知らなかった人へ
これは実体験を脚色したフィクションです。実在する人物、施設、及び団体とは一切関係ありません。
九月二日
放課後。空はもう茜色の染まっている。私は早く帰ろうとカバンから鍵を取り出そうとしていた。その時、横からノイズのようなしゃべり声が聞こえた。聞き馴染みのある声だ。
声の主を探して、首を横へ向けると、まったく知らない人だった。そう、知らない人。知っていた人だった。でも、もう今は知らない人。どうやら、私を間に挟んで友達と話しているようだった。なんとまぁ、質の悪い。せっかく塗りなおした日焼け止めは、顔から流れてくるようだった。私は、流れた日焼け止めで後を濁しながらその場を後にした。
知らない人。知っていたがもう知らない人。まったくの赤の他人。何故赤の他人なのか。それはかつて結んでいた赤い糸の解れが見えたから。互いの小指の、赤い糸の解れはまだ出来立てで、でも冷めていた。
学校を後にして、私はあの大きな坂を駆け上っていた。上って降りて、老舗のお菓子屋さんの前に出た。信号機は赤色だ。これが私のいつも通りの帰り道。そう、いつも通り。お菓子屋さんは壁面がガラス張りで、ショウウィンドウには季節のお菓子が並んでいる。そのお菓子は焼き菓子のくせに異様にカラフルだ。赤、青あまたは緑、黄色……。信号機や電光掲示板のLEDの光が反射しているだけでしょう。そうでしょう?その光景は、ステンドグラスを彷彿とさせた。嗚呼、私の割れたステンドグラスを。
どこかでブザーが鳴っている。
二月六日
冷たいモンスーンの吹き荒れる二月の刈谷駅。私の瞼の裏に上映された記憶のファーストシーンだ。朝から、電車とバスを乗り継いで二時間くらいか。県境にある博物館に貴方といったね。
二人はバスの中にいた。バスの移動は二十分を超えていただろう。バスに乗って数分後、貴方はゴソゴソとカバンの中をあさっている。何か探している。
どうしたの?
私は尋ねた。すると貴方は、
いやぁ、せっかく博物館にいくからさぁ。予習出来たら楽しいかなって。
貴方がカバンから取り出したのは、中学校の時の歴史の資料集だった。
……
私は何て言っただろうか。ただ貴方に驚きを隠せなかったことを覚えている。そういうところ、貴方のそういうところが大好きだなぁ。
二人は博物館の中を歩いていた。博物館の中といっても、建物をそのまま展示しているから、実質二人は屋外を歩いていた。相変わらずモンスーンは冷たい。でも、二人は笑顔だ。不思議ねぇ。今じゃ考えられないのに。
二人で何処に行こうかと一つの地図を見合うシーン。建物の間取りを見て、貴方が、
これ、家庭科に出てきた夏目漱石の家じゃない?
と気付くシーン。他愛もない話をしながら歩くシーン。お昼ご飯にオムライスを食べるシーン。転んだ私を助けてくれるシーン。いろんなシーンが編集された記憶だなぁ……。
二人は展示物の大目玉の教会の中にいた。嗚呼、ステンドグラス。教会の窓にはめ込まれている。二人は一番奥の中央にはめ込まれた大きなステンドグラスを見つめていた。いや、見惚れていたんだ。だってこのシーン長すぎるもん。ずっとこのまま、この光に包まれたままでいれたなら、どんなに幸せだろう。
「貴方から言ってしまえばよかったのに。」
二人はお土産にしおりを買っていた。モチーフはあのステンドグラスだ。
閉園時間になった。空も茜くなっている。二人は帰路につく。二人は、私の最寄り駅で降りる。
今日はありがとう。
こちらこそ。あとこれ。
いいの?
バレンタイン。それじゃ。また明日。
……言っちゃった。言ってしまった!
ここで私は大罪を犯してしまった。言わなければ貴方を傷つけることはなかった。貴方につらい思いをさせることはなかった。そんなこと、最初から分かり切ったことだった。それなのに、言ってしまったなんて。
四月八日
付き合って二か月程経っていた。その日から学校での新年度が始まる。貴方とは相変わらず同じクラスだ。ここから順調で、楽しくて、笑顔のあふれる、貴方との学校生活が始まるものだと思っていた。
五月一日
新学期が始まってひと月か。ここひと月聞こえてくるのは貴方の楽しそうなしゃべり声だけ。おしゃべりの相手は私なんかじゃなくて。私と話す時よりも楽しそうね。私はここひと月図書室に逃げていた。自然と避けるようになっていた。
五月二日
朝、いつも通り教室に入る。
おはよう。チャイム鳴ってからくるの珍しいね。
隣の席のクラスメイトが私に話しかける。
おはよう。まあね。
どうせ、図書室に行ってたんでしょ。
貴方が話しかける。したり顔で。どうせねぇ。そうですが何か。なんで私が図書室にいたか知らないくせに。
部活を終えて駐輪場に向かう。貴方がいた。尚愛おしい貴方がいた。そういえば久しく一緒に帰ってなかったな。
お疲れ~。
お疲れ様!
他愛もない話をしながら自然と二人で坂を下りる。
最近、部活のみんなで帰っているから今日もそっちにいくね。じゃあまた明日。
……
は?冗談じゃない。なんで?一緒に帰れると思ったのに。新学期始まる前は、付き合う前は、一緒に帰れていたのに。でも、私は貴方を引き留めることはできない。だって、貴方には幸せでいてほしいから。私よりも大切なもの、こと、ひと……、なんて沢山あるから。私との関係よりもそれらのほうが価値があるから。
本当はそんなこと微塵も思っていなかった。思えるわけがない。私だって貴方の隣にいたい。好きでいたい。我儘言いたい。ねぇ、隣にいてよかった?好きって言ってよかった?そんなこと聞ける勇気もまた、微塵もなかった。
貴方の前では素直に全てを受け入れ、応援するまなざしを見せて、貴方の背中を見るときは貴方の楽しそうな声を聴いて、泣いて、貴方を、貴方に関わる全ての人を、憎む、恨む。これが嫉妬とでもいうのだろうか。だとしたら恐ろしいものだ。怖い。ひどい汚濁だ。だって、私はみんなのことを憎んでいることに、恨んでいることになってしまう。そんなの、つらいだけじゃない。どうして私の心はこんなに狭くなってしまったの。窮屈で苦しいよぉ。嫌だ。みんな、みんなといるの、大好きなのに……。
七月六日
今月末に豊田で花火大会がある。貴方と行こうとしていた。憧れのかんざしをつけて、浴衣を着て。でも、もうどうでもよかった。かんざしをつけれるほど私はきれいな人ではない。利用価値を失った長い髪はその日に捨ててしまった。
八月二十日
体調大丈夫?
久しぶりに風邪を引いた私に、貴方は話しかけている。それが記憶の中の貴方の最後のセリフだった。貴方はただただ優しくて、何も変わっていなかった。私は変わっていたのだろう。
八月二十九日
西で荒ぶる台風の雨を食らう八月の豊田市駅。私の瞼の裏に上映された記憶のラストシーンだ。私は貴方にメッセージを送信している。
別れたい
もう一日待てば、あと少し待てばどうにかできたかもしれない。少しの言葉、貴方のおはようで何か変われたかもしれない。でも、そんなんこと、最初から分かり切ったことだった。 貴方は返信をくれた。
貴方は優しかった。貴方は優しすぎる。
私は依怙地だ。私は依怙地すぎる。
電車が来たようだ。雨は止んだようだが、相変わらずどんよりと曇っている。私は右耳にワイヤレスイヤホンをつけて帰路についていた。
どこかでブザーが鳴っている。
九月二日
どうやら記憶の上映は終了したようだ。信号機は青色だ。これから、貴方の隣にいることは許されない。用もなく話しかけることも許されない。改めて思い知る。大丈夫。すべて受け入れる覚悟の下での判断だから。
でも、やっぱり後悔している。貴方に直接謝れなかったこと。ごめんねって、言い出しっぺが振って、我儘言って、好きになって、好きって言ってしまって、ごめんなさいって、つらかったよねぇ、赦さなくていいからごめんなさいって、面と向かって言いたかった。それだけが、割れたステンドグラスの破片とともに私の脳内のメモリに突き刺さっている。
何事もなかったかのように私はお菓子屋さんの前を通り過ぎた。でも、視界がぼやけていた。また、顔から塗りなおした日焼け止めが流れてきたせいだ。
貴方のことは大好きだ。きっとこの先も大好きだ。貴方にはいいところがたくさんある。優しい、優しすぎる。だから、依怙地で、汚い私は隣にいるべきじゃない。どうか、私なんかじゃなくて、優しくてきれいな人に愛してもらえますように。
これは実体験を脚色したフィクションです。実在する人物、施設、及び団体とは一切関係ありません。
エンドロール
部活で作った作品を一部改変したものです。
大まかな作品の流れは、残暑の厳しい放課後に私が過去を回想するという風になっております。過去の恋愛の回想です。私は初めて小説を書くので人物の心情をそのまま書く形になってしまいました。まだまだ私は技術不足です。
この作品で特に注目してほしいのは、私は貴方のことを一言も嫌いと言っておらず、むしろ大好きでいるということです。過去形ではありません。
にもかかわらず、貴方に告白したこと、付き合ったこと、デートしたことを後悔していることです。
じゃあ、なぜ後悔しているのか。それは、私は嫉妬の感情に耐え切れなくなったからでしょう。これも書いてありますね。作者自身も嫉妬の感情に耐え切れず、そこから人を好きになること、愛するということが分からなくなりました。恋人に嫉妬するとき、その感情を素直に伝え、解決のために自身以外の関係を控えることは嫉妬の解決につながりません。なぜなら、自身は恋人だけでなく、何の罪のない、増しては自身とも関係のある人々にも負の感情を抱くからです。そのことに気づいた時、途方もない哀しみに暮れることになります。それでは恋人以外にも好きな人がいることになるのではないか。それは、浮気か、不倫というべきではないか。だから、人を好きになること、人を愛すること、相手に恋愛感情を抱くことが分からなくなりました。このように、恋愛には排他性があります。この排他性を全うすべきなのか。それは社会の目が気になるからであって、自身の意思ではないはずだ。排他性の存在を認知しつつ他と関わるべきなのか。そんな器用なことできやしない。
作者自身はこの思考に陥り、自ら手に入れた恋人を手枷、足枷、口枷のように感じてしまいました。やはり、人を愛するには未熟すぎたのでしょう。作者自身が恋人にこのような感情を抱くことは許されないことだと思っています。だから、今一度謝らせてください。
我儘でごめんなさい。
かつての恋人、愛おしき人へ、私を赦す事勿れ。
これが私の実体験です。残りはフィクションです。