01-1.聖女の願いは届かない
ガーナは夢を見る。
それは不思議な夢だった。
……変なの。
熱くもなく、寒くもない。
ここが夢の中であるということを自覚しているのにもかかわらず、目覚めることはできない。
……これは夢なのに。
ただ、目の前に広がっている光景をガーナは見続けている。
……私の夢じゃない。
それは聖女の記憶だ。
夢という形でガーナに干渉をする為の記憶だ
聖女の記憶はガーナの心を蝕もうとしている。
* * *
「――そんな、どうして……」
絶望の中に立たされた。
傷だらけの体を庇うこともしない。
もう誰も攻撃を仕掛けてくることはない。
「こんなはずではなかったのに」
草木は枯れ果て、永遠と続く地平線を遮るように積み重なっているのは数刻前までは人間であった者たちの身体だ。
変わり果てた姿を見ていられないと、回収を命じた聖女の声に従った者たちの表情は抜け落ちている。
帝国の為と杖を振るい、剣を取り、命を捧げる事さえも美徳だと笑いあっていた者たちが二度と目を覚ますことはない。
共に帝国の勝利を喜ぶことはない。
死んでしまったのは帝国の民だった。
いや、二度と動く事のない者たちは、味方だけではない。
「どうして、こんなことになってしまったのですか」
聖女は涙を流す。
血で血を洗い、互いの命を奪い合った戦争は終わった。
帝国による一方的な搾取により、終わりを告げた。
「どうして、笑っていられるのですか……!!」
誰一人、聖女の声に耳を傾ける人間はいなかった。
ここは、異臭が立ち込める戦地だった。
戦いの終りを知らせる為に走り回る兵士の声、生け捕りにされた敵の呻き声、勝利を喜び合う仲間の声が飛び交う。
それらは、聖女マリー・ヤヌットの耳には悪夢のようにしか思えないのだろう。
「みなさん、この状況がおかしいとは誰一人思わないのですか!?」
戦場に立っていながらも甘い考えだったのだと、それを指摘するような人はいない。
マリーの叫び声に応える人もいない。
生き残った人々はそれどころではないのだろう。
戦争に勝利した後の聖女はただのお飾りだった。
誰も耳を貸しはしない。
「どうして、誰も疑問には思わないのですか……?」
マリーは、その場に座り込んでしまう。
その頬を伝う涙は誰の為のものだろうか。
「これほどに多くの人が命を落としたのに、どうして、喜べるのです」
マリーは世界を恨むように涙を流す。
「帝国の民が天に導かれてしまったのです。それなのに、どうして、勝利を喜べるのですか」
帝国が歩むのは茨の道だ。
目的の為ならば手段を択ばない。
帝国の繁栄を妨げようとする国には容赦はしない。
そうすることで帝国は世界に名を知らしめてきた。
「この意味のない戦争を喜ぶことができるのですか……!!」
そこは、悪夢のような現実だった。
もしも、悪夢であったらマリーは救われただろうか。
「過ちを犯して、どうして、笑っていられるのでしょうか……!」
味方を守ることも許されず、敵を救うことも許されない。
ただ、安らかに眠ることを祈るしかできない。
死霊を慰める為の鎮魂歌も、帝国の正義と勝利を讃える為の祝詞も、なにもかも忘れてしまったようにマリーは泣き崩れていた。
「あ、あああああああっ」
マリーは臆病な人間だった。
戦うことが嫌いだった。
幸せになりたかっただけだった。
「神様、神様、神様……!!」
その感性も性格も実力も、人間と違うところはなにひとつもない。
それなのにもかかわらず、マリーは普通の人間ではなかった。
帝国を守護する始祖の一人として帝国に縛り付けられる。
それは長い年月をかけて彼女の心を蝕んでいったのだろう。
「神様、どうか、どうか、これ以上、帝国の民を傷つけないでくださいませ」
そして、懺悔するかのように十字を切る。
その願いは神の元には届かないと知っていながらも繰り返す。
「どうか、これ以上、同じ罪を背負わせないでくださいませ。どうか、どうか、お願いいたします、神様」
その行為にはなにも意味はない。
マリーの心を癒すこともなければ、人々の魂を救うわけではない。
それはただの自己満足だった。
それも、その行為に縋りつくことしかできなかった。
「どうか、私をお救いくださいませ。どうか、私を殺してくださいませ」
マリーは神の存在を知っていた。
ライドローズ帝国を護る神は存在する。
その力を分け与えられたのが七人の始祖であることも知っている。
「彼らの死を、私にもお与えくださいませ」
そして、始祖には帝国が繰り返している戦争を止めようとする意志はないのだということも知っていた。
「神様」
彼らは戦う為だけに生み出された存在だ。
呪われた彼らは歩みを止めることはできない。
「私たちに死をお与えくださいませ」
知っているからこそ、神に乞うのだろう。
その手が掴まれることはないのだとわかっていながらも、縋る以外の方法はなかったのだろう。