03-1.日常が崩れる音に誰も気づかなかった
「大丈夫ですわよ、ガーナちゃん。私の事は心配なさらないでくださいませ。――それよりも、リン君、お聞きしたいことがありますの。よろしいかしら?」
「はい? 何ですか」
「レイン君の件なのですが、ご友人を誘ってもかまないと書かれておりましたの。リン君は参加なさるのでしょう? ですから、ガーナちゃんとリカちゃんとイザト君をお誘いしようと思っていますの。大丈夫でしょうか?」
鞄から一通の手紙を取り出してリンに渡す。
質素な造りをした手紙を受け取ったリンの手元を覗き見る。
……招待状っていうのよね?
確かにそこには、友人を誘って来て欲しいと言った内容が記されている。
堅苦しい文面のように見えたのだが、ライドローズ語ではない別の言語で書かれている内容を読み解くことはガーナにはできなかった。
……アクアラインの言葉なのかな。
正式な誘いの為、ライラの母国語を使ったのだろうか。
「帝国には帝国の常識があると聞いておりますわ。もし、私の勘違いでしたら、ガーナちゃんたちに申し訳ないと思いまして……」
ライラは打ち明けにくそうに声をあげる。
「ライラ! それって、私も参加できるのかい!?」
ガーナはリンの返事を待たずに声をあげた。
初めての経験を前にして期待を抱く子どものような表情を浮かべるガーナに対し、ライラは静かに目を逸らした。
「パーティなんて参加したことがないからねぇ、どんな料理が出るんだろう!! やっぱ、ドレスで踊ったりするのかな!? あっ、そうそう風邪を引いたリカにも連絡を入れなきゃねぇ! ふふっ、楽しみぃ! イザトも初参加だよね!?」
ガーナにはそんなことは関係なかった。
想像することさえもできない華やかな経験になるのだろうと期待を込め、興奮を隠せなかった。
「僕は育て親の都合で出たことがあるけど。公爵家が主催だからね、期待して良さそうだよ。そういう体験は珍しいしね」
イザトは淡々と答える。
ガーナに向ける視線は興奮している子どもを見るようなものだった。
「ふへぇ。イザトの育て親って興味あるわぁ。もしかして、有名な人だったりするの?」
「どうだろう。僕も詳しい仕事は知らないんだよね」
「お前らは黙っとけよ。ライラ様、推測の域に過ぎないのですが。――フリークス公爵家の意図としては、彼らではなく、御国の友人、もしくは御立場に相応しい友人を示しているものだと思われます」
リンの言葉に、ガーナとイザトは肩を落とす。
……ちぇっ、これだから御貴族様は頭が固いのよ。
表情を硬くしたまま、淡々と話すリンは見ていて楽しいものではない。
しかし、今、悪戯を仕掛ければ、確実に怒られる。
「しかしながら、彼ら二人だけならば、強引な方法でも構わないのでしたら、お連れすることが可能です。そのまま友人として連れていくこともできないことはないですが、……その場合、貴族階級から睨まれることになるでしょう。ライラ様もそれは望まれないのでは?」
「確かにガーナちゃんたちが辛い思いをするのは、私の望むことではありませんわ。方法を教えてくださいませ」
この手の話題で邪魔をして怒る時のリンは、怖いのだ。
それをわかっているからなのだろう。
二人は黙って、リンとライラを見る。
「シャーロットの力をお借りすることが出来たのならば、理論上は可能な筈です。仮にも、帝国を代表する始祖が、身分を証明さえしていれば、問題は起きないでしょう。……それ以外の方法はありません。話ならば、畏れながら、従弟である俺が仲介させていただきます」
リンは提案こそはしたものの、その方法を実行に移すことを望んではいないのだろう。
「……シャーロット様ですか?」
ライラの顔色が曇る。
二人は接点があるのだろうか。
……関りがあっても、変な話じゃないけどねえ。
ライラはシャーロットに対し、強い、警戒心を抱いている。
アクアライン王国は同盟国の一つだ。
好意的な関係を保つ限りは、始祖が行き来をしていてもおかしくはない。
「ごめんなさい、リン君。リン君の好意はありがたいのですが、あの方の手だけは、借りることは出来ませんわ。他の方法を考えさせていただきますわね」
はっきりとした口調で言い切る。
……近寄らせない為なのかな。
精霊は清い心の持ち主を好む。それはライラも同じだ。
精霊と通じ合うことができるライラからすれば、始祖として多くの人々の命を奪い続けているシャーロットの手を借りるということは、想像すらもしたくないことなのだろう。
……それにリンと近いもんねえ。
十年間、会わなかったとは思えないほどの距離感だった。
シャーロットからすれば子どもの相手をしている気分なのかもしれないが、リンに片思いをしているライラにしてみれば気分が悪いものだろう。
「おやおや、これはまた、容赦のないお言葉だ」
……嫌がらせなの?
図ったとしか思えない登場をするシャーロットを冷めた目で見る。
前触れの無い現れ方にも突然の発言にも、誰も、なにも言うことが出来なかった。
「これでも帝国の守護を任せられている始祖の一人なのだが、隣国の王女様から見れば化け物にしか見えないのだろう?」
シャーロットの言葉にも一理ある。
正論とまではいかないが、理解できるのだ。
「あぁ、かわいそうに。王女様をお守りしている精霊たちが騒いでいる。彼らには私が質の悪い化け物にでも見えているのだろうね?」
……まあ、ライラも言いすぎたよ。でも、このタイミングは無いわ。
シャーロットの目にも精霊の姿が見えているのだろうか。
ライラは露骨なまでに嫌そうな表情を浮かべる。
普段の温厚な彼女からは、想像することもできない態度だった。
……あれ、精霊って清い心の持ち主にしか見えないんじゃなかったかな。
シャーロットは、清い心など持ち合わせていないだろう。
純粋な心を持ち合わせているはずがない。
持ち合わせていたとしても、千年もの月日の中で傷つき、すり減ってしまっていることだろう。