第012話 黄金色に彩られた間道を抜けて
梟と陳宝が幕舎に戻る頃には、陽も既に沈み軍議もとっくに終了していた。
幕舎には油灯に火が灯され、辺りを仄かに照らし出す。
呉太妃は戻ってきた梟の手のひらに付いた泥を一瞥する。
「ご苦労でした」
ごく短く一言だけ述べると、奥の寝屋に引き下がってしまう。
後を兪河が引継ぎ、軍議の内容を改めて梟と陳宝に対して説明する。
「行き先を変更して、砕石洲の渡しに向かうことになった。この先から田園地帯を抜ける間道を使う。これによって山林からの奇襲は避けられる。更には常に戦闘を想定して隊列を組み、前後と両脇には常に斥候を配して進む。これによって移動の速度は下がるが、より安全な行程を保証することになる」
兪河は意見を求めるように言葉を区切ったが、陳宝から何も問い掛けがないのを確認すると再び後を続ける。
「それと昨夜襲撃してきた賊を、今後『褐巾賊』と呼ぶことになったので伝えて置く。最後にだ」
兪河は何やら詰まった革袋を軍議の卓に並べる。
「これは『褐巾賊』を討伐した者に与えられる報奨金だ。革袋一つに銭一貫が詰まっている。一応、証言に基づいて用意させた。是非受け取られよ」
兪河は卓上に置かれたいくつかの革袋を、ズイっと陳宝の方に押しやる。
暫し複雑な面持ちで見詰めていた陳宝であったが、静かに首を振るとその革袋の山を押し返す。
「こいつを受け取る資格のある者は既にこの世に居ない。この任務は我らにとっても、銭金で受けるような安っぽいものじゃないんだ。それにな」
言葉を区切ると、その眼は隣に佇む梟に向けられる。
「ここにいるお姫サマが、我らの誇りをシッカリと形にしてくれたんだ。我らにとっては、それが何よりの報酬ってことよ。だからこいつは受け取れねぇ」
そう言い残すと、幕舎の内から立ち去ろうとする。
「お待ち下され、陳隊長。これは翊の君が奏上して、呉太妃が手づから革袋に詰められたもの。それを断るのは不敬に過ぎる」
兪河の言葉に梟が割って入る。
「陳隊長は伯符兄様……孫殄寇将軍の配下ですわ。いくら孫家からの褒賞とは言え、それを飛び越えて直接に褒美を取らすことは序列に反する行いよ。『善く兵を用うる者は道を修めて法を保つ』孫家の者であれば、その道理が分からないはずがないわ」
幼き姫サマ、梟は改まって陳宝に声を掛ける。
「これは孫家からの矜持なのです。ただし褒賞とするのは、あなたの言う通り間違ってるわ。これは孫家から正式に目録を添えて孫殄寇将軍にお渡しします」
改めて兪河を見詰めて問う。
「兪期門僕射もそれで良いかしら? お母様にはわたしからも事情は説明します」
いかに姫サマの申すこととはいえ、年端のいかない梟に理路整然と言い込められては、兪河も唯々諾々《いいだくだく》と従うには年を取り過ぎている。
憮然としながら言葉を荒げる。
「それでも一旦は軍議に諮って決まったこと。それを姫君は一存で蔑ろにするお積りか?」
一瞬、幕舎を不穏な空気が包み込む。
「ガハハハハッ! 悪かった悪かった。悪銭身に付かずって言ってな。我ら義侠の者が、こんな大金を戴くのが気が引けただけなんだ。兪伯海殿も我のガサツな育ちに免じて、勘弁してくんねぇか」
陳宝は、兪河の傍らに立つとその肩をバンバンと叩く。
「ま、まぁ陳隊長がそこまで仰るなら」
兪河も陳宝の豪気な物言いに当てられて、矛を収めることとなる。
「それに出立は明朝なんだろ。急ぎ隊列の確認や斥候の人選と交代の間隔も詰めなきゃなんねえ。兪伯海殿にも付き合って貰わなけりゃなあ。ガハハハハッ!」
「それでは改めて、変更した行程と隊列の素案をご覧頂きたい」
兪河は改めて、軍議の卓上に地図を広げだす。
梟は悔しそうに、その光景を見詰める。
すると陳宝がこっそりと梟を見遣って、片眼を瞑ってお道化てみせる。
梟は一礼をして、幕舎を後にして寝屋に一人歩を進める。
「はあっ。わたしにはお母様どころか、まだまだ権兄様のようにも振舞えないわ」
溜息を吐きつつ寝屋に入ると、既に紅紅が穏やかな寝顔でスヤスヤと寝息を立てている。
「そうよね。きっとみんな疲れているのよ。今は寝ることも大切なんだわ」
そう独り言ちると、紅紅の隣に潜り込む。
満天の星空の下、静けさを取り戻した草原が虫の音に溶け込んで漆黒の広がりを見せている。
翌日は早朝から出立の準備が淡々と進み、馬には馬装が整えられていく。
兪期門僕射の号令と共に、隊列はゆっくりと進み始める。
今日の出立には、梟も騎乗して隊列に加わる。
梟にとって騎乗は不得手である。とても早駆けのような真似は出来ない。
しかも昨日は裸馬に乗った影響から、未だにお尻がヒリヒリする。
すると大柄な陳宝が、いつの間にか轡を並べている。
「小梟の嬢ちゃん。あんまり肩に力を入れ過ぎないことだ。馬だって乗り手の気持ちを察して負担に感じちまう」
梟は自分が乗る馬が疲れた様子を見せてるのに比べて、陳宝が駆る葦毛の大きな馬は楽しそうに歩を進めているように感じる。
「陳宝が乗ってる馬って、白くって可愛い目をしてるのね。それに何だか楽しそう」
「そうだな。この馬とは長年苦楽を共にしてるからな。それに周りを見渡してごらん。それぞれの馬が楽し気にしてたり気難しそうな顔をしてたり、小梟の嬢ちゃんみたいに疲れた表情の馬だって一杯いる。視野を広げれば色々のことが見えて来やがる」
「あなたって、まるで白馬の太子様のようね」
陳宝はあどけない表情の娘が、真剣な表情で呟くのを聞いて目を見開いて驚く。
「こんな、熊みたいなオッサンが白馬の太子様ねえ。ガハハハハッ!」
ひと頻り呵呵大笑してたかと思うと、馬を進ませて隊列の先頭の方に行ってしまう。
「そうね。明日は無理せずに、また紅紅と一緒に荷馬車に載せて貰おうかしら?」
小さく呟くと、辺りの景色に改めて目を遣る。
間道に入ってからというもの、黄金色の稲穂が見渡す限りに棚引く。
「これならば、きっと無事に砕石洲に辿り着けるわね」
誰に言うともなく独り言ちると、馬の首を軽く叩きながら隊列に息を合わせて進む。
梟が駆る馬も、いつの間にか尻尾を振りながら楽し気に歩を進める。
【用語註】
・褐巾賊:謎の賊徒。黄巾党に因んで命名。
・黄巾党:道教一派『太平道』の信徒。農民中心に黄巾を被り各地で武装蜂起した。




