第013話 砕石洲の渡し場【前篇】
田園風景に囲まれながら数日の間、間道を進むと本街道に合流する。
幅広く整備された街道には、荷を堆く積んだ荷馬車が頻繁に往来を行き交う。
さすがに隊列を組んでの移動は難しくなって来たので、街道沿いに縦長に進む。
やがて集積地の町並みが見えてくると、そこは既に砕石洲であった。
「ようやく町らしいところに出たわね。行きの渡し場は軍事拠点だったからか? 賑やかさの欠片も無かったのよね。居るのは臭いオッサンばっかりだったわ」
「なにか言ったかい? 小紅の嬢ちゃん」
いつの間にか荷馬車の脇には、大柄な陳宝が馬に乗りながら荷馬車の中を覗き込んでいる。
「ただ行きの時もこっちの船着き場を使えば、湯殿にも入れそうで良かったのに! って言ってただけよ」
相変わらず紅紅は、余りに切ないお風呂事情に辟易としていたのである。
(湯殿だけは、何としても早目に入りたいわ!)
隣には行程の途中から騎乗を諦めて、紅紅の隣に腰掛ける梟が苦笑いを浮かべている。
「まぁ二人、いや御三方とも元気そうで何よりだ。ガハハハハッ!」
陳宝は紅紅の後ろから鋭い視線を浴びせる翠蓮に気が付き、慌てて労いの対象を三人に摺り替える。
「もう直に砕石洲の渡し場だ。舟に乗っちまえば、大河の向こうは江南の地だ。そこまで辿り着けば、ひと安心ってもんよ」
それだけ言い残すと、さっさと隊列の先頭に走り出す。
「逃げたわね」
紅紅が陳宝の後姿を目で追う。
「ところで紅紅の侍女頭の翠蓮様は、陳宝様のことを好いていらっしゃるのかしら?」
梟はイキナリ、とんでもない話題を翠蓮に問い掛ける。
翠蓮は頬を赤らめて梟に答える。
「孫家のお姫サマがお戯れを。そ、そんなことは一瞬たりとて考えたこともございませんわ」
「あら、そうなの? 翠蓮様ったら、いつだって陳宝様が来るときは着付けを整えて背筋を伸ばしているじゃない」
「それは、紅紅お嬢様にまた不敬な態度を取らないか、心配して気を張ってるだけのことです」
「翠蓮ったら、そう言う相談はこれからは真っ先にあたしに言いなさいよね!」
「お嬢様まで。大人を揶揄うものでは有りませんよ。朱家の姫君としての自覚をもっとシッカリと持って頂かなければなりませんわ」
翠蓮も珍しくムキになって言い返している。
それを察してか、二人はお互いに顔を見合わせてクツクツと笑い出す。
孫家一行の隊列は集積場に広がる舟街を通り抜けて、長江を一望する船着き場に到着する。
船着き場には既に先に辿り着いていた兪河と、この船着き場を取り仕切る船頭の元締めが何やら言い争っている。
「こちらは江東の名家、孫家の御一行ですぞ。それに舟が避けぬとはどういう了見か!」
「そんなことを言っても旦那。動かせる舟が限られてるんだから仕方ないでしょう。戦時徴発とやらのお触れを出されたせいで、主な船頭たちは皆『牛渚洲』に取られちまってるんだから。孫家の御一行なら尚更『牛渚洲』の渡し場を使えばいい」
「どうしたのですか?」
二輪車馬の上から、呉太妃が問い掛ける。
その周りに孫家の子弟が騎乗のまま集まり、紅紅や梟も荷台から飛び降りて駆け付ける。
兪河がこれまでのあらましを説明する。
「要は御一行をここの渡し場の舟を使って渡るとなると、三十艘の舟で運ぶ必要があるようです。しかし牛渚洲での戦に船頭を取られて、いまは十数名程が砕石洲の渡し場に残るだけになっているとのことなのです」
「それなら二往復もすれば、みんな渡り切れるじゃない」
珍しく紅紅が横から口を挟む。
「それはその通りなのです。しかしながら牛渚洲への街道や牛渚洲の渡し場に現れないと気付いた褐巾賊は、この砕石洲の渡し場にいつ現れるやも知れません。遮蔽物の無い渡し場では、あの時の草原のように無防備で集積場や宿舎の陰など、どこから弓矢で狙われるか知れません。要はひと処に長居が出来ないということなのです」
兪河は呉太妃に対して報告する。
呉太妃もここで危険を承知で二往復するか? 或いは牛渚洲の渡し場に再度移動するか? 時間のない判断を迫られる。
そこで梟が代りに船頭の元締めに問い掛ける。
「あそこに繋がれてる舟は使えないのかしら? 見たところ、あそこだけで五十艘は有るように見えるわ」
すると元締めは呆れたように答える。
「お嬢ちゃん。さっきもこの隊長さんに伝えたんだが、舟があっても船頭が居なけりゃ動かせねえのよ。それともお嬢ちゃんが舟を漕いでみるかい?」
「元締めのおじさん。あの舟を綱で縛って曳航することは出来ないのかしら?」
「空舟でも怪しいところだな。友綱を繋いで引っ張ったところで河の流れで転覆するのがオチさ。荷物を載せてたら尚更に危ないってことだな」
そこで梟は言葉を区切ると、ジッと対岸を見据える。
渡し場がある地形とはいえ、長江の川幅は広い。
二往復をしている間にどんなトラブルが発生するか知れない。特に褐巾賊の襲撃を想定すれば尚更だ。
ふっと右に視線を逸らすと、割と近い場所に中洲らしきものも見える。
「元締めのおじさんにお願いがあるのですが、最初は荷物を積んだ舟を優先に人と荷物を先ずは中洲まで運んではいただけないかしら? 乗船した人にはあの中洲で下りて貰って、空舟になったらその舟で船頭の皆さんだけ、こちらに引き返して貰うの。そしてあそこの舟を使えば更に人を渡すことが出来るんじゃないかしら?」
梟はゆっくりと考えながら、船頭の元締めに伝える。
「お嬢ちゃん。俺たちでもそんな舟の使い方なんて考えもしなかったぜ。何か訳アリのようだが。こう見えたって、この砕石洲の渡し場を取り仕切る元締めだ。出来ないことは断らせてもらっても、出来ることまで断っちまったら船頭の名折れだ。やって見せようじゃないか!」
今度は二輪車馬の上を見上げて、呉太妃に尋ねる。
「そのような手配でいかがでしょうか? お母様」
その一言で、砕石洲の渡し場を取り仕切る元締めも目を瞠る。
「そうですね。今はそれが最善の策やも知れません。兪伯海殿もそれで良いですね」
「はっ!」
兪河は拝礼して答える。
「陳宝殿もその様に、義侠団の面々に伝えて下さいね」
いつの間にか梟と紅紅の後ろで成り行きを見守っていた陳宝もまた、拝礼すると後方に控える一団に向かって馬首を巡らす。
「それにしても小梟の嬢ちゃんのアイデアは、いつもながらに冴えてるぜ」
そう一言だけ言い残すと、後方に駆け始める。
兪河も荷物を優先して、舟に括りつける作業に入る。
間もなく念願の江南の地への出航が目前に迫る。




