06-8.彼はその身に宿る血を疎む
「人を殺し、情報を得て、また、人を殺す。そうすることで領地を増やし、防衛し、帝国に貢献してきた」
シャーロットが語るのは始祖の在り方だ。
帝国は戦争が多い。
現在、植民地支配をしている地位や属国として、帝国の法律に従い、帝国民のように扱われている人々のことを思えば、内戦も絶えない国である。
それらの争いは、すべて始祖が指揮をしている。
主に命の削り合いを行うのは民であるとはいえ、始祖たちも最前線に立ち、常に力を振るい、時には命を落としてきた。
「始祖は神聖ライドローズ帝国時代の英雄だ」
シャーロットも英雄と呼ばれた一人だった。
当時の預言者によって、帝国の危機を救う英雄になると予言されたからこそ、今も始祖として大きな力を振るい続けている。
「私たちは帝国の為にしか生きられない。帝国の為ならば、数刻前までは言葉を交わした民であったとしても、帝国を裏切るようなことをされてしまえば、斬り捨てなければならない。それが始祖に与えられた義務だからだ」
シャーロットも何度も帝国民を手にかけてきたのだろう。
革命が起きる度に心を痛めたことだろう。
敵国と繋がっていた内通者だとしても、帝国で生まれ育った民には違いはない。それらを帝国の正義の名のもとに斬り捨ててきた。
「お前ならば、いつまで笑顔を保つことができる?」
シャーロットの問いかけに対し、イザトはすぐに答えられなかった。
……人間のすることじゃないよ。
想像絶する日々を過ごしてきたのだろう。
その中には穏やかな日々もあるだろう。
しかし、穏やかな日々は長くは続かない。
……どれほどの別れを繰り返してきたんだろう。
人間は始祖のようには生きられない。
寿命を引き延ばすことはできない。
長命の種族は帝国にも存在しているものの、彼らは人間の在り方を捨てた始祖たちのことを毛嫌いしている傾向が強く、良き友にはなれないだろう。
「……無理だと思うよ。少なくとも正気ではないだろうね」
「そうだろうな。だが、戦場に立てばそのようなことは言っていられない」
「聖女は正気ではなかったの?」
戦場に立つ聖女の姿は、何度も確認されている。
歴史書には、聖女のおかげで戦いに勝てたかのように記されていることもあったはずだ。それらの書物には、聖女は人の心を理解し、民に尽くしてきたと書かれているのが一般的である。
「途中までは正気だっただろう。だが、彼女は聖女であるからこそ、狂い始めてしまっていた」
紅色の髪は風が吹いていないのにもかかわらず、揺れる。
イザトを見ているはずの両目は、虚ろだった。
焦点が合っていないようにすら感じられるその眼には、暗く、悲しいなにかが見え隠れしているように感じた。
……聞かなきゃ良かった。
目を逸らしてしまいたくなるような恐怖感に襲われるが、それは、彼女が無意識に放っているのだろう威圧感により、行うことすらできない。
……恐ろしい。
恐怖心に身体を震わせる。
寒気に襲われ、本能が逃げろと叫ぶ。
……化け物を前にしていると、今になって、自覚した気分だ。
逃げることさえも、不可能になる。
全てを支配されている。
恐らく、そんなつもりではないだろう。
イザトが怯えていることに気付いたシャーロットは眼を閉じた。
「私はそれすらも忘れていた」
小さく、息をつく。
それは、悲しい過去を思い出すことへの苦悩のようにも見えた。
「思い出した頃には、聖女は狂ってしまっていた」
懐かしむように口元を緩く歪めた。
言葉と感情が合わさらない。
それに釣られるように表情も変わる。
それは、何を信じれば良いのか、全てを疑ってしまう。
……全部、本当のことなのかもしれない。
嘘吐きだと呼ばれることの多いのは、噛み合わない言葉と感情、表情に惑わされてきた人が表現したのだろう。
……何を信じればいいのか、僕にはよくわからないよ。
イザトは、そう判断して、寒気を堪えながら見つめる。
「いつの時代も、国の為、民の為、そして、彼奴が愛してやまない兄の為に笑っていた。笑顔で仲間を励まし、戦っていた」
想像するだけでも、その違和感に気付く。
「無力な己を嘆きつつも、いつだって、先頭に立って指揮を執っていたものよ」
異常なのは、シャーロットではない。
聖女の方だったのだ。
「笑っていたからこそ、忘れてしまったのかもしれないな」
それに気づいたときは、既に遅かったのだろう。
「誰よりも純粋な乙女である定めを背負った彼奴が、そんなに耐えられるわけがないということを。――誰よりも強い正義感によって、潰されてしまっているということ。だからこそ、彼女は帝国の聖女に相応しかった」
――“ありがとう。”
そうお礼を言ったガーナは、笑っていた。
いつもと変わらない笑みを浮かべて、自力で答えを見つけると宣言していた。
それを思い出したからこそ、寒気の正体を知る。
「それが、ヴァーケルさんとマリー様を引き合わせた理由なの?」
……どうして気づかなかったんだろう。
恐ろしい現実を突き詰めてしまった。
そして、それを止める事は出来ない。
後押ししてしまったのは、イザトだった。
……聖女になるというのは、戦場に彼女を引っ張り出すことだ。
他人を害することを嫌うガーナを、戦場に連れていかれることもあるかもしれない。
聖女という立場になれば、逃げることも許されないだろう。
「明日、貴様の問いに答える言動をとろう」
「……もしも、ヴァーケルさんがそれを妨害するっていったらどうするの?」
ドアノブに手をかけながら、イザトは問いかけた。
殺意を向けられることを覚悟の上だ。
幼い頃から死を覚悟しているイザトには、友人を失うよりも怖いものはなかった。
「決まっているだろう。帝国を守護する始祖として応えるだけだ」
「……そっか」
即答とも言える言葉に、イザトは眉間にしわを寄せる。
……シャーロットの意思じゃないのかもしれない。
まるで問われるのがわかっていたかのような答えだった。
それには、迷いがないように感じた。
……ヴァーケルさんは、別の何かに巻き込まれただけなのかもしれない。
「じゃあね。また明日」
軽い別れの言葉を言い、イザトは扉を開ける。
……逃げるみたいだけど。
扉を開ければ、遅くまで活動をしている運動部の声が聞こえる。
それを聞きながらも、イザトは廊下に足を踏み出し、少し振り返る。
「また、明日に会おう」
シャーロットは笑っていた。
それに安心したように笑顔を作ってから、イザトは扉を閉める。
そして、歩き出した。
……二人とも自分の意志をしっかり決めてるんだなぁ。
はっきりと言わなくとも何かを心に決めていたガーナ。そして、同じく何かを隠しながらもしっかりとした意志を持っているシャーロット。
そんな二人を少しばかり羨ましく思えた。
……僕だったら、――絶対に無理だ。
大事な人を失う覚悟で、自身の願いを叶えることもできない。
失いながらも、一途に帝国の為に全てを捧げる生き方もできない。
両方が極端すぎて、両方が残酷すぎた。
「……どうして、あの人たちはそれができるんだろう」
思わず声になる。誰もいない廊下だった。
階段を目の前にしている為なのか、思わず口にしていた言葉は響く。
けれども、それに対する返事はない。
ただ、空しく響いた声にため息を零した。
……これが、僕みたいな人間とあの人たちの違いなのかな。
自嘲の笑みが思わず零れ落ちた。
……そりゃそうだよね。僕は、生きる為だけに友達を売ってるんだから。
それと同時に、不思議と涙が頬を撫でる。
「死にたくないなぁ……」
特別な願いは、一つもない。
価値がないと判断されてしまえば、下される処刑の時が、一刻一刻と近づいてくるのを知っている。
逃げられるはずがないことを理解して、受け入れた。
それでも、イザトは思ってしまう。
……神様なんて、大嫌いだ。
理不尽なことばかりだった。
その言葉さえも口にすることは許されない。
イザトは大きなため息を零した。




