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【短編】「浮気ぐらい大目にみろよ」婚約者は私の心の傷を理解しません。話しても無駄。ですから全てを奪ったのです。

作者: サバゴロ

「浮気ぐらい大目にみろよ」


 王国の威信を示す凱旋パーティーで、婚約者の腕を可憐な美少女が掴んでいる。

 これでも婚約者は王太子である。


「お望みでしたら、いつでも婚約破棄してくださってかまいません。もう釣り合わないのですから」

「おまえには俺にすがるしかないんだよ」


 私は公爵家の一人娘。

 王国は戦争に勝利したが、軍神と呼ばれたお父様が戦死。

 海岸線を守るわが公爵家は、今なお甚大な被害の中にある。


 勝利を祝う気分になんかなれない。

 喜びに沸くパーティーから離れたくて、テラスにでる。

 すると美少女が追ってきた。正直、煩わしい。


「パワーバランスが大きく変わる乱世では、婚約など、さほど深い意味を持ちません。どうぞ殿下とダンスを楽しんでらして。私はお兄様といるので、お気になさらず」


 私もなるたけ可憐に微笑む。

 まぁ、お兄様は今、私にかまってる余裕はないけど。

 お兄様は戦争の英雄。

 だけど「剣を交えれば男は通じ合う」なんて言っちゃう筋肉男でもある。

 今日は弱った公爵家のために、必死で慣れない社交をしている。


「誤解なさらないでください。私は奴隷です」


 美少女は豪華なピンク色のドレスの胸元をガバッと広げる。

 すると「31」と彫られたばかりの入れ墨がある。

 白い柔肌だからよけい、痛々しく残酷に見えた。


「戦争前は?」

「貴族でした」


 貴族であれば、父親は戦ったはず。

 凱旋パーティーなんて楽しめるはずない。

 私の胸もズキッと痛む。美少女を助けたいと思った。


「貴女の名は?」

「女三十一です」

「……。本当は?」

「アンです」

「うちに来ませんか? 逃げませんか?」

「逃げません。逃げたら、私の元家人が、酷い目に合うのです。私はただ、貴女を誤解させて、悲しませたくなかったので」


 アンは奴隷の身に落ちても、まごうことなく貴族。

 人を守るために戦っているのだ。

 そこに無能王太子が現れる。


「二人して俺の奪い合い?」

「まさか」

「心配するな。これは俺のおもちゃだ。飽きたら捨てるよ」


 婚約者はニヤニヤと、アンの胸を揉んだ。

 アンはじっと屈辱に耐える。

 私が目の前にいてこれ。

 二人きりならアンがどんな目に合うか、恐ろしくなる。

 だって敗戦していたら、私がアンの位置にいるのだ。


「殿下。おやめください。嫌がっているでしょう」

「女のイヤイヤはもっともっとって意味だ。おまえもじきわかる」

「はい?」

「ああ。わかったぞ。嫉妬かぁ? かわいいな」

「見ていて不愉快です。おやめください!」


 湧き上がるのは殺意。

 だけど、この無能は王太子。

 私は無力で、アン一人さえ助けられない。

 テラスから去る王太子とアンを黙って見送った。



 翌日、領地に帰る馬車が、奴隷の行列とすれ違う。

 百人以上の奴隷が繋がれて、のろのろ歩いている。

 砂埃にまみれ、疲れ切った、うつろな目で。


「全員、私が買います」

「買ってどうするんです?」


 太った奴隷商は、揉み手で微笑む。


「解放するに決まってるでしょう?」

「お嬢様。そんなことしたら、奴隷は野垂れ死にますよ」

「……でしたら私がお世話します。今後も奴隷をまずパーシアス公爵家に連れてきて」

「へぇ。かしこまりました」


 昨日のアンに対する罪悪感から、私は偽善がしたかった。

 だれかのためではなく、自分の心苦しさを解消するために。

 馬車は五台。その内三台は荷馬車。

 とうてい百人は乗り切れない。


「途中で馬車を買い足します。それまで元気な方は歩いてください」


 領地まで徒歩なら二十日はかかる。

 すでに疲れ切っているのに、さらなる移動は申し訳ない。


「お嬢様がどうして歩くんです?」

「そりゃ私は元気だもの。席を譲らなきゃ……!?」


 話しかけてきた奴隷の顔を見て、目を疑う!


「ヴィルゴ殿下?」

「みっともないよね。生き恥を晒して。でも私は生きたいんだ」

「よくぞご無事で……」


 ヴィルゴ殿下は敗戦国の第四王子。

 八歳の頃、王宮の温室で泣く私を見つけ、隣にいてくれた人。

 泣く原因は常に王太子。

 髪を崩されたり、背中に虫を入れられたり、追いかけまわされたり、幼い頃から意地悪だった。


「ガハハ。いたずらっ子だなぁ。だが男は、元気があるのは良いことだ」


 陛下はほのぼの笑っていた。なんなら煽る時もあった。

 本当に私は嫌だったのに。


「臣下は手足。使えなきゃ捨てろ」


 陛下が王太子に言ったことがある。

 つまり王家にとって、私の心なんてどうでもいいのだ。


 でも私には、公爵家の娘としての矜持がある。

 人前では泣かない。

 だれもいない温室の隅っこ。

 そこが王太子と会った後の、私の定位置だった。


「どうぞ。かわいいタンポポを」


 温室でヴィルゴ殿下は、黄色いタンポポの花を私に差し出した。

 貴重な花だらけの庭園なのに、雑草。


「さぁ。君が吹いて」


 一月後に会った時は、白いタンポポの綿毛。

 綿毛は風にのりふわふわ舞いあがる。

 タンポポの種は自由でうらやましい。

 好きな場所で花を咲かせるのだろう。


「青い羽を見つけたから」

「自由気ままな雲の絵を描いたから」

「きれいな透き通る石」


 公爵家の私にとって、ヴィルゴ殿下がくれる物は、ほぼゴミ。

 ヴィルゴ殿下は私が泣いてる間は黙って隣にいて、泣き止むと、ご褒美のようにそれらを私にくれた。

 嬉しくてたまらなかった。

 ヴィルゴ殿下に会えるのならと、王宮に出向くのも我慢できた。

 干からびたタンポポの茎さえ、私の大切な宝物。


「パーシアス公爵家との婚約は、王家にさらなる繁栄をもたらすだろう」


 陛下の一存で、私は王太子と婚約した。

 公爵家の娘はただの駒。私の心は関係ない。

「今日は午後から雨だな」

 婚約式の後、お父様は言った。

 雨が降るのと変わらないほど、私の婚約は自然なこと。

 ヴィルゴ殿下に出会ってなければ、透き通る石を握り締めてなければ、当事者の私さえ、当然と受け入れたはず。


 この王国では、女性の地位は配偶者の地位で決まる。

 教会は離婚を許さないし、一夫一妻制。

 女性には、跡取りを産む以外の責務はない。

 むしろ、統治に口を出すなど許されない。

 幼い時から男女が机を並べて学ぶのさえ、ありえない国。

 お母様も功績などなく、強いお父様に守られて生き、「幸せだった」と残して死んだ。

 私もそれが理想だった。

 だから、この王家との婚約に悪意はない。

 お父様は、私の幸せを願っていた。


 婚約式後、必死で涙をこらえながら温室に向かった。

 でも、ヴィルゴ殿下は二度と現れなかった。

 帰国してしまったのだ。

 開戦はそのすぐ後だった。




 六年の月日は、ヴィルゴ殿下を精悍にした。

 どんなに汚れていても、私には輝いて見える。


 途中の村で馬車を買う。野宿する。

 ヴィルゴ殿下が弓矢で山羊を狩り、みんなで料理する。

 道中は、かつてないほど楽しい。

 奴隷となった人も、徐々に笑顔が増えた。


「奴隷を大切にしろ? 何を今さら善人ぶって。ガレー船の動力は奴隷だ。わが公爵家にだって奴隷はゴロゴロいる。もちろん敵国だって奴隷で戦ったんだぞ?」


 領地に着くと、お兄様は甘ったれた私を叱る。

 この王国では、戦争は男の仕事。

 海の女神が怒るからと、女には軍艦の乗船さえ許さない。

 上等な絹をまとい、甘いお菓子を食べ、ハープを奏で、ぬくぬくと生きてきた私は、奴隷との接点もなかった。

 けど、譲れない。


「でしたら、奴隷の増加は公爵家にとって良いことですわね?」

「え?」

「戦争に巻き込まれた漁村や港町の復興にも役立ちますわね?」

「あ。ああ」

「奴隷の中で優秀な者がいれば、また屈強な兵士も、漁民も、農民も増えますわね?」

「ああ。そうだな」

「では、奴隷をどんどん増やしましょう! 私はヴィルゴ殿下と漁村の復興にあたります。奴隷は殿下の指示をよくききますので」

「ヴィルゴと呼べ。殿下呼びは許さん」


 私はヴィルゴ殿下に、お兄様との会話をそのまま伝えた。

 奴隷をたくさん助けられると!


「公爵が正しいです。ヴィルゴとお呼びください」

「……ヴィルゴ」


 いたたまれないし、落ち着かない。

 けど一気に距離が縮んだ気もする。


 ヴィルゴは優秀で、漁村の復興は順調。

 見た目では、だれが奴隷かなんてわからない。

 もちろん心に傷を負った者ばかり、問題も起こる。


「父ちゃんを返せ!」


 奴隷に石を投げる子がいた。

 怒りの根源は悲しみ。


「お互いに好きで戦ったわけじゃないのよ。それに家は必要でしょ? 今は喧嘩してる場合じゃないの」

「けどぉ!!」

「君もパンを丸めるのを手伝ってくれる? ね?」


 だれかがどこかで復讐心を我慢するしかない。

 敵国の人だったとしても、悪人というわけではないのだ。

 真面目に働く中で、ゆっくりと、国対国から、人対人の付き合いになっていく。


「好きで戦ったのは、私の父です」

「ヴィルゴ。私の父もです。傷つけた側ですね」


 ヴィルゴと私は重い十字架を背負う理解者でもあった。

 そして女の私にはタイムリミットがある。

 結婚したらもう自由はない。

 だから限られた時間を必死で働く。

 偽善で奴隷をどんどん増やした。

 過酷な労働など強いなくても、数は力。

 悔しさや惨めさからくる憤りさえ、目的が明快なら、良い方向に向かう。

 どんどん復興し、両国の知識の融合によるさらなる発展もあり、領地はかつての勢いを取り戻しつつあった。



 二年ほど過ぎた頃、王太子がやってきた。

 真っ赤な薔薇の大きな花束を私に投げつける。

 強い匂いに閉口する。

 私は薔薇が好きじゃない。

 人工的な交配を繰り返して作られ自然界には存在しない種が多い。

 血の継承を責務とする貴族女性に似てる。

 その話を王太子にもしたけど、くださる花は必ず薔薇。

 王家を象徴する花だから。

 ティアラ、爪より大きなルビーの指輪、金の食器。

 頂いた物は、高価で使い時のわからないものばかり。

 そして、くださる時、王太子はいつも誇らしげ。

 人に物をあげるのは、自己満足でもある。


「何度呼んでも王宮に来ないとは、どうしたことだ? 婚約者だぞ」

「申し訳ありません。わが領地はいまだ平穏とは言い難く」

「おまえ。日焼けしてないか?」


 復興に尽力する中で、私は大きく成長したと思う。

 ともに働く相手は人。心がある。

 だれもが満足するなんて不可能で、困っても相談なんてしてくれない。

 不満はたいてい溜まってから上に向く。

 あからさまならマシで、火種はひっそりくすぶる。

 放置するほど大きく爆発する。

 いかに人心を把握するか、それこそが公爵家の娘として育った私には、最も難しく、悩み、失敗もしながら、なんとかやってきた。


 でも、王太子が気にするのは日焼け。

 相変わらず、私を落胆させるのが得意だ。


 本来、王太子だって即位後に向けた人脈づくりが必須。

 なのに彼には人望がない。

 幼い頃に虐められて憎む者はいても、尊敬や信頼で繋がっている者はいない。

 国は人でできている。

 統治できるのかしら。

 王太子も十六歳。いよいよ心配になる。


「見習え。この白い美しさを」


 と王太子は、長椅子の隣に座る奴隷のアンの胸元をグイっとおろし、わざと入れ墨を見せる!

 なんてクズ!!

 顔も首も真っ赤になり、アンはうつむく。

 ポタポタ。涙がこぼれた。

 王宮では、アンは表情を崩さなかった。

 違いはヴィルゴ。

 騎士のように私の背後に立つヴィルゴを、アンは意識している。


「まさかあの男が恋しいのか?」

「いいえ」


 王太子に尋ねられて、必死でアンは首を横に振る。

 その必死さが、恋心を強く物語る。


「ハハハ。おもちゃに成り下がった姿を見られたくないか。泣いちゃって、かわいいなぁ。ほら。ほら。もっと泣け」


 王太子はアンのスカートをめくる!

 その手をヴィルゴはガシッと押さえた。


「お戯れを。紳士としてあるまじき……」

「犬が吠えるな。これは俺の奴隷だ!」


 王太子は立ち上がり、ヴィルゴに剣を抜いた。

 奴隷が王族の御身に触れるなど許されない。

 残念ながら王太子がヴィルゴを斬り捨てても咎められない。


 なのにヴィルゴに躊躇はなかった。

 どんな目に合っても死ねないと言っていたのに、命をアンの尊厳を守るために投げ出した。

 二人がただならぬ関係にあることは、鈍い私でもわかる。


 矢で心臓を貫かれた気がした。

 いつのまにか、私はヴィルゴに恋をしていた。

 いや、ずっと好きだったのかもしれない。

 だけど許される恋じゃないから、心に蓋をしていただけ。

 皮肉なことに、失恋の瞬間に、私は初恋を自覚した。

 胸がえぐられそうなほど痛い。


 ふぅ。深く息を吐く。

 私はこの無能王太子のせいで、痛みを隠すのは得意。

 立ち上がり、毅然と微笑む。


「殿下、ここをどこだとお思いです? パーシアス家を軽んじるおつもりですか?」

「生意気な」

「そろそろ、その奴隷を連れ歩くのはおやめください。奴隷に溺れ、離れられない男だと、殿下の醜聞となっておりますよ?」

「なんだと!?」


 なぜ驚く??


「奴隷に夢中なのは事実でしょう? 本気だから常に隣にいたいのでしょう?」

「いつでも捨てられるが?」


 よし! 無能王太子は悪ぶりたいのだ。


「では、その奴隷を私にください」

「なんのために?」

「娼婦として稼がせても? 恋しくて、そんな非道な真似はできないですか?」

「かまわん。好きにせよ」


 やった! 王太子は出ていった!


「アン。助けるのが遅くなってごめんなさい」


 謝る私を無視して、アンはヴィルゴに飛びついた。

 ヴィルゴもアンの頭に頬をつけ、宝物のように抱きしめる。

 邪魔者は私。


「もうアンは自由よ」


 微笑み私も部屋を出た。

 徐々に速度を上げ廊下を走る!

 庭園の隅っこまで走った!

 そこでやっと涙をこぼす。だれにも見られたくない。

 奴隷に溺れてるのは私。

 ヴィルゴとアンに幸せになって欲しいと、もちろん願う。

 だけど、苦しい。


 するとヴィルゴが、私を隠すはずの椿の生け垣から現れた。


「かわってないですね」


 ヴィルゴは泣く私の隣の岩に座る。

 幼い頃は温室の隅っこに座り、肩がくっついていた。

 今は、二人の間に冬の冷たい風が流れる。

 追いかけてきてくれて、嬉しくて、さみしい。


「アンドロメダは私の婚約者でした。もう国が滅び、身分を失った以上、政略結婚の意味もないですが」

「アンドロメダ??」

「ああ。アンです」


 そっか、アンは本名を隠してたのか。

 奴隷の立場で本名を語りたくない気持ちは痛いほどわかる。

 婚約か……。

 ヴィルゴはもう十八歳。婚約者がいるのは当たり前。

 しかも美しい二人は絵になる。


「屋敷の外に家を用意しましょう。アンと二人で暮らせるように」


 屋敷の中で、幸せな二人を見るのは耐えられない。

 嫉妬しない自信がない。


「いいえ。もう政略結婚する必要がありません。アンは屋敷の召し使いとして働かせて頂きたいと申しております」


 どうして召し使いに?

 もしかして、ヴィルゴに恋愛感情はないの?

 そんな浅ましい期待が胸をよぎる。


「アンと結婚する気はないの?」

「ございません」


 私の心は喜びで震える。

 アンの恋心に気づいたくせに。


 かといって、ヴィルゴに告白する勇気はない。

 ヴィルゴは逆らえず私を受け入れるだろう。

 愛などなくとも。

 それでは王太子と同じになってしまう。




 アンも屋敷で暮らし始めた。

 元貴族とは思えないほど、気が利き、よく働く。

 男性を魅了する理由が、外見だけではないとわかる。


「お願いがございます」

「アン? どうしたの、かしこまって」

「どうか、私の家人を王家から買い取ってください」


 アンは私に懇願した。

 アンが屈辱に耐えてきたのは、他人のため。

 その強さを尊敬する。


 交渉は王太子ではなく、妃殿下とする。

 私は妃殿下に気に入られている。

 だからこそ王太子は、私との婚約を解消しない。

 自分が母親と話すのは面倒なくせに、私を使って親孝行したいのだ。


 妃殿下のお茶会は、私の義務の一つだった。

 年少者の私は、好きなタイミングでは、お茶を口に運べない。

 お茶会では、温かさも香りもぬけたお茶を口にする。

 当然、楽しくはない。


 そして今日も、妃殿下が口をつけない以上、お茶は飲めない。

 椅子の背もたれは飾り。背筋を伸ばし座り続ける。

 要件を切り出せるのは、季節の花や食べ物の話が一段落してから。


「ええ。かまわないわ。あの女奴隷への仕打ちは目に余るものがあったから。罪滅ぼしさせてちょうだい」


 妃殿下は二千人の奴隷を私に売った。

 よかった。アンの願いなら叶えたい。

 ヴィルゴへの秘めた恋心は、私の罪悪感でもあった。


 ただアンの美貌は尋常じゃなかった。

 次にアンにはまったのはお兄様。


「奴隷だからと、未婚女性を寝室に入れるのは酷過ぎます。おやめください」

「真剣なんだ。アンと結婚する。アンを公爵夫人とする」


 恋に溺れたお兄様の脳は、満開のお花畑となった。

 王太子のおもちゃであったアンは、すでに社交界で有名。

 アンに罪はない。

 だけどアンと強引に結婚などしたら、家格を下げるのは確か。

 なにより、お兄様に王太子と同じになって欲しくない。

 アンに幸せになって欲しいのも本心なんだ。


「寝室は許せません。お兄様。己の感情に振り回されてはなりません」

「私は愛を選びたい」


 夢いっぱいの笑顔で、筋肉お兄様は宣言した。

 やはり兄妹。

 私もお兄様を笑えない。

 可能なら王太子から逃げて、ヴィルゴと結ばれたい。

 そんな叶わぬ甘い夢を、私もみてるのだから。

 でも。


「私達には守るべき責任があるでしょう?」

「王太子と結婚したくないなら、しなくていい。政略結婚なんていらないよ」


 戦争は結果が明確で、強さがわかりやすい。

 でも戦争は終わったのだ。もう武力勝負じゃ生き残れない。

 お兄様が恋に浮かれるほど、私は冷静になってしまう。




「アンをこの屋敷から逃がそうと思います。ヴィルゴ。アンを守ってくださいますか?」

「あの美貌ですから、アンはだれからも愛され人気がありました。賢いので、公爵夫人としてうまく立ちまわれるかと」


 ヴィルゴの言葉に妙な違和感を覚える。

 アンが心を開いているのは元婚約者のヴィルゴ。

 そして明らかに、アンにはこの王国への憎悪がある。


 もしかしてヴィルゴとアンは共謀し公爵家の乗っ取りを企んでる?


 ふと、疑念が湧いた。

 ヴィルゴは公爵家に尽くしている。アンもそう。

 だけど、私同様ヴィルゴも、心を隠すのが得意。

 小さな黒い疑念が、じわじわと私の心を蝕み始めた。


 最悪の事態を考えてみよう。

 やはり反乱?

 ヴィルゴの生きる理由がアンでないとしたら、祖国の復活?

 目の前が暗くなり、ふらっとよろける。

 すると、ヴィルゴはさっと抱き上げ、私を寝台に運んだ。


「ご無礼をどうかお許しください」


 謝罪するヴィルゴの前に手の甲を差し出す。

 ヴィルゴは寝台横にさっと膝をつき、口づけした。

 従順過ぎる。

 ああ。やっぱりヴィルゴは私を騙そうとしている。

 口元は優しく微笑みながらも、目に悔しさを滲ませている。

 それがわかるほど、私はこの二年、ヴィルゴを見つめていた。


 悲しみが襲う。

 だけど、敵を恨む気持ちも理解できる。

 私自身がお父様を亡くしてるのだ。


 だったら。

 ヴィルゴの野望を叶えてあげよう。

 ヴィルゴから貰った透き通る石が私の心の支えだった。

 お返しの贈り物をしよう。

 利用されてもいい。

 愛されなくていい。

 何でもしてあげたいのだ。


「ヴィルゴの望みはなに?」

「君の幸せです」


 ヴィルゴは演技をやめない。

 だから私も騙されるふりを続ける。


「私に何して欲しいの?」

「一緒に海を渡り、祖国を君に見せたい」


 ヴィルゴは微笑んでから部屋を出た。

 なるほど。やはり帰国し反乱か。

 でも、王家が滅びたとして、何の問題があろうか。

 陛下が直接話すのは貴族だけ。民から遠く傲慢。

 戦争も政治も人任せ。

 むしろ害悪では?


 いまだ戦争の被害は両国にある。

 海を守る我がパーシアス公爵家が寝返った場合、勝ち目はある。

 パーシアス家も船が沈み、海軍の損害は大きい。

 が、陸軍は復活している。

 私が内政に奔走し、お兄様は軍に集中できたから。


 最大の敵は王直属軍。

 参戦してないから無傷なのだ。

 でももし陛下がいなければ、次は無能な王太子。


 勝てる。


 もちろん戦争で傷ついた民を再び苦しめたくはない。

 開戦したのは強欲な陛下だが、苦しんだのは民。

 日常がやっと戻りつつあるのだ。


「……陛下を暗殺すれば勝てる」

「私がやる」


 私の独り言に反応したのはアンだった。


「アン!? いつから私の部屋に?」

「ヴィルゴが貴女を心配して、私を呼んだの。なのに返事がないから、私も心配で。私ね。陛下にも、おもちゃにされてたの」

「私を信用していいの?」

「正直、自分だけきれいなまま、恋愛を楽しむ貴女が羨ましい。嫉妬せずにはいられない。けど、あいつらを殺したい気持ちの方がずっと強い」

「……」


 つぶやきに憎悪が乗り、現実感が増す。

 アンの傷の深さが、入れ墨を両手で覆う手から、痛いほど伝わってくる。

 いや、初対面のあのパーティーでわかっていたのだ。

 どうして私は、もっと早く立ち上がらなかったのか。

 戦うのは男の役目?

 それもおかしな話よね。


「もう嫌なの。悲劇のヒロインとして泣き続ける自分が」

「わかった。一緒に汚れましょう」


 悲劇のヒロインをしてきたのは私。

 今戦わなければ、きっとメソメソと生き続けるだろう。

 そして、奴隷を買い集め助け続けるより、奴隷制度そのものを無くす方が効率的。

 もう領内だけではなく、根源から、法で建て直したい。

 やろう。私は軍神の娘である。


「護身用の短剣ならあるのよ」

「地味ねぇ。お兄様から?」

「ええ。軽い方が扱いやすいからって」


 ドレスも贈らず、お兄様は短剣をアンに贈っていた。

 貴族らしい宝石や飾りも一切ない実用的な短剣。

 お兄様がモテない理由がわかる。

 でも特徴がないからこそ、足がつきにくい。

 短剣二本を荷物に入れる。



「お兄様。戦う準備をしてください。私達で陛下をってくるから」

「へ?」

「王国を盗ります」


 アンと王宮に向かう。

 念のため着替えと靴とランタン油は沢山持った。

 幸運なことに、私とアンのドレスのサイズは同じ。

 私とアンは友情などではなく、目的で繋がった。

 共通の敵がいれば、人は手を結ぶのだ。


「陛下。夜明けに温室でアンが会いたいと。公爵と結婚する前に、だれにも秘密でと。いったいどういうご関係なんです?」

「なんだろうなぁ」


 陛下は下卑た笑いをしてとぼけた。

 王家に生まれただけで王になった男。

 高貴な血とはなんなのか。ただのゲスである。


「早朝の冬の庭園にまず人はいない。でも念のため男装しましょう」


 そして夜明け前、ランタン片手にテラスから抜け出し、温室で待機。

 穴を掘り、最後に手を洗うための、バケツ二杯分の水も用意した。

 復興の中で、私自身もてきぱき働けるようになっている。

 今、私達の心を占め、奮い立たせているのは、崇高な正義では決してなく、悲しみからくる怒り。


「アンっ。どこじゃ。ワシが来てやったぞ。ゲヘへ」


 と現れた陛下を刺す。

 グサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサ。


「ちょっとアン。刺し過ぎよ」

「えへへ。嬉しくってつい」


 短剣は、一つは陛下の胸に刺したまま。

 一つは掘っておいた穴に埋めた。

 単独犯に見せたい。なにかあれば私が一人で背負いたい。

 手を洗う。

 血と土で汚れた服を陛下の上に脱ぎ捨て、ランタンのオイルもぶっかけた。

 火をつける。


 全速力で庭園を走り、テラスの手すりを飛び越える。

 土のついた靴は暖炉で燃やす。


「ふぅ。疲れた」

「うん。眠いね」


 二人で同じベッドで熟睡する。

 まるでずっと寝てたかのように。

 起きたら大騒ぎ。


「どうしたの?」

「火事です!」

「まぁ。怖い。逃げなきゃ!」

「火事は庭園です」

「なぜ庭園で?」

「わかりません!」


 声をかけた衛兵は狼狽している。

 この王国では、女性は騎士が守るべき、か弱い存在。

 私はできるだけ健気に怯える。


 庭園に出た頃には、とっくに鎮火し、冷え切っていた。

 遊びで他人の心を傷つける婚約者と、政略結婚を義務と受け入れ、隠れて泣くだけの私。

 その思い出の温室が、なくなる。


「遺体は陛下だと思われます。短剣が胸に刺さっておりました」

「高貴な陛下が弑されたとでも? ありえません」


 衛兵の言葉に、私は目を丸くする。

 そこに妃殿下もいらした。


「貴女たちは昨夜何してたの?」

「私達ですか? 寒くて眠れず、二人で夜遅くまでおしゃべりしていました。召し使いにご確認ください。眠れなくて、ホットワインを何杯も飲んでいます。それでちょっと寝坊してしまって」

「そう」

「正直、疑われるのは心外です。領地に帰らせて頂きます」

「あらやだ。私ったらごめんなさい。剣を使うのは男に決まってるものね」


 妃殿下は政治に明るくない。

 豪華なドレスをまとい、甘いお菓子を食べて生きてきた方。

 兵士が命懸けで戦っていようが関係なく。

 妃殿下は私の将来の姿だった。


 だけど乱世だ。もう目をつぶってはいけない。

 馬で領地に走る!


「さあ。ヴィルゴ。立ち上がってください。パーシアス公爵家がヴィルゴを支えます。よろしいですね。お兄様!」

「ああ。わかってる」


 お兄様はアンを抱きしめる。

 ほんと愚かな兄妹だ。

 国を裏切ってまで、片思いの相手に尽くすのだから。

 でもお兄様は、戦争は得意!

 そして強い男は人望がある。

 王太子の即位式準備で油断してる間に、速攻で王宮を落とした!



「さぁ! ヴィルゴの王座よ! 大丈夫。私が貴方を支えるから」

「いやいやいや。さすがに座れないよ」


 ん。んん?

 ヴィルゴが断ると予想してなかったので、戸惑う。


「だ、だって王座がヴィルゴの生きる理由でしょう?」

「いいや。生きる理由は君の幸せだと言ったよ?」

「!」


 言ってた。なんてこと。微塵も信じてなかった……。

 私ったら最低。


「出会った時は人質の王子に過ぎず、次に出会った時は奴隷だった。君が手に口づけを許してくれた時、凄く嬉しくて、悔しかった。釣り合わないから。でも今、やっと言える。ずっと君が好きだった」


 嬉しい!

 けど。あれ? あの口づけの時、私は何を考えた……?

 けっこう最低なこと考えた気がする。

 やだ。もったいない。やりなおしたい。


「本当にヴィルゴの気持ちに気づいてなかったの? 私、悲劇のヒロインも嫌いだけど、愛され鈍感ヒロインも嫌いなんだけど」


 アンがため息をつく。

 秘密の共同作業をしてる時から、かなり私達はあけすけに話す。


「愛され鈍感ヒロインって?」

「貴女よ。ヴィルゴの何が問題?」

「だけどアンの気持ちは、どうなるの?」


 同じ男性を好きな以上、お互い複雑な思いはある。

 だけど、結局私はアンが好きなのだ。

 もうアンに我慢を強いたくない。


「私は貴女に反対されようが幸せになると決めたわ!」

「えっと。……だれと?」


 アンの力強い笑顔に混乱する。


「見てわからないの? 頼れる戦の天才よ? こんな器の大きい男は世界中どこにもいないわ!」


 アンはお兄様の大胸筋に飛びつく。

 キリリとしたお兄様の極太の眉毛がとろける。

 くぅ! そっちか!!

 まさかお兄様の凄さを、私以外にわかる女性がいるとは!



「君が女王になるべきだ。こんな国では、遅かれ早かれ反乱は起きていた。だけど君が奴隷を助け続けたことは、両国の民が知っている。君は民に愛されている」


 ヴィルゴの言葉に、お兄様とアンも頷く。



「私も貴女に即位して欲しいわ」

「妃殿下……?」

「幼い頃から、なんて凛々しい子だろうと思ってた。大丈夫よ。ちょうど即位式の準備も整ってるしね」

「私を恨まないのですか?」

「女には政治に介入させない国よ。変わるには壊すしかなかったのよ。もっと早く私がるべきだった。悪政を傍観してきた罪は、私にあります」


 妃殿下は拘束されている。それこそ奴隷のように。

 なのに毅然としている。


「ふざけるな! おまえも! この国も! 俺の物だ! ずっとおまえだけを愛してたのに! 裏切りやがって!」


 王太子はわめく!

 妃殿下は恥ずかしそうにうつむいた。


「私を愛してたのですか??」

「じゃなかったら婚約するか! 俺は選び放題なんだぞ!」

「ですが私の前で他の女性をお連れになってたでしょう??」

「浮気ぐらい大目にみろよ。ただの遊びだ」

「その言葉、二度目ですね。では私も遊んでもよかったのですか?」

「おまえは許さん」


 でしょうね。


「己の感情だけに従順で、人の痛みのわからない方に、王など務まりましょうか?」

「パーシアス家は王家の武器だ。パーシアス家の婚約者がいれば、俺は最強で安泰だろうが」

「あらやだ。忘れてた。婚約は破棄します」

「はぁ!? そんな勝手な!」

「私にも心があります。大切に想っていても誤解は生じるのです。大切にしなければ失うのは仕方ないでしょう?」

「ふざけるのはこのくらいにして、早くほどけ! な?」

「ふざけてません。遊びでもございません。遊びで人の尊厳を踏みにじる者を、王にしたくはございません!」

「でも、でもっ! 女に王なんて務まるわけないだろ!?」

「貴方よりは。私には心強い味方がいますし」


 私はそんな立派な人間じゃない。間違えもする。

 だけどこの王太子が即位するよりずっといい!


「貴方の即位を望む声を聞いたことがありません。それが妹との違いです」


 お兄様は、駄々っ子を諭すように王太子に言った。

 そして今日まで奴隷が入っていた檻に、王太子を入れた。




 私の即位式。国名はパーシアスとなる。


「戦争もあった。奴隷と扱われた過去もある。だが、両国の民が協力し、ともに発展する未来を、私は望む!」


 城壁の上から、奴隷を経験した王子ヴィルゴの大きな声が響き渡る。

 民の歓声が沸き起こる!

 なによりヴィルゴ本人の歓喜が伝わってくる。


「嬉しい。嬉しい。嬉しい」


 祖国の滅亡から毅然と耐えてきたアンが、お兄様の隣で涙を流す。

 私も心の底から嬉しい。

 始まりはアンとの出会いだった。

 屈辱の中で私の心を心配する気高さを、今も覚えている。

 あの頃の私は、公爵家に生まれた以上、王家に嫁ぐのが当然だと心を押し殺していた。

 自分の人生にさえ傍観者だった。

 抗いもせず、泣くだけで。


 もちろん大変なのはここから。

 だけど、どうだろう?

 今まで少ない貴族男性だけの脳でも王国は回った。

 脳が何倍にも増えたのだ。

 新体制には、妃殿下とお茶を飲み続けてできた人脈も加わる。

 女が政治に口を出すなどありえない国だった。

 軍人も役人も全て男。

 乱世は常識が一気に代わって面白い。




「えぇ。こんなの取ってあるの?」


 長椅子に座り、幼い頃に貰った宝物をヴィルゴに見せた。

 干からびたタンポポの茎。雲の絵。青い羽。


「こんなのなんて言わないで。私の宝物なんだから」

「いや。凄く嬉しい。敗戦で自分が描いた絵なんて、もう残ってないと思ってたから」

「ヴィルゴ……。生き抜いてくれてありがとう」

「君を心の支えに生きてきた。あの道端で君に再会してから、幸せ続きで怖いくらいだ。君といると、自分がヒロインな気がしてくるよ」

「もぅ」

「……でも。プロポーズはさせてね。結婚してください」

「はい」


 私とヴィルゴは肩をくっつけて寄り添う。

 肩に伝わるヴィルゴの体温が、夢じゃなくて現実だと教えてくれる。

 心が安らぐ。私は幸せだ。

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― 新着の感想 ―
壮大で素敵でした。 長編は途中で飽きてしまうので、短編でラストまで読めて良かったです。
これは……、300話くらいの大長編のプロットではないですかね。 すごく面白くなりそうなアイデアです。 長編で読みたいです。
たしかにウィルゴがヒロインかも…ヒーローに救われる亡国の王子。イイネ!!! アンの強さがたまりません。凄いですよね…兄のまっすぐなアプローチが功を奏したのかも。兄ちゃんも強いな〜〜!海軍は漁業に通じる…
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