第027話 習礼での事件
年の瀬の忙しい折に、冠礼の儀のための場が大堂に設けられる。
その造りは急拵えであるため、簡素ではあったが格式自体は十分に備わっている。
しかも今の呉景屋敷には孫策麾下の重鎮や将軍が皆揃っており、大堂の中だけの顔ぶれだけでもその荘厳な儀式の風格が伺える。
大堂には主礼席が上座に設けられ、家長たる孫策が席に腰掛ける。
やや下がった場所に冠者の席があり、そこには成人を迎える孫権が席に付く。
孫権は漆黒の深衣の式服を身に纏い、真紅の帯には赤翡翠の佩玉を垂らしている。
介添人の席は冠者の席の後ろに配され、そこには周瑜が涼しげな顔で席に付く。
加冠の者は右に二席配され、それぞれ呉景と張昭が腰掛ける。
諸将は左右の列席に腰掛け、孫家の者もそれに加わる。
梟の席もそこに用意されている。
主簿が声を張り上げ、列席の諸将の名を読み上げる。
すると呼ばれた者は、すっと席を立ち主礼席に向かって拝礼すると腰を下ろす。
孫権の前には、孫家・呉家の儀礼の宝物がずらりと並ぶ。
― ああ、やっぱり権兄様も素敵。とうとう来春には成人なさるのね ―
壮麗な楽団による音楽が奏でられると、主礼席の孫策が席を立ち冠礼の儀の宣誓を行う。
先ずは初加『仁の加冠』からである。
呉景が漆黒の布で設えた冠を持ち、孫権の前に進み出る。
「汝、成人の証として布冠を加冠して、ここに徳目『仁』を授ける」
孫権はやや頭を垂れて、布冠を頭上に戴く。
呉景はニッコリと微笑み、顎の下で紐を結わえ付ける。
壮麗な音楽が一際大きく響き渡る。
次に再加『義の加冠』である。
張昭はゆったりとした所作で、皮で設えた冠を手に孫権の前に進み出でる。
介添えの周瑜が進み出ると、孫権が被る布冠の紐を解き冠を手に後ろに下がる。
「汝、成人の証として皮冠を加冠して、ここに徳目『義』を授ける」
張昭は手慣れた所作で、皮冠を被せて紐で結わえる。
再び壮麗な音楽がひと際大きく響き渡る。
最後に三加『礼の加冠』である。
孫策は家長でもあり、これから仕える主君でもある。
主礼席から降り立つと、悠然とした動きで孫権の前まで歩みを進める。
「汝、成人の証として正冠を加冠して、ここに徳目『礼』を授ける」
再び介添えの周瑜が進み出ると、孫権が被る皮冠の紐を解き冠を手に後ろに下がるが、その折に右肩に軽く肩を叩く。
孫策は正冠を被せる仕草だけを取り、一同に向かって宣する。
「本日は習礼のためここまでとするが、この後に字を授けて儀式を終える。本日は我が弟、権のために集まって頂き誠に感謝に堪えぬ」
楽団から銅鑼の音が奏でられ、習礼が終了したことを告げる。
「いや、立派な冠礼の儀でしたな。習礼とは思えぬ風格を感じましたぞ。早くも来春の到来が待ち遠しいものですな」
諸将が感嘆頻りに話し合う。
儀式の終了を以って、家人や衛士の手によって宝物の類いも静かに引き下げられる。
バシィ――ッ! ガタン! ガラガラガラガラ。
突然、殴打音と共に若い衛士が倒れ込む。
そこには茫然自失とした張清が、羽扇を手にした周瑜をただただ見上げていた。
「あなたの狙いは、孫家伝来の原本『孫子幻の十四篇』でしたか」
周瑜は厳しい目線で張清を見遣ると、その青い深衣の懐から竹簡一巻を取り上げる。
張清は辺りを窺うように見遣るが、取り巻くのは歴戦の猛者たち。
直ぐに戦意を喪失して、その場に蹲る。
「先ずは隠し持った得物を捨てて貰いましょうか。これ以上毒の刃を振るう必要はありますまい」
周瑜は全てを見通すような視線で、張清の行動を縛る。
諦めたように短刀を懐から出して床に置く。
「これには毒は塗られてない。もっとも利き腕が動かなくって、短刀で何をすることもできない」
背を丸めた若者は肩を震わせて、唯々涙を流し続けている。
その涙の意味が分かる者は、ここには誰もいなかった。
「それでは場所を変えて、事情を聞かせて貰いましょう」
周瑜は合図を送ると、三名の衛士が駆け寄り張清を抱え込むように引き立てる。
「なるほど、これがあの夜に起きた惨劇の動機と原因なんだわ」
梟が気付かずに小声で呟く。
数刻もした頃に、ようやく取り調べが出来る状況が整ったとの報告が上がる。
孫策を筆頭に呉太妃、孫権、周瑜と梟だけが取り調べに就く。
護衛代わりに陳屋衛都尉が加わる。
「我が義侠団からこんな半端者を出しちまって、すまねぇ。新参だとかそんなことは言い訳にもならねぇ」
陳宝は何度も何度も懺悔の言葉を口にする。
「陳屋衛都尉殿、今回の件は周到に仕組まれた策なのですよ。その相手も大体分かりました。きっとあの者自らの策なのでしょう。事前に阻止できたのは陳屋衛都尉殿のお手柄と言っても過言で有りますまい。それに今後のお役目は更に重要なものとなっていくでしょう」
周瑜のみが、この状況の全てを把握しているように見える。
― さすがは周公瑾様ね。きっと、わたしなんかの何倍も先を見通しているんだわ ―
梟は、周瑜の凛々しい後姿に見惚れてしまう。
そうした中で着いた先は一般的な牢獄などではなく、座敷牢とも似た鍵付きの簡素な一室である。
卓が一つ備えられ、その向こうに張清が頭を抱えて俯せている。
周瑜一人が卓に向かって座り、その他の孫家の者は後ろに用意された椅子に腰を下ろす。
やはり、ここは周瑜が口火を切る。
「私には大体の事情を掴んでいると思っているのだが、一つだけ肝心な部分が分からないのだよ」
そこで一旦、口を閉じて暫しの思索に耽る。
「張清だったかな。その名は本名だろうか? それに指示した人物も凡そ察しが付いている。そして、その人物が何故に『孫子幻の十四篇』を狙わせたのかも分かっているし、その裏に潜ませた君も知り得なかった策略も、私には手を取るように分かっているんだ」
周瑜は羽扇で仰ぎながら、相手の表情を窺う。
「そ、そんな訳あるか! 指示した人物が分かるなら当ててみろ。そしたら何故私がこんな盗賊紛いの真似までしたのか説明しようとも」
「その言葉に二言は有るまいな!」
周瑜の瞳が鋭利な刃物のように、張清の瞳を貫く。
その気迫に押されるように、渋々ながら首肯する。
「今回の黒幕の名は、曹操以外に有るまい」
周瑜の言葉が、この小さな部屋に重く響き渡る。
【用語註】
・習礼:儀礼の予行演習のこと。
・冠者:冠礼の儀を受ける者。成人する者。
・孫子:孫家の始祖である孫武が紀元前515年頃に著した兵法書。
・幻の十四篇:本作の創作。孫子は十三篇とされるが「漢書」には八十二巻・図九巻とある。




