼女の才能を活かすにはプリマヴェーラ王国の王太子妃になるよりも、マレフェン大帝国の皇太子妃となる方が良いと思われた。
その方が国にとっても利になる…。
フェンネル嬢は…側近のアレクシスの長年の想い人だった。本人は必死に隠しているつもりだったが、クリストファーにもサイラスにもそれは一目瞭然である。
そうなると残るのはデルフィーヌ嬢だけ…。
クリストファーとしては国内の高位貴族の令嬢である程度体裁が整う者なら特に問題はなかった。
国内にこだわったのは、やはり急にどこかの国に聖女が現れた時に、婚約者を変更することが可能だからだ。他国の姫などと婚約してしまったら破談にすることが難しい。
そのまま伝えるわけにもいかないので、適当な理由をつけてクリストファーはデルフィーヌを婚約者に選んだ。
その後は可もなく不可もなく婚約者として適切な距離間で交流を続け、二人揃って王立学園に入学した後もどこの国にも聖女が現れることはなく…
このまま卒業後は予定通り成婚するものだと思われたそんな矢先に…まさかの自国に聖女が現れた…。
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突然、聖魔法が開眼した聖女アネモネは、 それまで孤児院で育った平凡な少女だった。
大怪我をした弟を救いたいという思いから、聖魔法に目覚めたそうだ。
もちろん聖女の親族に大怪我を負わせた愚か者、リッチ男爵家の次男は速やかに処分された。
以前からその不品行な行いは問題になっていたが、被害者が庶民で問題を起こしていたのが貴族だったため、いつも不問にされて泣き寝入りだったらしい…。
その後、アネモネ様は正式に聖女と認められ、彼女の弟君と一緒に教会本部に引き取られた。
聖女は世界で最も尊い身分となるため、これから付き合うのは自然と上流階級の者達になる。
けれどアネモネ様は今まで平民の…しかも最下層の中で育たれたため、ごく一般的なマナーも教養も知らない。
聖女が他の者に気をつかう必要などないが…ある程度は身につけておいた方が困らないだろうということで、一年だけ王立学園に通い学ぶことになった。
学ぶだけなら家庭教師でも良かったのだが、彼女は自分達を虐げてきた貴族に対してかなり不信感を抱いている。そのため王太子自らが交流することでそれを払拭し、信頼できる関係を築いておきたいという狙いがあった。
今まで孤児院という隔離された世界で育った聖女に、貴族の者達と関わることに慣れてもらいたいという思いもあった…。
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今まで学校に通ったこもなく、文字の読み書きさえつい最近覚えた彼女が授業についていくのは、とても大変なことだ。
けれど、彼女はとても努力家で…
拙いながらもノートがとれるようになると、休み時間も積極的にクリストファーや側近達に質問して分かりやすくまとめていた。
一度サイラスが『どうしてそんなに必死に勉強されるのですか?』と尋ねると、教会で弟に教えてあげるために勉強しているのだと仰られた。
弟君は大怪我を負った際に、奇跡的に一命は取り留めたが、後遺症が残り歩けなくなった。
何の知識もなく頼れる身寄りもいない者が歩けなくなるということは、働くことができず…即ち死に直結する。
今は聖女の身内として保護されているが…
他人を信用していない彼らにとって、安全な今の生活が恒久的なものと思うことはできなかった。
突然聖魔法が使えるようになったのだから、またいつ何がきっかけで使用できなくなるかもしれない…
だから、いつまた昔の生活に逆戻りしてもいいいようにと、無償で学べるうちにしっかり学んでおくことに貪欲であった。
そのような聖女の学園生活を補佐する生活をしばらく続けていたある日、婚約者のデルフィーヌから
『女性だけが学ぶマナーや教養もございます。クリストファー様がお教えするより、同性の私の方が聖女様の補佐には適しているのではないでしょうか?』と申し出があった。
確かに異性の自分では気づかない点もあるかもしれないし、王太子妃教育をしているデルフィーヌなら問題ないだろうと任せたのだが…
『クリストファー様から聖女はこの世界で最も尊い存在なので、他の王侯貴族に謙る必要はないと教えられましたが…
デルフィーヌ様は私が平民の出なので、聖女でも貴族の方には気をつかった方が良いとおっしゃいます。
どちらが正しいのでしょうか?』
と聖女アネモネに尋ねられ、クリストファーは頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。
(デルフィーヌは何を言っているのだ?)
王侯貴族はその国の中でだけで認められる地位なのに対し、聖女の称号は世界が認めるもので、その地位は王よりも遥かに上とされている。
そんなこと貴族なら子供でも知っていることなのに…。
クリストファーはすぐにデルフィーヌを補佐から外した。
けれど…王太子の婚約者がそのような態度をとったために、学園内にも勘違いする者が現れ…
事件は、クリストファーが公務で国を離れたわずか2週間の間に起こった。
この世界で最も尊い聖女が、安全に護られるはずの学園内で害されたのだ。
被害自体は教科書を隠されたり、こそこそと陰口を言われたり、廊下を歩いている際に後ろから来た何者かに押されて転けそうになったというような些細なものであったが…問題はそこではない。
王よりも尊い、この世界で最も尊い身分の聖女にそのような愚かなことをする者が存在するということが問題である。
お粗末な犯行だったため、すぐに犯人は見つかった。デルフィーヌの派閥の伯爵令嬢のさらにその取り巻きの男爵令嬢だった…。
デルフィーヌはただ伯爵令嬢の前で憂いを見せただけ…
伯爵令嬢はその憂いが聖女に関することだろうと推察し、取り巻きの男爵令嬢に愚痴をこぼしただけ…
男爵令嬢は伯爵令嬢の意を勝手に汲んで、ちょっと平民出の聖女がつけあがらないよう躾をしてあげただけ…
そんな大したことではない…。
皆そのように安直に考えていた。
結果、男爵令嬢は退学となり、家を守るために勘当され、平民として嫁に出そうとしたが聖女を害した者を引き受けてくれるような嫁ぎ先は見つからず…結果王都から遥かに離れた僻地の牧場で、ただのメアリーとして労働して暮らす一生を送ることになった。
伯爵令嬢も直接手を下した訳ではないが、そのような聖女を軽視した考えをもつ彼女と縁を結びたいと思う貴族の家はなく…整っていた伯爵令息との婚約も破談になった。
これ以上学園に通っても醜聞を広めるだけだろうと早々に自主退学させたが、嫁げる宛もなく…
聖女を害することに加担したような娘を、修道院に預けるわけにもいかない…。
屋敷にいて嘆き悲しむ彼女を慰めたのは、心優しき庭師の青年だけであった。
彼は毎日、部屋に閉じこもり出てこないお嬢様に、その日咲いた一番美しい花を届けた。
そんな二人はやがて恋に落ち…けれど身分差のある彼らの結婚が世間に認められるはずもなく…駆け落ちした。
伯爵は社交界に居場所を失い、何の役にも立たなくなった娘を敢えて探すことはしなかった。
そして公爵令嬢デルフィーヌは、クリストファーとの婚約を解消された席で見せた醜態が、父親の公爵に高位貴族に嫁がせるに適さないと判断され、卒業を待たずして分家の子爵家に嫁がされた。
クリストファーは側妃ヴィクトリア様の姪でイヴェール帝国の第一皇女アレクサンドラと新たに婚約を結んだ。
元々アレクサンドラ皇女は幼少期から才媛として誉れ高かったため、プリマヴェーラ王国からもクリストファー王太子の婚約者にどうかと打診していた。
けれど自国の聖女がすでに年齢を重ねていたため、新たな聖女が現れた国に縁付かせたかったイヴェール帝国からは断られていた。
それはデルフィーヌが婚約者に選ばれる少し前の話である…。
今回、新たな聖女アネモネが現れたプリマヴェーラ王国と、何とか繋がりを持てないか?と各国が虎視眈々と狙っていた状態で、まさかの王太子の婚約解消が発表されたため、その情報をいち早く手にしたイヴェール帝国から速攻で申し出があり、この婚約が整った。
自国に聖女が現れた今、経済大国であるイヴェール帝国と次世代の縁も深めることは、プリマヴェーラ王国にとっても利になることであった。
アレクサンドラ皇女には帝国に幼馴染の婚約者がいたが、クリストファーの婚約がなくなったと聞くやいなや、その婚約は解消されプリマヴェーラ王国に嫁がされた。
第一皇女として他国に嫁ぐことを念頭において教育されたアレクサンドラにとって、それはごく当たり前のことであった。
例え幼馴染の婚約者が初恋の人で、ずっと思い続けてきた人だったとしても…。
全ては愛する国と民のために…
そんな二人は、後の世で賢王徳妃として語られることになる。
婚姻によって絆が深められた友好国は、様々な分野で協力を深め、目覚ましい発展を遂げた。
お読みいただきありがとうございます。




