01-1.それは我が子を愛する母の姿だった
* * *
海の中に溺れていくような夢を見た。
息が苦しい夢だった。
……変なの。
いつもとは違うと感じる。
……苦しくて、悲しくて。
だが、それがどうして違うのか理解が出来ない。
考える前に、思考は纏まらずに流されてしまう。
……いかないで。
流されながらも、手を伸ばす。
何度も現れる彼女を救おうと、声を掛けようとするのに声は出ない。
……もう、大丈夫だから。
何度も何度も、彼女の周りを漂う。
……私が助けてみせるから。
水流に逆らう事は出来ないのと同じだ。
深い海に溺れていくように、巻き込まれる。
元に場所には戻る事は出来ずに、何度も目の前に現れる彼女を助けようとしては、離れていくのを繰り返す。
「ひっ、くっ」
聖女、マリー・ヤヌットは泣いていた。
大粒の涙で地面を濡らし、罪を嘆くように声を上げる。
「あ、ああああっ」
誰も居ない場所でマリーは、何度も叫ぶ。
泣き叫ぶ。助けを求めて叫ぶ。
……泣かないでよ。
だからこそ、そんな彼女を助けようと手を伸ばす。その手は、届かない。
……泣かないで。
だからこそ、人間であることを棄てられなかった。
だからこそ、マリーは泣き続ける。
助けを求める声を上げながら、手を差し出されていることも知らずに、ただ、罪を嘆くことしかできない。
マリーは泣いていた。大声を上げて泣いていた。
ガーナは、泣くことしかできないマリーに手を伸ばす。
けれども、その手は届かない。
声を掛けようとするのに、声は出ない。
……また、だ。
なにもできないまま、ガーナは、深い海に飲み込まれていく。
……また、私の手は届かなかった。
救うことも、なぜ、泣いているのかと問うこともできない。
成す術もなく、飲み込まれていく。
* * *
「――ねえ、シャーロット」
穏やかな声で、シャーロットに話しかける。
豪華絢爛の派手な椅子に座るシャーロットの視線は、マリーに向けられた。
その眼は、マリーが知っている冷たいものではなかった。
「なんだ」
相変わらず、退屈そうな表情はしている。
それでも、生き続けることに疲れたような顔はしていなかった。
「私をどうして家に入れてくれたの?」
「我が子たちが、聖女に会いたいと言ったからだな」
「そうなの。ジョンとアントワーヌのお陰なのね」
幼い子どもたちに向けられていた視線と同じ視線だった。
誰かを慈しみ、愛し、守ろうとしている母の眼をしていた。
「可愛い子たちよね」
「そうだろう。私の自慢の息子と娘だ」
シャーロットに似た容姿をしている息子と娘。
彼女は、二人とも父親に似ているのだと主張していたことを思い出す。
「母様。アントワーヌは聖女様と遊びたいですわ」
アントワーヌは、シャーロットの膝の上に両腕を乗せ、強請る。
目の前にいるマリーに遊ぶように要求しないのは、母親に構ってもらうための口実に過ぎないからだろう。
アントワーヌの隣に座っているジョンは、マリーに視線すら向けなかった。シャーロットに与えられた菓子を頬張り、アントワーヌの様子を伺っている。
「そうか。また遊んでもらえばいい」
「今日はだめなのですか?」
「今日は用事があるそうだ。また、後日、暇を見て来てもらおうか」
楽しそうに母親にじゃれついている子どもたちは光に満ちた瞳を、真っ直ぐに、痛々しいくらいに純粋な視線を尊敬する母に向けている。
「二人とも私の大切な子たちだよ」
愛おしい子どもたちの為ならば、シャーロットは、どんな事でもするだろう。
「可愛いだろう?」
「ええ。とっても。二人ともシャーロットによく似ているわ」
「そうかい? 私は夫に似ていると思うんだが」
シャーロットは子どもたちのことを溺愛していた。
誰から見ても分かるほどに愛していた。
子どもに対する愛情は、この時代では珍しいものだった。
貴族階級である者にとっては、子は政治の道具であり、家を繁栄させる為だけの存在に過ぎなかった。
それはこの時代の帝国では常識だった。
それが覆されたのは、シャーロットの我が子を溺愛する姿が、有名になってしまったからだろう。
「貴女は、私を恨んでいるの?」
問いかけながらも、数年前の事を思い出す。
「貴女の幸せを壊すことしかできない私のことが嫌いじゃないの?」
「私は幸せを満喫しているが?」
「それで満足できるような人じゃないでしょう?」
突然、結婚することになったと事務的に報告し、そのまま帝国軍部から身を引こうとした。
結局は、脱退することは許されず、シャーロットは軍部に属している。
母親を尊敬する子どもたちは、シャーロットの罪の重みを知らないのだろう。
「シャーロット。貴女は、内戦が引き起こされなければ、次の女帝に君臨するはずだったわ」
シャーロットは、特別な地位を確立し続けることを許されていた。
その身に流れるのは、正統なる王家(レイチェル家)に連なる尊き血だ。
今後、表に出ることはないであろう滅びた王家の血は引き継がれている。




