01-3.聖女の願いは届かない
戦場に立つ前のシャーロットを知っているからこそ、わからなかった。
「マリー。貴様の信仰する神により与えられた役目を果たすことだけが、私たちが長い月日を生きている理由になる。それを放棄するのは神への冒涜だと思わないか」
死神を連想させるシャーロットの顔を見ることもなく、マリーは十字を切る。
現実から逃げるように同じ動作を繰り返す。
その姿は壊れた操り人形のようだった。
「帝国を守護し、永久の繁栄を与える存在のあり方を思い出せ。それが貴様の救いとなることだろう」
シャーロットはマリーの姿を見ても、なにも思わないのだろうか。
「私たちは帝国の為だけに生きている。この身は神により与えられたものならば、役目を果たせ。聖女として生きる道を選んだのは、他でもない貴様だろう」
共に帝国を守る存在として思うことはないのだろうか。
他人よりも長い年月を共に過ごしてきたのにもかかわらず、マリーの苦しみは他人事なのだろう。
「決して崩れることのない永久の時間は、なによりも尊いものと心得よ。それにより皇帝陛下の名の元に集いし、民は生を受けることが出来るのだ」
シャーロットは、聖書を読み上げるように淡々と言葉を紡ぐ。
それによって、マリーを追い詰めていることなど、気付いていないかのようにも見える。
「帝国に身を捧げよ。この麗しくも儚い祖国の為に、力を振るえ。あるべき姿に導き、あるべき姿を保ち続け。守護神の名の下、英雄の名の下、帝国を導け。それが始祖の使命である。」
それは、マリーも自覚をしている帝国を守る始祖としては、なに一つ間違っていない。
「予言された選ばれた者たちの役目は帝国と共にある」
しかし、人間としては根本的に狂ってしまっている考えだ。
誰も救われない。
帝国を維持する為だけの矛盾だらけの現実だった。
「それを忘れてはいないだろうな?」
それをシャーロットは疑うことはない。
「帝国の為に身を捧げろ。民を思うのならば私たちが道を示せ」
羽織っている黒色の上着が、風で揺れる。
中から見える緑色をした軍服は、ライドローズ帝国のものであった。
それを誇らしげに着こむシャーロットは、同じ格好をしながらも嘆き続けるマリーを見下ろす。
「忘れるな。私たちは帝国の英雄だ。他国にとっては悪の化身であったとしても、私たちは帝国の誇りであり続けなければならない」
凍り付いた目線は、真っ直ぐに下ろされる。
マリーの考えこそが間違いであり、帝国の為にはならないものだと、否定する視線を今までならばそう言うものなのだと、受け入れて来ただろう。
「それこそ、貴女の嫌う綺麗事じゃないっ……!!」
けれども、それは突然の変化が訪れる。
己の意思を貫きたくなったわけではない。
「私たちは、間違っていたのよ! 最初から、何もかも間違っていたのよ!」
変わり映えの無い世界に飽きたわけでも、絶望を抱いたわけでもない。
「私たちが手を出したのは、“あの男”が私たちに施した事は、全部、間違っていたんだわ! だってそうでしょう!?」
始祖として当然の考えは、人間として間違っていた。
それを指摘する人など誰もいなかった。
「同じことを繰り返すだけよ! だからこそ、死ななくても良かった人たちが死んだわ!」
気付くことが出来たのは、人間として感性を残していたマリーだけだった。
「全て、全て私たちの“我儘”で、私たちの“罪”で死んでいったわ!!」
だからこそ、マリーは涙を流しながら叫んだ。
「そうでしょう!? それとも、それすらも分からないの!?」
涙声で叫ぶマリーの言葉に、シャーロットはなにも言えなかった。
「忘れてはいけないことだってあったはずよ!」
指摘されることはなくても、思い当たることはあったのだろう。
「私にも貴女にも大切な人たちがいたわ。それを失ってしまったのにも関わらず、帝国の為に尽くす必要はあるの!?」
だからこそ、シャーロットはそれこそが帝国を護る為の正義であるのだと信じるしかなかったのだ。
気の遠くなるほどに長い年月を生き抜く為には、正義を信じるしかなかった。
「こんなの、間違っているわ……!」
なぜ、苦痛の中で生きて失い続けなくてはいけないのか。
それが罰だと言うのならば、犯した罪は何だと言うのか。
「私たちは生まれながらの罪なんて背負っていないのに。すべては予言者の陰謀だったのに!」
マリーは、涙を流しながら訴える。
「それに貴女は抗おうとしていたはずなのに!」
それを、傍で立っているシャーロットは撫ぜていた鎖鎌に目線を落とした。
「忘れたとは言わせないわよ! シャーロットだけは最後の日まで抗い続けていたことは、私が誰よりも知っているわ!」
かつて、シャーロットが彼女らしく生き残れるようにと笑った青年の顔すらも思い出せない。
それでも、シャーロットが自分自身だけの正義を見失うことなく、生き抜いてこられたのは、青年がかけた呪いによるものだった。
マリーはそれを知っていた。
知っているからこそ、シャーロットの選択を理解できなかった。
「私たちは間違えてしまっていたのよ。シャーロット、貴女だってわかるでしょう!? 貴女だって大切な人たちを失ったわ! それでも、それでも、あの方が正しいと本当に思えるの!?」
その訴えが間違っているのだとは、シャーロットも思っていなかった。
だからこそ、シャーロットはそれを否定する肯定することもしなかった。
「もう、大切な人たちを死なせたくない! 置いて逝かれたくない!! そう思うことがおかしいのだというのならば、私はおかしいままでいいわ!」
ただ、その訴えを受け入れることは出来なかった。
長い月日を始祖として過ごして来てしまったからこそ、もう、なにもかも取り返しのつかないことだと知っているのだ。
「それならばこの場で刈り取ってやろうか。仲間の手により命を落とせば、なにかが変わるかもしれない」
問いかけているのにも関わらず、何一つ、声色は変わらない。
「マリー、貴様は私になにを望む?」
ただ、情けをかけるように眼を細めた。
紅色をした眼には、なにも宿らない。
マリーは突き付けられた刃を交互に見つめる。
「貴様の命を奪えば、私は聖女殺しの咎を背負う。そうすれば、可能性が生まれるかもしれんぞ? 始祖が死ねばその罪が譲渡されるのか、それとも意味がなく再び転生をするのか。それを試してみるのも悪くはない」
シャーロットの提案は保証がないものだった。
誰も試したことがないことだった。
「そ、そんなことをすれば、貴女が……」
「気にするな。私は呪われている身だ」
「そんなの……。そんなのは違うわ。だって、私だって呪われてしまっているのに」
マリーは視線を地面に落とす。
頬を伝う涙を拭う気力すらもない。
「貴様は呪われていないだろう?」
「いいえ、呪われているわ。だから、この呪いだけは貴女には渡せないの」
「そうか。それならば呪われながら生きていくしかないだろうな」
シャーロットの言葉に対して、マリーは首を左右に振り否定した。
シャーロットは諦めてしまっている。
それはマリーにはできなかったことだ。
「ごめんね、ごめんね、貴女も苦しいのに。私だけが逃げてしまおうとして、ごめんなさい」
涙を拭い、弱々しい笑顔を浮かべた。




