表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫サマだって密かに恋を謀る  作者: そうじ職人
第一章 孫家の帰還

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/23

第000話 とある姫サマの想い

「あたしは、あの方に会いたいのよ!」

 屋敷の奥から、ひと際大きな声が響き渡る。


 名家の屋敷ともなると、奥の部屋には女官の部屋が連なる。

 もちろんひと際大きな最奥の部屋は、この屋敷の正室の居室である。


『七年男女不同席』


 男女は七歳にもなれば、みだりに竹で編まれた敷物(寝台)を共にしてはならない。

 これはみだらな同衾どうきんいましめる教えに他ならない。

 そして孔子こうしの唱えた儒教は、この時代の上流階級の規範とされている。


 それは、ここしゅ家にとっても当然のならいである。


 江東こうとうには『四姓しせい』と呼ばれる土着どちゃくの名士がいる。

 氏、りく氏、ちょう氏、そしてこの屋敷に住まうしゅ氏である。


 最奥の正室の部屋の手前には、唯一の跡取りの娘が住まう。

 名を朱紅紅(フォンフォン)という。


 紅紅フォンフォンの周りには、お付きの侍女が十名程が常にかしずく。

 その中でも妙齢の女性が、りんとした声でたしなめる。


紅紅フォンフォン姫サマも今年で七歳になられるのです。そのように殿方と気軽にお付き合いが出来る歳では無いのですよ」


「そんなことを言っても施(ラン)様とは、もう丸一年はお会いできていないのよ!」


 家には朱治しゅちの姉がとついでおり、その息子が施(ラン)である。つまりは従兄妹いとこにあたる。

 もちろん家もまた、有数の名家である。


しゅ家もこの戦乱の世で、揚州ようしゅう刺史しし劉繇りゅうようと緊張状態にあります。他家との交流も容易たやすくできる時代ではないのです」

 妙齢の女性が、優しくたしなめるようにさとして聞かせる。


翠蓮ツイリェンは全く分かってないわ。だからじゃない! こんな時代だからこそ想いを伝え損なったら、永遠にその想いを伝える機会なんて無くなってしまうかも知れないわ」

 紅紅フォンフォンねた表情で、寝台に飛び込む。

 

 侍女頭じじょがしらの沈翠蓮(ツイリェン)は首を横に振りながら、部屋につどう侍女たちを下らせる。

 紅紅フォンフォンは寝台の上で物思いにふける。


(施(ラン)様はいつだって、あたしのことを護ってくれてたわ。それって『好き』って感情が無ければ有り得ないわ)


 紅紅フォンフォンは過去の自分を振り返る。

 名家の姫サマとしては良く言えば活動的。平たく言えばジャジャ馬である。

 そんな行いを施(ラン)はいつも寛容な態度で許してくれて、場合によってはかばってもくれる。


(あんなに優しくて理解力があって、おまけにイケメンだわ! この想いだけは大事にしたい)


 紅紅フォンフォンは、そんな強い意志を秘める。



***

 

 時に、興平二年(195年)秋。

 後漢の末期。


 皇帝の劉協りゅうきょうは去る四年前には董卓とうたくの手により、本来の都である洛陽らくようから遥か西の長安ちょうあん遷都せんとされて半ば幽閉ゆうへいされてしまう。

 その後も権力欲に駆られた有力な皇帝の側近らは、治世をかえりみずに毎年のように戦乱を繰りかえしては、その華やかな舞台から姿を消して行く。

 もはや帝位の威光は地に落ちていた。


 天下の覇権はえん氏の手に移りつつあり、その総領そうりょうたる袁紹えんしょうと義弟の袁術えんじゅつの対立を招く。

 特に最大の兵力を誇る袁紹えんしょう州を拠点に勢力の基盤を着々と固めつつあり、それに対抗するように袁術えんじゅつ寿春じゅしゅん県を拠点に帝位の簒奪さんだつ目論もくろむ。

 それに対抗できる者は限られるものの、各々独自に勢力の拡大を図りつつ天下の覇権を狙っている。


 曹操そうそうは数十万とも言われる青州兵せいしゅうへいを傘下に収めており、皇帝を奪還して漢帝位の復権と称して確固たる権力を握ろうと画策する。


 また劉備りゅうびは民衆の指示を受けてじょ(ぼく)となり、下邳かひ郡を拠点に着実に勢力を固めつつある。


 そして江東の地では、先年戦没した孫堅そんけんの後を継いだ長男である孫策そんさくが、袁術えんじゅつの配下から脱する機会を虎視眈々《こしたんたん》と伺う。


 まさに群雄割拠する乱世の真っ只中である。



***



 当時の高貴な姫サマにとっては、読み書き礼儀作法を学んでいることは当然のこととされ、特に才女と名をせるには、詩歌しいか儒学じゅがくたしなむ必要がある。

 そして気品を際立たせるには、楽器の演奏や舞踊の心得こころえも重要である。


「もう飽きたわぁ」

 紅紅フォンフォンを上げる。


 今は舞踊の鍛錬の時間だ。

 稽古場にはきんの奏者が、穏やかで優雅な音色をかなでる。


 中央の舞台では、紅紅フォンフォンが汗まみれになって鍛錬にいそしむ。


 小さな水瓶を頭に載せて、腰は低く保ちながら袖には重りが入れられている。

 舞踊にとって重要なのは、身体全体で『れい』を表すことである。

 『れい』とは最高の徳目とくもくにも挙げられる。

 それを姿勢や歩き方で体現して、更には袖の角度から指先の繊細な仕草、そして音楽に合わせた振り付けと視線の動きが優雅さを表現するのである。


「それでは、今日はここまでに致しましょう」

 翠蓮ツイリェンの言葉に、紅紅フォンフォンが床に崩れ落ちる。


 頭上に載せた水瓶は派手な音を立てて床を転がり、辺りを水浸しにする。

 翠蓮ツイリェンは額を指で抑えながら、速やかに侍女たちに床()きを命じる。


「ねぇ、翠蓮ツイリェン。あたしの舞踊もだいぶサマになって来たと思わない?」


「まだまだ、やっと立って歩けるようになった赤子あかごのようですわ。舞踊はこの位舞うようにならなければ、他人ひと様にお見せできるものではありませんよ」

 そう言うと、舞台の端を演奏なしで静かに踊り始める。

 その姿を見ると、伴奏のきんの音どころかしょう胡弓こきゅうつづみの音さえも響き渡るような優雅な幻聴に襲われる。


(す、凄い! いつも思うけど、あんなふうに舞っている時の翠蓮ツイリェンはいつもの厳しい侍女頭じじょがしらとは思えないほど、妖艶な大人の女性を感じさせるわ)


 紅紅フォンフォンの視線が思わず釘付けになってるのを見ると、翠蓮ツイリェンはいつもの侍女頭じじょがしらの厳しい表情に戻って、その舞う姿も止める。

 

「汗で濡れた上に水瓶を頭から引っくり返して水浸しですよ。早く湯殿ゆどのに行ってらっしゃい」

 翠蓮ツイリェンは侍女に指示して、湯殿ゆどのに付き添わせる。


「はあっ、紅紅フォンフォン姫サマが一人前の淑女になるのは、いつのことに成るのかしら?」

 溜め息()じりに、フッと小声でつぶやく。


(あたしも翠蓮ツイリェンのように舞えるようになったら、施(ラン)様のハートを射止められるようになるかしら?)


 紅紅フォンフォンは蒸気した頬を手拭いで覆いながら、湯殿ゆどのへと向かう。


 まだまだ残暑に、辺りは蝉の声が響き渡る。

 翠蓮ツイリェンも懐から手拭いを一枚取り出すと額の汗をひと拭きする。

 窓から差し込む日差しは未だに高く、奥の山野さんやは新緑に染まっている。


 これからしゅ家にも激動の時代が訪れるとは、その時は誰も知る由も無い。

【人物註】

・朱紅紅(フォンフォン)あざなは成人前で無い。朱治しゅちの一人娘で七歳。本作のヒロイン。

朱治しゅちあざなは「君理くんり」。孫堅そんけんからの配下。直前に都尉(とい)に任じられて県県令と太守職を兼任する。

・施(ラン)あざなは成人前で未だ無い。朱治しゅちの姉の息子で十三歳。文武両道で名を馳せて跡継ぎ候補と目される。

・沈翠蓮(ツイリェン)紅紅フォンフォン付きの妙齢の侍女頭じじょがしらしん家の傍流だが歴代のしゅ家に仕えている。


【用語註】

・古代中国の行政区:全国は十三州に区分されている。その下に郡が置かれて更に県に区分される。

・『れい』:儒教最高の徳目で、歴史的様式美や社会秩序の全ての規範を示す。

刺史しし:当初は朝廷から派遣される監察官であったが、州の長官として『州牧しゅうぼく』とも呼ばれる。

都尉とい:朝廷から賜る郡の軍事を取り仕切る官位。

湯殿ゆどの:木材や石材で作られた蒸し風呂。湯気と発汗であかを流した後に清拭する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ