第019話 白梟(パイシャオ)
わたしの一番古い記憶は、真っ赤で立派な鎧を纏った優しい男性の後姿だ。
肩幅の広い背中が、扉を開いた先に陽炎のように消え去ってしまう。
その光景が孫文台。つまりは父である孫堅の最後の姿であったと母に聞かされたのは、だいぶ後のことである。
その前年の誕生日に、北部にしか生息しないという珍しい白いフクロウをプレゼントされた。
それが、白梟である。
生まれたのは、寿春県の屋敷であった。
その翌年には、舒県の周瑜の屋敷を貰い受けて仮住まいをする。
しかし三歳の頃に父、孫堅は襄陽の戦いで齢三十七歳の若さで戦没してしまう。
これが梟にとっても、大きな人生の転機となる。
孫堅が戦没すると、共に戦っていたはずの袁術軍に屋敷を襲撃され、四歳の頃には人質生活を送ることになる。
その後、実兄の孫策が家督を継いで袁術に従うことで、ようやく母や兄妹と共に人質生活から解放される。
そして一時的に、江都に移り住む。
六歳の頃になると母方の叔父の曲阿県にある呉景屋敷に移り住んで、ようやく落ち着くかに思えたが、今度は劉繇が曲阿県を拠点に袁術と戦うことで居場所を失う。
その後は朱家に護られて、呉景屋敷から戦火を逃れて転々とする。
先ずは歴陽県に移り住み、そこも危険が迫ると阜陵県の施家の屋敷を頼った。
ようやく兄の孫策が劉繇を曲阿県から討ち払うことによって、懐かしの呉景屋敷に戻ることが出来たのである。
その間に白梟は多くの人手に渡ることとなるが、ようやくわたしの手元に戻ることが出来た。
父からの唯一の贈り物は、ここ呉景屋敷で家人が面倒を看ていてくれたらしく再会できたのである。
「おはよう、パイシャオ」
寝室に用意された止り木に佇み、”キュンキュン”と甘えた鳴き声で応える。
用意された食事を、梟は手づから与える。
カエルの足だ。それをパイシャオは美味しそうに啄ばむ。
梟は平服に着替えると、木剣と短鎗を手に庭に降りる。
そして一通りの型を丹念に振るう。やがて汗がジンワリと滲む。
そこで朝の鍛錬を終える。
無理はしない。毎日の積み重ねこそが大事であることをよく知っているからだ。
朝は清拭で身を清めて、改めて衣に袖を通す。
それが毎日の日課である。
最近はそんな朝の日課にも変化が訪れている。
朝食を済ませて、ゆったりとした午前中に侍女たちが動き出す。
― また、紅紅が来てくれたのね ―
簡単に身嗜みを整えると、侍女の迎えを待たずに応接の間に歩を進める。
紅紅は自分の想いが遂げられないことを悟ると、今度は梟の恋愛についてやたらと提案して来る。
― そんなこと言ったって、この屋敷には同じくらいの年の男性と言ったらあたしの兄達か、それこそ施然様くらいしか居ないというのに ―
それでも、そんなお節介が何故か心地良い。
応接の間には、紅紅がチョコンと腰掛けており、侍女たちがお茶の支度を始めている。
「今日は、チョッと思い付いちゃったのよ」
いつも紅紅が、こんな風に切り出す。
「今日は、いったい何を思い付いちゃったワケ?」
「あれから陳宝たち義侠団が、正式にお屋敷の衛士として取り立てられたのは知ってるわよね?」
「伯符兄様が、陳宝様を正式にこの呉景屋敷の屋衛都尉に任じたって聞いたわ。どうやら、この屋敷を県衙代わりにも使うからなんですって。要は義侠団への褒賞として、正式な身分と格式を与えたってことなんだと思うわ」
「そうよ! そこなのよ。つまりは義侠団の中に居るイケメンだって、活躍次第では未来の将軍になるかも知れないのよっ」
「それで元義侠団の中に、紅紅の新しい意中の相手が見付かったの?」
梟は肘掛けに頬杖をついて、興味なさげに聞いている。
「あたしじゃなくて、梟のことよ!」
「わたしは特に気になる男性なんて、全く思い浮かばないわ」
梟が無碍なく答えると、紅紅が首に掛けていた革紐を引っ張り出して、いつぞやの赤石英の詰まったキラキラした硝子瓶を翳して見せる。
「革紐で結わえてペンダントにしたのね。わたしも同じようにしてみるわ」
そう言うと、梟もまた寝室に向かって取って返す。
紅紅も、その靡く後ろ髪を追い掛ける。
ワン! ワン! ワン! ワン!
突然吠えたてられた紅紅は、寝室の入り口でピタリと足を止める。
そこには大きくて真っ白なフクロウが吠え立てている。
「パイシャオ。この娘はわたしのお友達の紅紅よ。仲良くしてね」
そう言うと、梟はフクロウの頭を優しく撫でる。
パイシャオも心地良いのか、”キュッキュッキュッ”と甘えるような鳴き声に変わる。
「びっくりしたわ。フクロウって”ホーッ、ホーッ”って啼くものだとばかり思ってたんだもの」
「そうね。森の中で育ったのなら、そうかも知れないわね。フクロウのその鳴き声は求愛の証しで、その鳴き声は十里も先に届くと言われているわ」
「だからあの夜襲の際にも、真っ先にこの鳴き声は本物のフクロウじゃない! って気付けたのね」
紅紅はすっかり感心して聞き入っている。
そんな中で、梟も物入から大切そうに青く煌めく小瓶を手際よく革紐に結び付けて首から下げる。
「これでお揃いね」
梟は満面の笑みを浮かべて、胸元に青い小瓶を翳して見せる。
「うん、お揃いであたしも嬉しいわ。……って、それだけじゃなくて! あの砕石洲の中洲で、珍しく梟が興味を持った男性が居たじゃない」
「ああ、居たわね。確か、張清って言ったかしら。それでも今まで忘れていたくらいなのよ。意中の相手と呼ぶには程遠くないかしら?」
梟は至極当然な受け答えをする。
「あたしは梟は、男性を意識するところから始めないと駄目だと思うのよ。その相手として、先ずは張清を意識してみることから始めると良いと思うワケ。元義侠団と言っても、今は立派な衛士なんだし。何よりイケメンだわ!」
梟は、紅紅の勢いに当てられて圧倒される。
「それに聞いたところによると、張清が担当するのは主に施然様の屋敷とか、母屋の近くなんですって。これって出会いのチャンスじゃない! それに梟が男性に興味を示したのって、あの旅程中にあの時一回だけだったわ」
紅紅は興味津々で、梟の瞳を見詰めてくる。
― だけど、わたしがあの人が気になったのは、全く違う理由からなんだけどなぁ ―
【人物註】
・孫堅:字は『文台』。孫梟の父。破虜将軍、豫洲刺史と数郡県丞を兼任。烏程候に封される。
・周瑜:字は『公瑾』。三公を輩出する名家。孫策と共に江東の制圧に従軍する。
【用語註】
・屋衛都尉:孫策が独自に用意した役職。屋敷を警護する責任者。




