05-1.ガーナの覚悟は罪人を救う
同時刻、ガーナの部屋。
必要最低限の物以外は置かれていない質素な部屋に通されたイザトは、用意されていた椅子に腰をかけていた。
二人用の机に肘を乗せ、頬を膨らませたり目を泳がしたり、突然立ち上がったりと忙しない行動をするガーナに対して、明らかな違和感を抱いていた。
それに気づかずに、ガーナは話題を切り出せずにいた。
ここまで来て、すべてをなかったことにして逃げ出してしまいたかった。
だけども、それでは逃げられないことを知っている。
……大丈夫、大丈夫よ。
自分自身を慰める声は、心細いものだった。
……私はいつだって私だもの。イザトも知っているわ。
いつもの何処から湧き出て来るのか不明な自信は、すっかり伏せてしまっている。
探そうとしても、見つかるのは現実逃避にも似た気持ちだけだった。
「それで、わざわざ呼び出して何の用?」
先に口を開いたのはイザトだった。
「僕は、さっさと要件を済ませて部屋に戻りたいんだけど」
「いやぁ、うふふ、その、ねぇ」
質問の答えには明らかにおかしい笑い声で返され、イザトは困ったようにため息を零した。
「……委員長君のこと? それとも、シャーロットのことかな?」
なんとなくではあったが、ガーナの言いたいことはわかってしまうのだろう。
というよりは、それ以外には心当たりがないのだ。
「忌み子について知りたいの? それとも呪われた双子? どちらとも図書館の帝国史分野のところに絵本があるからそれを読めばわかる話だよ」
フリークスの忌み子、呪われた双子。
帝国の歴史と同等、もしくはそれ以上の月日を歩んできた名門貴族に対して、向けられている仇名は、仕方ないものではあったが、同時に悲しいものだった。
……言い方に棘を感じるのは、私の気のせいだよね?
まるで触れて欲しくないと拒絶されているようだった。
「まあ、そうよ。シャーロットのことなんだけどね。……ほら、その。なんていうの? イザトって彼女と親し気じゃない? いや、ほら、あれよ。だから、何か問題があるってわけじゃないんだけどね」
露骨なまでに言い淀むガーナに対して、イザトは目を細めた。
僅かに青ざめ、恐怖と闘っているような表情をしつつも、何とか笑顔を作ろうとしている。
「シャーロットに直接、始祖なのか聞けって言ったこと?」
こんな空気ではなければ、腹を抱えて爆笑していただろう。
イザトがそんなことを思っているとは知らず、ガーナは真剣だった。
「【物語の台本】が崩れてしまう可能性があったってことかな。まあ、どちらにしても、始祖に関することで僕を呼んだんでしょ?」
だからこそ、イザトは応える。
普段から真剣になることがないガーナが、真剣に悩んだ末に呼んだのだ。
「それなら、そうと言ってくれたらいいのに。どうして言いにくそうな顔をするわけ?」
ただ、知っているか、知らないか。
それだけの問題なのだ。力のない者にとってはそんな些細な問題である。
「……やっぱし、知っててやったの?」
「うん。見てられなかったから、つい、口を挟んじゃったね。まあ、でも、大丈夫だよ。あの程度じゃあ影響はないよ。根本的に影響を与えようとするなら僕たちでは不可能なんだよ。あれはそういう造りになっているからね」
「そういう問題じゃない!!」
思わず、ガーナは声を大きくする。
シャーロットから聞かされただけの話ではあったが、【物語の台本】が狂うことによりなにが起きてしまうのか、知っていた。
知識だけの出来事だ。
しかし、自分自身が見てきたかのように感じてしまう。
それが異常であることは気付いていた。
それを受け止めなくてはならない事態になっていることも、わかっていた。
ただ、それを受け止めることはまだ出来なかった。
大切な人たちを救いたい気持ちだけでは、得体の知れない恐怖心には打ち勝つ事は出来ない。
三日前までは、ただの少女だったのだ。
ただの少女だと信じて疑わなかったのだ。
少しだけ、普通じゃない事を望んでいただけの空想癖のある少女だったのだ。
急に突きつけられた現実は、あまりにも残酷だった。
……そういう、問題じゃないのに。
【物語の台本】が狂えば、死ぬ予定じゃなかった人が死ぬ。
【物語の台本】に従えば、死ぬ予定の人は救えない。
……どうして、わかってくれないの。イザトのバカ。
事実として、イザトの魔力では大した歪みは起きないのだろう。
それでも、危険性を知っているのならば、無暗にそれを口にするべきではない。
「変な行動は控えるべきなのよ! そうしなきゃ、誰かが苦しむのに……っ」
ならば、どうして。
――どうして、ガーナは生きているのだろうか。
気付いてしまった言葉を否定するように、ガーナは言葉を続ける。
「それに、無駄に鋭い連中ばっかのクラスだから、いつか、もしかしたら、何かの原因でばれてしまうかもしれないんだよぉ!? そうしたら、イザトは変な目で見られる! その恐怖を何もわかってない!」
ガーナは他人を優先する。
友人に危害を加えられることをなによりも恐れている。
「……あー、うん。そうだね、そういうのは考えていなかった」
イザトは自分自身を害される危険性を考慮していなかった。
そして、それに対して、自分のことのように感情を露にしているガーナの子ともよくわからなかった。
「私は真剣に言ってるのに! なんなの! その反応! ――まあ、いいわ。うん、イザトはそういう人だものね。それで、その、どこまで知ってるの?」
「うーん、そうだね。【物語の台本】の存在と、始祖たちがそれを守っていること。それに、ヴァーケルさんが聖女の転生者である可能性が高い存在だってことかな」
笑顔のまま、淡々と告げるイザトの言葉に対し、ガーナは何も言えなかった。
「でも、安心してね。僕はおおまかにしか知らないから」
態度を変える気がなさそうな彼に安心したのか、身体の力を抜けた。
そして、そのまま体を前に倒すようにして、お菓子を取った。