05-2.ガーナの覚悟は罪人を救う
胸が机に乗ったが、気にしない。
……私はどうして生きているの?
今は、心の中に浮かんだ言葉を忘れたかった。
……違う。私は私よ。生きているのは当たり前のことじゃない。
自分の存在理由を疑うような言葉は、恐ろしく感じた。
「イザトはさ、始祖が何をしてるか、知ってる?」
「もちろん、知ってるよ」
イザトは迷うことなく答えた。
なにも隠す必要ないのだと言わんばかりの返事に対し、ガーナは視線を机に落とす。
「怖くないの?」
「怖くないよ。だって、ヴァーケルさんは、僕の育て親が始祖だって言ったら、怖いと思う?」
「私の最愛の兄も始祖だもの。だから、怖くはないよ。敵にしたくはないけど」
「僕もそうだよ。だから、別にヴァーケルさんが気にする必要もないんじゃないかな」
その言葉に、ガーナは肩を揺らした。
……嫌だねぇ。まるで、全部、知っているみたい。
それから、どこまで気付いているんだと言いたげな目を向けた。
相変わらず、穏やかな口調で話すイザトは笑みを浮かべている。
今のガーナには、その笑顔を向けられることが、恐ろしく感じた。
……おおまかにしか知らないって言われてもね。
身体が震える。
得体の知らない恐怖を感じる。
……まるで、私が記憶を取り戻すのも知っていたみたいじゃないの。
兄のように、なにも言わずに“その時”が来るまで見守っていたのだろうか。
そうだとするのならば、何故、今になって【物語の台本】に触れる行為を犯したのか。ガーナがどのような反応をするのか、試すつもりだったのだろうか。
見守っていたのならば、知っているはずだ。
知っていたのに、黙っていたのだろうか。
……記憶なんて意味もないのに。
育て親から【物語の台本】の存在を教えられていたのならば、【物語の台本】を覆す可能性を生み出す事の危険性を知っているはずだ。
「……気にするわよ。でもねぇ、それって、当たり前だとも思うのよね」
小さな声で呟いた。
身体の震えには気付かないふりをする。
「私は、三日前までどこにでもいる少女だったのよ?」
僅かに震える声にも、気づかないふりをして、自身の髪に触れた。
「それなのに、急に、聖女様かもしれないなんて」
その言葉は、他でもない自分自身に言い聞かせているのだろう。
「兄さんと同じだなんて言われても信じられるはずがないじゃない」
落ち着きの無かった口調は、少しずつ、冷静さを取り戻す。
それでも、身体の震えは収まらなかった。
「だって、それって、まともな生き方は、望めないなんて言われたのも同然なのに」
記憶を保ったまま、転生を繰り返す。
その命は全て帝国の為に捧げる。
「それなのに、気にしないでいられるわけないじゃないの」
死による解放もなければ、永久の生が約束されたわけではない。
必ず訪れる死の恐怖を受け入れ、再び、この世界に生を受ける。
それは、終わりの無い地獄。永久に続く罰のようにも思える。
「イザトも分かるでしょ?」
それは、身近で見て来たからこそ思うのだろう。
ガーナには、始祖を崇める心を理解する事は出来ない。
「始祖は、本当は、いてはいけない存在なのよ」
始祖となった彼らの生き方を知っているからこそ、異常なのだと、この世界には存在するべきでは無いのだと非難することが出来る。
「まともな生き方では無いのかもしれないね。でも、こればかりは、仕方ないんじゃないかな」
イザトはガーナの言葉を否定した。
「彼らには彼らの言い分があるんだよ」
まるで諦めているかのように見えた。
「僕の育て親は、始祖であることを誇りに思っているらしいしね。元々、何をしていたのかは聞いたことはないけど、始祖になることで全てが変わったんだって自慢していたよ」
言い聞かされていた言葉を思い出しているのだろうか。
「そういう人だっているんだ。だから、不幸だなんて決めつけるのはいけないと思うよ?」
イザトには始祖の生き方は理解できない。
しかし、それを否定する資格はイザトにはなかった。
「でも、それは、人間であることを捨てたってことじゃないの? だとしたら、……例え、物凄く良い変化を迎えても、やっぱし、私は納得できないわ」
「ヴァーケルさんは、喜んで、聖女になるわけではないんだよね?」
「当たり前よ。だいたい聖女になる方法なんて、誰も分からないじゃない。始祖だってどうやって生まれたのかわからないのよ? そんなよくわからない存在にはなりたくないわ」
ガーナの言葉に、イザトは頷いた。
始祖が存在するのは、帝国だけでは無い。
呼び方は異なるものの、似たような存在は世界中に存在するのだ。
しかし、始祖について詳しい情報は誰も知らない。
それは、国家機密として扱われているからだろうか。
それとも、誰も知らないのだろうか。
「残念だけど、それは、違うよ」
イザトは、その答えを知っていた。
穏やかそうに微笑んだまま、たいしたことではないのだと言うかのように口にする。
「……知ってるの?」
「知ってるよ。でも、僕には出来ないね。いや、僕だけじゃない。現代の魔法使いや魔女にも出来やしないよ」
育て親から聞かされた始祖に関する情報は、どれくらい正確なのかわからない。
しかし、ガーナの不安を取り除くのならば提示するべきだろう。
「それ、どういうこと?」
ガーナは理解できなかったのか。首を傾げた。




