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閑話その一 朝比奈舞の記憶

 私が覚えている一番古い記憶。幼い私を着物姿の母が手を繋いで連れてこられた一族が経営する道場。その日は春の陽気が漂う穏やかなお昼だった。表の庭に植えられた桜が静かに淡く咲き、風が吹くたびに花びらがひらひらと舞い落ちていた。私は母の手の温もりを感じながら、初めて目にする広い畳の部屋や、壁に掛けられた古い刀や鎧に目を奪われていた。


 道場の中には、正座した門下生が壁際に並び、静かに木刀を構えた師範であり私の父を見つめていた。父の姿はまるで山のようにどっしりとしていて、周りの空気さえも引き締まるような雰囲気を幼いながら感じた。私は母の手を握りながら、息を飲んでその光景を見つめていた。


 父はゆっくりと動き始めた。一瞬、風が止んだかのように思えた次の瞬間、木刀が空を切り裂く鋭い音が道場に響き渡った。その動きは流れる水のように滑らかで、力強さと美しさが一体となっていた。木刀が振られるたびに、父の姿はまるで舞を踊っているかのように見え、その一挙手一投足に圧倒された。


 門下生たちも息を凝らして見守っている。父の動きは次第に速くなり、木刀の軌道が目にも留まらぬほどになった。その中で、父の表情は一切変わらない。むしろ、ますます静かに、深く集中しているように見えた。私はその姿に心を奪われ、まるで時間が止まったかのように感じていた。


 冷たく感じた道場の床の感覚は消え、胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを実感する。そして、最後の一閃。父が大きく踏み込み、上段の構えから木刀を振り下ろす瞬間、道場の中に張り詰めていた空気が一斉に解放されるかのような圧を受けた。


「皆に紹介しよう、娘の舞だ。お手柔らかに頼むよ」


「ま、舞です!頑張りますのでっ、よ、よろしくお願いします‼」

 

 吸い込まれるように魅入った私は即日父に直談判して、翌日から道場での稽古が始まった。慣れない道着を着る私、初めての稽古に臨む私は緊張と興奮で胸がいっぱい。道場の床の冷たさや、木刀の重さが新鮮に感じられた。


 最初の稽古は怪我予防の準備運動、実際に木刀を持った基本の構えや足運びを学んだ。門下生を預かる父の指導は厳しくも温かく、私の一挙手一投足を見逃さずに教えてくれた。先輩方の門下生たちも私を慶んで迎え入れてくれ、共に汗を流しながら技を磨いていった。



 嘘か実か戦国武将『朝比奈泰朝』の血を引き継ぐ私は日々の稽古を重ねるうちに男子顔負けの武芸の才能を開花させていった。父の指導のもと、基本の型から応用技まで、一つひとつを丁寧に、そして貪欲に吸収していく。木刀を握る手にも次第に力が込められ、足運びも軽やかに、そして確実になっていった。


 門下生たちも私の成長を自分の様に喜び、時に励まし、時に競い合いながら共に高め合う仲間となっていった。特に年上の先輩たちは、私が幼いながらも真剣に取り組む姿に感心し、自らもさらに稽古に打ち込むようになった。道場の中には、互いを尊重し、切磋琢磨する空気が満ちていた。――そう思っていた。


 …実力が付いた私は結局、気づかない間に傲慢となり、視野を広く見ようとしなかった。優秀な登塔者を輩出する我が道場の実態は墨のような闇に浸されていた。それは、幼い無知な私には見えなかった影の部分。


 年月が経ったある日、すっかり夕日が沈んだ頃、道場の片付けを終えた私は普段着に着替えようと男子更衣室を横切ろうとした時、室内から門下生たちが密かに話し合っているのを耳にした。好奇心に駆られた私は、扉にそっと近づき会話を聞いた。


「おい聞いたか、また新人が塔の攻略中に死んだらしいぜ。今回は三人纏めて!」


「最近同じ知らせばっかだな!この間は大弟子も第九階層で肉塊が残らない程無残に食い殺されたって聞いたぞ」


「いくら武芸が得意からって経験が浅く、加護が凡下なら一瞬であの世行きだな!」


「あっはは!言えてる!…でもアイツは死んで清々したぜ、ほら何時も口うるさい奴――」


 これ以上聞きたくなかった。逃げるようにその場を離れ、急いで外へと駆け出した。心臓が高鳴り、頭の中が混乱していた。切磋琢磨、一緒の道場に通う門下生たちの会話が耳に残り、まるで悪夢のように繰り返される。


 裏手にある小さな庭にたどり着き、冷たい石にしゃがみ込む。


 ここ最近、道場に通う人達の入れ替わりが激しいと薄々感じていた。でも、粗末な固定観念に縛られ本当の理由を知ろうともしなかった。


「私は何も知らなかった…!」


 新聞やテレビで連日報道している華々しい神の塔は全く薔薇色の成功物語じゃない。裏側に蔓延る残酷な現実があった。塔の攻略は命がけの戦いであり、その犠牲は日常茶飯事だった。それが当然であるかのように話す門下生。


 私は自分がどれだけ無知で、どれだけ甘かったか痛感した。




 年月は彦星の如く流れ。中学に上がった私は毎週のように告白を受けていた。常日頃から私の凛とした佇まいや、はっきりした体型、周囲の目を引きよせる外見を男女問わず褒められる毎日。しかし、私はそのようなことに興味を持たず、ただひたすらに武芸に没頭していた。


「舞…お前に剣術の才は持ち合わせているが、決して天才では無い。今日から槍に転向しなさい」


「……はい」


 その日、父から告げられた言葉は私を地獄に落とす切符だった。今日までの自分が否定された気分。不満はあったけど文句は言わない。父には父なりの解釈があるのだろうと私は考えた。

 

 槍の稽古は、剣術以上に難しかった。長い柄を扱うことに慣れず、均衡を崩してしまうことも多かった。実際、剣より才能があったらしく。日々の稽古を重ねるうちに、私は少しずつ槍の扱いに慣れていった。槍の間合いを活かした攻撃や、素早い足運びを組み合わせた技を習得し、次第に自分のものにしていった。


 新年が明けた高校一年、適正数値を測る特性測定の検査を受けた私は平均値を大幅に超える数値を叩き出す。塔への挑戦権を得た私はその日、両親と話し、塔に挑む決意を表明した。


「父さん、母さん、私は塔に挑みます」


 夕食の席で、私は静かにそう宣言した。父は箸を置き、深いため息をついた。母は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに優しい微笑みを浮かべた。


「…覚悟はあるのか?学校を辞めても後悔しないか?」


 父の声は重く、しかしどこか寂しげだった。私はしっかりと父の目を見つめ、うなずいた。


「はい。これまで父さんが教えてくれたことを胸に、私の意志で挑みます。覚悟は決めました」


「……」


 父はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。


「分かった日本塔協会への手続きは私と母さんでやっておく。その代わり家を離れる前日まで稽古を数段階上げる。弱音は許されないぞ?」


「私は逃げません!」


 二人の前で宣言した私。母さんは涙を浮かべながら、私の手を握った。


「舞、気をつけてね。母はいつでもあなたを信じているから」


「――ッ!っはい!」


 瞼から零れ落ちた涙は今日が最後となった。







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