第025話 初めての推理
梟は愛用の鉄扇を閉じると、卓に立てて突く。
「きっと問題は犯行を実行した賊が誰か? ってことだけじゃないのよ」
「どういうこと? それよりも人殺しの賊って誰なのよ!」
紅紅は前のめりになり、顔を突き出すように聞く。
梟は静かに澄んだ瞳を閉じて、一人の名前を口にする。
応接の間は暫しの静寂に包まれる。
「そ、そんなこと信じられないわ。だって未だ少年と言ってもいい歳よ! もちろん梟が名指しするくらいなんだから、それなりの証拠が有るんでしょうけど」
「証拠なんて無いわ。だけど特定ならできるの。紅紅は一体、彼の存在にいつ気が付いたのかしら?」
「きっと、阜陵県の屋敷から帰りの旅程の間かしら? ほらっ、砕石洲の渡しで一緒に話したじゃない。それまでは義侠団とは、あまり話もしなかったもの。唯一話してたのは団長の陳宝くらいだったのよ」
「どうして紅紅は行きの道中で彼のことに気付かなかったのかしら? 歳なら一番近いはずだし、義賊団の中では目立つ存在のはずよ」
そこまで言われると、どうして気が付かなかったのかが気になりだす。
「きっと、二輪車馬は視界が前方に限られるのよ。それに何かが有れば、陳宝が隣に葦毛の大きな馬を横付けしてくれたわ。それに旅慣れてないから、きっと周りのことに気付けなかったのよ」
「わたしも帰りの旅程で義侠団の皆の名前まではさすがに覚えてないけど、二週間もあれば顔と性格くらいは知ってるわ。二週間の旅程の間には宿にも泊ったはずだし、野営も一度や二度のことではなかったはずよ。そして彼は言ってたわよね、『若手は人一倍働かなければ認めてもらえない』って。紅紅は行きの旅程で義侠団の内で思い出せるのは、本当に陳宝一人だけだった?」
「言われてみれば。他にも顔も名前だって覚えてる人は全員とまでいかないけど、結構いっぱいいるわ」
「二週間と言えば、それくらいの時間なのよ。その覚えてる団員の中に彼はいないのよね。それじゃあ一体、いつから彼は義侠団になったのかしらね?」
梟は愛用の鉄扇を、再び一折だけ開く。
「どうなっているの? 彼は、彼は一体何者なの……」
紅紅も事の深刻さに気が付いたようで、重く押し黙る。
梟は愛用の鉄扇を広げて口元を覆う。
「これはあくまで一番可能性の高い推測。だけど、きっと真実なんだわ。彼は……張清こそが、褐巾賊の一員なんだわ!」
梟はゆっくりと噛みしめるように語り出す。
「阜陵県に向かう二週間もの旅程の間に一度も張清を見掛けなかったのは、つまりは行きの旅程には居なかったことを示しているわ。それではいつ彼が義侠団として現れたのか? 施家の家人が施然様の安否を心配して同行した? もちろんそれは有り得ないのよ。なぜなら阜陵県の施家の家人とは、半年も寝食を共にしてたんだもの。わたしが先に気付いているわ。それでは阜陵県を発つ時には居なかったはずなのよ。更に義侠団の団員と兪伯海様の率いる警護の兵士は、殆ど面識が無かったのよ。それを知ってたのが、今回の事件の首謀者なんだわ」
「首謀者って、やっぱり袁術の手の者なの?」
紅紅はおどおどとした口調で尋ねる。
その問いに大きく頭を振り答える。
「袁術の手の者は行商人に姿を変えて屋敷を見張ってたわ。だから貴方達の合流を知らなかったはずなのよ。あれだけ袁術の旗を靡かせて襲撃して来たのは、こちらの手勢が十数名とみて侮っていたのよ。あわよくば又わたし達を人質にして、伯符兄様を再度直接の配下に組み込もうとしていたんだわ。お兄様の江東での活躍は逐次耳にしてたはずですもの。だけど深夜の襲撃。あの時の褐巾賊はわたし達を殺めることを厭わなかったわ。実際にわたしに当たった毒矢があと一寸ずれていたら、今頃わたしもこの世に居なかったかも知れないのよ」
「つまり、あの時の二度目の襲撃は別の勢力が関わってるのね。そして張清は、梟も周りの家族も殺すことを厭わない者ってことなの、ね」
その声は次第に絞り出すように発して、卓の上には大粒の涙が雫になって落ちる。
「きっと、あの深夜の襲撃は張清を潜入させる二段構えの作戦だったのでしょうね。褐巾賊は袁術の軍とは別に阜陵県の屋敷を密かに、常時監視していたのでしょう。だから新しく合流した義侠団と顔見知りが少ないことを確認した上で、今回の策を思い付いたんだわ。そして張清は義侠団に被害者が出たのを契機に施家から同行してきた家人とでも言って近づき、身寄りがないことを訴えて団員に加えて貰ったのでしょう。この辺りの経緯は陳屋衛都尉殿に聞けば正確な内容が聞き取れるはず。たぶんそのまま張清を問い詰めれば、今回の事件についても自白するはず、なのよ」
パチンッ!
口元に当てていた鉄扇を一気に閉じる。
その音に驚いた紅紅は滲んだ視界の内で、梟の毅然とした顔を見詰める。
「それなのに権兄様も、きっと賊の正体に気付いてるはずなのに何も動くなって言うの。きっと母上も伯符兄様もご存知なのに違いないわ。何かが、わたしの考えの何が足りないというのかしら?」
「それは褐巾賊が黄巾党みたいな独自の組織なのか? 誰かの命令で動いてるかを知りたいからじゃない? あの手の間者は問い詰めても、自害して果てると聞いたことがあるわ」
「きっと褐巾賊の目的は、誰かの暗殺ではないわ」
「どうして? 実際に母屋の家人は犠牲になってるのよ」
「わたしはあの深夜の襲撃の後で、亡くなった義侠団の亡骸を埋めて小さな塚を作ったの。その時に居合わせた義侠団の面々は決して忘れないわ。だから砕石洲の中洲で彼を見掛けた時から警戒していたの。それとなく母上にも警戒するように進言もしたわ。それでも特に警備の態勢は変えずに旅程は進んだわ。もしも孫家の者を暗殺したければ、長江を無事に渡った後を狙うはずよ」
「潜入が成功したことを知って、暗殺の対象をより重要な孫殄冦将軍に変えたのかも知れないわ」
「きっと違うわね。昨夜の惨劇の場所は母屋でも油灯の乏しい場所だったわ。少なくとも衛士に取り立てられていて、伯符兄様の寝所や警備体制を知らないはずも無いわ。きっと目的は、あの人気のない廊下の先だったのよ。あの先に在るのは書庫や家宝を保管する部屋になるの。今は一時的に孫家、呉家の歴代の宝物も眠ってるわ。動機としては十分かも知れない」
「それじゃあ、お宝目当てにこれからも褐巾賊が大挙して襲撃してくるのかしら?」
「分からないわ。動機にも確信が持てないの。ただ紅紅の言う通りに誰の思惑なのか? 若しくは誰が指示してるのか? それが一番大事な情報なのかも知れないわね」
それだけ言い終わると、梟は愛用の鉄扇を腰帯に静かに差し込む。
【用語註】
・間者:諜報を主任務とした者。スパイのこと。




