14-2.知らないことが罪だというのならば
「私はね。寂れた農村に生まれた貧乏農家の娘よ」
ガーナは辺境の地にある寂れた村に生まれた。
村を覆い隠すかのような凍り付いた森に囲まれたフリークス領の外れであるヴァーケル村は、千年前、始祖の一人であるギルティアが生まれ育った村でもある。
「聖女様みたいに綺麗な心を持ち合わせてもないわ」
始祖信仰者の中では気軽に訪れることができる聖地として有名ではあるものの、そこに住む者にとっては貧しいだけの村だった。
細々とした生活が続けられるのは聖地巡礼に訪れる人々が金銭を落としていくからだろう。
「だって、国の為にすべてを捧げようなんて思えないもの」
ガーナは故郷のことを誇りに思っている。
そこはどこにでもある田舎だった。
それでも、ガーナは好きだった。
「私は家族も故郷も、村の人たちも、友人たちも。なにもかも手放してまで聖女様になんかならないわ」
故郷にある両親も親族も、ガーナを可愛がってくれた村の人々も、ガーナがいなくなるようなことがあれば悲しむだろう。
ガーナがガーナではなくなってしまったと知れば、両親は正気ではいられなくなるかもしれない。
「始祖の妹としても期待されることは慣れているわ。でもね、期待外れだって勝手に怒って去っていくのにも慣れているのよ」
兄のイクシードが始祖であると知られた日から、妹のガーナにも期待が集まった。
一方的な期待を向けられたガーナはそれに応えようと努力をし続けた。
「私は期待に応えられないの」
しかし、ガーナはその期待に応えられなかった。
「だって、兄さんのような才能はないもの」
人々というのは勝手な生き物である。
貴族というのは残酷な生き物である。
一方的な期待を裏切られたと好き勝手にガーナの存在を否定し、ガーナの価値を否定した人々は離れていった。
「だから、好きにしてちょうだい」
幼い頃の経験は簡単には忘れられはしないだろう。
「シャーロットだって、私のことを期待外れだったっていう日が来るわ」
今もガーナが貴族に対する不信感を抱くのは、幼少期のその経験が原因になっている。
「私は何度言われても聖女様にはなれないわ」
それなのにもかかわらず、ガーナは笑ってみせた。
その痛々しい姿を守ろうとする人はいなかった。
「私は私としてやりたいことをするの。その偉業が聖女様だと言われても、それは、私のしたことよ。それを否定させないわ」
聖女としての役目を果たせと、シャーロットは何度もガーナに言うだろう。
その度にガーナは言い返すだろう。
「そうか。その選択には悔いはないか」
「今のところはないわね。これから先のことなんてわからないわ。でも、私は後悔をするようなことをしたくないの」
「そうか。それならばその選択もいいだろう」
シャーロットもまた戦争や革命、多くの人が死ぬ時代を生き抜いてきたのだろう。
時には命を落とすこともあっただろう。
永久の眠りにつくことは許されず、再び帝国の為に戦う為だけに眼を覚ます。
その繰り返しの中、シャーロットはなにを思いながら生きて来たのだろうか。
「意外ね。もっと、こう、私に聖女になれって強要すると思ったのに」
「聖女としての役目を果たすのならばそれでいい。お前が拒絶をしようが、聖女としての役目を果たさなくてはならない日が来る」
始祖は、人間であることを棄てた姿である。
それにより、誰かが悲しんだとしても戻ることは許されない。
「それがマリー・ヤヌットとして行おうが、ガーナ・ヴァーケルとして行おうが、どちらでも私は構わない」
人ではなくなった始祖たちが生きるのは、帝国の為なのだ。
帝国が滅びれば彼女たちはその姿を消すのだろう。
存在意義がないまま生きていくことはできないだろう。
「信じることなど無理な話であるのはわかっている」
シャーロットは、冷めた目でガーナを見ながらも言う。
彼女はなにを思っているのだろうか。
ガーナにはわからなかった。
「貴様には罪はない」
聖女というのは、修道院にいる女性が選ばれているわけでも、熱心な信者が選ばれているわけでもない。
「ただの少女と変わらない」
生まれながら罪を背負う始祖となった人々の中で、唯一、異なる理由で選ばれた女性の別称だった。
「始祖と関わらなくても生きることもできるだろう。それを妨げてしまうことを申し訳なく思う」
それを知っているからこそ、シャーロットは冷めた目でガーナを見る。
罪はないが、ここまで自尊心が高い者が、聖女であった事例は存在しない。
だからこそ、なにかの間違いだと思いたいのは、彼女も同じなのだろう。
「だが、お前の甘い考えでは、かつて友だった女の子孫が死にかねない。それだけは、許しがたい話だったからな。――だから、こうして真実を告げた。信じろとは言わぬ。ただ、その女から手を引けば良い」
「あら、急に話が変わったわね。それにしても、かつての友達ねぇ? ふふっ! 素敵! その友達を愛していたのね! その子孫を救いたいなんて普通じゃない話は好きよ!」
話題を逸らそうとしているのだろうか。
「そういうわけではない」
シャーロットは迷惑だと言いたげな目線を向けた。
「ああっ、それで、私を引き離そうとでも!? ふっ、バカな話ね! お前の友達はとーっくに死んでしまっているのだろう!? それなのに、どーやって離そうというのかなぁ!? おバカな、おバカな、シャーロットちゃぁーん!! あはっ!」
必死にふざけて見せるガーナに対して、シャーロットは表情一つ動かさなかった。
「……ちょっと、笑ってよね。私が一生懸命ふざけてみせたのにそんな目を向けないでよ!」
凍りついた眼で見られる事に耐えられなくなったのか、ガーナは、ふざけるのを止める。
誤魔化すことの出来ない話題であると認識したのだろうか。
「んんっ」
咳払いをする。
そして、今度は真剣な表情を繕った。
「とりあえず、現時点で気になった事を聞いてもいい?」
シャーロット曰く、“友人”であった女性の子孫を守る。
それが目的であるのならば、理解が出来ない点があった。
……大体、そんなことを気にするようには思えないもの。
前提としておかしいのだ。
第一に、守る為に引き離そうとする必要性が感じられない。
それから、事情を素直に話す必要性も感じられなかった。
なにより、ガーナは確信があった。
……シャーロットが本音を話すとは、思えないのよねぇ。
始祖の成り立ちに至っては、確かめようもない話だ。
万が一にも、偽物の話をされていた所で、真実ではないと言う確信を持つことは出来ない。
真実を知るのは、千年も昔の記憶を所持する始祖たちだけなのだ。
「その子孫ちゃんを守る以外に目的があるんじゃないの?」
脳裏に過る朝の会話。
再会したばかりの双子とは思えない、冷めた会話。
憎しみと哀しみと怒り、それから、確かに互いに対する愛情が含まれているようにも見えた。――ガーナからすれば、どれが本物なのかはわからなかった。
「レイン君を守る為、とかね」
全てが偽りのように見えた。
全てが本音のようにも見えた。
言葉に宿っていた思いも表情も動作でさえ、なにもかも、作られたように見えたのだ。
それは、事実である保証はなかった。
「なぜ、私が守ってやらねばならない。あれは守らなければいけないほどに弱い幼子でもあるまい」
慣れた手つきで紅茶の入ったティーカップの飲み口に触れる。
すると、冷めていた紅茶から湯気が上がる。
呪文を唱える事なく、自然な動作で使われた魔法にガーナは眼を見開いた。
……は? なにそれ!
魔法を使う為には長々しい呪文を唱えなければならない。
省略することも可能ではあるのだが、現代の魔法使いや魔女では短縮呪文を唱えている者はほとんどいない。
限られた実力者だけが使えるとさえ言われている行為だ。
その魔法でもないのだろう。
シャーロットは自然として見せたことに自覚は無いのだろう。
ガーナが眼を見開いてティーカップに視線を向けていることに気付き、気味が悪そうな表情を浮かべている。




