03-1.根拠のないガーナの勘とライラの願い
「え? ――えーっと、二回目でしょうか」
不安げな声を上げる。
前触れの無い質問に対して、ライラは首を傾げながら答えた。
……答え方も可愛らしいって。ほんと、私の親友は素敵よね。
心の中で褒めてしまう。
「うふふっ、ハズレ! 五回目よ」
「あら。そうでしたかしら? ……でもね、ガーナちゃん。とても大切なことですわよ。何回も話をしたでしょう?」
ライラの言葉に対し、ガーナは反射的に顔を背ける。
「そうなの? 私、なーにも知らないわ!」
無理に誤魔化そうとしているわけではない。
ただ、都合の悪いことは聞かなかったことにしてしまいたいだけだった。
「ええ。そうなのですよ。私の国の考え方にはなりますが、私欲に溺れることは穢れを背負うことなのです。穢れを背負えば、いずれは罪となり、それは国と民を――。って、聞いていますか?」
ライラは戸惑ったように言う。
……真面目な話と優しい口調が王女様とは思えないのよね。
両腕に紙袋をかけているその姿は、何とも市民として定着してしまいそうな程に違和感のない姿にもみえてくる。
ガーナに比べれば荷物は少ないが、一般的に見ればだいぶ買い込んでいる。
……うふふっ、謙虚なところも好きよ。
戸惑うライラに身体を当てる。
少しだけ体重を掛けるようにして、斜めになる。
そんな突然の行動に、首を傾げているライラは文句の一つも言わなかった。
「えへへ」
ガーナは、緩んだ笑みを浮かべた。
その笑みは見ている人を安心させる不思議な力がある。
「優しいわね。ライラ。そういうところも大好きよ」
貴族ばかりの魔法学園に通っていながらも、ガーナが嫌がらせを受けていない要因の一つとなっているだろう。
「うふふっ、真面目だねー。そこがライラの良いところだけど」
「ありがとうございます。真面目に生きることは大切なことですわ」
「うん。知ってるよ。でも、私にはちょっと重すぎる考えだわ」
ライラはアクアライン王国の第二王女として生まれた。
帝国と同盟を結んでいるとはいえ、アクアライン王国は小国だ。
同盟が破棄され、戦争が勃発すれば一か月以内に陥落することだろう。
「もっとね、気楽に生きましょうよ」
ライラは最悪の事態が引き起こらない為に帝国に送り込まれた人質だ。
気楽に生きることができる時間など与えられなかったのだろう。
「今からそんなに真面目だったら途中で頭がおかしくなっちゃうわよ!」
……立場を考えれば、無理なのはわかっているけど。
アクアライン王国には心を許せる友人はいないと、以前、話をしていたことを思い出した。
……もっと前に会えていたら、ライラの心を少しでも救えたのかねぇ。
ガーナは、静かに視線を反らした。
視線を反らした先には血のような紅色が見える。
血のようだと嫌悪感を抱く色であるのにも関わらず、なぜか、懐かしいと思わせる色をしていた。
「いえ、私が真面目というよりは貴女が不真面目なだけな気が――」
ライラの言葉は耳に入らなかった。
* * *
否定的な意見を言うライラの言葉は、途中から聞こえていなかった。
一瞬、視界を覆い尽くした紅色の髪。
美しく、それでいて、懐かしい。
人込みに飲まれるようにして、離れていくその人に導かれるように走り出していた。見知らぬ人の影を追いかける。
その顔には、先ほどまで浮かべていた幸せそうな笑顔は残っていなかった。
……“あの子”は。
胸が高鳴る。ずっと、探していた気さえしてくる。
隣に居た筈のライラの存在を忘れてしまったかのように走り出す。
ガーナの心は、すれ違っただけの少女に奪われていた。
まるで何者かに操られたかのようである。
記憶にないはずの少女に対して懐かしさを抱く。
……どうして、忘れていたの。
長い年月を共に過ごしていた気がする。
思い出があるわけではない。
記憶があるわけではない。
それなのにも関わらず、ガーナは、その人を知っていた。
なにも知らない筈のその人を追いかける。
手遅れになってはいけないと誰かに背中を押されたかのように身体が軽い。
見失ってはいけないと囁かれるようにはっきりと紅色に染まった髪が視界に入る。
……捕まえなきゃ。“あの子”が、孤独になってしまう前に。
今、追いかけなければ、二度と会えなくなる。
そして、彼女を思い出すことはないだろう。
そうすれば、なにもかも忘れたまま、生涯を終えるのだろう。
それはそれで幸せなのかもしれない。
……助けなきゃ。約束をしたもの。
孤独のまま、その命を終わらせる姿を想像する。
胸が痛む。
苦しい感情を追い払うかのように、地面を蹴る。
……私が一緒にいないと。
離れていく紅色の髪を探す。
……約束を守らないと。
なぜかはわからない。
ただ、ガーナは追いかけた。導かれるように必死に走る。
……そうよ。私たちは、いつも、一緒にいたのに。
いつでも、笑っていた人たちの姿が脳裏をよぎる。
姿をはっきりと思い出せたわけではない。
霞みがかったその人たちの中には、確かにいたのだ。
「待ちなさいよ」
常に守られている立場に居た。
半端な力しか持たない“彼女”を守る為にどれくらいの犠牲を払ったことだろうか。何度、大切な仲間たちが犠牲となったことだろうか。
心が叫んでいる。
その記憶こそが真実であるとガーナに語り掛けてくる。
「待ってよ!!」
何度、それを悔やんだことだろうか。
忘れてはならないとなにかが警告を鳴らす。
「私はここにいるのに!!」
得体の知れないものに背中を押されている。
それに気づくこともなく、ガーナは走った。ひたすらに走った。
霞みがかった記憶の先には、大切なことが隠されている気がした。
……“私”は、約束したのよ。守るって。
無意識に紅髪の少女を探す。
彼女を探せば、なにか思い出す気がした。
胸が痛む。頭が痛む。身体中が悲鳴を上げる。
まるで、思い出す事を拒絶しているかのようだった。
痛みで足を止めてしまいそうになる。
頭を抱えて丸まってしまえれば楽になるのだろうか。
……うん、大丈夫。守るよ。その為に、走らなきゃ……!!
痛みを堪えながら走る。
既にライラの存在を忘れていた。