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虚空をつかむとき  作者: 桐林才
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プロローグ

「つまり、そう遠くない内に救済者は現れるのです」

断続的なノイズだけを発していた頭上のテレビから人語が聞こえてきたことにハッとして、僕は目線を向けた。

画面の三割程度は白と青の筋で埋まっているものの、こちらに向けて話している人の顔が判別できる。

「人類の世界的な人口減少が始まって数十年、目に映るのは死と廃墟ばかり」

「今となっては生への絶望や諦観する心も擦り切れて」

「破れた傘の骨だけを抱えて雨の中を歩くような」

「ただ重いだけの空っぽの心を抱えて生きているような」

「そんな世界になっています」

僕以外に客のいないそば屋の店内に、厨房の洗い物の音に混じって淡々とした男性の声が響く。

画面の乱れのすき間から見える彼の顔は、落ち着いた話し方やトーンとは裏腹にやけに若く見えた。

僕は持っていた箸を置いて、プラスチックのコップから水を口に含む。

喉を通る水がやけにぬるく感じた。

「しかし、これは終焉ではない。選別なのです」

「この厳しい篩に掛けられ生き残った者たちこそが選民であり」

「ともに新たな天を見るべき我々の同志!」

「そして、その天を統べるのが我らが彼天教(ひてんきょう)の『救済者』であり……」

そこで突然テレビの音声が乱れ、彼の声がノイズの波に飲み込まれていった。


「おい、もう下げるからとっとと学校行け」

上の空で画面を見つめていた僕に、店主が厨房から声を掛けてくる。

「かけそば一杯で長々と居座られたら迷惑だ」

「……かけそば?」

僕はとてもそばとは思えない乳白色の麺を箸で持ち上げ、思わずつぶやいた。

「僕の知ってるそばとはずいぶん違いますけど」

持ち上げた箇所からすぐにボロボロと崩れ、半透明の汁に浮かんでいく。

「ほぼ小麦粉でしょ。これ」

「そば粉が混ざってりゃそばなんだよ」

僕の目の前から器を取り上げた店主は、足早に厨房に戻っていく。

僕がこの店に初めて訪れたのは、小学生の時に両親に連れられて来たときだ。

去年、久しぶりに立ち寄った際には、当時と比べて客の数以外なにも変わっていないこの店と店主には驚いたものだ。

街の退廃はこれだけ進んでいるというのに。


テレビの方に向き直ると、画面はすでに砂嵐に切り変わっていた。

「おじさん、なんで今時テレビなんて付けてんの?趣味?」

政府の機能が失われて以降、公共の電波などというものはほとんど廃されていた。

現在では、先ほど画面に映っていたような宗教団体にジャックされた映像が定期的に垂れ流されるだけだ。

「情報は、大事だ」

店主は生地をこねる手に力を込めながら話す。

「情報って、何の?」

今のテレビから得るべき有益な情報があるなどと、到底思えなかった。

「俺以外の人間が生きてるか死んでるか、だ」

そう語る店主の後ろ姿や声は、哀愁ではなく意地や決意のような色を帯びていた。

「それがなんで重要なの?」

「アメンボやカエルはそばを食わないからな」

「人間がいなくなったら廃業だろうが」

彼の口ぶりからは、冗談なのか本気で言っているのか判断が付かない。

「じゃあ、おじさんが人類最後の一人になるまでこの店やるってこと?」

「ああ」

彼の返答にはよどみが無い。


「なんでこんな蕎麦屋にこだわるの?」

「そば粉も手に入らないご時世でさ」

そもそも、貨幣価値すらほとんどない終焉の淵にあるこんな世界で商売など成り立つはずがない。

既に衰退の途にある人間たちは、夢見るカルト教団の信徒とただ終わりを見届ける傍観者とに分かれている。

他の生き方など、もはや存在しないからだ。

「そば屋だからな」

そう言うと、店主は僕のところに寄ってきて僕のカバンから財布を取り出す。

「木こりが木を切って、そば屋がそばを作る」

百円玉を一枚取り出すと、そのまま財布を元に戻した。

「高校生は学校に行く」

厨房に戻った彼は、再び鉢の中の生地をこね始めた。

「そうして、みんな生きて死ぬ」


***


「はい、席着け。始めるぞ」

教室内の騒音に担任教師の声が割り込むのを聞いて、僕は読んでいた文庫本を閉じる。

教室を見回すと、昨日より出席人数が二人ほど減っていることに気づいた。

普段は意識するようなことではないが、今朝のそば屋での店主との会話で少し感傷的になっているのかもしれない。

今、学校に通っているのはいわゆる『恵まれた子』ばかりだった。

終わりゆく世界を受け入れ、それがゆえに暇を持て余した、日和見集団による学生ごっこ。

そういう意味では、あのそば屋の店主と同じように『終わり』から目を逸らして偽の労働に勤しむ自称教師たちと思考回路は同じなのだろう。

「じゃあテスト返しからな」

せわしない仕草で、担任が答案用紙の束を取り出し名前を呼び始める。

「赤城、お前な、ここテストに出すって言っただろ」

「新暦322年が終戦、ソルト合意が324年だって。もう覚えろよ」

言葉とは裏腹に、彼の表情は柔らかかった。

僕は元々教師という職業に好印象を抱いていたわけではなかったが、使命感や趣味で教鞭をとる大人には嫌悪感とは別の不気味さを感じ取っていた。

自分の思う『教師』による独壇場と拠り所を欲する従順な生徒役が揃っている環境は、異常な共依存の温床となっているように見えた。

「ここの不正解お前だけだぞ。期末でも出すからな」


彼の説教がいつもより長くなりそうだと感じた僕は、なんとなく窓の外を眺める。

3階からは運動場全体を見渡すことができ、下級生たちがソフトボールをしているのが見えた。

金属バットが鳴らす甲高い音に爽快感を覚えながら、上を見上げてみる。

のっぺりとした陶器のような空の色は、見上げる者を冷たく突き放すような白だった。

本当の終わりが始まる前の束の間の平穏を表す色。

「渡辺は今回がんばったな。はい」

出席番号で最後尾の生徒が呼ばれたところで、僕はハッと現実に引き戻される。

「あ、返ってきてないやつは補習だから。放課後残っておくように」

思い出したように付け加えると、彼は教科書を開いて黒板にチョークを突き立てた。

僕はキツネにつままれたような気分で、教科書とノートを開く。


「何だ、よりによって世界史で赤点か?三森」

授業が終わると、クラスメイトの奥村が隣の席から嬉しそうに話しかけてきた。

僕の唯一の教室での話し相手である彼は、他の生徒とは雰囲気が違っていた。

世界がこうなる前からタイムスリップしてきたように、安穏としている。

単なる丁度いい馬鹿か、あるいはーー。

「俺のこれより下ってことだろ?」

彼の答案用紙には大きく『43』と書かれている。

「ない」

僕は、短く言い切り文庫本を手に取り栞紐を引っ張る。

「抗議に行くなら付き合うけど」

「……行くわけないだろ」

彼の緩んだ表情に嫌悪感を募らせた僕は、大人しく放課後まで残ることにした。


***


担任教師に続いて職員室の隣の資料室に入った僕は、室内の埃っぽさに息が詰まるようだった。

「先生、補習やるんじゃ?」

「そこ座ってろ」

彼がパイプ椅子を示して、また部屋を出ていく。

すぐに戻ってきた彼の手にはコーヒーカップと答案用紙があった。

「これお前の」

差し出された答案用紙の右上には『100』と書かれている。

「だいたい分かってただろ?」

彼の声からは、普段のような柔らかい口調は既に消えていた。

「何の用ですか?こんなところで」

「……お役目だ」

短く答えて、彼はコーヒーカップに口を付ける。

やはりというべきか、彼の用件は高校の教師としてのものではなさそうだ。


彼は、僕が所属する教団の幹部の一人だった。

その中でも五指に入る人物だと、以前に母親から聞いている。

僕自身、教団には生まれた時から所属しているだけに大した思い入れも、彼に対する特別な敬意も無かったのだが。

僕は次の言葉を待ったが、彼は下を向いて黙ったままだった。

「また神棚の掃除ですか?新入りにまわしてくださいよ」

「そういうのじゃない」

分かりやすく言いよどむ彼の言葉を、今度は待つことにした。

壁掛け時計の針の音がしばらく響いた後、彼は再び口を開く。

「ちゃんと飯食べてるか?」

「え?まあ、はい」

「そうか」

「仏壇はキレイにしてるか?」

「親御さんにも毎日ちゃんと挨拶しろよ」

どれも、両親を亡くしてから散々彼に聞かされたセリフだった。

思えば、ここしばらく聞いていなかったなと懐かしさを覚える。

また少し黙った後、何かを決心したように彼は僕の目を見た。

「一週間前に、教団で決まったことだ」

「お前を『代行者』に指名する」

時計の針の音が、また僕の耳に響き始めた。


「なんで、僕なんですか?」

僕は散らかった感情をかき集めて吐き出すことで、冷静になろうとしていた。

心臓がどくどくと音を立てる。

「僕に身内がいないからですか?」

「……それもある」

「気悪いですね」

彼は少なくともこの場で何かを取り繕ったりして、僕を諭すつもりはないようだった。

「気難しい熱心な信徒よりは、お前みたいなやつの方が冷静にやってくれる」

「そういうことだ」

彼の口調は自らに言い聞かせているようだった。

「やるか?」

「愚問ですね」

僕は笑みを浮かべてみせた。

「僕の答えくらい、先生はお見通しでしょう?」

「そうだな」

彼の目に浮かぶ涙の意味を考えないようにしながら、僕は席を立つ。

「先生って、そば好きですか?」

「そば?」

突然の質問に彼は目を丸くする。

「……アレルギーだ」

「それは、残念」

怪訝そうな彼の表情を見届けてから、僕は部屋を後にした。


***


「あれ、三森じゃん」

「どうしたの?こんなところで」

「ムト」

僕が公園のベンチで寝転んでいると、一匹の猫が身体に乗り心配そうに僕の顔を覗き込む。

ムトは半年前に知り合った近所の子猫だ。

年齢は二歳。品種はアメリカンショートヘア。

「僕、代行者になるんだって」

本来は他言無用なのだが、猫に話すのは問題ないだろう。

「代行者?なにそれ?」

「……やっぱりやめとくわ。忘れてくれ」

ムトは頭がいいとは言っても、子猫に分かる話とも思えなかった。

「気になるじゃん。教えてよ」


「お前、普段空を見るか?」

「まあ。日に一回くらいはね」

ベンチに座りなおして上を見ると、相変わらず一面の白が広がっている。

「じゃあ、あの向こうに何があるか考えたことはあるか?」

「あの向こう?」

ムトも一緒に空を見上げる。

「向こうも何も。空の上はずっと空だろう」

「あれが本物ならそうかもな」

「……どういうこと?」

「あれは空じゃなくて天井。昔の人たちが作った偽物の空なんだ」

ムトが思考の沼に沈んでいるのを見て、僕は言葉を継ぐ。

「簡単に言うと、この世界を包む巨大な殻の表面ってことだな」

「うーん」

ムトは肉球を舐めながら考えている。

「分かるような、分からないような」

「でも、なんで人間にそんなことが分かるんだ?」

「人間だって猫と一緒で空を飛べないのに」

「400年前、それを証明した人間がいたんだ」

「ほら、あそこに塔があるだろ?」

僕は街中にそびえたつ一際高い建物を指差した。

「その人間は、あのてっぺんから天に矛を突き刺した」

「この世界に天井があることを証明したんだ」

「僕ら彼天教の信徒はその矛を『天逆矛(あまのさかほこ)』って呼んでる」

「それは今でも天に刺さったままで、殻の自転周期である50年に一度あのてっぺんに戻ってくる」

「それを引き抜いて殻の向こうにある本物の空から救世者が現れる日を、僕らは『夜明けの日』と呼び」

「400年前の彼に代わってその矛を引き抜く人を『代行者』って言うんだ」


「うーん、やっぱりよく分からないけど」

ムトは歯がゆそうに、後足で身体を搔いている。

「三森はそれをやりたいの?」

「ああ」

僕は再びベンチに寝転がる。

「僕はね、ムト。教団の教義も救済者もどうでもいいと思っているんだ」

「ただ、本物の空を見てみたい」

「そんなの見て面白いかなあ?」

「噂によると」

「噂によると?」

「……青いらしい」

ムトが真ん丸な目をさらに丸くする。

「それは、ちょっと見たい」


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