14-5.知らないことが罪だというのならば
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ガーナを追い出したシャーロットはリビングとして使っている部屋に戻った。
身分に応じて与えられる部屋数や大きさが変化することは、シャーロットにとっては好都合だった。
持ち込んだ荷物が多いのもあるが、この部屋には軍の関係者も訪れることがあるのだ。
「珍しく長く話をしてたじゃねえかァ」
先ほどまでガーナが座っていた椅子にはイクシードが座っている。
いつの間に来たのかわからないものの、それを聞くつもりもなかった。
「貴様の妹はバカな女だな」
「そんなことは知ってらァ」
イクシードが好きなようにシャーロットの部屋に訪れるのは今に始まったことではない。
「食に対する意地汚いところはそっくりだ。ギルティア。毒が含まれている可能性も考慮しろと何度言えば理解できる。私は貴様の教育係ではないのだぞ」
「ガーナに出してた菓子に毒なんかいれてねーだろ」
躊躇なくクッキーなど菓子を口の中にいれているギルティアに対し、シャーロットは呆れたようにため息を零した。
それから自分専用として持ち込んだ大きめのソファーに腰をかける。
「少しは私を疑うことも覚えろと言っているんだ」
与えられた部屋は一人で使うのには広すぎるものだった。
本や書類などを様々なところに置いたままにする傾向のあるシャーロットにとっては片付けられない物ばかりで溢れていくだけだ。
「おいおい、シャーロット。どうしたよォ? ついに気でも狂ったかァ?」
その片付けも兼ねて遊びに来るイクシードの視線は無視して、眼を閉じる。
「笑いながら言うことではないだろう」
「ははははっ! そりゃぁ、悪いなァ。よーっく考えりゃァ、テメェの頭が狂ってるのは昔からのことだったなァ」
イクシードとの付き合いは長いものだ。
千年以上の月日を共に過ごしている。
それこそシャーロットがただの人間だった頃からの付き合いである。
目的の為ならば手段を選ばなかったシャーロットの姿を知っている。
「ギルティアには言われたくはない」
「そりゃァ、仕方ねえよ」
大笑いをしているイクシードの笑い声すら不愉快だと言いたげに眉間にしわを寄せ、傍に置いたままになっている大きめのクッションに腕を伸ばす。
それを乱暴に掴み、抱き抱える。
「今のお前の姿を見りゃァ。彼奴は怒るだろうなァ」
「……彼奴?」
「なんだァ、さっきまでガーナに言っていたじゃねえか」
イクシードの言葉に違和感を抱いたのだろうか。
閉じていた眼を開く。
血のように赤い眼にはなにも感情を宿してはいなかった。
「同じ血が流れているって言ったのはお前だろォ?」
「確かにそう言ったな」
「覚えてるんじゃねェかよ。珍しいなァ? お前、千年も前に関わった人間のことなんて殆ど忘れちまってるのに」
シャーロットは帝国に関する出来事を忘れることはない。
始祖として生きている千年の間、帝国内で起きたことに関しては誰よりも詳しいだろう。
「まァ、あれだけ特別扱いをしてりゃァ、少しは記憶に残ってたのかもしれねーなァ」
しかし、千年近くの記憶を全て覚えていることは不可能である。
その為、常日頃はその膨大な記憶を制御している。
それは帝国を護る為に必要なことや魔術や剣術に関することなど、始祖としての役目を果たす為に必要なことを優先し、その他の個人的な記憶は必要最低限しか覚えていないのだ。
「そこまで大事な奴だったのかよォ?」
出来事としては認識をしているものの、個人的な会話の内容などは忘れてしまっているのだろう。
それは全てを記憶しているとは言えないことなのかもしれない。
始祖として生きる為には必要なこと以外には、シャーロットの中にほとんど残されていない。
それは彼女が始祖として振る舞う為には必要な手段だった。
「なんだァ、変な顔をしやがって」
膨大な記憶を遡っているのだろう。シャーロットは眼を見開いたまま、動かない。
その表情を見ているイクシードはおかしくて仕方がないと笑っていた。
シャーロットとイクシードは根本的に異なるところがある。
元々人間として生まれたシャーロットとは違い、イクシードの身体には長い月日を生きるエルフ族の血が半分も流れている。
彼の耳が尖っているのもエルフ族の血の影響を受けているからである。
人間とエルフ族の混血児であるイクシードは記憶力が飛び抜けている。
元々覚えることができる容量が人間とは大きく異なっているのも影響しているのだろう。
「忘れちまったのかァ、シャーロット」
相変わらず、クッキーを食べる手は止まっていない。
楽しそうに笑うイクシードの言葉はシャーロットには届いていないのだろう。
……彼奴とは誰だったか。
ガーナの言葉を聞き、懐かしさを感じたのは事実である。
同じような言葉を何百年も昔に言われたことがあった。
「お前は昔っから記憶力が弱いもんなァ? この身体になる前もよく人の名前を忘れちまってたし、まぁ、始祖としての役目を果たすだけならなにも困らねえからいいんだけどなァ」
もしかしたら、シャーロットが思っているよりも昔の話かもしれない。
どのようなやり取りがあったのかは思い出せないものの、それは大切な思い出だった。
……ガーナと血の繋がりを感じたのは事実だ。ガーナはギルティアのことを言っていると思い込んでいるだろうが、それはありえない。二人には血の繋がりなど存在しないのだから。
イクシードがヴァーケルの苗字を名乗っているのは、シャーロットが指示をしたことだった。
「同情するぜ。シャーロット」
それならば、シャーロットは誰と似ていると思ったのだろうか。
……あれは、誰だったか。
それは大切な思い出だった。
……私は誰を忘れてしまったのか。
始祖となることを選ばなくてはいけない時も、その思い出だけは忘れてはいけないと自分自身に言い聞かせたはずだった。
……いつから、忘れてしまったのだろうか。
千年の月日はシャーロットの大切な思い出すらも奪っていく。
「ギルティア、貴様は覚えているのか」
「あぁ、覚えている。あのバカ面は忘れられねェからなァ」
「そうか。貴様が覚えているのならばそれでいい」
それでいいと、シャーロットは割り切ってしまったのだろう。
その言葉を聞いたイクシードは複雑そうな表情を浮かべた。
「なんだァ、思い出したいとは言わねえのか?」
「必要な時は私の記憶を補え、ギルティア。力任せな考えなしを従者に選んだのは私の足りない部分を補う必要があるからだ。始祖としてではなく、お前は私の為に生きていることを忘れるなよ」
イクシードはシャーロットがその言葉を向けたのは、別の相手だったということを覚えている。
だからこそ、記憶を補うかのように思い出の一部が作り変えられてしまっていることに対して同情心を抱いたのだろう。
「……シャーロットの相棒として傍にいてやるよ。テメェは昔から足りねえ部分が多いからなァ」
「一言多い」
「へいへい、悪かったなァ」
「それよりも仕事の資料はどうした。それを届けに来たのだろう?」
シャーロットに言われ、イクシードは持ってきた鞄を開く。
そこにはなにも入っていない。
「あ、やべぇ、執務室に置いてきちまった。ちょっと取ってくるわ」
「仕事をしない奴は自力で帰れ」
「テメェ。良いじゃねえかよ! どうせシャーロットと組まされるのが多いんだから【空間転移魔法陣】をお前の影と繋げてるんだよ!」
「許可していない。毎回、私の影を利用するな」
シャーロットの影を出入口として指定しているのは如何なものなのだろうか。
当然のように主張するイクシードを跳ね除けるように陰になっている足元にクッションを置く。
物理的に出入り口を塞いだシャーロットは栞が挟んだままになっている本に手を伸ばし、寛ぎ始める。
お気に入りだと公言していたクッションを足で踏みつけている姿は貴族とは思えないものだった。
「そういうことするとお前も吸い込まれても知らねェぞ」
「安心しろ。強制的に閉ざしたところだ」
「はぁ? テメェ、なんでそういうことばかりするんだよ」
「仕事をしない奴に楽をさせる主義ではないのでな。この本を読み終わるまでに資料を取って来い」
「半分以上読み終わってるじゃねえかよ!」
イクシードは強引に【空間転移魔法陣】を展開しようとしたものの、シャーロットの宣言通り、すぐに閉ざされてしまう。
何回も繰り返してもその度にシャーロットは干渉してくる。
本当に影を利用させないつもりなのだろう。
「アァッ! クソッ! 取りに行ってくる!!」
「最初から忘れなければ良かったのに。バカな奴だ」
「うるせェ。戻ってきたら覚えとけよ」
「はいはい、さっさと行ってこい」
リビングから飛び出して行ったイクシードの後を追いかけるつもりもないのだろう。
恐らくはシャーロットによる干渉の範囲外のところまで走っていき、新しく魔術を構築して移動をするのだろう。
そこまで分かっていながらもシャーロットは本を読み始めた。




