第015話 湯殿三昧
長江を渡ると南岸の船着き場にも集積場を中心とした市場や宿屋があり、舟街は活況に満ちている。
いよいよ紅紅にとって、念願であった『湯殿』に入る機会である。
宿の湯殿を貸切りにして、先ずは女性陣から入浴する流れになっている。
義侠団の面々は、各々《おのおの》点在する宿屋に足を運ぶ者もいるようだ。
女性陣は身に付けていた衣服を籠に仕舞うと湯帷子に着替えて、湯殿に入りじっくりと旅の疲れと汗を流す。
「ヤッパリ、湯殿はひと味違うわよね。体の芯から汚れが取り去られていくみたいだわ」
紅紅は湯殿の中で、機嫌よく伸びをする。
じんわりと体内に熱が籠っていく。
今は侍女頭の翠蓮と梟しかいない。
翠蓮はいつも湯殿では声を立てない。黙々と紅紅の湯浴みや、その後の清拭を行うのだ。
どうやら梟も余り喋らないようで、目蓋と口をシッカリと閉じたままだ。
紅紅は梟の隣までやって来て、肩を細い指先でツンツンと突く。
「ねぇねぇ、湯殿の脇に何だか流れる水槽があったけど、梟はアレが何だか知ってる?」
肩を突かれてようやく目蓋を開いて、紅紅に答える。
「あれは湯舟よ。きっと長江から水を直接、湯舟に引いてるのね。ここでシッカリ汗を搔いてから水風呂に浸かると、汗や体の汚れも流してくれるのよ」
「それって清拭なんかより、お手軽でより快適な気がするわね。梟も一緒に入りに行きましょうよ。あそこの湯舟? って大人が何人も入れるほど大きかったわ」
紅紅は無邪気に梟の腕を取って、湯殿の脇に引っ張り出す。
「わたしはもう少し汗を出してから……」
「大丈夫よ。何度も湯殿に入り直せばいいわ」
翠蓮は連れ立って水風呂に向かう二人の姿を目で追い掛けると、溜息を一つ吐きながら後を追うように一緒に水風呂に向かう。
バッシャ――ン! チャポ ス――ッ。
三人が水風呂に肩まで浸かる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ。冷たいけど気持ちが良いわね」
ご機嫌な表情をした紅紅は、コッソリと三人の姿態を見比べている。
(フッ、梟は顔立ちも身体の均整も整ってるけど、肝心な部分はまだまだね。ここだけはあたしの方が勝ってるわ)
しかし隣の翠蓮を見ると固まってしまった。
(一緒に湯舟に入ったことなんか無かったけど、翠蓮のお胸って湯舟に浮かんでるわ。やっぱり大人の女性になるのは、まだまだこれからね)
そこに呉太妃も湯殿に足を踏み入れる。
(え? 呉太妃って、梟のお母さんよね。それどころか孫殄冦将軍の実の母上よね。なんだか完璧なプロポーションだし、お肌もぴちぴちだし。あたしのお母様とは大分違うわ。これが噂の美魔女ってヤツなのかしら?)
「そう言えば道中でやたら、施然様があなたのことを特に気にかけてたわね」
珍しく梟から口を開く。
「そうかなぁ。ヤッパリ分かっちゃうかなぁ。あたしと施然様は従兄妹で幼馴染なのよ。梟も施然様のことが気になっちゃうとか?」
「なるほどね。従兄妹同士なら納得いくわ」
「え――っ、それだけ? もっとこう、何かないの。施然様のことで気になるとかぁ」
「わたしも直接あまり接してこなかったから、よく知らないんだけど。いつも権兄様とはご一緒に居られるから、いつかわたしも施然様のようになりたいわ」
少しばかり頬を染めながら言う。きっと湯あたりの所為ばかりでは無いだろう。
「そ、その梟は、施然様の好みとか知ってるのかしら?」
「ご飯の好みとかかしら?」
(違が――う! って梟は元々、恋愛にはこんな感じなのよね。それにしても施然様は、肉付きの良い女性と均整のとれた女性どちらが好みなのかしら?)
そんな思いに耽りながら、そっと自らの肢体に目を下ろす。
(もう少し成長するまで、施然様は待っててくれるかしら?)
湯殿を出て新しい衣に袖を通すと、長い旅程の中で初めて生き返った心地がする。
(そう言えば、あたしも今生き残ってるのは奇跡かも知れないわ。あの袁術軍ともっと開けた場所で会敵してたら、どうなってたのかしら。それに深夜の襲撃。あれだって、あたしの寝所に火矢が届いてたら、今頃は……)
そこまで考えて、紅紅は悪い想像をブルブルっと振り払う。
(ヤッパリ、生きていることって素晴らしいことだわ。いつもは余りに当たり前過ぎちゃってて考えもしないんだけど。生きてるからこそ出来ること、生きてる時にしか伝えられないことだって、きっと有るのよね)
紅紅たちは湯殿を離れると、近くの雑多な市場に足を運ぶ。
すると梟は、とある露店で足を止める。
地面に広げられた白布の上には、異国情緒あふれた品々が並んでいる。
その中から一対の硝子の小瓶を手に取ると、露店の主と値段の交渉を始める。
しばらく交渉していたが、梟は諦めたようにツッっとその場を立ち去ろうとする。
「お嬢ちゃん、もう少しなら値段を敗けてあげるから待ちなって」
露店の店主が慌てて呼び止める。
梟が再び腰を下ろすと、今度は別の一対の硝子の小瓶を手に取る。
先程よりは小さいが紺と朱の二色のセットで、意匠も細かく刻まれている。
きっと先程の物より高価なのだろう。
「あら? 先程のよりも値段が高いのね。呼び止められたけど他に行くわ」
「分かった。お嬢ちゃんの美しさに免じて、さっきの価格で良いよ」
梟は袖からいくらかの銭を店主に渡すと、硝子の小瓶を手にして荷馬車に戻る。
紅紅は、先程の遣り取りにどんな意味があったのか? 不思議に感じていたので隊列を組んだ荷馬車に戻ると、早速先程のやり取りについて尋ねてみる。
「ああ! わたしが欲しかったのは元々、こちらの小瓶だったの。だけど、ああした露店は通常よりも高額な値を付けているのよ。だから最初はより安い方の商品で値段を探ってみたの。案の定、多少値切ったところで、通常の市価の三倍以上はしてたわ。そこで呼び止められたから、再度戻って今度は本命のより小振りな瓶で値段を交渉したの。きっと元の小瓶の倍の価格はすると思うのだけどね」
紅紅は指折り数えながら、更に疑問を重ねる。
「さっきの露店の店主は、さっきの価格って言ってたわよ。それじゃあ、二倍の価値のあるものだとしても、市価の五割増しの料金じゃない」
「それでも今、欲しかったから良いのよ」
そう言うと小筒から、パラパラと小石が転がったかと思うと手のひらの上で受け止める。
手のひらの上にはキラキラと煌めく、赤と青の小粒の石が広がっている。
それを色別の小瓶に移し替えながら、再び話し出す。
「あの中洲で拾ったのよ。『砕石洲』っていうくらいだから、きっと何か特別な石が取れてたのかも知れないって思ったの。そしたら小粒だったけど所々に色付きの水晶が落ちてたの。その中から赤い石英と青い石英だけ集めたのよ」
そして瓶の口をシッカリ塞ぐと、綺麗な赤い小瓶を紅紅に手渡す。
「今回の旅は危険が多くて、ちょっとした冒険だったでしょ? それに同世代のお友達って初めてだから、これは二人だけの記念の宝物にしましょっ!」
「ありがとう、梟。これ一生大事にするわ」
紅紅は、真っ赤な小瓶をシッカリとその小さな胸に抱きしめる。
【用語註】
・湯帷子:湯浴みの時に着る麻や絹で出来た薄手の単衣。




