第028話 張清の告解
「あなたは神か、仙人か!」
張清の顔色はみるみる蒼褪めていく。
自然と布に覆われた両手の拳の辺りから、クシャッと音立てて何かが折りたたまれる音が微かに漏れる。
やがて、フーッと大きく溜息を吐くと諦念の表情を浮かべて言葉を紡ぐ。
「本来ならば、間者とは任務を失すれば即時に命を絶たねばならないと教えられました。しかし今回の習礼自体が、全てを見通された上での大掛かりな芝居だったのですね。ところでどうして曹操の命だと分かったのですか?」
おずおずと、目の前で泰然と腰掛ける周瑜に向かって問い掛ける。
「それは狙っている宝物が、外ならぬ『孫子幻の第十四篇』だったからですよ。兵法書『孫子』は名家・軍略家なら写本を所持していることでしょう。しかしながら偽書もまた数多流布しているのが実情です。それでも確かな書はあるのですよ。それが孫家が家宝として引き継ぐ、この竹簡の原書なのです。そして失伝した篇の内、孫家宗家だけが持つと言われる『孫子幻の第十四篇』こそが『君主篇』と題された、皇帝を約すと伝わる書なのです」
周瑜は迂遠な言い回しで答える。
「そんな権威の象徴みたいなものではないわ。あの書には皇帝という言葉すら使われてないのですもの。ただ戦争の無い世の中とは、徳と法を併せ持つ王が中華全土を統一するとだけ書かれているに過ぎないわ。徳を修めたる者に人は集い、平らかに法を布するところに國は生まれる。『修德者人聚 平布法國生』」
梟は諳んじて、とある一文を口にする。
「そうですね。孫家の始祖孫武が存命してた頃には、中華全土には国が乱立していたのです。それを初めて秦が統一王朝を築くのは、『孫子』が兵法書として遺されて三百年後のこと。とても皇帝を約す書とは言えませんね。ただし戦争のない国を理想とした中に、中華全土を統一した形が潜在化してたのかも知れません」
呉太妃が静かに注釈を入れる。
「つまりは、そうした書を敢えて欲するのは帝位を窺う野心を持つ者で有り、兵法書『孫子』に強く惹かれている者で有り、そして孫殄冦将軍の目の前で愚挙に及ぶほど権力に毒された者なのです。そしてそんな野望を抱く者は、中華広しといえど曹操くらいでしょう。それよりも、あなたの素性をまだ聞いてはおりませんね。おそらくは黄巾党に深く関与するのでしょう」
周瑜が穏やかに羽扇を仰ぎながら答える。
張清は驚き仰ぎ見る。
「ど、どうしてそこまで! ……分かりました。お約束の通り全てをお話いたしましょう。私の名は張清で間違いありませんが、その出自は太平道の教祖たる張角が唯一の息子なのです。『蒼天已死 黄天當立 歳有甲子 天下大吉』、父が遺した言葉です。本来はあの様な大規模な反乱を期していたのでは在りません。その証拠に父は、その年の内に病没しました。私は側近に匿われ青州で落ち着くはずでした。しかしながらその地の信者百万人に担ぎ上げられて、また武装蜂起の中心に置かれることになりました。その上、信者は戦争を知らない普通の民です。まともな戦い方も知らずに飢えと戦いで多くの者が命を落としました。私は側近に全員が安心して田畑を耕す生活に戻れるように、敵と交渉するよう促しました。すると曹操は『屯田兵』という新たな形で、黄巾党三十万人を自軍に組み込んだのです。私は信者に対しての人質のような形で過ごしてきました」
次第に感情が昂ってくるのか、肩を震わせている。
「その後は事在るごとに、私は曹操に頼み込みました。黄巾党の面々を祖国に帰農させて欲しいと。その度に無理難題を押し付けられました。或る時には天子様を拉致して来るようにとも命じられました。そうすれば黄巾党の軍は解散しても良いと。そして今回新たな提案がありました。それは三つの提案でした。その内容は孫家に潜り込むこと。そして一つ目はそちらに居られる孫伯符様を殺めよというものでした。その見返りとして黄巾党十万人を解放すると言うのです。もちろん断りました。すると二つ目は孫家が有する玉璽を持ち帰るよう迫ってきました。その見返りに黄巾党十万人を解放すると約しました。しかし調べてみると、玉璽は既に袁術の手に渡ってるようなのです。そこで端から太平道の信者を開放する積もりが無いと悟りました。しかし三つ目の提案は少しばかり違いました。それが孫家が秘蔵する『孫子』の原本または幻とされる第十四篇を盗み取ってくること。それにより黄巾党十万人を解放すると約すのです。第十四篇は幻と言われるだけあって存在は不確かなものでしたが、曹操が『孫子』の原本は存在するはずなのだから、それを持ち帰れば第十四篇には拘らないと言うのです。それで十万人の信者が解放されるならと、その命令を初めて受けました。そのあとは曹操子飼いの精鋭の隠密部隊と行動を共にして潜入に成功しました。その後は全てあなたが推察された通りです」
張清はホッと肩の力を抜き、何かしらか解放されたような面持ちを浮かべる。
「そこが曹操の策謀の巧みなところなのです。何故あなたを皇帝のいる長安や、孫家のいる江南に向かわせたがったのか分かりますか? 曹操は青州兵として組み込んだ黄巾党が、未だにあなたのために戦っていることに焦りを覚えていたのですよ。あなたが成長するにつれて再び教祖として崇めて、自らに反乱を企てる光景が何度も浮かんだに相違ありますまい。そこで遠方に追いやって、死んでくれれば好都合と考えたのでしょう。例えば孫家があなたを殺せば青州兵は孫家に恨みを持ち、曹操の言いなりになる傀儡の兵と化すでしょう。また地方で未だに衰えぬ黄巾党を一纏めに抱えられるかも知れない。それが曹操の野望そのものなのです」
周瑜は諭すように、張清に語る。
「それでは、あの『幻の孫子第十四篇』を持ち帰ったとしても、青州兵十万人は解放されないと言われるのですか?」
その言葉に周瑜も、静かに頷きながら答えを返す。
「むしろ帰還途上で命が狙われていたのやも知れません。そして孫家の手で殺められたと喧伝するのでしょう」
「公瑾よ。それでこの先、この者をどうしようと言うのだ? 既に孫家の家人を殺めておる。しかも、権の習礼を汚す行いは不敬である。曹操がどのように喧伝しようとも正義は我にある。更には名も無き盗賊が誅されるのは、是非も有るまい」
孫策は大局を推し謀って、周瑜に問う。
「その通りです。現状では闇に潜む黒幕が、曹操であると分かっただけに過ぎません。さてと、ところで梟姫には何か思うところがあるとのことでしたが、一体どのような話がしたかったのか? 結論を出す前に聞いてあげましょう」
周瑜は梟に微笑みながら語り掛ける。
「これは張清の選択次第なのですが、生きる選択肢を与えてはどうか? と思ってるのです」
梟は小さな胸を張り、毅然とした口調で発言する。
【人物註】
・張角:太平道の教祖。大賢良師と称す。集まった信者は百万人を超え武装蜂起する。
【用語註】
・屯田兵:未開拓の土地を無償で提供する代わりに兵役を課す制度。生活は苦難を極める。
・青州兵:青州黄巾党の残党。当時青州黄巾党にのみ明確な指導者は記されておらず曹操没後に解散している。




