第020話 内堂での密議
ここ呉景屋敷は非常に広い。
その中心には、ここ内堂が設えられている。
周りは建物に囲まれていて外部からの目を阻むように建てられており、その建物に通じる通路は母屋からの一本しかない。
内堂の上座には孫家の当主である孫策が座り、その脇を呉太妃と呉景、張昭、朱治、周瑜といった盟友が並ぶ。
下座には孫家の子女と施然、そして何故か陳宝も席を共にしている。
「まずは劉繇との戦勝を祝いたい。それに無事に母上をこの屋敷に再び迎え入れられたのは、この上ない喜び。朱君理殿のご尽力に深く感謝申し上げる。それと陳屋衛都尉殿も困難な任務を見事やり遂げられた。子細は母上から伺っておる。後日改めて、目録を添えて褒賞を取らせる」
優しげな表情を浮かべつつ、密議は始まる。
「それにしても袁術の手勢が、これ見よがしに旗を掲げて追撃するとは赦せん! 屋敷を監視することすら、私を信用せぬ証しである。更には数々の戦功を挙げる度に、約束の恩賞も反故にされてきた。更には直接一族に刃を振るったとなれば、もはや袁術の麾下に甘んじてはおれぬ」
袁術の件となると、孫策も露骨に敵愾心を見せる。
「孫伯符殿、まずは落ち着きなされ。我が軍は五千余名に増えたとはいえ、まだまだ袁術が率いる軍勢十数万には遠く及ばず、『少なければ則ちこれを逃れ、若しくは能く敵う無きなり』と申す通り、当面は制圧した江東の地を盤石に固めて軍備を一層固めることこそ肝要です。それに袁術の星は、この二・三年の内に一瞬の光を帯びた後に、やがて漆黒の闇に飲み込まれると出ております」
周瑜は静かな声音で、孫策の言を嗜める。
「其方の星読みは、いつも不思議と当たるからの。きっと今回も、そうなるのであろうな」
孫策も心を落ち着けて、周瑜の言葉に笑みで返す。
― 周公瑾様は、いつ聞いても玉を転がすような涼やかなお声。お話の内容も素敵で適確に的を射ているわ ―
もちろん梟と周瑜には、血縁的な結びつきなどはない。
しかしながら兄の孫策と同い年の周瑜は、昔から家族ぐるみの付き合いをしている。
そのため幼くして父である孫堅を失った梟に対して、これまでも何かに付けて目を掛けてくれることがとても嬉しいのだ。
孫策は周瑜の言を受けて、我が意を得たりと話を続ける。
「まずはここ曲阿県を中心に、丹陽郡を再び呉叔父殿の施政下に戻す。同時に広く政令を発布する。内容は『劉繇・笮融の配下であっても、速やかに降伏・帰順する者在らば一切の罪を問わず。また軍に志願する者在らば、家族の賦役の一切を免ずる。また従軍は強制するものに非ず』とな」
内堂に集う一同が、その寛容なる案を熱く支持する。
さらに孫策は話を進める。
「この先に兵卒が増えたところで、肝心な兵を率いる者が居らねば烏合の衆に過ぎぬ。そこで周公瑾殿には西の丹陽郡を抑えて頂き、併せて有望な人材を集めて貰いたい。名のある将軍のみならず優秀な文官も広く集めねば、この広大な江南の地を治めるのは難しい。やってくれるか?」
「承知仕る」
周瑜はその場で快諾する。
「そこで権の君は来年で十四歳、数えで十五歳だ。来春の年賀を以って冠礼させ、一軍の将に任じようと思う。どうだ?」
孫策は、弟である孫権の双眸を見据える。
「はっ。冠礼の暁には、孫家の名に恥じぬ働きをお見せ致しましょう」
孫権はその場で力強く応える。
「施然の君も、確か孫権と同い年であったな。同じく冠礼の儀を以って、朱家の養子として後を継ぐことを皆に周知させれば、兼ねてより両家から申し出のある通りに名家朱家の跡取りも盤石となろう、さすれば江東の地も今後更なる発展を遂げよう。どうであるかな?」
次に孫策は、施然の双眸を見据える。
「有難き幸せ。この施然。若輩とは申せ、朱家を継ぎし後も孫家に忠誠を尽くす所存。以後何なりとお申し付け下さいませ」
施然は深々と拝礼して応える。
孫策は朱治に目を移し、互いに安堵の笑みを浮かべる。
「あとは母上にお願いしたき儀がありましてな。子弟の私塾の他に、名士の集う『清談の場』を催して欲しいのです」
「承知しました。しかし広く名士が集えるようにするならば、屋敷の外にでも新たに草庵を用意してはどうかしら? 門扉を通るには旗幟を鮮明にしなければなりませんし、善からぬ輩が紛れ込んでいるとも限りません」
呉太妃はまるで事前に、この事を予見していたかのように静かに答える。
「その通りですな。早速屋敷の改築を指示させましょう」
呉景も快く引き受けてくれる。
「最後に陳屋衛都尉殿」
「我でありますか!」
陳宝が驚きの声を上げる。
「そなたを屋衛都尉という官職に付けたのにも意味があってな。表向きはその名の通りに、屋敷の警護の任に当たって貰う。……が、だ」
そこで孫策は言葉を区切る。
そして改めて陳宝の双眸を見詰めて、その覚悟を推し量るように話し始める。
「今後は義侠団から古参の者を十名程選び、間者として各地を奔走して貰いたい。先々では従来の義侠の者として振舞って貰えばいい。そのための資金も用意してある。その土地での風聞や異変を耳にしたら逐次、この呉景屋敷に知らせるのだ。行く行くはこの屋敷こそが、中華全土を束ねる一大情報の集約地となろう。それを任せられるのは、最も信頼をおける者に他ならない。こうした役職は決して武名が轟くことも無かろうが、引き受けてはくれまいか?」
「義侠の者に武名など必要ござらん。忠義の志さえ真っ当出来れば、それで十分ってもんよ。何より信頼厚い者ってのが気に入った。これからも孫殄冦将軍の指示に従わせてもらうぜ」
野太い声が力強く響くと深々と拝礼する。
「今後は袁術とは適度に距離を取りつつ、攻める口実を与える訳にもいかん。当面は豫章郡へと落ち延びた劉繇を討伐すべく軍を動かすように見せて、ここ呉郡を拠点に丹陽郡、会稽郡を施政下に置く。
呉郡は朱君理殿。会稽郡には張子布殿と共に、私が自ら軍を押し立てる積もりだ。そして最後には豫章郡に籠る劉繇を討ち、ここ江東の地を施政下に置く」
その毅然とした孫策の姿に改めて、諸将が拝礼の姿勢をとる。
その拝礼する姿の中に、梟は周瑜の横顔を捉える。
その凛々しい佇まいから見据える未来は、きっとこの江東の地が理想的に発展していく姿に違いない。
― 周公瑾様がいらっしゃるだけで、この場の安心感が違うわ ―
しかし久しぶりに出会う周瑜の姿は、昔から面倒をみてくれていた保護者のような姿から、より一層男性としての魅力を備えてみえる。
「周公瑾様……」
梟は、とても小さな声でその名を呟いてみる。
いつの間にか会議は終了しており、皆が席を立ち順々にこの内堂を後にする。
梟も静々と、孫家一同の後に続く。
しかし心の内に芽生えたものは、未だ内堂の中に取り残されている。
【人物註】
・張昭:字は『子布』。董卓や袁術の専横を嫌い、孫策から江東挙兵時に参謀として招かれる。
【用語註】
・冠礼:通常は二十歳の成人を祝う儀礼。「礼記」に基づき三度加冠する。「元服」と同義。
・清談の場:老荘思想や軍学を論ずる場。時勢から天下の趨勢や軍略に話が及ぶサロンとなる。




