第008話 袁術軍の襲撃
「やはり合戦は、避けられそうに在りませんね」
簡易な報告を受けると、呉太妃は静かに呟く。
堂々と袁術の旗を靡かせて押し寄せる敵の正規兵は、徐々に姿がハッキリと映るようになる。
呉太妃の乗る二輪車馬の脇に、陳宝の騎馬と兪河の騎馬が並走する。
呉太妃は手にした軍扇を開くと、辺りの状況を具に観察している。
やおら軍扇が閉じられると街道沿いの丘陵を指し示して、先ずは陳宝に指示する。
「あなたの義侠団のことは、まだ敵に知られていません。陳宝殿はあの丘陵に義侠団三十名を率いて昇り、身を潜めて合図を待ちなさい。山腹の紅葉が上手く身を隠してくれるに違いありません」
「はっ! 仰せの通りに」
陳宝は馬上で拝礼の姿勢をとる。
「私たちはその先に見える開けた場所まで進みますので、兪伯海殿は手勢と残りの義侠団を指揮して、その後方に陣を構えなさい」
兪河もまた馬上で拝礼の姿勢を取り静かに頷く。
「敵と戦闘になったら合図の鐘を打ち鳴らします。陳宝殿は、その合図とともに丘陵を駆け下って敵の背後を突きなさい。今回の作戦はお互いの呼吸が肝要です。もしも敵が退却するようならば深追いは無用です。これから取って返したところで、兵力を整える間に私たちは長江を渡り江東に抜けていることでしょう」
「はっ!」
陳宝と兪河は深々と一礼すると、各々の役割に向かって馬首を巡らす。
騎馬百騎の軍勢が立てる物音は次第に地鳴りのように山林に響き渡り、敵からの威圧がこちらまで伝わってくる。
孫家一行が街道沿いの開けた土地に入ると、荷馬車を最奥において、その前を呉太妃が乗る二輪車馬が陣取る。
その周囲には孫家の子弟が騎乗して抜刀する。
その内から施然の駆る騎馬が、紅紅の乗る荷馬車に駆け寄る。
「紅紅たちは、戦闘が終わるまでは荷馬車から頭を上げないように。戦闘の物音が気になるようなら、固く目蓋を閉じて手で耳を塞いで身を低くしてた方が安心できる。貴女たちのことは必ず私が守ってみせるから信じて待っててくれ」
施然は柔らかに微笑みかけると、再び孫家の一家が構える陣に戻る。
(施然様が守ってくださる! 超ォ夢みるシチュじゃない。施然様の活躍される御姿をこの目に焼き付けたいけど、ここは言い付けを守った方が可愛いあたしのターンってことになるわね。それよりもマジ怖いのヤバいくらいなんですけど)
「ヤッパリ、わたしも行って来るわ」
それだけ言い残すと、梟は朱塗りの短鎗を片手に荷馬車の縁を乗り越える。
「無理だけはしないでね! 女の子なんだから、傷なんか負ったりしたら駄目なんだからね」
紅紅も恐怖に縮こまりながらも精一杯の声を振り絞る。
梟は手近の荷馬車に繫駕されている馬を軛から解き放ち、颯爽と裸馬に跨り手綱を取る。
最初は慣れない様子で左右にバランスを崩しながらではあったが、なんとか孫一家の構える陣に合流する。
やがて街道を一列で突き進んで来る袁術軍を見ると、兪河はニヤリと笑みをこぼす。
振り返ると味方の手勢に声を掛ける。
「袁術の兵は戦というものを知らん。まるで蛇のように縦長の陣形だ。我々は広場の手前で敵の足を止めるぞ。者ども儂に続け!」
おお――っ!
人数は少なくとも、兪期門僕射が率いるのは精鋭揃いの近衛兵である。
また合流した義侠団の面々も殿を務める程の百戦錬磨の猛者揃いなのだ。
敵の袁術軍は百騎余りによる追撃とは言え、伸びきった隊列のため会敵は三・四騎づつの突撃に過ぎない。
本来なら百騎対十数騎で遥かに劣勢であるはずが、敵との接触時には三倍の兵数で立ち向かうことが出来る。
兪期門僕射の率いる近衛兵は、次々と押し寄せる敵兵を切り捨てる。
しかも兪期門僕射の部隊運用は巧みで、先頭の兵が疲弊しきらない内に新手を後方から投入する『車掛りの陣』である。
時折、数騎が『車掛りの陣』の脇を擦り抜けて後方の二輪車馬に殺到しようとするが、その前面に敷かれた孫権率いる子弟の軍にあっさりと討たれてしまう。
先頭が切り伏せられると、血溜まりの中に後方の兵が突入することになる。
袁術軍は味方の無残な死に様を横目に孫家の部隊に斬り込もうとするが、その勢いは次第に薄れていく。
すると威勢の良かった騎馬集団は長蛇の列に進軍は止まり、徐々に後方の騎兵が右往左往するように見受けられる。
どうやらその後方で怒鳴り散らしている武将が、袁術軍の指揮官であるようだ。
その時、二輪車馬で戦況を見定めていた呉太妃の軍扇が翻る。
それを見留めた施然が合図の軍鐘を打ち鳴らす。
カンカンカ――ン!
軍鐘の合図とともに混乱した後方部隊の側面の丘陵地から、身を潜めていた陳宝率いる義侠団が雄叫びを上げて急な斜面を駆け下りる。
街道沿いの袁術軍は、突然現れた陳宝の伏兵部隊にすっかり取り乱して指揮官の声すら届かない。
陳宝は背に担いでいた黒光りする愛用の斬馬刀を両手に振るい、次々と袁術軍の兵を薙ぎ倒していく。
しかも彼の進む先は一点に定められている。狙うは先程から声を枯らすように叫び続ける指揮官である。
「その出で立ちは、寿春県にて孫一家を襲撃した指揮官と特徴が合う。お前だけは決して許さん!」
掛け声と共に、その指揮官に向けて愛用の斬馬刀を鋭く水平に薙ぐ。
すると先程まで声を枯らし叫び続けていた男の頸から、夥しい赤い液体がまるで噴水のように高々と吹き上がる。
遥か後方の崖に大きな球状の物体がグシャッと鈍い音を立てて落ちると、そのまま崖の斜面を転がっていく。
その光景を周りの袁術軍の兵達は、茫然とした表情でその行方を目で追う。
やがて、それは切り断った崖の向こうに消え失せてしまった。
それからの袁術軍は、阿鼻驚嘆の地獄絵図に姿を変えていく。
行方を阻む仲間を無残にも切りつけ、我先へと脱出路を求めて敗走を始める。
逃げ腰の兵はあまりに脆い。
義侠団の面々もそんな彼らを見逃すほど甘くはない
味方を切りつけるような卑怯者から片っ端から切りつける。
義侠団が手にする得物は、それぞれ使い込まれた一点ものだが一様に大振りの剣だ。
その討ち取られた兵士の亡骸も一様に無残な有様で討ち捨てられている。
やがて後方にいた数騎のみが散を乱しての逃走に成功したようだが、それらには目もくれない。
袁術軍においても、軍律に背いての敗走は極刑に処せられることが決まっている。
逃げた兵士もまた、戻る場所など無いのである。
戦闘の大局を見据えた兪河は馬首を巡らし呉太妃の下に駆け寄ると、下馬して拝礼の姿勢で奏上する。
「敵の袁術軍は壊滅、その一部は潰走。我が軍は手負いの者すら出しませんでした。お味方の大勝利です。是非とも勝鬨を!」
勝鬨は重要な儀式のようなものである。
兵はそれによって、平時と戦時の切り分けを行うのだ。
「それでは此度の勝鬨は、孫権! おまえが執り行いなさい」
孫権は恭しくその役目を担うと、馬に再び跨り義侠団の中心にいる陳宝の元へ駆け出して行く。
おお――っ! おお――っ! おお――っ!
やがて義侠団の面々から、雄叫びが上がる。
「それから兪伯海殿は手勢を使って、敵兵の亡骸をこの広場に並べなさい。懇ろに弔った後に荼毘に付します」
兪河も深々と拝礼して、仲間の兵と共に敵の亡骸を広場の片隅に丁重に並べる。
貴重な油が撒かれ火を付けると炎は一気に燃え広がり、灰色の煙が空高く棚引く。
【用語註】
・繫駕:荷車や農具に繋がれていること。
・軛:馬に牽引棒を固定するための道具。




