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姫サマだって密かに恋を謀る  作者: そうじ職人
第二章 冠礼の儀殺人事件

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第029話 罪人との駆け引き

 張(チン)は諦念を浮かべた表情のまま、シャオに顔を向けて静かに語る。

「お姫サマの口添えはとても嬉しいが、私がおこなったことは決して許されることではない。そん将軍が仰る通りに相応の罰を受けなければならない」


― ひょっとしたら、わたしの差し出すこの手のひらは、あの人の救いには《《ならない》》のかも知れない ―


 自分の力不足に無力感すら感じる。それに確かに孫策そんさくは、既に罪を処断すると言っている。


― 情けは他人の為ならず ―


 フッと脳裏に、そんな言葉が浮かんでくる。

 再度、シャオは覚悟を決めて背筋をピンと張る。


「あなたは曹操そうそうの言いなりになって、こんな理不尽な要求に従うだけなの? それでは黄巾党こうきんとうの民を一人も救えなくって、その人たちみんなの期待を失望に変えるだけなんだわ。そして憎しみに駆られた黄巾党こうきんとうの民は、誰も望まない戦争に身を投じる。そんな生き方をいることが、あなたの遣りたいことだったの!」


「違う! それだけは断じて違う。私が居ることで黄巾党こうきんとうの民は曹操そうそうもとを離れられないのかも知れないんだ。解放される民が居ないのなら、せめて心の束縛だけでも取り除いてあげられるかも知れない」

 張(チン)は勢いよく立ち上がる。

 その拍子に腕に掛けられていた布が、ハラリと落ちる。

 見ると手にも足にも、丈夫な革で作られたかせはめられている。


― 今まさに束縛されているのは、間違いなくこの人なんだわ ―


 シャオも席から立ち上がり、大きく息を吸い込む。

「もしも『孫子そんし幻の第十四篇』を持たせて曹操そうそうの元に戻れば、本当に十万人の民が解放されるのかしら? そもそもあなたは未だ冠礼かんれいの儀も受けてないのに、そこまでの重荷をたった一人で背負うべきではないわ」


「少なくとも私の歎願を受けて、曹操そうそうはそうやくしたんだ。せい州で投降した折も、曹操そうそうに指揮下に入れば父が民に施したように一生の生活を保障するってやくしたんだ。私にこれ以上、何が出来たと言うんだ」


― 顔は紅潮しているが、まだまだ絶望の糸に囚われている ―


 するとおもむろ太妃が一言だけ提案する。

「それでは、この者に『孫子そんし幻の第十四篇』を譲りましょう」


 その場に居る者全員が、太妃を見詰める。


「たかが兵法書の一篇に過ぎません。それで、この若者の運命と十万人の民が幸せになるのなら、それは始祖孫武(そんぶ)の意志に他なりません」

 太妃は静かにさとす。

 

「母上、あれはそん家の宝です。それを成り上がりの曹操そうそうの手にむざむざ渡すのは、私は反対です」

 孫権そんけんが珍しく強い口調で反対する。


 その孫権そんけんの言を制すように、孫策そんさくも立ち上がり張(チン)に問う。


「事情は全て聞かせてもらった。私は母上の申される通り、疲弊した民を十万人も救えるのなら『孫子そんし幻の第十四篇』をくれてやっても良い。しかも丁度ちょうど都合良く『君主篇』とはな。曹操そうそうも戦争ばかりではなく、何が国の統治に肝要かを知るには良い機会となろう」

 そう述べると、ニヤリと笑みをたたえる。


「そこで張(チン)よ。そん家は先祖伝来の家宝を其方そなたに託すのだ。果たしてその対価をどのようにして返す積もりであるかな?」


「もしもその話の通りに私の願いが叶うのなら、曹操そうそうに『孫子そんし幻の第十四篇』を渡して民十万人を解放するのなら、その民と共にそん家に仕官いたします。そん将軍が先日発布したれいは投降した民を保護するもの。曹操そうそう屯田兵とんでんへい制よりも遥かに寛大な触れと感じました」

 ようやく張(チン)の瞳にも光がともる。


「それではお主に『孫子そんし幻の第十四篇』を託した時点から、我がそん家の傘下に入ると言うことでも良いな」

 孫策そんさくがひと際大声量で、張(チン)に問い掛ける。


「約束をたがえることは断じてありません。教典『太平清領書たいへいせいりょうしょ』に誓って!」

 張(チン)は力強く応える。


 孫策そんさくは大いに満足すると、再び席に深々と腰を下ろす。


「それではこの後は、僭越せんえつながらこの公瑾こうきんが話を詰めましょう。それと張子布(しふ)殿もお呼びいただけないでしょうか?」


 孫策そんさくは大きくうなづくと陳(パオ)を残して、そん家一同を引き連れて離れの座敷牢の如き簡素な部屋を後にする。


けん兄様。先程は異なる意見を述べてしまい申し訳ありません」

 シャオ孫権そんけんの背に向かって深々と頭を下げる。


アッハッハッハッハ!


 孫権そんけんはひとしきり笑い飛ばすと、シャオに向かって笑顔で応える。

シャオの意向などお見通しさ。お陰で私が悪役を演じる羽目になってしまったがね」


 その返答に、さすがのシャオもキョトンとする。


「まぁ、ここまでが冠礼かんれいの儀の習礼しゅうれいと言う訳だな」

 孫策そんさくが先頭で笑顔で応える。


「まぁ、本当に『孫子そんし幻の第十四篇』など渡す積もりなど無いのですよ。誰も知らぬ『君主篇』。少々、曹操そうそうには耳が痛い内容を私が竹簡ちくかんに筆でしたためましょう」

 太妃も何やらクツクツと、忍び笑いをこらえている風情だ。


「ひょっとして、みんなでわたしのことをだましてたの!」

 シャオもここまで聞けば察しが付く。


「だけど偽書ぎしょなんかを、張(チン)に持たせて無事で済むのかしら?」

 心配半分、後ろめたさ半分で問い掛ける。


「誰も『君主篇』など知らないのだよ。曹操そうそうだって真贋しんがんも計れずに張(チン)を罰することは出来ないさ。もしも偽書ぎしょと断じる欠陥を見つけ出しても、そん家から持ち出した『孫子そんし幻の第十四篇』なんだ。曹操そうそうの対応が見物みものというものだよ。きっと青州兵せいしゅうへいに対する人質である張(チン)ちゅうする訳にもいかず、かといってせい黄巾党(こうきんとう)十万人もの兵力を手放すとは思えん。きっと我々が描いた絵図えずの通りに動くはずさ」

 孫権そんけんが珍しく饒舌じょうぜつに語る。


「それにな。ちゃんと張(チン)を見守る者も用意してある。張昭ちょうしょう三公さんこうの役所に推挙された時に、共に辞退した者がいてな。名を張汪ちょうおうという。今は洲の粟邑りつゆう県の県令を務めているはず。青州兵せいしゅうへいの処遇にも一枚噛んでる変わり者でな。場合によっては張(チン)を養子に迎えて、曹操そうそうの支配下から解き放ってくれよう」

 孫策そんさくが楽し気に語り始める。


「それでも、あの張(チン)をただ開放する訳ではないんでしょ?」

 シャオが核心に触れる。


「それはそうね。死罪から罪一等を減じるのですから。今後はそれなりの働きをして貰います」

 太妃が毅然と述べる。


「張(チン)は陳屋衛都尉(おえいとい)の最初の《《裏》》の部下とする。そのためにも、この曲阿きょくあ県に潜伏中の褐巾賊かっきんぞくは一人残らず捕縛する」

 孫策そんさくは振り返り、皆に向かって宣する。

 

― 今は張(チン)にとってせい黄巾党(こうきんとう)とは距離をおいて、新たな生きがいを見出すべきかもしれないわ ―


 シャオはそこまで考えを巡らせると、兄達の背に追い付こうと回廊を駆け出す。

【人物註】

張汪ちょうおうあざなは不明。優秀な文官で八歳の娘がいる。曹操そうそうの勢力下の洲で栗邑りつゆう県県令を務める。


【用語註】

三公さんこう:後漢の最高官職で大尉たいい司徒しと司空しくうの三つの役職で軍事・行政・民政について皇帝の補佐をする。

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