03-2.根拠のないガーナの勘とライラの願い
* * *
「そうですね。少しだけならそういったことを忘れても――。って、いません!?」
横で歩いていたガーナはいない。
慌てて周りを見渡す。
「ガーナちゃん!!」
見つけた。
人の間を器用に通り抜けて、大荷物を両腕で抱きしめたまま、全速力で駆けていく姿が見えた。
時々、苦しそうに身体を左右に揺らし、倒れそうになりながらも駆けていく。
なにかを追いかけているようにも見える。
なにか得体の知れない力に引き寄せられているようにも見える。
……身体強化魔法を――。いえ。その魔法は使えなくなったと言っていたはずです。
身体機能を格段に上げることだけを目的とした魔法がある。
それは属性別に分けられた魔法ではなく、魔力がある者ならば誰もが使えるように作られた【創作魔法】と呼ばれる新しい魔法の一つだ。
……まさか、魔法を使わずに?
ガーナは運動能力に恵まれていた。
国内の大会出場を目指す運動部からは毎年のように入部の勧誘を受けているほどだ。
……でも、そんなことはありえないのです。
「ガーナちゃん!!」
空想に深けていたライラであったが、慌てて、走ろうと地面を蹴り上げる。
ぼんやりとしている暇ではない。
少しの時間でも、ガーナを見失ってしまうのには充分な時間になる。
「ガーナちゃん!! なにをしているのですか!?」
ライラの悲痛の叫びを耳にした少年少女たちが肩を揺らす。
幾ら温厚とはいえ、ライラは隣国の王女だ。
逆らえば、磔にされたところで文句は言えない。
帝国では、皇族の癇に触れた者は生きていけない。
身についている恐怖に怯えているのだろう。
「いきなりの行動は止めて下さいと、何度も言っているでしょう!?」
恐怖から逃げるかのように、少年少女たちは慌てて立ち去っていく。
人込みの中に隠れて行ったガーナの姿が見えた。
長い青色の髪が視界に映る。
一心不乱に走っていく。周りが見えていないのだろう。
……止めなくては。
ここで引き留めなければ、良くないことが起こる気がした。
……私が止めないと!
警告をするように頭痛がする。
その意味を知っていた。
「お待ちください! 私を置いて行かないでくださいませ!」
そんな目で見られていることなど気づかずに、ライラは叫ぶ。
気にしていられるほどに冷静ではいられなかった。
「ガーナちゃん!!」
今は、ガーナを引き留めることがなによりも大切な行動だった。
「あっ」
急に走り出した為にバランスを崩し、倒れる。
その際、荷物は地面に叩きつけられ、ライラは悲鳴を上げる。
……痛いですわ。痛くて、痛くて、仕方がないのです。
普段ならばそれに気づかないガーナではない。
ましてや、なにも言わずに置いていくような人ではない。――それをしなければいけないほどに、ガーナは大切ななにかを見つけてしまったのだろう。
……ガーナちゃんが、あちらへ行ってしまう前に引き留めなくては。これは私にしかできないことなのですから。
地面に叩き付けられた痛みよりも心が痛む。
これから先、ないか良からぬことが起きてしまうのではないか。
根拠のない不安が心を覆う。
「ガーナちゃん……っ!!」
必死に手を伸ばした。
視界には美しい青髪は映らない。
「行かないで!」
振り返ることすらしない。
突然、前触れもなく開いた距離はなにかの暗示であるようにすら感じてしまう。すると、突然、寒気が襲ってきた。
身体を震わせるのは恐怖感だ。
大切な者を失ってしまう。思わず、そう錯覚していた。
「ガーナちゃんっ……!!」
叫ぶ。愛おしい親友の名を叫び続ける。
引き留めなければ、全てが変わってしまう気がしていた。
……あぁ、神様、お願いですわ。
自由を愛する少女には、二度と会えないのではないだろうか。
どうしようもなく不安だった。
「ガーナちゃんっ」
身分を気にするライラに対しても、笑顔で手を指し差し出してくれた親友が離れて行ってしまう。
手の届ないところに連れて行かれてしまう。
それは、なによりも恐ろしいことだった。
……嫌ですわ。あの子を、――ガーナちゃんを失いたくはないのです。
それは、ガーナの死を意味している。
何故だろうか。そんな不安がライラを支配した。
……どうすれば、良いのでしょうか。
恐怖感に身体が蝕まれる。
この直感を否定することが出来なかった。
「ガーナちゃあああああああん――!!」
もう一度、名を呼んだ。大声を上げた。
手段を選んでいる暇はなかった。
どのようなことをしてでも引き留めなくてはいけない。
「ガーナちゃん!!」
助けを呼ぶかのように叫ぶ。
走り去った唯一無二の親友を引き留める為だけの声は、空しく響き渡る。
誰もがその声には応えない。
「戻ってきてくださいませ!」
傍に居たあの笑顔が美しい少女は振り返らない。
「お願いだから!」
傍に居るだけで世界を救ってしまいそうだった力強い笑い声は、聞こえない。
「いなくならないで!」
振り返ることも応えることもなく、なにかに引きずり込まれるように消えた。
「ガーナちゃん……!!」
それから、ライラは座り込んでしまった。
地面に散らばる荷物をかき集めることもしなかった。
ただ、地面を涙で濡らす。零れ落ちた涙は止まらない。
……どうすることも、出来ないのでしょうか。
初めて感じた恐怖に身体を震わせる。
……お願いです、神様。なにも起きないでください。
その場に蹲ることしか出来なかった。
涙を流し続けることしか出来なかった。
「神様。どうか、どうか、私から、ガーナちゃんを奪わないでください……!」
皮肉にも、ライラの願いは届くことがなかった。
それどころか、彼女の直感は間違っていなかった。
それを知るのは、もう少し先の話である。